しきみ
2025-01-24 00:35:01
7753文字
Public 傀暮
 

逃げる影に寄せて

誕生日を祝われるファントムの話です。
ド遅刻でごめんなトム おめでとう。
ほんのり程度の傀暮があります。

 影から影へ。この日、ファントムは非番だと言うのにどこにも落ち着けず、ロドスの中を逃げ回っていた。
 自身に害をなすもの、不快なものから距離をとろうとしているのではない。目下、彼を苛むのは、人のささやかな善意にさらされる居心地の悪さである。
 誰にも見つからないように、受け取るには気後れする純粋な善意を、面と向かって向けられることのないように。そうして影を伝って移動を繰り返しているのだが、どこへ出ても、どこからか彼を探す気配がうっすらと漂ってきて、身の置きどころがない。どこへ行っても自分に関心を向ける気配があるというのは、たとえそれが善意から来るものであっても、ファントムのようなフェリーンにはなかなかのストレスのようだ。
 静かに落ち着けるところが欲しい。できれば、共にいて心地良い人物の傍が望ましい。〝誕生日の贈り物〟として、ファントムが今何よりも望んでいるのは、心穏やかに安らげる時間と空間だった。
 そういった訳で、影から一瞬出てはまた潜みを繰り返し、まるで蜃気楼か亡霊のように――と言えば格好がつくが、実際のところは客人の気配を感じては顔を引っ込める猫のようにロドス艦内を渡り歩いたファントムだったが、居住区まで来てようやく、求めるものを得られそうな雰囲気を感じ取っていた。
 意外なほどに人の気配の薄い居住区の通路で、ファントムはようやくその全身を影から出して、細く長いため息を吐いた。通路を進む足音ひとつない歩みは、しんと静かな自室の前で止まり、しかし、その扉を開けることなく、再び人けのない通路へと戻る。
 そうして辿り着いた目的の扉の前で、ファントムは少し考える。部屋の主が不在であることは知っている。そして自分はこの部屋のカードキーを持っていない。果たして勝手に、影を伝って侵入しても良いものだろうか?
 良い、ということにした。
 するり、と扉もセキュリティも無いもののように室内へと滑り込み、勝手知ったる部屋を一直線にソファへと向かい、闇色のマントを取り払って背もたれへばさりと引っかけ、のっすりと座面の真ん中を陣取る。
 無論、ファントムはめったにこのような不躾な振る舞いはしない。するからには、それなりの理由と心境があるのだ。
 
 きっかけは、ドクターの一言だったという。
「そう言えば、そろそろファントムの誕生日だったな」
 よりにもよって、昼時の食堂で、そんなことをのたまったらしい。
「ご自身に思い出させる独り言のようではありましたが……ええ、まあ……明らかに、皆さまに聞こえるようにおっしゃっていましたよ」
 と、ドクターと昼食を共にしていたシャレムは語っている。
 その場ではただのドクターの独り言として盛況な食堂の活気に流されていった情報だったが、その後「それで、結局それはいつなんだ」の問い合わせが多数寄せられた。
 とは言え、ドクターが皆に日付を教えたところで、当日彼らの前や賑やかな場所にファントムが姿を現すとは誰にも思えなかった。ドクターも、その時間秘書の仕事をしていたシャレムも、まあそうだろうなと確信していた。
「なので、受付会場を作ることにした。彼を祝いたい人は、明日ここへ来るように」
 斯くして、本日、ドクターの執務室は一時的に、ファントムへのお祝いの受付会場となった。どうせ本人が祝いの席に来ないなら、全部まとめておいて押し付けてしまえ、という訳である。
 それだけなら、ファントムにとってもまだ良かった。
 問題は、そのドクターの執務室兼受付会場で、発起人であり受付の傍ら山積みの書類を崩す必要のあるドクターはともかく、シャレムとミス・クリスティーンがやけに乗り気で手伝っていることだった。
 別に。ファントムは独りで居ても、まったく平気なたちだ。実際、彼は誰かと連れ立って何かをするという事は少なく、作戦中も単身単独独断の行動が多い。距離を詰めて構われたり、賑やかな人の輪に入ることも、できる限り避けている。
 しかし、自分の気に入ったものが他所にかまけてばかりいると言うのも、好きではない。
 実にフェリーンらしい我儘さを、今、ファントムは発揮していた。
 つまり、自身が避けて逃げ回っていた賑やかさに、自身が気に入っている誰もが加担しているので、幾分機嫌を損ねているのだった。ミス・クリスティーンのような長い尻尾があったならば、ソファの座面の上を力強く叩いていたことだろう。
 
 不服さを隠そうともせずに他人の――シャレムの居室のソファに我が物顔で居直りやや不貞腐れていたファントムだったが、もはや見慣れた、自分の居室よりも居心地の良い部屋の空気に身をひたしている内に、徐々に心が凪いでくる。元々静かな場所を好むファントムにとっても、シャレムの部屋は〝ただ静かだから〟以上の安らぎをもたらしてくれる。
 決して、シャレムの居室も生活感に溢れている方ではない。それでも、備え付けの家具や電化製品の他は、衣装を除けばトランク一つに収まってなお空間が余るほど私物の少ないファントムのものとは全く雰囲気が異なっていた。
 簡易キッチンに品の良いティーセットが揃えられていたり、壁に取り付けられた棚やコンソールの上に、子どもたちやお茶会仲間、交流のあるオペレーターや事務員から贈られた花や小物やカードなどが大切そうに飾られていたり。意外なほどに顔の広いシャレムの、ロドスの人々とのささやかだがあたたかな交流を感じさせる品々が点在している空間は、明かりが落ちて静まりかえっていても、どこか柔らかな気配が漂っている。
 その静けさ、穏やかさは、部屋の主であるシャレムの纏う雰囲気をそのままうつしたようでもあり、それがファントムの心をゆったりと撫でつけていた。
 そうしてしばらく、目を閉じ、肩の力を抜き、心地の良い空気に身を任せていたが、なかなか部屋の主は戻って来ない。
 いい加減本当にここで仮眠をとってしまおうかとふて寝の選択肢が浮かび始めた頃、敏い耳が扉の向こう、通路の先の先で鳴った微かな音を拾った。聞き違えようのない足音に、立派な房毛を立てた山猫の耳がぴくりと揺れる。
 淀みなく通路を進んできた足音は、過たずこの部屋の前で止まる。ピピ、と電子錠が開く音がして扉が開く。
「ふふ、やはりこちらでしたか」
 そう笑って部屋へと入ってくるシャレムが、勝手に部屋へ侵入して寛いでいたファントムを見て驚く様子はなかった。侵入者をまったく気にすることなく、いつものルーティンで扉にロックをかけ、照明のスイッチを入れる。
 容赦なく点けられた明かりの眩しさに目を瞬かせるファントムを見て、シャレムがまた小さく笑った。むっすりと座り込んでいるファントムとは対照的に、随分と機嫌がいいようだ。
「あなたへの贈り物をお持ちしましたよ、ミスター・ファントム」
 にこやかなシャレムの声を聞いて、しかしファントムの眉間の皺は深くなる一方だった。
 
 贈り物、というものにファントムは好ましい感情を抱いたことが無い。かつての公演後、千秋楽の楽屋で、君への贈り物だと示された数え切れないほどの品々がファントムの脳裏をよぎる。
 幾度となく山と積まれた小箱、手紙、花束たちのいずれにも、彼が心をひかれたことはなかった。役者が観客から贈られるべきは、舞台そのものに対する万雷の拍手のみであるという信念もあったが、何より、そのどれもがただ絢爛に飾られただけ、劇団の芸術の寵児に贈りたいだけの虚飾と独り善がりに塗れたもので、一瞥する以上の興味も価値も彼にもたらさなかった。
 贈り物という単語に付随して、甘く重く纏わりつくような蜜蝋の匂いとともに思い起こされるのは、そうした虚しいものだけだった。
 もともとよろしくなかったファントムの機嫌が更に下降するのを見て、その理由を察せてしまうシャレムが苦笑をこぼす。
……確かに、あなたにとっては、あまり好ましくない響きであったかとは思いますが……しかし、ここではどうでしょう。ロドスのミスター・ファントムにとっては?」
 片腕に抱えた紙袋の中から、シャレムは受付会場で預かったものを丁寧にテーブルの上へ取り出していく。
「今日一日あなたが姿を見せなかったのは、これらが皆さまの素朴な善意から来るものだとわかっていたからでしょう?」
 そう語りかける声も、テーブルへ小さな箱やリボンの巻かれた瓶を並べる手つきも、それらが立てることこととした小さな音も、至極穏やかで柔らかい。
「まあ、このようなあたたかな善意を面と向かって受け取るのが何となく気まずい……というのは、私もわかります。ですが、そうであれば尚更、これらも警戒すべきものでは……そう虚しいものではないのだと、そうは思いませんか?」
 空になった紙袋を畳んで、シャレムはファントムへの贈り物が林立するテーブルを眺める。その眼差しはゆったりと満足そうに細められ、今日祝われている本人よりもよほど嬉しそうだ。
「どうぞ、手にとってみてください、ミスター・ファントム。皆さまの、あなたへの気持ちですよ」
 そう促される頃には、穏やかな漣のようなシャレムの声と部屋の空気に撫でつけられて、ファントムの眉間の皺もずいぶんと少なくなっていた。未だ無言のままではあるが、のそのそとソファから立ち上がってテーブルへと歩み寄る。
…………よい物ばかりのようだ」
 並べられているのは数本の酒の瓶、チョコレートや焼き菓子の小箱がいくつか、茶葉の缶が数種類、その他……そのどれもが上品にまとまっていて、ひと目見て上質なものだとわかる品だった。
「あなたはあまり物を持たないだろうから、それならば数は少なくとも皆で買った良い品を、と。皆さま、気を遣ってくださったんですよ」
「それは、ありがたいが……しかし、」
「おや、お気に召しませんでしたか? たまにあなたはバーに誘ってくださいますし、ドクターともお酒を楽しむことがあるとうかがっていますし……お茶会にも、顔を出してくださいますから。皆さま、良い選び方をなさいますねと思っていたのですが……
「そうではなく……いや、ありがたく受け取ろう」
 皆で相談して選んだにしては、ひとりに贈るにはいささか消え物の量が多いように感じられた。しかし、個人からの贈り物と思しき一角を見て、ファントムはその指摘を飲み込む。
「これは?」
「こちらは……ああ、ドクターからのものです。ペアグラス……美しいすがたですね。あなたの手元によく映えそうです」
 うっすらと、ファントムには会場の総意が見えてきた。
「こちらの封筒が、ミス・アズリウスから。こちらは、ミス・ウィスパーレインからですね」
 様々な種族のためのアクセサリーを取り扱う装飾店の優待券が2枚と、ツェルニー氏のコンサートのペアチケットだった。
「こちらが、ミス・フォリニックと医療部の皆さまからです」
 シャレムがやや気まずそうに示した箱は、一見するとファーストエイドキットのようだ。しかし、促されてその中身を見て、ファントムの頭上の山猫の耳があからさまに力をなくしてしおたれる。
……追い打ちをかけるようですが、言伝が。〝あなたに救急キットを渡すと、医療部への負傷登録が更に疎かになる懸念があります。なので、栄養食セットを。全部食べ切るように〟とのことです」
………………
「駄目ですよ、そんな目で見ても。食べないようなら私が横について食べさせろと言われていますので」
 退路を断たれていた。
 ともあれ、栄養食は変化球だったが、それでもピースとしては成り立っている。
 贈り物の数々を見渡して、ファントムが総意として感じ取ったのは〝おふたりでどうぞ〟だった。
 それを、シャレムはわかっているのだろうか。何のてらいもなく贈り物の説明をしていたところを見ると、わかっていないのだろうな、と見当がついてしまい、ファントムは小さな嘆息を胸のうちに隠す。視線に少々の恨めしさが乗ってしまうことくらいは許されたい。
「どうかしましたか? ……あっ、私に横流ししようとしても、いけませんよ。栄養食は食べきっていただきます」
 と、視線の気配にだけは敏いシャレムがまったく見当違いなことを言うので、話の矛先を変える。
……ミス・クリスティーンは君とともに来なかったのか?」
「ああ、彼女でしたら、おそらくそろそろ……
 そう応えたシャレムが扉に視線をやると、見計らったかのようにカシカシと扉を掻く音が響いた。
 
「はい、ただいま開けます……お待ちしていましたよ、ミス・クリスティーン」
 扉を開け出迎えたシャレムの足元をするりと抜けて、ミス・クリスティーンが部屋へと入って来る。その口には小さな包みがくわえられていて、屈んだシャレムが差し出した掌にそれを渡す。
 シャレムが包みをしっかりと受け取ったことを確認したミス・クリスティーンは、礼を言うシャレムの鼻先にちょんと触れるだけのキスをする。そうしてひと仕事終えたとばかりに大きく伸びをして、シャレムに続きファントムの脚に額を擦り付け、とてとてと部屋を横切り、早々にこの部屋での定位置である彼女専用のふかふかベッドで丸くなってしまった。
……それは?」
 テーブルの傍らに戻ってきたシャレムの手元を、ずいと距離を詰め横から覗き込んだファントムが問う。
「こちらは、ドクターと皆さまからのもうひとつの贈り物ですよ」
 シャレムが滑らかな指先で包装をといて取り出したのは、小型のボイスレコーダーだった。
 スイッチを入れると、再生開始の電子音に続いて賑やかな歓談が流れ出す。そのざわめきを背景に、マイクの近くでファントムの誕生日を祝う言葉、感謝の言葉が次々と流れていく。
「全員分の贈り物を受け取ってもらうのは難しいかもしれませんが、言葉であればあるいは……と、ドクターが。皆さまから一言ずついただいているんですよ」
 再生される賑やかさがファントムにとって不快にならず、それでいてメッセージはしっかりと聴こえるように音量を絞り、シャレムが続ける。
「広報部の方やイベントスタッフの方も多くいらしていましたし……何より多かったのが、謎の影に助けられた会の方々でしたね。ふふ……皆さま、やっと恩人の存在を確認できた、と喜んでいらっしゃいましたよ」
 シャレムは会場の様子を思い出しているのか、その声色は軽やかに弾み、ことのほか嬉しそうだ。
「会場がドクターの執務室でしたので、録音データが聴けるのは機密上今日限りなのが残念ですが……
……シャレム、」
 終始楽しそうなシャレムの声を遮り、ファントムが声を掛ける。
「はい、なんでしょう?」
「皆からの贈り物は、ありがたく受け取ろう。しかし……
……? はい、」
 しかし。ファントムはまた、少し考え込んでしまう。この先を言ってしまうのは、あまりに情けなくはないだろうか? 果たして、自分でも子供のようだと思うこのもやつきを、ぶつけてしまって良いものだろうか?
 ――良い、ということにした。何せ、もうずっと我慢していたのだ。
……しかし、君からは?」
 
「私、から、ですか……?」
「ああ」
 自分に水を向けられると、途端にシャレムの言葉は回らなくなった。
「てっきり君が、一番に祝ってくれると思っていたのだが」
「う……
 少し意地の悪いことを言っている自覚はある。本当かどうか自分でも分からない誕生日というものにさほど興味はなかったファントムだったが、しかし、祝われるというのであれば、シャレムの穏やかで柔らかな声でささやかに祝われることを、密かに楽しみにしていたのも事実だった。
…………その、」
 気まずそうに絞り出される声に、ぴくりと山猫の耳が反応する。
「考えていなかったわけでは、ないのです。用意も、もちろん、してあるのですが。ただ、今となっては、あの……皆さまの品が、良いものばかりでしたので」
「君の用意したものが見劣りすると?」
「ええ……まあ。そうです……
 もぞもぞと、落ち着きなく指を絡めて、解いて。先ほどまでと打って変わって視線を彷徨わせるシャレムは、実に居心地が悪そうだ。
……くれないのか?」
 じ、と少しも逸らされないファントムの視線を至近距離で注がれて、シャレムも観念したようだ。
……がっかり、なさらないでくださいね」
「する理由がない」
 きっぱりと言い切るファントムの声を、本人は気づいていないだろうが房毛までぴんと立てられた耳を、いつもより輝きの増した黄金の瞳を受けて、これ以上引けなくなったシャレムは、少し待っていてくださいと言いおいて、簡易キッチンへと足を向ける。
 ややあって戻って来たシャレムがテーブルの上におずおずと差し出したのは、小ぶりな茶葉の缶だった。
「私の誕生日に、あなたがくださった茶葉があったでしょう? とても美味しかったので……私ひとりで消費してしまうのも、勿体ないように感じてしまいまして。それで、あなたの好みに合うよう、少し手を加えてフルーツティにブレンドしてみたんです」
「君のブレンドに間違いはない。では、これを?」
「ええ。今日はそれを淹れて、お茶の時間を贈らせていただこうかと……あの、お祝いと言うには、あまりにもいつも通りなのは、私もわかっています。ただ、今日一日あなたはきっと落ち着かなかったでしょうし、ゆっくりしていただきたくて……約束もしていましたし、」
 慌ただしく、言い訳のように言葉を連ねるシャレムだったが、まだ何かを待つようにじっと佇んでいるファントムを見て、その流れを止める。
「ええと、その……はい。お誕生日、おめでとうございます、ルシアン」
「ああ、感謝する、シャレム」
 ここにきてようやく、ずっとうっすらとファントムが纏っていた不機嫌さが払拭されたことにシャレムは気付いた。一転して纏う空気を柔らかくした彼を見て、シャレムの肩の力もすとんと抜ける。
「あなたは、何といいますか、本当に……
「なんだ?」
「いえ……ふふ、何でもありません。では、少し座ってお待ちいただけますか? お茶を淹れてまいります」
 簡易キッチンへと戻っていくシャレムの背中を視線で追いながら、ファントムは今日ようやく心から落ち着いた気持ちでソファに腰掛ける。
 ボイスレコーダーから聴こえる善き人々の声の上に、茶器の触れ合う音と湯を沸かす音、茶葉をはかる音が重なり、心地よい音楽のようだ。
 しばらくしてふわりと香ってくる瑞々しい香りを感じながら、受け取った贈り物をどう使おうかとファントムは考えている。アクセサリーを選び、上質な音楽に親しみ、良い酒を開ける。ご丁寧に2人分用意されたそれらの時間を、君とともにしたいのだと伝えたら、彼はどんな反応をするだろうか。
 その楽しみを思うと、なるほど。祝われるのも、ここではそれほど悪くはないな、とファントムは静かに頷くのだった。


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