しゃどやま
2025-01-23 20:29:28
2784文字
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【宗戴と雨戴】逡巡

オメガバースの戴受けだよ!

 習い事から戻った瞬間、雨竜のスマートフォンが鳴る。ウィズダムシンクスの浄だった。ライダーの義務として登録こそしたが、進んで交流したい訳ではない相手。気を引き締めて、使用人から離れて通話に出る。もしもし、と言う前に、早口で浄は言う。
「高塔。君の兄さんが……気分が悪くなって倒れてしまってね」
「そ、それは……!」
 雨竜の頭へ一気に血が上る。普段から無理をする兄だが、出先で倒れてしまうほどのこととなると、一番恐ろしいことが頭に浮かぶ。
 Ωのヒートだ。
 この世界には、α、β、Ωという性別がある。雨竜が属するαや、多くの人が属するβにはないことだが、Ωにはヒートと言われる発情期がある。体から力が抜け、魅惑的なフェロモンがあふれ、αを求めるという。
 戴天は、人の上に立つ支配者でありながら、αに支配される性別であるΩを隠している。威風堂々とした態度と有能すぎる仕事ぶりから、戴天がαであることを疑う人は少ない。社長や政治家にはαが多いというのが、この世界の通説だ。
 兄弟になって暫く経ったある日、雨竜は兄に打ち明けられた。一部の使用人しか知らないことだが、戴天はΩであるということ。抑制薬を飲んでいるが、副作用や不意の体調不良で迷惑をかけることがあるかもしれないということ。身近にΩがいるということに雨竜は動揺したが、兄が打ち明けてくれたことが誇らしかった。
 兄が僕を守ってくれるように、僕が兄を守る。そう心に決めていたのに。
「浄さん……それって……
 唇を噛む。浄は高塔に前々から、雨竜より前から出入りしている男だ。戴天との付き合いも長いだろう。そして、女性と多くの浮名を流すその佇まいは――おそらくαだ。Ωに強く誘惑され、Ωを支配できる、αだ。戴天がΩだと知れば。
 浄の返事は笑いを含む声だった。
「誤解しないでくれよ、一人になれる部屋に運んでそれだけだ。迎えに来られるかい?」
 声からは嘘かどうかを判断できない。今の雨竜には信じるしかなかった。
「はい、今すぐ向かいます。絶対に人に会わせないようにしてください」
「わかったよ。場所は企業地区のホテルだ」
 雨竜は通話を切ると言われた名前をすぐさま確認する。戴天の取引先のあるビルから程近い。使用人に車を頼み、祈りながら移動した。

 教えられた部屋の前で、浄は小さく手を振った。
「やあ、王子様。速かったね」
「兄さんは部屋の中ですか」
 軽口に答えないで雨竜は睨む。焦った様子の雨竜に、浄は頷いた。
「ああ。鞄を握りしめて離さなかったから、そのままベッドに寝かせて来た。指一本触れちゃいないさ」
「わかりました」
 雨竜は息を吐く。いや。兄さんを確認するまで何も安心はできない。緩めた表情を引き締めて、ノブを握る。浄はからかうように言った。
「今行っても何もできないだろう?」
 ヒートを起こしている相手にできること。抑制薬を飲み忘れる戴天ではないのだから、それはもう一つの行為を意味する。
 戴天を抱くということだ。
 雨竜は染まった頬を気取られないように、鋭く首をふる。
「いえ……仕事道具を受け取っておきたいので」
 鞄の中に書類とタブレットがあるはずだ。引き継ぎされていない内容を、確かめる必要がある。
……あの、浄さん」
「なんだい」
「今回は、ありがとうございました」
 雨竜の言葉に、浄は吹き出すように笑う。背を向けて、立ち去りながら言った。
「どういたしまして、だ」

 部屋に一歩足を踏み入れると、甘い香りがする。南国の花のような、熟しすぎた果実のような香り。自然と寝室に足が向いてしまう、Ωのフェロモン。拳を強く握りしめ、理性を保つ。寝室のドアを開けた。
「兄さん……っ」
 戴天はベッドの上に居た。長い金の髪が乱れて、シーツに広がっている。ジャケットを脱ぐこともできなかったのか、羽織ったままの背広がシワになっていた。シャツに汗が染み込んでいる。ネクタイは細く、噛みつきたくなる首を隠してはくれなかった。戴天は雨竜に気付くと、後退るように体を起こす。頬を赤く染め、潤んだ瞳で見上げた。
「はあっ、はぁっ、うりゅ、くん、だめ」
 拒絶の言葉は弱々しい。誘惑のようにも聞こえる。雨竜よりも武道に通じているはずの戴天が、今は容易に押し倒せる弱々しさだ。
 雨竜はにっこりと、汗ばんだ頬に引き攣った笑顔を浮かべる。安心させるために、穏やかに声をかけた。
「大丈夫ですよ……すぐ部屋を出ますから……
……んん……っ」
 戴天は物欲しげに膝を擦り合わせる。半開きの唇から、熱い吐息が漏れていた。
 雨竜は爪を自分の手のひらに突き立てて、痛みで理性を取り戻す。戴天が抱えていたという鞄を探した。
「仕事の資料だけ、持っていきますね」
 黒いシンプルな鞄は、ベッドの脇に落ちている。中身を撒いてひっくり返った姿は、まるで、今の戴天を示しているようで物悲しかった。完璧な兄が、完璧でなくなる瞬間が今だ。
 戴天が、小さな声で雨竜を呼ぶ。
「うりゅうくん……あの……
 呼びかけはどういう意図なのか。不安げな声は、αを欲しているのか、αを恐れているのか。
 雨竜はかき消すように大きく叫ぶ。戴天から目を逸らした。
「ぼ、僕たちは! 兄弟ですから! 大丈夫です!」
 安心してほしい。僕は絶対に兄さんを傷つけない。兄さんを襲ったりしない。
「はぁ、あ……はい……
 戴天の声は、掻き消えるように小さかった。

 浄は雨竜たちが去っていくのを、ホテルのロビーで盗み見る。車に乗ったのを確認すると、喫茶室で新聞を大きく広げた男に浄は声をかけた。
「これで良かったんだろう?」
……ああ」
 宗雲は新聞を閉じる。仏頂面は、気分を害したように歪んでいた。いつもの鉄面皮にしては、表情が出すぎている。宗雲はその表情のまま、ブラックコーヒーに手を着けた。
「意地悪だな。一人でコーヒーかい?」
 浄は言いながら対面に座る。面倒事を押し付けておいてふてぶてしい態度だ。
「高塔を――かつての番を放置して」
 戴天が倒れたのは、ヒートを抑制剤で抑えている最中に「宗雲」と偶然会ったからだ。αから一方的に解消した番とはいえ、Ωの体には深刻な影響と、恋心を残していたのだろう。顔を見ただけで、崩れ落ちる。人前では気を張っている、大企業の社長が我を忘れるほどの男。どんな関係だったのかは、浄には関係がない。

 後部座席に戴天を寝かせる。雨竜は少しでも体を離すために助手席に乗った。
「はあっ、あぁ……
 戴天は力の抜けた肉体で、それでも歯を食いしばる。
 鞄の奥に隠していたミサンガを指に通して握りしめた。
 人の髪で作ったミサンガを。
「むらくも……
 微かな残り香に、戴天は縋る。