溶けかけ。
2025-01-21 20:59:51
1366文字
Public ほぼ日刊
 

欠落

フリーナを忘れていくヌヴィレットとヌヴィレットを助けたいフリーナのお話。
※アビスの魔術、アビスの侵食についての捏造を含みます。

「世界の誰もが僕を忘れても、キミだけは僕のことを覚えていてくれる?」
 淡い微笑みを湛えて問いかけたフリーナにヌヴィレットは口を開くも、返す言葉が思い浮かばずに閉口する。喉に何かが詰まっているようだ、と思いながら喉元を擦る。
「なんて、冗談だよ。──でも、覚えておいてくれ。僕も……もう一人の僕も、いつかは時の流れに消えていくんだ。もう……そんな顔をしないでくれ。キミも僕もいつかは死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いがあるだけで。──あぁ……でも、そうだね。キミの永い生の中で、時々でも僕のことを思い出してくれたら嬉しいな」
 立ち尽くすヌヴィレットの頭に腕を回し、自身の顔へと近づけたフリーナは幸せそうな顔をして額を合わせた。

 ……意識が浮上する。
 約束とも言えないほど一方的な言葉は残響のようにヌヴィレットの中で鳴り響く。
「もう、キミの声すら思い出せなくなったというのに」
 泣き笑いの表情も、言われた言葉も思い出せるというのに、その声に音はない。世界が彼女を忘れたように、少しずつ、少しずつヌヴィレットの世界からもフリーナという存在が失われていく。
「取り戻さなければならない……
 世界の誰もが彼女を忘れても、私だけは彼女を覚えているために。それがヌヴィレットが自身にかけた──願いのろいなのだから。

「ヌヴィレット! ヌヴィレット! ……嫌だ! 離してくれ!」
 アビスに侵されたヌヴィレットを抱きしめるフリーナをクロリンデとナヴィアが二人掛かりで引き剥がす。小さな体のどこにそんな力が秘められていたのかと思うほど、彼女の振りほどこうとする力は強かった。
「相棒、フリーナは引き離したわよ!」
「旅人、頼む……!」
 揉み合う三人の横を猛スピードで駆け抜けた旅人はアビスの力を浄化する。
「これで……!」
「うん、大丈夫なはず」
 ナヴィアの感極まったように途切れた言葉に旅人は頷きを返す。僅かに緩んだ拘束を振り切って、ヌヴィレットに駆け寄るフリーナを止める者はいなかった。
「ヌヴィレット……! お願いだ、目を覚ましてくれ……!」
 悲痛な叫びに旅人たちは目を伏せる。浄化が成功したとはいえ、ヌヴィレットの状態は良くない。恐らく、アビスの侵食はダミーで何かしらの精神に作用する魔術をかけることが本命だったのだろう。
 旅人の鋭い視線の先にはヌヴィレットがいた。
 虚ろな瞳は暗く淀み、何も……眼前にいるフリーナすら映さない。半分に開いた口からは意味の分からない言葉が滔々と流れて落ちていく。
「フリーナ。ヌヴィレットを安全な場所に運ぼう」
 いつまたアビスに襲われるか分からない屋外よりは掘っ立て小屋だとしても、身を隠せる場所がある方が良いだろうと考えた旅人はフリーナの肩に手を置くとしっかりとした声で提案した。それは、フリーナに向けて、というよりはナヴィアとクロリンデに向けられているようだった。
 ナヴィアとクロリンデは目配せをして頷き合うとヌヴィレットを両側から支えて、パイモンを先頭に歩き出す。
「待ってくれ……! ヌヴィレットをどこに連れて行くんだ……!」
 後を追おうとするフリーナが地面へと倒れ込む。
「ごめん、フリーナ」
 フリーナの意識を奪った旅人は、彼女を背負うと四人の後を追った。