近づくほどにガヤガヤとした喧騒の音が大きくなっていく。気の緩んだ笑い声。本当にそれで足りるのかと疑いたくなるような小さな弁当を広げる事務の女性らの集団。食欲をそそるような独特のあの香り。食器を重ねる音。すれ違いざまバタバタと急ぎ足で次の場所どこだっけ、と言い合いながら走り去っていく体型に合わない新品のスーツを纏う新人グループ。
昼時、署内の食堂にて。
いつもはコンビニか外食で適当に済ませるのだが、珍しく世間一般で昼休みと呼ばれる時間が綺麗に空いた。丁度休憩が終わり次第、次の招集が入っている、あまり遠出はしたくない。なんの気の迷いか、今日は新人時代よく世話になっていた食堂で食事を済ませようと思い立ってしまった。
手慣れた手付きで食券を購入し、列に並ぶ。慌ただしくも愛想よく接客する中年女性に券を渡し、数分もしないうちに注文どおりの商品がトレーに載せられ受け渡される。久しぶり、あんた最近来てなかったじゃない、なんて軽口を叩く余裕すらあるのか、女性の後ろの方では母親と同年代くらいの従業員らが忙しなく右に左に動いている。
適当に言葉を返し、空いている席を探す。チラホラと空きはあるが、どこもたどり着く前に先に取られてしまう。これだったら外で食べればよかった、なんて先にも立たない小さな後悔を感じつつ、ようやく一つの空席を確保することができた。
相席ではあるが、どうせ数分の、この場限りの時間だ。どこの部署の人間かは知らないが、誰だっていいだろう。皆ここにいる人はいい年した大人なんだから──と甘い考えを秒で払拭した。どうしてこいつがここに。
突然向かいの席に他人が着席されたことに驚いたのか、相手はゆっくりと顔をあげる。
「……どうも、十空胡警部。ご一緒しても?」
通りでこの辺りに人の声が少ないと思った。当然だ、こいつは悪い意味で目立ちすぎている。
ご一緒に、なんて微塵も感じない声色で相手の許可を取る前にトレーを机においた。最悪だ、さっさとどっかいってくれ。
険しい顔を崩さない向かいの男は、他にも席は、なんて言葉尻を濁して辺りを見渡した。おおよそ察したのだろう。
「なんでわざわざ…」
「ここしか空きがないんですよ。見ればわかるでしょう?」
ちらりと彼の前に置かれているトレーを確認する。別にこいつが食ってるものなんてちっとも興味がないし、知りたいとは思わない。が、話の取っ掛かりを自然と目で追ってしまう悪癖が出た。
彼の皿に盛られていたのは、この食堂で一番ハイカロリーと思われる大盛りのカツカレー。サイドに申し訳程度のポテトサラダと、唐揚げが数個添えられている。まだ手を付けたばかりなのかほんの少ししか減っていない。早く食えよ、バカ。
「警部、まだまだお若いですね。学生さんかと思っちゃいました。」
今こちらができる精一杯の嫌味だ。目の前でガツガツとこんな脂っこいものを食べられては、こちらの方が胃が持たれてくる。心意を悟ったのか、うっとおしそうな顔を向けられる。そのまま視線を下に。
「なんだ、蕎麦なんて腹の足しにもならないじゃないか。そんなので足りるのか」
ジジくせえ、と言葉が続いている気がした。思い込み過ぎか?いや、これは確実にそのフレーズが顔に張り付いている。ピクリと思わず眉間に皺が寄りそうになるが、笑顔を崩さないように全てのエネルギーを注ぐ。
どうにか相手の言葉はスルーして、箸を手に取り麺を口に運んでいく。味がしない。久しぶりにここで食べたからだろうか。最近はどこも健康があれこれと声が大きいからか、献立が以前より薄味傾向になっているのかもしれない。そうであってほしいと願う。
こちらが返答しなければ当然のように無言の時間が続く。視界には自身の運んだ食事の器のみが映る。この味の薄い蕎麦にすら苛立ってきた。意地でも顔を上げてやるものか、と思いつつ嫌でも音は耳に入る。スプーンが食器に当たる小さな音が煩わしい。
「そういえば、」
ヘルシーもへったくれもない食事を取っている男が声をかける。呼ばれたからには面をあげない訳にはいかない。あと2割ほどで完食できるが、手を止め視線を向ける。向かいの男の器はほぼ空になっていた。
「なんであの日、わざわざあんなところにいたんだ」
言葉が足りない。誰が、どこに、いつ、が抜けている。
が、なんとなく察しはつく。数日前の歓楽街での一件のことだろう。
「別件ですよ、あの辺りで目撃者が見たと通報が有りましてね」
「収穫はあったのか」
「それを外部の方にお答えする許可は得ておりませんので……」
結果、情報は何も掴めなかった。恐らく他人の空似だ、無駄足を運んだ事になる。別にそのことに対して憤りは感じない、いつものことだ。こういう地味で泥臭い無駄の積み重ねが大きな手がかりを掴む足がかりとなる。
そうか、と興味がないように返される。なんでわざわざ聞いたんだ。
これでも奴は私の上司だ、上は立てなきゃいけない。
「でも、驚きましたよ。あんな場所で会うだなんて、まさかあなたが次の飲み会の幹事として下見しにきた訳でも無いでしょうに」
「任されればやる。好き好んで自分から引き受けたりはしないが」
「ああ、そうなんですか?きっと素敵な店に連れて行ってくれるんでしょうね。今度、どうです。一杯やりませんか。ほら前みたいに。次はあなたのおすすめのバーなんか紹介してもらると──」
「……」
「……なんですか?」
「嫌だ」
思わず顔が引き攣る。こちらが下手に出ればいい気になって。
「……。そうですか、残念です。また機会があれば是非に」
もういい頃合いだろう。限界だ、まだ少し腹を満たすには物足りないが一気に水を飲み干し、トレーを手にとり立ち上がろうとする。
「では、お先に。お暇します、相席失礼しました」
「以前から思っていたが、その場の判断力と臨機応変さは悪くはないが、なんせ動きが鈍い。身体が頭についていっていない。普段から意識的に瞬発力を鍛えるよう心がけるべきだ。例えば、プロのボクサーが行っているようなトレーニング方法で……」
突然、一体何の話をしだしたのかと怪訝な顔になる。動きが止まり、一瞬の思考停止の遅れを取り戻すように脳をフル稼働させ相手の言葉を待つ。私の困惑は向こうにも感じ取られている筈だが、未だその説明はなく更に続く。
「……その油断が命取りなんだ。お前、容疑者と目があった瞬間視線を外したな。その隙に逃げられでもしたらどうする。相変わらず口は回るようだが、それだけじゃやっていけない。」
図星を付かれ、わかりやすく嫌悪と怒りの表情が顔に出てしまう。だめだ、こいつといたら調子が狂う。いつもそうだ、普通言い方ってものが有るだろう。相手の気持ちも考えずズケズケと自分がいいたいことだけを一方的に言い散らして満足げにふんぞり返ってるその態度が気に食わないんだ。言いたいことは分かるさ、この心底腹の立つ一連の罵倒はヤツにとってアドバイスのつもりで、これでも僕の為を思って言ってるんだろ、だからこそタチが悪い。大体、ここがどこかわかってるのか、食堂だぞ。昼休みの!見ろ、お前の隣の席の新人がさっきからビビってずっと俯いてる、そりゃ気まずいだろうな、上司が上司に怒られてる様を見せつけられるのは───
気がついたときには、手に持っていたトレーを机に叩きつけるようにして、大きな音を立てていた。机上の空の器がひっくり返り、隣の怯えきっていた新人が跳ねるようにびくりと身を強張らせていた。
「これは、どうも。私の直すべき欠点を、わざわざこんな場で、ツラツラと羅列してくださってありがとうございます。精進するまでもなく身をもってわかってはいるんですけどね、ご存じです?人は生まれつきもった能力ってのが有りましてね、どれだけ努力を重ねても……」
「そうやって自分の限界を自分で決めつけるから伸びしろが失われるんだ」
「ああ、その口ぶり!じゃあ、あなたは自分でなんとかできないんですか?!私に伸びしろが無いですって、いい加減にしてくださいよ、ものには言い方ってものが」
「こちらは事実を述べてるまでだ、勝手に逆上してるのはお前だろ」
「その述べ方に問題があるって言ってるんです、大体、あなたは昔からそうやって、……ああそうでしたね、昔からそうなんですよね!こちらが真剣に悩みを打ち明けてるっていうのに、落ち込んでいる人間を馬鹿にするような……!」
「は?おい、待て。何の話をしているんだ」
「覚えてないっていうんですか?!どれだけ私を馬鹿にすれば──」
昼時、人だかりの多い食堂で、一際騒がしいテーブルがどこにあったか言うまでもないし、その後始末書を残業して書かされたのも言うまでもない。
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