有栖川
2025-01-19 22:15:14
11106文字
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きみのとなりでおやすみがしたい③

未来捏造if、記憶喪失でnoeg終了直後まで戻っちゃったkisが恋人を名乗る23歳の41と一緒に暮らす話
攻め記憶喪失のkiis
nsとbcrがちょっと多めに出ます

※実際の医療知識などには基づかないファンタジー記憶喪失なので、フワッと見ていただけると幸いです




03 幸せの証明




「は……ハァ、記憶喪失になる前のカイザーが世一をどう思っていたかが知りたい……?」

 カイザーが記憶喪失になってから十一日目。
 無事半日で点検が終わり、元通り開放されるようになったクラブに顔を出したネスは、練習施設に顔を出すなり突然カイザーに腕を掴まれ、ロッカールームの物陰に連れ込まれて狼狽していた。ネスの表情筋は完全に衝撃で固まりきっており、のんびりとした陽気のすばらしい昼下がりにするには些かハードコアすぎる様相を呈していたが、でもそれこそがその時のネスにとっては偽らざる本心だった。

 カイザーが世一のことをどう思っていたかだって? そんなのコッチの方が知りたいですよ!

 思いっきり顔にはそう出ていたが、しかし七年前、ネスは野良に戻されようともカイザーに対する忠義を棄てないという選択をしたのである。ネスはチラリと後方を覗き見て、世一がノアと何かを喋くっており、こちらを見ていないことを確認した。よし、いけるな。息を整え直してカイザーのに向き直る。
 七年前より僅かに伸びた体躯に、七年前から変わらぬ怜悧な面差し。しかしその瞳には僅かに七年前の幼さを覗かせる、ネスに魔法を信じ続ける切っ掛けをくれた、大切な人。
 飼い犬よろしくシッポを振ることはもうしないとしても、対等な友人知人として、彼の願いには応えてやりたい。
 その想いに基づき、ネスは逡巡の後、出来る限りのことを話してみることに決めた。
 とはいえ決めたからといって流暢に彼の求める真相が紐解けるわけではないのだけど。だってまだちょっと歯ぎしりしちゃってるし。

「あ〜、その、えぇと……。アホの世一がどう思っていたかは知りませんけど……………まぁ、その、思うところはあったっぽいなーとは、感じてましたよ、ウン」
「えらい歯切れが悪ィな」
「いやだって考えてもみてくださいよ、キミが素直に僕へその手の話をする性格だと思いますか」
「それはまったく思わん」
「でしょお!? だから全部僕の憶測で話すしかないんですよ、よって今からするのはすべて単なる当て推量でしかありません」

 まぁこの程度なら約束・・を外れることはないでしょ、と誰にも聞こえないようにぼそりと呟き、ネスが呼吸を整える。そしてスマートフォンを手に取るといくらかの操作をして、ある一つのネット記事を映し出す。

「まぁ、色々思うタイミングはあったんですけど……特に意外に感じたのはこれですかね」

 画面を覗き見て、カイザーは唸った。

「インタビュー……恋愛観の?」

 それはおよそ、ミヒャエル・カイザーという選手の性格を知っていれば絶対にしてはならない類の質問であり(カイザーはプライベートを根掘り葉掘り聞かれるのが嫌いだ)、そして、十九歳のカイザーならインタビュアーの機嫌を損ねようと一瞥もくれず無視して絶対に答えない類の内容でもあった。

「もしかして俺は世一と付き合ってバカになっていたのか?」

 カイザーが訊ねると、今度はネスの方が、非常に複雑な顔をして唸った。

「いえどうでしょう、別に何でもかんでもこういった話に乗るような性格に変わった、というコトはなかったような。だからこそ、僕もこのインタビューの内容が妙に記憶に引っかかっていたんです。この手の公式見解がキミの口からメディアに話されたのは後にも先にもこの一度きり、ファンの間でも語り草になっている伝説の回ですよ」
「なんだソレは……

 眉を逆八の字に曲げフンと息を吐くと、カイザーはこめかみを押さえながらも該当のインタビュー記事に目を通し始めた。「好きなタイプは?」という紋切り型的ステレオタイプなインタビュアーの質問に続けて、カイザーの回答がつらつらと書き綴られている。曰く、「——そういった質問には答えられない。だが、心に決めた相手ならいる」と。

「記事の日付は……二年前か」

 確か、世一が遠距離恋愛を始めたとか抜かしていた時期がこの辺だったはず。であればやはりこのぐらいの時期には、世一と付き合っていたということなのか。

「さあ、わかりません、公表はもちろんのこと僕たちに対してもそういう話はしていませんでしたから」

 そんなカイザーの口にされなかった疑問を察してか、ネスが訊ねるより早く先回りしてそう告げる。

「サンキューネス、お前のそーゆートコ昔から好き。で? なら俺はなんでお前らに対しても隠してたと思う?」

 その快いレスポンスにまだ確かめておきたいことがあって、ある程度想像はつくなと思ながら更に訊ねると、ネスはすこしだけ困ったように顔を顰め、う〜んと唸った。

「世一はともかく、キミがそーゆー話、したがらないからじゃないですかね。正直一緒に住んでるのは周知の事実でしたし、クッソムカつ……いえ素晴らしいことに世一になにかあると四方八方に牽制しまくってきていたので、チームの間では『まーそういう感じっぽいよね』と暗黙の了解みたいにはなってたんですけど」
……だが本人達が隠したがってるみたいだったから周りも気遣って黙ってたってコトか」
「そういう感じになりますかね。だから、まぁ、これ言うのホント悔しいんですけど、カイザーは世一のこと好きだったんだと思います。キミなりに大事にしようとしているふうにも見えました、……ホント悔しいんですけど。それでも気になるというのなら、他の連中にも訊いてくるといいですよ」

 そうしてネスは三度目の「ホント悔しいです〜……」を繰り出すと、ピッと親指を後ろ手に向けて、コソコソとカイザーの様子を伺っている顔見知り連中を示す。その更に奥から世一とノアもロッカールームに戻ってきている姿が見えたが、それに関しては、「世一は僕が引き付けておきますから」と言ってネスが世一を連れ出してしまった。あとには興味津々と言った様子のゲスナーや、何やら感じ入っているグリム、それから、思考の読み取れない鉄面皮を貼り付けたノアだけが残る。
 カイザーが溜息を吐いて先の質問を投げ掛けると、彼らはめいめいに頷いて、そして好き勝手に適当なことを喋くりはじめた。

「え? 潔はカイザーのコト好きみてーだし、記憶喪失前のカイザーもそうだったんじゃねーの。一緒に暮らし始めてしばらく経った頃さー、いつの間にか腰とかめちゃくちゃ抱き寄せるようになっててちょっとビビったのが懐かしいぜ。でもまぁ潔ってあー見えて甲斐甲斐しいし、付き合ったらイイんだろうな。俺ときたらまたしても顔だけ良いクソ女に捕まってるつーのに、羨ましい限りだよ」

 ゲスナーは調子よくそんなことばかりを宣い、結果、カイザーの疑問はあまり解消されなかった。
 ていうか腰とか抱き寄せてたのに付き合ってるの隠してるつもりだったのか未来の自分は。マジで世一と付き合ってバカになっていたんだろうか。

「そう……愛とは常に非情な運命の灯火……。悲しみを受け入れねば成長がないように……悲嘆を乗り越えなければ真実の愛は掴めない……

 グリムは意味深長なポエムを吐くばかりで、これもやっぱり、カイザーの疑問解消には役立たなかった。
 悲嘆を乗り越えなければ真実の愛は掴めないとは、これまたシェイクスピアかぶれめいたお言葉だが、カイザーにはそもそも愛というものがまず分かっていないのだからそんなポエムを進呈されたところで何も響かない。

「お前が潔世一をどう思っていたのかは与り知るところではないが、七年間何をしていたかなら公的記録を漁ればいいだろう。とりあえず今の家を買ったのは五年ほど前だったはずだ。潔世一が入居していたアパルトメントが隣棟の事故で延焼してな、その頃丁度お前が家を買おうとしていたから、諸々タイミングは良かったらしい、とは聞いている」

 そして意外にも一番前向きな情報を寄越したのはノアだったのだが、合理主義者であるヤツは端的な事実以上の指摘をしてこず、結局、記憶喪失になる前のカイザーがどういうディティールを持った人物だったのか、世一とどのように付き合っていたのかという部分は、やはり分からないままだった。

「や、役に立たねぇ〜……

 かくしてカイザーは馬鹿でかい溜息と共にその日の練習をこなすハメになった。結局聞いて分かったのは、「カイザーは隠してるつもりだったがダダ漏れの好意を世一に抱いていると周囲には思われていて、あの家には五年前から一緒に住み始めたらしい」ということまでだ。
 これでは肝心要の「未来のカイザーがどのように世一に惹かれ」「どうやって付き合っていて」「どの程度まで進んでいたのか」あたりがサッパリ分からないではないか。
 いや最後の疑問に関しては他人に言いふらしてなかったとしても当然だし、ベッドのあの惨状があった限り関係があったのは確かなのだろうが、コッチが知りたいのは「どういうプレイを嗜んでいてどの程度よろしくやっていてどれだけ世一が自分に従順に股を開いていたか」とかそのへんなのだ。ゲスナーにはそれしか期待してなかったまであるのにあの野郎。

(クッソ、俺がチームメイトと猥談で盛り上がる性格じゃなかったばかりに…………いや全然したいとも思わないがそこは七年経っても変わらなかったのか俺……

 世一がどう乱れていたかが分かれば征服欲が満たされて爽快だし、あとついでにワンチャン記憶を回復させるトリガーにでもなるかなと思ったのだが、まぁ、全ては浅はかな考えだったということなのだろう。
 それでハァ……と溜息まじりにボールを弄んでいると、心配そうにこちらを見ている世一に何かを言って押しのけ、再びこちらへ駆けてくるネスの姿が目に入る。

……どーでした? その感じじゃあんまり収穫はなかったみたいですけど」

 隣まで来てピタリと立ち止まったネスが口にした問いに、カイザーは力なく首を振った。

「分かってんならそれ以上余計なコト言うんじゃねぇよネス」
「あー、ゴメン、でもその……一応確かめておきたいコトがあって」
「なんだ」
……………こんなコト聞いてくる以上、その、今のキミも、……世一の事が好きなんですよね?」

 躊躇いがちに、でも確かに足を踏み入れて、ネスがそう訊ねてくる。
 これはキミにとって大事な問いだからと、その瞳で雄弁に語りながら。
 カイザーはふっと首を振る。

「そうだ。認めることに決めた。だからこそ俺は記憶を取り戻したい」

 するとネスは何故かヒュッと喉を喘がせ、それから何か覚悟を決めたかのように唇を噛んだ。

「そ、っか。……そっか、たとえ茨道でも、それがキミの答えなんだ」
「あ? ……何が言いたいんだネス?」
「いえちょっとその〜、もぉシャツの裾噛みちぎりたいぐらい複雑な心境なんで僕。……でもそれがカイザーが決めた道だって言うなら僕は応援します、だけど…………

 ネスの指先が、ゆっくりと、宙へ伸びる。それは躊躇いがちにカイザーの心臓部を向いて、だけど触れることなく、ネスの左胸へと帰結していく。
 それからネスはゆっくりと息を吸い込み、生唾を飲み込んで、

「もし、永遠に記憶が戻らなかったら、キミはどうするんですか」

 静かに、ど真ん中を訊ねかけてきた。
 それはカイザーが無意識のうちに除外していた、有り得る結末のカタチでもあった。

……どーする、とは」
「だから……その……世一のコトを諦めるかどうか……

 モゴモゴと口を動かして歯切れ悪くぼやき、ネスが目線を逸らす。それはどうにも奇妙な仕草で、カイザーへの心酔や世一への嫉妬……というものでは、片付けきれないような違和感を孕んでいた。
 だって七年経ってネスも大人になった。
 カイザーとはいい意味で距離を置けて互いに自立した間柄でやっていけるようになったとこの数日で感じていて、そんな成長したネスが、まるで昔みたいに、カイザーの顔色を伺ってくるから。
 いやでも引っかかってしまう。ネスがいったい何を考え、そんな不自然な反応をしてしまったのか。

……ネス?」
「好きなら、単に、奪えばいいじゃないですか。僕のよく知っているキミならそうします、未来の自分からだって傲慢に奪って、手垢を付けて、エート、この言い方あんまり美しくないですけど、要するに寝取っちゃえばいいんですよ。過去の記憶なんて、そのあとベッドで無理矢理世一から聞き出せばそれで終わりです。だけど今のカイザーは口ではそう言っていても、決して行動ではそうしなんじゃないか、って……

 そんな気がして。ネスの言葉はますますくぐもって、ちいさくなり、どん詰まりに向かって行く。然るにネスもまだ、ハッキリとは、言葉にしきれていないのだ。
 恐らくこれはほんの些細な違和感。
 ゲスナーやグリムじゃ気付かない程度の、カイザー自身でも見落としていた、ネスだからこそ勘付く、落とし穴。

「今のカイザーは、まるで未来の自分に操を立てて、記憶を取り戻さなくちゃいけない理由があると言いつけられているみたいだ……

 ——だから世一への好意のために記憶を取り戻そうとするその行動自体が、ヘンなんです、なんだか。
 最後にネスが零した言葉に、カイザーは答える言葉を持っていなかった。




◇ ◇ ◇




 練習はつつがなく終わり、その日はいつものように、世一の運転する車で自宅へ戻った。まだ記憶が戻る兆しもないし、念のためしばらくのあいだ公道を運転するのは止しておこうという取り決めになっているからだ。手続き記憶は残っているので運転自体は出来るはずだが、それは私有地なりでテストをしてからという話になっていて、だから、今は、世一がカイザーのBMWを代わりに運転している。まるで使い慣れた愛車みたいに堂々と。
 自宅についてからも、考え事を頭から追いやることは出来なくて、カイザーは答えの出ない疑問に悶々と向き合い続けるハメになった。流石に様子が変だと思われたのか、夕食の席で世一にそれとなく何かあったのかと聞かれたが、何も言えなくて「別に」と首を振る。
 世一は心配そうな顔をしたがそれだけで、深く突っ込んではこなかった。二十三歳のこの男はいつもこうだ。カイザーが欲しい間合いを分かっていて、踏み込まれたくない時には決して突っ込んでこない。
 その間合い感覚が好ましく感じられる一方で、なんとなく、癪に障った。俺の知らないところで変わりやがって。

……とにかく、しばらくひとりにしてくれ」

 苛立たしげにそう言い棄てると、世一は息を吐き、「だったらかえって丁度いいかもな」と頷いた。

「最近、蜂楽がドイツに来ててさ。お前覚えてる? ほら監獄でスペインチームにいた……あいつとどっかで会おうって話してたんだ。俺、明日は一日出掛けてくるよ。そろそろ俺がつきっきりってのも飽きてきた頃だろうしさ」

 その代わりヘンなことはするなよ、お前ただでさえ目立つんだから。そう言い含め、世一がふっと微笑む。
 この慈愛に満ちた眼差しはいったい誰に向けられたものなのだろう。
 今ここにいる十九歳のカイザーか。はたまた、未来で愛し合っていたという二十六歳の男に向けてなのか。
 それをいやでも気にしてしまう自分にまたウンザリして、首を横へ振る。

「野放しにしていいのかよ。随分物わかりのいい恋人サマなことで」

 嫌味全開で言ったつもりだったが、世一はまったく意に介してくれもしなかった。

「恋人だからこそだよ。ううん、お前のこと、好きで、信じてるから。……どんな方法でも、お前が幸せになるならそれでいい。叶うならそのキーになるのは俺であってほしいとも願ってるけど」
…………
「ともかく縛り付けるようなのは本意じゃない。だから他にも日常生活で不満があったら、どんどん言えよ。気持ち良くやってきたいだろ、お互いにさ」
……あいあい」

 別に、ねぇよ、不満なんて。
 世一と一緒の暮らしは心地よくて幸福だ。口に出して言うのはクソ恥ずかしいから絶対にしないが、クソ物の自分が享受するには勿体ないぐらいの満ち足りた日々だと思う。一緒に買い物に行くのも、認めあえるレベルの選手がいつだって練習を共にしてくれるのも、世一が作ってくれた食卓を囲むのも、少し夜更かししてサッカー議論に花を咲かせるのも、同じベッドで眠るのも、決して嫌いな時間じゃない。
 だからこそ今のカイザーは世一のことが好きになったのだ。




「ハァ…………

 なんてことを考えながら眠ったせいか、翌日の夢見は最悪だった。夢の中でカイザーはふたたび世一を抱いていて、世一は見たこともない蕩け顔を晒してひっきりなしに喘ぎ続け、そして、やはり、中途半端なところで朝陽にまぶたを叩かれて起こされた。

「クソ猿が…………

 夢の中では調子にのってヒンヒン鳴かせまくっていたが、その反動で、目が醒めてあれが夢だと気付いてからの賢者っぷりと言ったら言葉にするのもおぞましいほどだった。自分を罵りたくてたまらなくなって、けれどそんな無駄なことに時間と体力を使うのはバカらしく、なんとか、ベッドから降りる。時計が示す時刻は午前十時。世一の姿は既になく、ダイニングには、「帰り遅くなると思うから適当にご飯買って食べて」という書き置きが残されている。

…………面倒くせぇ」

 カイザーは首を振り、洗面台へ向かった。気晴らしに外へ出るにしても、とにかく身なりを整えないといけない。寝起きの頭をセットすることを考えるとひどく気が重いが、この沈鬱な気持ちを抱えて家に転がっているよりは、散歩がてら外を歩いた方がいくらもマシだ。
 適当にセットを整え、少し考えたのち、ロードワーク用のジャージではなくクローゼットに無作為に掛けられていた私服へ袖を通した。時間があるので、ふと思い立って今更まじまじと奥まで中身を見る。七年も経つので当たり前なのだが、ワードローブの中身は、殆ど入れ替わってしまっていて、カイザーがよく着ていた記憶のある服は一着か二着ぐらいしか残っていなかった。だがどいつもこいつもお気に入りブランドのタグがついていたしカイザーの好みのデザインのものばかりだったから、まあ、自分で買った服ではあるのだろう。

「もらってくからな」

 誰に聞かせるでもなくそう呟き、ラフな私服にキャップを目深に合わせ、サングラスを掛けて玄関に鍵を閉める。カイザーは青く染めた髪とタトゥーがどうしようもなく目立つので正直あまり変装の意味はないのだが、これは半ば「こういう格好をしているときはファンサービスはしないぞ」という意思表明のためのようなもので、実際、サングラスを付けているうちは無知な子供ぐらいしか声を掛けてはこない。
 世一が乗っていったのかカラになった車庫をちらとだけ見ると、あとはポケットに手を突っ込んで行儀悪く住宅街を抜け出す。そうしてカイザーはあてのないウォーキングに身を任せながら思考の整理を試みることにする。


 今、カイザーの頭の中に大きく巣食っているのは——やはり昨日ネスに問われた疑問について、だった。


(世一への好意のために記憶を取り戻そうとするその行動自体がヘン、ときたか……

 首を振り、息を吐く。考えれば考えるほど、ネスの言葉は的を射ているように思えてならなかった。言われるまで思い至らなかったのが不自然なほどに。
 確かに……単に世一と付き合いたいだけなら、最悪記憶が戻らなくても世一を手に入れることは出来る、と、思う。
 世一はカイザーの記憶が戻らなくても尽くしてくれる。それにカイザーの記憶が戻ることも求めていない。どんな状態であれ、アレはカイザーを優しく愛するのであろう。
 未来の自分が享受したであろうあれやこれやを持ち逃げされるような形になるのはクソ業腹だが、逆に言えばその点さえ目を瞑れれば、最悪今のままでも欲しいものは手に入る。
 でも——そうすることに対する「気持ち悪さ」みたいなものは、己に敗北を認めるムカつきだけでは、説明しきれないように感じているのもまた事実。

(まるで何か忘れちゃならないことを取りこぼしてしまったかのような、得体の知れなさ。或いは居心地の悪さと言い換えてもいい。世一との暮らしは居心地がいいはずなのに、一方で拭いきれない不快感が追いかけてくる。この正体は一体何だ?)

 というか、そもそもだ。
 自分は何故、記憶喪失なんぞになってしまったんだ?
 事故に遭ったからだとは聞いた、ではそもそも、何故、不幸にも——あるいは不注意にも車になんぞ跳ねられてしまったのか?
 カイザーを跳ねた人間とは既にクラブを通して適切に片がつけられたと聞いているし、相手は酒気帯び運転でしょっ引かれたとかいう話だったから、悪意を持ってカイザーを狙った事件だというセンは恐らく薄い。
 であるならば、ただ単に道を歩いていたら乗用車に突っ込んで来られましたという話なのか?
 いや、そんなはずはない。このミヒャエル・カイザーともあろう者が交通事故なんてマヌケな目に遭っている以上、そこにはカイザーの意識を揺らがすほどの大事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・があってしかるべきで、

……いやわかるわけあるか」

 けれど、思考の糸を手繰る作業は、そこで止まってしまう。
 何しろ手がかりがなさ過ぎる。どんな名探偵でも、これだけの情報で真相を当てることは出来まい。というかおマヌケすぎて認めたくないだけで、状況的に、本当に単に前後不注意で跳ねられた可能性もまだ完全には否定しきれないし。
 であればクラブに突っ込んだことを聞いてみるか?
 けれどそれも、なんだか妙手には思えない。何しろカイザーは昨日クラブの連中に一通り話を聞いてみて、「こいつらマジで使えねぇな」と思ったばかりなのである。

 ……こういう時は、もっと冷静な、第三者目線の見解が聞けるといいんだがな。

 まぁそんな都合のいい話などあるはずもない。そもそもにおいてカイザーは知人が少なく、対戦相手の顔ですら余程面白いプレーをしない限り覚えずに帰るタチである。顔見知りなんて同じクラブの奴らを除けば青い監獄出身ブルーロックスの中でも特に覚えの良かった数名か、新世代世界11傑の連中ぐらいなもので……

…………あ?」

 と、そこまで考えたところで、ふとカイザーの足が止まった。
 視界の端に、どうも見覚えのある・・・・・・・・・、赤毛の男の姿が映ったからだ。
 ロクに変装もしてないので通行人の一部がやたらめったら指さしてはしゃいでいるのも見える。だがソイツは我関せずでぼーっとキャリーを引いていて、泰然自若もここまで来れば天晴れを通り越してギョッとするという感じだ。
 カイザーは思わず冷や汗が垂れ落ちていくのを感じながら、その予想外すぎる名前を舌の根の上で転がした。

——は? ————糸師冴・・・?」




◇ ◇ ◇




——はいじゃあ、コレ。悪いけど預かってて」
「にゃはは、りょーかい。ドイツ遊びに来たついでだしね、頂戴しとく♪」

 ミュンヘン駅のすぐ近くにある隠れ家レストラン、その個室の中で、世一は蜂楽に小さな巾着袋を手渡していた。蜂楽はそれをガサゴソとカバンの内ポケットに突っ込み、ジッパーを閉める。そして今さっきもらった袋のことなんて一瞬で忘れたとばかり、行儀悪く机の上に膝をつき、世一の額をツンツンと突く。

「で? 皇帝さんどう? 元気?」

 蜂楽の問いに世一はう〜んと首を捻った。

「元気っちゃ元気。記憶喪失以外はいつも通りだし、フィジカルもムカつくぐらい強いし、七年の間にアイツが開発した新技、あっという間に修得し直しちゃってたし」
「うっそん、はっや。まーでもそだよね、身体が覚えたコトってなかなか消えないし。……逆に言うとカイザーってホントサッカー以外のことはやってなかったんだろーね、七年間」

 例外、たぶん、潔だけだね。
 まるで見透かしたみたいな顔をして適当をフカし、蜂楽が目を細める。そしてその捉えどころのない声音のまま、「だからこの事故で本当に試されるのは多分潔の方だもんね」なんて、核心を突き刺して額から指を離す。

……はは、それドンピで当てちゃう? やっぱ敵わねーわ蜂楽には」

 全部話したわけじゃないハズなのに、相変わらず的確に痛いところばかり突いてくるんだからこの自由人は。
 世一が苦笑いをしてデコピンをし返すと、蜂楽は「あてっ!」とか楽しそうに唇を尖らせ、けらけらと笑った。

「だーって、潔、ちょーわかりやすい顔してるもん。ギリギリの橋渡ってる時の顔。エゴ汁ドッパドッパ出てそ♪」
「ゴール決めた時並かよ。まあ若干否定しきれない俺がいるけど……
「そりゃそーでしょ、だってすげー悪い顔してるもん今の潔。ど? 計画・・の進行具合はさ」
「ん〜、どうだろ。本人の前ではさぁ、年上? になった手前もあって結構気張ってるけど。正直わかんないや、ちゃんとうまくいくかどーか、賭けは五分五分ってトコ」
「ありゃりゃ。監獄一のエゴイストにそんな顔させちゃうなんて。……あの青薔薇皇帝、ま〜た攻略難度鬼ムズに上げたなー……?」

 軽口を叩き合い、蜂楽がふっと唇の端を釣り上げる。顔はにこやかなのに、世一の目は、全くちっとも笑っちゃいない。
 ホント、悪い顔しちゃってさ。
 その表情に親友として色々思うところもあるにはあって——だから、蜂楽廻は、ふっと息を緩め、改めて世一の姿を眺め見た。
 監獄で競い合っていた頃より多少は伸びた身長と、変わらないチャームポイントの双葉。そしてほんの僅か大人びた面立ちの上に映り込む、……その表情。

 十六歳の潔世一とは似ても似つかない、恋を知った男の横顔。
 或いは十六歳の潔世一と何ひとつ変わることのない、最低最悪の、自己中主人公エゴイスト

「ホント、好きなんだね、カイザーのコト」
……うん」

 呟くと世一は照れくさそうに頭を掻いて。

——うまくいくといーね、恋人ゴッコ・・・・・

 そこへ更に畳掛けてやると、蜂楽の方を見て困り果てたように笑った。

「ホントにな。うまくいくといいんだけどな、あいつのためにも」

 いや、「あいつのために」なんて言葉は、押しつけがましいだけの俺のエゴなんだけどさ。
 言い訳がましくそんなことを口走りながら、世一がぼやく。結局俺が勝手にやってるだけのことだもんとか、なんとか口走って。言葉だけ聞いているとなんだか自信がなさげな調子なのに、目だけはギラギラに輝かせ、そして傍若無人に、潔世一は言い放つ。

……俺が、あいつを、今度こそ心から幸せにしてやるから」
「うん」
「だからどんな手を使ってもいい。……俺たちは幸せになれるって証明してみせる」

 その怪物めいた宣言に、蜂楽廻はニコリと人好きのする笑みを浮かべ、賑やかに答えた。

「へーきへーき、そーいう顔してる時の潔の悪巧みって大体うまくいくし。それに何よりさ、俺が——友達の夢を応援してっからね♪」