昼下がりのカフェの店内では最近流行の音楽が流れて、入り口近くのテーブルが一つ空いている以外は全て埋まっていた。店員は一番奥の俺のテーブルまでやってくる。手の持った盆の上には中からコーヒーの香りが匂い立つジェズベと、カップが三つ載せられていた。それぞれのカップの横にはロクムが並べてある。店員がテーブルにそれらを並べ終えて立ち去ったところで、真正面に座るセルビアが口を開いた。
「それで、話って何なの」
さて、どうやって切り出そうか。そう未だに悩んでいる間に、セルビアがジェズベを手にとって三つのカップに順番にコーヒーを注いでいく。仕事が終わって二人に声を掛けて屋敷を出る間中ずっとジーンズのポケットに突っ込んだままの左手は、今もポケットの中で人差し指を四角いケースの長辺をなぞるように何度も辿らせていた。
「そうだぜボスナ、何勿体ぶってんだよ」
セルビアの隣に座るクロアチアが、ちらりと白い歯を見せて言った。「そうだな、」俺はコーヒーのカップを指で持ち上げた。黒いコーヒーがカップの中で揺れた。すこし口をつけてカップを置く。セルビアとクロアチアが、俺のことをジッと見る。俺がにやっと笑うと、二人は全く同じタイミングで、不思議そうに頭の上にクエスチョンマークを浮かばせた、ように見えて、俺はへへっと小さく声を出した。セルビアの眉がピクリと動いた。俺は左手をジーンズのポケットから引っ張り出した。
「何よ、これ」
セルビアが微かに苛立ちを滲ませながら尋ねる。クロアチアは眉間に皺を寄せて言った。
「カセットテープだな」
「見たら分かるわよ」
「ってーな、俺の肩を叩くな」
「ボスナ!」
「あー、ほら、ちゃんと説明するって。実は、」
セルビアとクロアチアが、俺の顔をジッと見る。さっきよりも少しばかり鋭い目つきに俺は苦笑しながら事の次第を話し始めた。
「この間、サラエヴォに帰った時にヘルツェゴビナが泊まりに来て、」
「なあ、今更だけど、この話長いか?」
「まだ始めたばかりだろーが」
「悪い、冗談だよ」
クロアチアは悪戯っぽく笑ってコーヒーを一口飲んだ。セルビアはロクムを突きながら目はテーブルの上のテープに向けている。
「結論から言うと、ヘルツェゴビナが俺が歌を歌ってたのを勝手に録音して勝手に送った」
「何処に」
「音楽会社さ。それで、驚いたことに返事が来た」
「へえ」
「レコードを出さないか、と。それで二人に相談なんだけど、どう思う……」
だんだんと声が小さくなるのを自分で情けなく思った。確かに声を掛けられた時は嬉しかったけれど、不安だ。ヘルツェゴビナはもうすっかり俺がレコードを出すと信じて疑わないけれど、俺は二人の反応次第じゃ断るつもりだった。
「凄いじゃないか!」
真っ先に口を開いたのはクロアチアで、奴の目はいつにも増してきらきらと輝いている。
「何で早くそれを言わないのよ!」
セルビアはぽかんと開けていた口をすぐに尖らせて、いつものあの偉そうな調子で言った。「そうと決まったら早く皆に知らせなきゃ!」俺は慌てて口を開いた。「まだ話を受けると決めたわけじゃ、」ええ!っと二人が同時に声を上げる。
「何でよ、絶対やりなさいよ馬鹿!」
「セルビアの言うとおりだ。受けるべきだぜ、ボスナ」
「いやあ、でも俺、そんなことして良いんだろうか」
「何で」
「いや仕事もあるじゃないか」
「はあ?」
セルビアが呆れたように眉根を寄せた。
「別に良いだろ。俺だってモデルの仕事してるし」
「あれ仕事だったの? 趣味かと思ってたわ」
「黙ってろ」
「そう言われるとそうだな……」
「スロベニアもたまに本屋に顔出してるみたいだし」
「あれは趣味だな」
「趣味ね」
ううん。俺はコーヒーを睨んで唸りを上げた。
「けど売れるだろうか」
「売るわ」
「いや、そういうのは良いから」
「なによう、煮え切らないわね。どのみち今更断ろうったってヘルツェゴビナが反対するに決まってる」
「それなんだよなあ……」
俺は大きな溜め息を吐いた。三人とも、それから少しだけ黙ってコーヒーを飲んでいた。それからセルビアがテープをつんと指で弾いて、ふうんと呟いた。
「良いわねえ、アンタ達は気楽なもんで。私も何かやってみたいわ」
つまらなさそうにテープを見詰めるセルビアに軽い調子でクロアチアが返す。
「やりゃあ良いだろ」
「レコードを出したり?モデルしたり?そりゃ、ユーゴスラビア一可愛いくてチャーミングな私なら出来るでしょうね」
「誓っても良い。お前には無理だ」
「なによ、このスケコマシの気障男」
「うーん、でもセルビアはそういうのよりもさあ、もっとさあ」
「もっと、何」
俺は自分のカップに手を伸ばして、なんとなく今思いついたばかりのことを口にする。
「カファナなんて良いんじゃない? 通り沿いに店を出してさ、コーヒーと料理を出すんだ。そういうの好きだろお前」
自分で何となく言っておきながら俺の頭の中にはすぐに、ドブロドシェリ! と笑顔で客を迎えるウエイトレス姿のセルビアが現れた。同じように店に立つ自分を想像したのかセルビアが小さく興奮した様子で「それは良いかもしれないわ」と呟いた。
「うん。それが良いな。ベオグラードに来た時は立ち寄ってやっても良い」
隣に座るクロアチアが如何にもモデルっぽい雰囲気で、気障ったらしい笑みを浮かべてセルビアの椅子の背もたれの端を掴んだ。俺も続けざまに言う。「店で俺の曲を掛けてくれよな」気分はすっかりロックスターだ。セルビアはテーブルの真ん中に置いてあったジェズベを手にとって「売れない歌手の曲は嫌よ」と、笑いながら俺のカップにコーヒーをつぎ足した。
***
スロベニアさんは本当は本屋じゃなくて出版社で校正のバイトしてるけど、セルビアさんは認識が雑なので本屋って言ってる。本読むのが好きだから趣味も兼ねてる。
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