Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
桐子
2025-01-19 21:00:45
4798文字
Public
Clear cache
夢薬(サンプル)
「これは夢薬。これを飲ませたひとを、思いのままにできる。そして目が覚めれば、夢のように消えてしまう」
小瓶に入った透明な液体が揺れた。
本当にこれでいいのかと問われ、これでいいのだと頷いた。
この恋が報われてほしいとは思わない。
彼と結ばれなくてもかまわない。
――――
でも、ただ一度だけでいいから、幸せな夢が見たかった。
年も明け、飲んで食べては寝て過ごす気ままな正月気分もそろそろ抜けようかという頃のことだ。
「見合いぃ?」
水木は素っ頓狂な声を上げた。膝に乗せていた鬼太郎が目をぱちくりさせて水木を見上げる。
「見合いって、誰が」
「わしじゃよ」
ゲゲ郎はみかんをむきながら、ため息をついた。
「昨日の宴会に、隣山に住む土地神が来ておってな。年頃の娘が七人おるそうで、ぜひもらってくれと」
昨日の宴会は、このあたりの大物たちが招かれた大がかりなものだったらしい。霊力をためてもとの姿がとれるようになったゲゲ郎は、心配してくれた仲間たちへの礼と、鬼太郎のお披露目を兼ねて、久しぶりに宴会へ顔を出したのだ。
「土地神とは古い付き合いじゃ。わしらのことを心配してな、娘と結婚して縁を結ぼうと言うてくれて
……
まあ、お節介なおばばなんじゃよ」
男やもめで赤子を育てるのは大変だろうという親切心で娘を勧めてくれたらしい。
「それで
……
お前、結婚するのか」
水木は、膝に乗せた鬼太郎をぎゅっと抱きしめた。
「いや、わしは断ろうと思うておる。誰も妻の代わりにはなれんよ。それに、鬼太郎を育てるのに手は足りておるしのう」
「そうか
……
」
水木はほっと胸をなで下ろした。ゲゲ郎はむいていたみかんを鬼太郎の口元へ運ぶ。
「ほれ、あーん」
鬼太郎は小さな口をあけてみかんを頰張ると、もごもごと口を動かしている。水木は鬼太郎の頭を撫でた。
「うまいか鬼太郎?」
「あー」
鬼太郎はまだ欲しそうに口を開ける。ゲゲ郎はまたその口にみかんを放り込んだ。
「ほれ、お主も」
「自分で食える。ばかにするな」
「ついでじゃ。ほれ、あーん」
みかんを口元に押し付けられ、水木はしぶしぶといったていで口を開けた。
甘酸っぱいみかんの味が広がる。
「うまいか?」
「
……
まあ」
「よしよし。では、おかわりをやろうな」
「要らん」
水木は鬼太郎を置いて立ち上がった。そのままどこかへ行こうとする背中に、ゲゲ郎が声をかける。
「どこへ行くんじゃ?」
「便所だ」
水木は振り返らず答えた。本当は赤くなった顔を見られたくなかったのだ。
本当の友人なら、彼の幸せを願って再婚をすすめてやるべきだろう。水木だって、幼い鬼太郎が母の愛を知らずに育つことを不憫だと思う。
だが、水木はそれができなかった。ゲゲ郎に恋をしているからだ。あの村で、妻を思って泣く優しい男に、愛する者を守り抜いた強い男に
――――
惚れてしてしまった。
だが、そのことを生涯伝えるつもりはない。どうして「好きだ」と言えるだろう。一度は彼も彼の妻も、そして鬼太郎のことまで見捨てようとしたのだ。この罪と恋心は水木の胸にしまい込み、墓場まで持っていく。
だから、もしゲゲ郎が見合いを受けるというなら、水木は笑って背中を押さねばならない。誰より幸せになるべき男だ。これからはさみしい思いなぞ一つもせず、いつも笑っていてほしい。
「ごめんください」
玄関から声が聞こえた。水木は物思いにふけっていたが、すぐに我に返る。
「すまんゲゲ郎、出てくれるか」
手を洗いながら頼むと、「はいはい」といつもの調子で答えたゲゲ郎が玄関へ向かう気配がした。
こんな正月早々に、御用聞きでも来たのだろうか。水木は手を拭きながら玄関へ向かう。
「どちらさんだ」
玄関先で、鬼太郎を腕に抱いたまま硬直しているゲゲ郎を見て、水木は首をかしげた。
「おまえ
……
」
ゲゲ郎は口元を手で覆い、呆然と呟く。彼が『おまえ』と誰かを呼ぶのを、水木は一度だけ聞いたことがある。
妻を呼ぶ時、彼はそう呼んでいた。
水木はゲゲ郎の視線の先にいる人物に目を向けた。
「ごきげんよう」
そこには、鮮やかな若草色のコートを着た女性が立っていた。きりっとした切れ長の目にショートカットがよく似合っている。快活な印象の美人だ。
水木は彼女のことを知っている。ゲゲ郎が持っていた写真で見たことがあるのだ。ゲゲ郎の最愛の女性、鬼太郎の母
――――
その、まだ元気だった頃の姿と瓜二つだった。
「初めまして。私、隣山の土地神の娘で、鏡子と申します」
鏡子は水木に向かって丁寧に頭を下げた。水木は、慌てて「どうも」と会釈を返す。ゲゲ郎はというと、鬼太郎をぎゅっと抱きしめたまま、呆然としている。
隣山というと、先程話題に出ていたお見合いの相手のことではないか。断るはずの見合いの相手がどうしてここへ?
「あの
……
何かご用でしょうか」
水木が恐る恐る尋ねると、彼女はきょとんとした表情で答えた。
「母から聞いていませんの? こちらの幽霊族の方とお見合いをしろと言われてきたのですが」
水木は助けを求めるようにゲゲ郎を見た。彼は完全に固まっている。どうやら、これは彼のせいではないらしい。しかし、昨日見合いの話が持ちかけられて、今日当人がやってくるとは、ずいぶんせっかちな話である。
「あの、申し訳ないんですが
……
そのお見合いのお話はですね、お断りするということでゲゲ郎が
……
」
「あら、そうなんですか?」
鏡子は目を丸くして、水木とゲゲ郎の両方の顔を見た。
「残念ですわ、幽霊族というと、私のような若輩の中ではおとぎ話の中のような存在だったものですから。お話してみたかったわ」
「はあ
……
」
水木はなんと答えれば良いかわからず、曖昧に返事をした。
「では、失礼いたします。お騒がせしてすみませんでした」
「
……
お待ちくだされ!」
頭を下げ、出て行こうとする鏡子の腕を、ゲゲ郎が掴んだ。
「あら? どうかなさいましたか」
不思議そうに彼を見る鏡子に、ゲゲ郎は声を張り上げた。
「せ、せっかく来てくださったのに、お茶も出さずに帰しては申し訳ない」
「でも
……
」
鏡子は戸惑ったように水木を見た。
「あの
……
よろしいんですの?」
ゲゲ郎はぶんぶんと首を横に振った。
「いや! いや、お気になさらず。ちょうど茶を飲もうと思っていたところじゃ。さあどうぞ!」
「わかりました。あの、手を
……
」
鏡子は恥ずかしそうに、ゲゲ郎に掴まれた手を見た。
「あ!これは失礼!」
ゲゲ郎はぱっと手を離すと、鏡子を中へ招き入れた。そして、水木を振り返って言う。
「すまん水木、鬼太郎を頼む」
「お、おう」
鬼太郎を渡され、水木は内心慌てながらもなんとか返事をした。
「こちらへ」
ゲゲ郎に促された鏡子は、履き物を脱いで板間へ上がった。そして、ゲゲ郎に案内されるままに居間へ入っていく。残されたのは、鬼太郎を腕に抱いたまま立ちつくす水木である。
「いったい
……
」
どうなっているのだ。
何故、お見合いの相手がゲゲ郎の最愛の女性と同じ顔をしているのだ。混乱している水木をよそに、ゲゲ郎と鏡子の会話は続いている。
「お口に合うかわかりませぬが」
「まあ、ありがとうございます」
二人は和やかに話している。水木はそっと居間を覗いた。緊張しているのか、ゲゲ郎はいつもよりぎこちない動きで茶を淹れている。
鏡子は座布団の上に正座し、大人しく待っているようだ。その横顔はやはり、写真で見た鬼太郎の母にそっくりだ。
「あのう」
水木の視線に気が付いたのだろう、鏡子はおずおずと言った。
「よろしかったら、あなたたちもご一緒に」
水木とゲゲ郎は思わず顔を見合わせた。
「はぁ、僕はかまいませんが
……
」
「あう」
二人が言うと、鏡子は安心したように微笑んだ。
それにしても、見れば見るほど似ている。
「そのようにまじまじと見られると、恥ずかしいですわ。そんなに私の姿は、どなたかとそっくりなのかしら」
彼女はそう言って、困ったように笑った。水木は慌てて首を横に振る。
「あ、いえ
……
その」
どう答えたらいいかわからず口ごもる水木の隣で、ゲゲ郎は「ええ」と頷いた。
「そっくりどころか、気配までも全く同じじゃ。あなた様のことを知らねば、妻が帰ってきたのかと思ったほどじゃよ」
ゲゲ郎はしみじみと呟いた。
「ゲゲ郎、彼女は
……
」
正面切って「あなたはどんな神様なのか」と聞くのは憚られたので、水木は言葉を曖昧にして尋ねた。
「ああ、すまん。話すのを忘れておった」
水木が何を聞きたいか察したらしいゲゲ郎は、鏡子に向き直った。
「この者は、わしの友人でしてな。名を水木と申す」
「まあ
……
では、あなたが幽霊族の子を育てている人間ですのね」
鏡子は感心したように言った。どうやら、彼女は水木のことを知らないらしい。
「お初にお目にかかります。挨拶がおくれてすみません」
「こちらこそ、お会いできて光栄ですわ。私は鏡子。本当の名前は別にあるのだけれど、人間社会ではそう名乗っておりますの。隣の山の土地神の末娘で、神のはしくれですわ」
「はしくれ?」
水木が首を傾げると、ゲゲ郎が答えた。
「こちらの姫君は、山の神である母君の力を分け与えられて生まれたのじゃ。はしくれどころか、正真正銘の神様じゃよ」
若く快活そうなこの娘が神様だといわれても信じがたいが、ゲゲ郎が言うのならそうなのだろう。
「私は山の中でも水を司るのです。水は形がなく、映ったものの姿をそのまま映し出すもの。だから私の姿は、見た人の心を映し出すの。大切な人、忘れられない人、その人の心に焼き付いて離れない人
……
幽霊族の方には、私はどう見えていらっしゃるのかしら?」
水木は思わず、鏡子の顔をまじまじと見つめた。彼女は微笑んでいる。
「
……
その
……
失礼ながら、死んだ妻にそっくりです」
ゲゲ郎が正直に答えると、鏡子は微笑んだまま「そうですか」と呟いた。
「きっとあなたは、奥様をとても愛してらしたのね。だからお見合いも断るつもりでいらしたのに、図々しくあがりこんで
……
」
鏡子はほんの少し目を伏せ、申し訳なさそうに言った。そういう表情をすると、快活な印象から一転し、儚げで守ってやりたいと感じさせる。
「本当のことを言うと、私もお見合いは断るつもりでしたの。でも、人間の世界を見てみたくて
……
いつもは山から出られなくて、外の世界を知らずに育ったものですから」
だから気にしなくて良いですよ、と彼女は微笑んだ。
「姫君は、お優しい方じゃの」
ゲゲ郎は感心したように言った。水木も、それは感じていた。見合いを断ろうとしたゲゲ郎に気を遣わせないよう、「自分も見合いを断るつもりだった」と話してくれたのだろう。聡明なうえに、細やかな気遣いもできるのだ。
「今日はありがとうございました」
鏡子はそう言って深々と頭をさげた。
鬼太郎のことや、しばらくは人間の世界で見聞を深めるつもりだという話を少ししてから、鏡子は帰っていった。
彼女がいなくなってからも、ゲゲ郎はそわそわして落ち着かない様子だった。
「おい、どうした?」
「な、なんでもないわい」
そう言ってそっぽを向く。だが、やはりどこか上の空で、水木の呼びかけにも生返事だ。
「あの姫さんが気に入ったのか?」
「えっ!?」
ゲゲ郎はぎょっとしたように水木を見た。
「そ、そんなわけなかろう!わしは妻一筋じゃ!」
ゲゲ郎は慌てたように否定したが、その顔は赤いままだ。これはもう間違いないだろう。水木の脳裏に、鏡子の笑顔がちらつく。彼女はとても魅力的だった。何より彼女は、ゲゲ郎の愛した妻と瓜二つなのだ。
――――
なにか嫌な予感がする。
水木は、人知れず拳を握りしめた。
Reaction
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.
Custom color
Reset color
広告非表示プランのご案内