愛猫

ヴェラン
ムートと入れ替わったランちゃん

 意識を引き上げたのは、肌寒さからだった。
 もう朝が来たのだろうか。しかし、どうもいつもと様子が違うようだ。体が不自然に軋んでいるし、朝の雰囲気というものがしてこない。
 そういえば、疲れに身を任せ、帰って来るなりソファに横になったのだったか。
 何か羽織るものを用意しなければ。
 いや、いつまでもだらしなくうたた寝をしているわけにもいくまい。
 そう思うのだけど、疲れた体はちっとも起きあがったりはしなかった。
 おまけに、ランスロットたちの愛猫がにゃーと鳴いて眠るランスロットの元へやってくる。慰めるように体を
擦り付け、脇の下に収まって丸くなった。
(お前、寒い季節になるとヴェインの方へ行くくせに)
 暖かな気配が気持ちよくて、ランスロットはそのまま心地よいまどろみに身を任せた。

 今度こそ、はっきりと目を覚ました。
 先ほどの覚醒とは違い、頭はすっきりとしている。
 しかし、ランスロットはその瞼を開くとぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 何か変だ。自宅の天井はこんなに高かっただろうか。
 天井までの距離を測ろうとして、無意識に手を目の前にかざす。すると、白くふわふわしたものが視界に飛び込んできた。
その白いふわふわは、ランスロットの意志に応じて自由に動く。くるりと手のひらを向けてみればピンク色の肉球がそこには備わっていた。
「んなぅ」
 あげくに驚愕に発した声だ。
 喉から奇妙な音が鳴った。
 慌てて、カーテンを頭で押し除け、窓ガラスに自分の姿を映してみれば、ひげが生えて、尻尾まで付いている立派な猫がそこにはいた。首を飾るのはヴェインが用意したリボンだから、ムートの姿に違いない。
 慌ててカーテンから脱出して周囲を見回す。ランスロットの寝室のようにしか見えない。
 ソファで横になっていたはずなので、これは夢なのだろう。もしくは、まだ寝ぼけているのだ。
 ぐるりと見回せば見慣れた壁紙が目に入ってくる。
 備え付けの棚は少し乱雑に物が押し込められているが、それも自分の仕業に違いない。
 ベッドだっていつもと同じようにシーツが掛かっている。ぎょっとするのは自分のベッドに誰かが横たわっていることだ。
 自分の後姿にはあまり覚えがないが、壁の方を向いてベッドの上で眠っている人間はランスロットの形をしていた。
 夢だとも思うが、空恐ろしさを感じる。
 不安な気持ちでいると、扉ががちゃりと開いて、ヴェインがひょっこりと顔を出した。
「ランちゃん、まだ寝てる?」
「にゃあにゃあ」
「どうしたムート、何か言いたげだな?」
 ヴェインはランスロットのことをムートと呼んで、ひょいと持ち上げた。
「にゃーん、にゃーん、にゃぉーん」
(ヴェイン、俺だ、気づいてくれ)
「よしよし、いい子だな~今日はなんだかお喋りだ。
 わかった、ランちゃんが寝ちゃって寂しいんだろ。
 構ってほしいよな」
 必死の訴えはヴェインにはちっとも伝わらない。
 ランスロットだって日々の暮らしの中で、ムートの言うことを分かった気でいる時がある。この調子じゃ、それはまったく明後日の方向だったのかもしれない。ランスロットは少しだけ反省する。
 ヴェインはベッドに浅く腰をかけて、猫になったランスロットを本格的に構い始めた。
「にゃあにゃあ、なぁう」
(おいおい、お前が撫でているのは俺なんだぞ)
 最初は、体をこわばらせて抵抗らしきものをしてみせたが、顎の下を撫でられると喉が勝手にごろごろと鳴る。気持ちがよくてうっとりしてしまう。
 ヴェインはにこにこしながら、腰が引けたランスロットを捕まえて膝の上に載せてしまった。
 ヴェインの膝の上はぽかぽかと温かった。筋肉で覆われた太ももだが意外とふかふかしている。
 猫じゃなきゃ知りえなかったことだ。
 広い膝の上にごろりと仰向けになると、自由で幸福な気持ちになった。頬を擦り付けたり、撫でる手に甘えてじゃれたり、自由気ままに振る舞う。
 なにせ今は猫なのだ。
 今度は、いい匂いに惹かれてヴェインの口元をくんくんと嗅いだ。夕食の味見をしてきたのだろうか、とっても美味しそうな匂いがする。口元をペロリとなめると、ヴェインは顔をしかめた。
 猫の舌がざりざりしていることをすっかり忘れていた。悪いことをしたな。
 けれども、ヴェインは猫であるランスロットを咎めたりしない。好きなときに口づけをしても猫は許されるらしい。それなら、猫というのも悪くない。

 ひとしきりじゃれついて遊んだ後に、ヴェインは猫になったランスロットを傍らに置いた。
「ランちゃん、起きたらビーフシチューできてるよ」
 そして、眠っているランスロットの形をした人間の髪を愛おしそうに撫でるではないか。
 幸福で愉快な気持ちはどこかに行ってしまった。なんだか虚しくなった。
 こんな夢早く覚めてしまえばいいのに。
 次に目を開いた時、ランスロットはきちんとベッドの上で眠っていた。
 飛び起きてすぐに手のひらを確認したがピンク色の丸いものは付いていない。先ほどまでのあれは悪い夢だったらしい。
 ソファで昼寝をしたのは現実なはずだから、もしかしなくても、ヴェインがベッドまで運んでくれたのだろう。
 ムートはベッドの上にはいなかった。
 窓の枠に乗って熱心に外を見ている。きっと戸外に小さな生き物でも見つけただろう。
 まもなく扉が開いて、やっぱりヴェインが顔をのぞかせた。
「おっ、ランちゃん目が覚めたか」
……悪いな、ヴェイン」
 運ばせてしまったこと、食事の支度を手伝いもせずに眠っていたこと。ランスロットは申し訳なさに身を縮めるが、ヴェインはちっとも気にした様子もない。
「いいっていいって、ランちゃんも疲れてんだろ~
 夕飯できてるよ、今晩はビーフシチューだ!」
 開け放たれた扉から、ビーフシチューのいい匂いが流れ込んできた。
 そういえば、夢の中でもヴェインはビーフシチューを作ったと言っていたな。美味しそうな匂いがして、そんな夢を見たのだろうか。
「なんだムート、今度はつれないな」
 ヴェインは窓際のムートを撫でようとするが、伸ばした手を真白い手でぐっと押し返されてしまう。何かの観察を熱心にしていたムートは、邪魔をされて機嫌を損ねてしまったようだ。
「さっきは甘えてくれたのに」
「いつもヴェインに甘えてるだろ」
「いいや、ムートもこの頃すっかり大人になっちゃって子猫のときほどじゃないよ。けど、さっきはいつになく甘えてきたんだよな」
「ふぅん」
 ぐっすり眠っていたと思ったが、ムートにヴェインがじゃれているところを見てあんな夢を見たのかもしれない。そんな風に思っていると、ヴェインがぽつりと言った。
「甘えん坊でさ、ちょっとランちゃんみたいだったな」
「なっ……
 言葉を失ったランスロットに、ヴェインは唇を寄せた。やっぱりビーフシチューの味がする。
「ムートがつれなくても、俺にはランちゃんがいるからなあ」
 冗談めかして言ったくせにその頬は少し赤い。
……俺も、ムートみたいに甘えてもいいってことか?」
 だから、ランスロットもつられて恥ずかしいことを口にしてしまった。
「えっ? そりゃ、ランちゃんがしたいなら大歓迎だけど……
「そうか、……なら膝を貸してほしいな」
「う、うん、ランちゃんおいでよ……

 それからしばらくして、ムートが呆れたようににゃあと鳴いた。ヴェインとランスロットが喋らなくなってしまったから、代わりに鳴いてみせたのだ。

2018.11.24(全空7無配)