少し間をあけてフェードラッヘの王都に降りたてば、白竜騎士団に見ない顔が増えていた。それは入団試験に受かったばかりの若い騎士見習いたちで、若いと言うよりてんで子どもだった。
彼らは騎空士の武勇伝を聞きたがって、自由な時間を見つけるとグランやルリアを囲んで話をせがむので、パーシヴァルまでが自然と何人かの顔を覚えはじめていた。
子ども同士は打ち解けるのが早い。グランやルリアも同じ年頃の子どもと話に興じるのが楽しいのだろう。草っぱらに平気で腰かけ、輪になっているところなどまるで市井の子どものようだ。
今日も練兵場の脇に子ども達が群がっているらしかった。屋根のない回廊を渡るパーシヴァルのところまで、子犬のようなはずんだ声がよく聞こえてくる。
姿は見えないが、中心にはグランがいるのだろう。話は大いに盛り上がっている。トラモント島でアンデッドなど気味の悪い魔物と対峙した話が、少年たちの心をひときわくすぐっているらしい。
グランの話がひと段落したところで、パーシヴァルの関心も一度は途切れたのだが、不意に飛んできた言葉に足を止める羽目になった。
北の噴水、と見習いの誰かが言った。
王城の庭園のうらぶれた一角に大げさじゃない噴水がある。北東に座するから北の噴水と呼ばれるその場所に、人ならざるもの、つまり幽霊が出没するというのだ。
年月を経る王城には神秘的な伝承も少なからず残っているが、北の噴水については聞き覚えがない。少なくとも由緒がある怪談とは言えないだろう。
けれども、若い騎士見習いたちは噴水の霊について知っていることを口々に語り始めた。
そうしてしばらく盛り上がっていたが、怖がりのルリアが震えているのに気づいたのか、少年たちは取りなすように代わる代わる別の話題をあげだした。結局幽霊の話はそれっきりになってしまった。
回廊を渡るパーシヴァルの最終的な目的地は、ランスロットの執務室だった。
彼の悪癖を思い出して、少しばかり身構えて扉を開いたが、さすがにメイドの清掃が行き届いているのか執務室は整然と片付いていた。床に紙の束が積まれはじめているのが不安な気持ちにさせるが、心配するのはパーシヴァルの仕事ではない。
約束していたわけではないが、ランスロットはパーシヴァルの来訪を心得ていた。借り受けていた書庫の鍵がその理由である。宝物にも等しい蔵書が眠る部屋の鍵を他の人間に任せられるはずもないというのに、鍵を受け取った男は律儀だと笑った。ランスロットの後ろに副団長が控えていない限り、二人のやりとりはこれっきりになるはずだった。
「北側に小さな噴水があったのを覚えているか?」
しかし、ランスロットは思いがけないことを口にした。
「お前まで幽霊などと言うつもりか」
「なんだ、知っていたのか」
訝しむパーシヴァルにランスロットはけろっと応える。
「子ども達が噂をしていた」
「そうだよなあ、俺もそろそろ様子を見に行きたいと思ってはいるんだが」
「……魔物が入り込んでいる可能性があるだとか、そういう話か?ならば、はやく始末するべきだろう」
「そうは言うが、俺で敵うかどうか」
「はっ」
騎士団長の顔をして、冗談を言っていたことにようやく気が付いた。この性質の悪さをランスロットは近頃着実に受け継いでいるようだった。苦労するのは副団長以下の騎士団の者たちだ。いよいよパーシヴァルには関係のない話だ。
用事の終わったパーシヴァルはさっさと退出することに決めた。
「噂じゃ幽霊はな、朝の早い時間に出てくるそうだ」
踵を返したパーシヴァルの背に投げられたのは、そんな言葉だった。
結局、次の朝になればパーシヴァルの足は北の噴水へと向かっていた。
早朝は格段と冷えるが、不快だとは思わなかった。朝の濡れた空気に木や土の匂いが染み出して、早朝の匂いを作り出している。深い静寂を背負った青みのあるこの匂いをパーシヴァルは好ましく感じていた。
城を徐々に離れ、噴水の近くまで歩みを進めても、予想していたほど辺りは古ぼけていなかった。噴水と呼ばれるものは、池の中心に設けられた水瓶から水が溢れて循環するだけの地味なものだった。しかし、この小さな循環が忘れられつつある庭園の一角にいまだに血潮を通わせているのかもしれない。
人工的な池は、切り出された四角い石を膝の高さまで積み上げて作られている。
苔むすその淵に一人の男がかけていた。薄もやの中でも見覚えのある後姿がはっきり見える。ただ茶色の長髪だけは朝の光で照らされて、いつもより淡く見えた。
瞑想でもしているのか、ぴくりとも動かない。だから幽霊などと噂を立てられるのだ。
「パーシヴァルか」
もう一歩踏み出でれば、彼は振り返らずにパーシヴァルの名前を当ててみせた。声は届くが、二人の間にはまだ距離がある。
「よく俺だと分かったな」
パーシヴァルは池の淵を沿うように彼に近づいていく。
「心当たりはそんなにない。お前じゃなかったら足音は二人分聞こえるはずだと、そう思ったんだ」
そして、正面に立つと、ジークフリートは目を細めた。
「昔、ここに白い花が咲いていたのを覚えているか」
ジークフリートはパーシヴァルの肩越しに何かを見上げた。
視線の先には背の高くない木があった。その細い枝は鈴なりにつぼみをつけている。そして、花びらを仕舞い込んでいるらしいその額は固く閉ざされている。
「何色の花をつけるかは知らないが、ここでお前は俺たちにこのつぼみは必ず北を向くと教えた」
北の噴水は、思い出と呼ぶほど感傷的ではないが忘れ得ぬ場所だった。
今より少し若かったジークフリートは、まだ少年の域を抜けきれないパーシヴァルたちに、しるべや予兆を読み解く術を教えた。そんな些細な記憶のひとつひとつが鮮明にパーシヴァルの頭には残っていた。
「そうだったかもしれない、お前はよく覚えているな」
「だが、咲いた花の方に関心があるとは知らなかった」
「知られないようにしていたんだ……だけど、もう隠す必要もないな」
団長の座を退いた立場から生まれた言葉だとは知っていた。けれども、その小さな秘密の共有はパーシヴァルを不思議に動揺させた。
「花が咲くところをもう一度見たくなったが、去年はひとつも花をつけなかった」
「枯れてしまったのか?」
「朝に鳥がつぼみをついばみに来るんだ、去年は綺麗にむしられていた」
「それで案山子の真似ごとか」
「鳥も餌のない時期で必死だから、人形じゃ騙されないのさ」
もう試したことがあるのだろうか。何時から彼はここに一人で腰かけるようになったのだろうか。慈しみのこもった声はますますパーシヴァルを揺さぶっていく。
「それでパーシヴァル、お前の用事は?」
「用事?」
「俺に何か用があったんじゃないか?」
時間も場所も普通ではない。パーシヴァルの訪問の理由を知りたがるのは当然のことだ。その当然の質問にパーシヴァルは詰まってしまった。
決してランスロットに様子を見てくるように依頼されたわけでもなければ、ジークフリートに行き会えると確信をもっていたわけでもない。
「……俺が用があったのは幽霊だ」
筋の通った答えを持ち合せていないパーシヴァルはありのままに答えた。
「幽霊?」
場違いな言葉にジークフリートは面食らい、疑問を更に増やしたようだったが、事情を説明するとさも愉快そうに表情を変えた。
「子ども達には悪いことをしたようだ」
そういう声は面白がっていたが、寂しそうにも聞こえた。明日の朝はここに座っていないような予感すらする。少なくともジークフリートの静かな習慣を取りあげてしまうためにここに来たわけではない。
「花が咲くまで何日くらいかかるんだ」
「ん?」
「こうして二人連れなら幽霊などに間違えられることはないだろう」
パーシヴァルが隣に腰かけると、彼はほころぶように笑った。
2018.9
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.