炭ぐすてん
2025-01-18 00:39:33
3510文字
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チヒロくんがオムライス作る話


 赤いチキンライスの山肌を滑り落ちるようにとろりと広がっていくふわふわで黄色い半熟のオムレツ。味は勿論、視覚的にも楽しませてくれた出先で食べたオムライスを千鉱は忘れられなかった。
 家で何度か挑戦してみたものの、近い物は出来たが納得のいく物は未だ作れていない。誰かに相談できればいいのだろうが、父も柴も料理はからっきしだった。料理は薊に教えてもらったから薊に相談できればよかったのが、最近仕事が忙しいのかあまり顔を見ていない。
 千鉱は証拠隠滅するようにパクパクと口に運び、研ぎ師の元に行った父が帰ってくるまでに失敗作のオムレツを片付ける。味はそれなりに美味しいのだが、やはり何かが決定的に違う。
 試行錯誤を繰り返すも完全に行き詰まり、“諦める”という言葉が千鉱の頭に過ぎる。それでもどうにか足掻いてみたくて、ふと次の柴との外出の約束を思い出した。
「柴さん、今度のおでかけなんですけど」
「うん」
「お昼は前食べたオムライスがいいです。可能なら、調理工程が見えるお店だと嬉しいです」
「お、おお……!」
 国重と千鉱の顔を見にきたついでに結界の確認に六平家に訪れた柴は千鉱の珍しいおねだりに目を見開きながら、歓喜が滲んだ声を上げた。
 ポケットから携帯電話を取り出し、まだ仕事中の薊に電話を掛ける。不機嫌そうな応答の声を無視し、柴は口早に用件を述べた。
「オープンキッチンで、美味いタンポポオムライスの店調べてくれ!」
「は? 何、オムライス?」
「チヒロ君がおねだりしてくれてなぁ!」
「チヒロ君がおねだり!?」
 スピーカーをオンにしていないのに聞こえる薊の素っ頓狂な声に、千鉱は目を丸くする。思ったより大事になっている気がする、存在を隠されているらしい自分の名前をそんな大声で言っていいのだろうか、と困惑するも目の前の柴と電話越しの薊の声がいっとう楽しそうで開きかけた口を閉じた。
 「ほな!」と明るい声で薊との通話を終えた柴はぺかーと満面の笑みを浮かべ、千鉱に向けてサムズアップした。
「柴さんに任しとき! 来週のおでかけでむっちゃ美味いオムライス屋さんに連れてったる!」
「うん、楽しみにしてます」

 §

 食品と日用品、成長期で背が伸びた千鉱の新しい服と靴を購入し、大量の荷物を後部座席に乗せ、少し遅い昼食に目的地のオープンキッチンの洋食屋に到着した。
 柴が開き戸を開けて中に入り、千鉱もそれに続く。店内は落ち着いた雰囲気で、ゆったりとしたボサノバがBGMで流れている。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「予約の柴です」
「柴様ですね。お待ちしておりました」
 柴がそう告げると、店員はにこやかにカウンター席に二人を案内した。柴は椅子を引いて千鉱を座らせ、その隣にどかりと腰を下ろした。上背のある柴にカウンター席は少々狭そうで、千鉱は笑いそうになるのを口端を引き結ぶことでどうにか堪えた。
 千鉱は柴から目を逸らすように店員から受け取ったメニュー表を取り、パラパラと捲っていく。オムライスがイチオシらしく、目立つようにメニュー表に書かれている。ソースはトマト、デミグラス、ホワイトの三種類で、悩みながらも家でも再現できそうなトマトソースを選ぶ。柴はデミグラスソースにした。
「チヒロ君ってオムライス好きやったんやなぁ」
「嫌いではないです」
「あら、素直じゃないお返事」
 「お年頃?」と聞く柴に適当に言葉を返し、千鉱は注文を受けて調理を開始した料理人の手元をじっと見つめる。その真剣な横顔に柴は喋り続けていた口を閉ざし、レモン水を口に含み、喋り通してカラカラだった喉を潤した。
 チキンライスの上には半月型のオムレツが乗り、ナイフで黄色の表面を切ればとろりと半熟の卵が広がった。千鉱は「いただきます」と手を合わせ、スプーンを取る。柴もつられるように手を合わせ、そそくさとオムライスを掬い、口を大きく開けて放り込む。
「ん、美味ぁッ!」
「柴さん、声大きい」
 柴を注意しつつ、千鉱もオムライスに舌鼓を打つ。
 最初はオムレツ部分のみを掬い、半熟特有のとろりとした舌触りを楽しみつつ、店の味を分析するように味わう。卵、牛乳、塩胡椒、バター、と思い当たる調味料を頭の中で列挙していく。
 次はチキンライスと共に食べ、卵との相性の良さに僅かに目を見開く。
「うん、美味しい。連れてきてくれてありがとうございます」
「また行きたい所会ったら言うてな。俺も薊も、チヒロ君のお願いやったら何でも叶えたるし」
「全部は叶えなくていいです」
 パクリと最後の一口を食べ終え、レモン水を飲んで一息つき、先に食べ終えていた柴の方に視線を向ける。
「でも、必要な時はお願いします」
「任しとき!」
 柴は伝票を手に取り、千鉱も後に続いて席を立った。当たり前のように千鉱の分も支払おうとする柴を制止し、千鉱は鞄から財布を取り出そうとした。
「待って柴さん、今日はお金払います」
「こういうんは大人しく奢られとき。俺ら、チヒロ君のためにクソみたいな職場できりきり働いて稼いどるんやし」
「それは過言にも程があるでしょ」
「そんなことないよ」
 意地でも財布を取り出そうとする千鉱の手を鞄に押し戻し、その間にカードで払ってしまう。不満げな視線を柴に送るも、柴は素知らぬ顔でカードを財布に仕舞った。
「君が刀匠として立派になって、自分で稼げるようになるまで楽しみにしとくわ」
「約束ですよ」
「おん、指切りしとく?」
「それは大丈夫です」
 残念そうに肩を竦ませながら出入口に向かう柴に続くように歩み出そうとした千鉱は足を止め、くるりと振り返って会計を担当した店員に会釈した。
「ご馳走様です。美味しかったです」
 二人の会話を聞いていた会計を担当した店員は後に語る。「本当に良い子だった」と。

 千鉱は窓の外で過ぎて行く街並みを眺めながら、忘れないように調理工程を頭の中で反芻する。
 卵の掻き混ぜ方、フライパンを火から下ろすタイミング、巻き方。完全再現とまではいかなくとも、今までよりは確実に納得のいく物が出来るはずだ。
「今度は違うオムライスの店行こか」
「いえ、多分もう大丈夫です」
「えっ」
 千鉱の思わぬ返しに柴は固まり、「柴さん、青」の言葉に慌ててクラッチを切って発進した。
 千鉱がおねだりをするのは珍しい。だからこそ、柴は千鉱はオムライスが好物になったのだと思っていた。今度はドレス・ド・オムライスの店にも連れて行こうと画策していたのだが、どうにもそういう訳ではないらしい。
「オムライス好きとちゃうん?」
「好きですけど、特別好きなわけじゃないです」
「そんなら何でオムライスリクエストしたん?」
 千鉱は言い淀むように口を開閉させ、目を伏せる。
 千鉱の周りにいる大人達は、その理由を言うと申し訳無さそうに謝るだろうからあまり言いたくはなかった。しかし、態々調べて連れて行ってくれた柴と薊にそれは不義理だろう。
「父さんと食べたいんです」
「それは……
「謝らないでください。仕方ないことですから」
 ふっ、と小さく口元に笑みを湛える。
「父さんと外には出られないから、俺は外で色々体験して、美味しかった物くらいは自分なりに再現して父さんと共有したいんです」
「六平はそのこと知っとる?」
「気付いてるかもですけど、言ってないです。薊さんには言っていいですけど、父さんには内緒にしてくださいね」
 柴は熱くなった目頭を指で抑え、若干声を震わせながら了承の言葉を返した。

 §

「お?」
 携帯電話がメールの着信を知らせる。開けてみると、国重から珍しく届いていた。偶然隣に居た薊にも同じメールが届いており、二人して不思議そうにそれを開いた。
『うまい!』
 件名は無く、そのたった一言のみが本文に書かれ、一緒に送られてきた写真を見て、泣きそうになった柴と薊は咄嗟に片手で顔を覆った。
「オムライス成功したんだ……
「六平譲りの眼は流石やな。神童や……!」
「お祝いに良いフライパン買ってプレゼントしよう。金なら腐るほどあるからね」
「チヒロ君に『金遣い荒いですよ』言われて、また怒られんで」
 二人でくだらない会話をしていると、再びメールが届いた。また国重からで、訝しみながらそれを開く。
『先日はありがとうございました。オムライスご馳走するので、よかったら来週遊びに来ませんか?』
 今度は文面的に千鉱からで、二人は腐るほど残っている有給休暇をもぎ取りに、事務の元まで走って行った。