零ミリ
2025-01-17 19:56:28
3219文字
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そら似と苛立ち

むてらん。用意された娼妓が藍桐に似てて抱けない无諦の話。うみねこーさんからネタをお借りしてます。
藍桐がモブ女性を抱いてることへの言及があります。考証とかはしてないです。

「无諦、再来週の日曜空いてる!?」
 いつも通りに无諦の家を訪ねてきた藍桐が身を乗り出し気味に无諦に尋ねる。无諦は頭の中で手帳を取り出して確認すると、淡々と答えた。
「予定は特にない」
「じゃあさ、僕と一緒にこれに出掛けよう!」
 藍桐は封筒を鞄から取り出すと无諦に手渡す。无諦が封筒を開けると高級そうな厚手の紙に印字された招待状が現れた。××会、と銘打たれた招待状には再来週の日付と東京市内の料亭の名前が書かれている。
「これは……何の会だ?」
「取引先の社長さんから誘われたのだけれどね、文学を愛する経済人と文人の集まりだそうだよ! 文学について語るんだって!」
 参加者の名前を藍桐が挙げていく。経済人の名前は无諦には馴染みがなかったが、文人の名前は知っている名前ばかりだった。日本人なら誰しも知る、というような名前ではないが、文壇にいるならばその実力を知る実力者ばかりだ。
「結構な集まりだな。君がそのような会に誘われるようになったとは感慨深い。しかし私も行って良いのか?」
「既に无諦のことを話していて、是非! と言われているんだ! 文人にも新しい人を入れたいからって!」
「そうか。なら私も行こう」
「やったあ! 向こうの社長さんにも伝えておくね!」
 藍桐は万歳をしてウキウキとして无諦の手を握って上下させる。无諦は藍桐の変わらない様子に小さく溜め息を吐いた。
 約束の日に会場の料亭へと二人は出向いた。入り口で会の名前を告げると奥へと通される。席は予め決まっており、二人は離された。无諦の隣は化学肥料の会社の社長と歌人と名乗り、二人とも无諦より十ほど歳上に見える。穏やかな二人の話し振りにつられ、无諦も自己紹介をすると新入りということで案外と歓迎されているようだ。藍桐の方を見ると、藍桐も楽しそうに話している。講演や歌会などはせずに、それぞれで会話を楽しむ形の会のようだ。
 想像したよりも話は弾み、无諦は思ってもいなかった機会に満足した。終会が告げられ、无諦は立ち上がると幹事らしき男に呼び止められた。どうやら泊まりの部屋まで用意されているらしい。会費は无諦たちが負担するが、泊まりについては会が負担するとのことだ。新入りに随分なもてなしだと无諦は思ったが、断る方が失礼だろう、と无諦と藍桐は受け入れることにした。
 案内された廊下で藍桐と別れ、部屋に入った无諦は絶句した。既に敷かれた布団と一人の女性が待っていた。
 女性、おそらく娼妓だが、そういった存在が用意されているのは想像の範囲内ではある。无諦が驚いたのはその娼妓の容姿だった。濃紺で癖毛の髪、にこやかな口元、何より特徴的な糸目、まるで藍桐をそっくりそのまま若い女性にしたかのようだ。自分はこの女性を抱くことを期待されている。しかし、藍桐によく似たこの女性を抱く自分を想像すると言いようのない不快感が沸き起こる。女性が口を開く前に无諦は立ったまま強い口調で切り出した。
「すまないが、帰ってくれ」
 女性は入るや否やの拒絶の言葉に傷つくというより驚いたように細い目を見開く。
「何か不快な思いをさせてしまったでしょうか」
「君は一切悪くない。だが、君に仕事を成し遂げさせることができない」
 女性は无諦を探るように見上げしばし見つめると、驚きの表情から穏やかな微笑みに変わる。
「私が悪くないのなら、しばらくここに置かせてください。今帰ったら私が怒られてしまいます」
「それは構わないが……
「良かった。ああ、立っていらしていないで、こちらへどうぞ」
 女性は自分の隣をぽんぽんと叩き、隣に座るよう促す。无諦は後ろ手に襖を閉め、促されるままに隣に座る。女性は无諦を興味津々そうに覗き込み、にこりと笑って砕けた口調で話し出す。
「私を抱けない理由、当ててみましょうか。奥さんに似てる、そうでしょう」
「君は客にそんな無神経なことを聞くのか」
「先にお客を辞めたのはあなたよ。せめて話し相手になって。それで、どうなの?」
 どうやら話し好きなところも似ているらしい。无諦への興味を隠さないその喋り方に嫌な既視感を覚えながら无諦は答える。
……結婚はしていない」
「そお。じゃあ婚約者か恋人だ」
 図星を当てられて无諦は押し黙る。感じた不快感の正体が分かってきた。藍桐ほどではないにせよ、自分も自分たちの関係を崇高な精神的繋がりだと信じていたいのだ。今ここでこの女性を抱いてしまえば外見的魅力に惹かれた肉欲が全てだと突きつけられてしまうような気がするのだ。
 无諦の胸中など知らずに女性は話し続ける。
「その人のことが本当に好きなのね」
……ああ」
「あなたみたいに格好いい男性に愛されてその恋人は幸せでしょうね」
………………
 藍桐は无諦と過ごす毎日が幸せそうに見えるが、真実幸せなのかは无諦には分からない。无諦の沈黙を女性がどう受け取ったかは分からないが、女性は无諦とその「恋人」のことはそれ以上追求せず自分の話を話し始める。
 やはりこの女性は話し好きらしく、甘いものが好きなのだと語り始めた。客が買ってきた最近の菓子がどれほど美味しかったか嬉しそうに語る。馴染みの客に買ってもらうから、とついには无諦からもおすすめの菓子屋を聞き出した。
 しばらく女性が一方的に喋る形で時間を潰していると、話がひと段落したところで女性は部屋を下がった。无諦は鞄から煙草とマッチを取り出し、窓を開け窓際で煙草に火をつける。夜闇に煙草の白く細い煙が立ち昇っていく。どうしようもない自己嫌悪は煙草程度では吐き出せなかった。
 多少の好みはありこそすれ、自分は女性に対して特別な執着はないと思っていた。ただ藍桐に似通っているというだけで、絶対に抱くことはできないというのは、それは藍桐への深い執着に他ならない。藍桐への恋に溺れること自身は无諦は楽しんでいるが、それを藍桐以外の誰かに伺い知られることは自身の柔いところを暴かれるようで无諦にとって非常に不快なのだ。彼女は无諦の恋人が男とは思わなかっただろうが、无諦が深く恋焦がれる相手がいるということは知ってしまった。
 腹の底にざわめく不快感を抱えながら无諦は煙草の火を消し、厠へ行くために立ち上がった。厠から出てくると、廊下で藍桐が无諦の方へ歩いてくるところだった。彼も厠だろう。藍桐は无諦を見つけると苦笑しながら无諦に近付いてくる。无諦の前に立つと藍桐は頭をかきながら小声で口を開く。
「困るよね、こういうのは……
 その言葉で无諦は藍桐が用意された女性を抱いたのだと理解した。无諦よりこういう場に慣れている藍桐は既に似たような経験があるのかもしれない。困る、と思いつつ女性の柔肌に身を沈めたのだ。
 瞬間、无諦の腹の底に溜まっていた不快感が苛立ちで熱せられ劣情に変わる。自分が女性一人抱けない情けない男ではなく、恋人を力強く抱く逞しい男であることを証明したい。見知らぬ女性を気軽に抱く男ではなく、男の恋人に貫かれ喘ぐ存在であると藍桐に思い知らせたい。无諦は初めて男の尊厳に拘る自分の小ささを突きつけられて動揺していた。藍桐は无諦の内心を知らず半歩近付いて小首を傾げながらまたしても小声で尋ねる。
「无諦の部屋行っていい?」
「駄目だ。誰かに見られたら困る」
 无諦は被せ気味に拒否した。今藍桐と同じ部屋で二人きりになったら自分は獣のように襲ってしまうだろう。自分に対する苛立ちの八つ当たりで恋人を傷つけたい訳ではないのだ。
「そっか。そうだよね」
 藍桐は名残惜しそうにしながら引き下がる。そして无諦の前を通り過ぎ軽く手を振って廊下の奥へと消えていった。
 无諦は自分に割り当てられた部屋に戻ると身を投げるように布団へと寝転ぶ。八つ当たりの怒りと劣弱に身を苛まれながら无諦は全てを遮断するように目を閉じた。