走行中のチョコボから、半ば滑り落ちるようにして着地。地面の感触を確認する間もなく、すぐさま腰の剣を抜き、強く雪を蹴り立ててノエは前へと体を進ませる。
人間が接近する気配に気がついたのか、向かう先に居並ぶ魔物たち――数体のアルケオーニスやドラゴンフライたちが、こちらへと振り返る。
だが、魔物の群れがノエを視界に捉えるよりはやく、彼の姿は集団の一端にたどり着いていた。
敵の只中に飛び込んだものの、臆することなくノエは剣を勢いよく振り上げ、地面へと突き立てる。
(まずは、こいつらを食い止めないと――!!)
地面から広がる魔力が光の柱となり、無差別に周囲へと突き刺さる。
威力は弱いが、広範囲に手傷を負わせるこの技は、先制攻撃としても非常にゆうしゅうだ。おかげで、魔物たちは一斉にノエを敵と判断し、彼らの敵意がこちらへと一気に集中する。
ドラゴンフライは、突如姿を見せた敵を警戒して高度を引き上げた。
アルケオーニスは小柄なものが二体に、ひときわ大きな個体のものが一体。まずは小柄な一体が尖兵として、ノエへと太い足を振り上げる。
翼が退化した巨大な鳥のような形をしたこの魔物は、これまでの旅の中で何度か対峙してきていた。だが、ここまで人に対して積極的に襲いかかってくる個体は、ノエにとっては初めてだ。
「やはり、竜が彼らを刺激しているのか……?」
疑問を抱きつつ、ノエは前足を盾で弾き落とすようにして防御。勢い余ってたじろぐ魔物に、返す刀で剣を突き入れる。
だが、素直に受けるほど魔物も愚かではない。ガンッと響くのは、爪と剣がぶつかった音。致命傷に至らなかったと悔しがるよりも先に、もう一体の爪が死角から襲いかかる。
「――――!」
息を呑む間すら惜しみ、体を転がし、今度は回避に専念。だが転がった先には太い足が柱の如く立ち塞がっていた。
「まずい――っ」
見上げるまでもない、そこにいるのはボスのような一際大きな個体のアルケオーニスだ。
振り上げられた足がノエの頭を蹴飛ばそうと迫り、咄嗟に盾をかざそうと左腕を持ち上げかけ――
「――!」
巨大なアルケオーニスの体が横に吹き飛ぶのを、ノエは目にした。
魔物を吹き飛ばしたのは、光そのものが剣となって放たれたような、真っ赤な一撃。
高濃度の魔力が溢れ、紅い薔薇の花のように飛び散る残滓がノエの視界を横切っていく。
「若人、あまり一人で無茶するなよ!」
「すみません、ルーシャンさん! 彼らを先に行かせるわけにはいかなかったので、少し先走りました!」
「そうだろうとは思ったけどよ。想像以上にこいつら、知恵がついてやがる。獣どもが寄り集まっているだけと侮らないほうがよさそうだ」
敵に付着させた魔力をアンカーに、自身を釣り上げるようにしてノエの元に飛び込んできたのは、先の一撃を放った魔道士――ルーシャンだ。
彼は素早く周囲のアルケオーニスへと視線をやり、敵の数を確認する。
ルーシャンがノエの元に飛び込んできたので、二人はちょうど三方から囲まれるような立ち位置になってしまった。しかし、この状態は、背中を互いに預けていれば、少なくとも背面だけは守ることはできるということでもある。
「オランローたちの方は、大丈夫でしょうか」
「向こうも何とかするだろ。そもそも、人の心配してる場合じゃないだろうよ」
「でも、ルーシャンさんだって無策で突っ込んできたわけではないでしょう?」
これまで、何度も背中を預けあって戦ってきたのだ。ルーシャンが無策で魔物たちの只中に飛び込むような無鉄砲な人間でないことを、ノエもよくよく知っていた。
予想通り、男は唇を釣り上げると、
「オデットに支援をするよう頼んである。あの嬢ちゃんなら、敵を直接攻撃しなくとも、こちらを支援する魔法なら扱えるはずだ」
「空中にいる敵はどうしますか。あいつらを警戒しなければ相手どるのは、少々厄介です」
今もこちらの様子を伺っている、巨大な羽虫のような魔物たち。その一体に、緑色の魔力が集まり、球体となって膨れ上がる。
風魔法を発動させる予兆にノエが身構えたが、その必要はなかった。
魔法を発動させかけたドラゴンフライめがけて、炎の塊が横合いから激突したからだ。
「今のは――」
『空中の敵は、お兄ちゃん……ミラベルさんが、落としてくれるって言ってます! 落ちた後に生きている魔物がいたら、対処は任せたいと言っています!』
リンクパール越しに聞こえた、オデットの声。彼女の説明から察するに、先ほどの魔法はミラベルのものなのだろう。護身程度ならできると言っていた発言に、嘘はなかったようだ。
「空を飛ぶ連中は、あっちの兄さんに任せるとするか」
「では、ルーシャンさん。僕はあの大きい魔物を相手にします。他二体はお願いしていいですか」
「やれやれ、年寄りを働かせるねえ」
「できませんか」
「いいや、やってやるさ。できないって駄々捏ねるのは、ガキの頃に卒業してるんでね!」
言葉と共に、彼が魔物へと踏み込むのを視界の端で確かめる。
得意とする魔法ではなく、レイピアを使った接近戦を強いらせることになったのは申し訳なく思うが、今は仲間の力を信じる場面だ。
(オランローたちは、無事にピヌヌさんと協力できているといいんだが)
とはいえ、今はルーシャンのいう通り目の前の敵だけに集中する場面だ。
気持ちを切り替え、ノエはアルケオーニスとの間合いを図る。
――なぜ、ノエたちはオランローたちと行動を別にしているのか。
当初、予定通りノエたちもイレーナと共に、ピヌヌの救援に向かうためチョコボを走らせていた。だが、合流する前に、向かう先とは別の方角に魔物の一団が闊歩しているのを発見してしまったのだ。
この状況で、魔物たちが意味もなく集団でうろつき回っているとは考えづらい。そうなると、彼らの向かう先もノエたちと同じである可能性が高い。ピヌヌたちを襲った魔物の増援が移動している場面を、ノエたちは偶然捉えられたのだ。
もし魔物たちが合流されれば、混戦になるのは目に見えている。故に、ノエたちは一団を切り分けて、発見した魔物たちの方に向かうことにしたのだった。
ゲルダやミラベルがノエに続いたのは、オデットがそちらにいたからという理由が大きい。
ゲルダにとっては異端者のそばにいる母も気になるが、オデットが彼女の大事な友人であるのもまた事実である。そして、それはミラベルにも同じことは言える。
思索が終わり切る前に、巨大なアルケオーニスがノエへと迫る。青銅色の皮膚は丈夫な鱗に覆われ、ノエが多少斬りつけたところで、剣は表面を上滑りするばかりだ。
退化した翼のような腕で器用にバランスをとりつつ、アルケオーニスはノエに噛み付かんとする。それを盾で払い落とし、ノエは利き手に握る剣に魔力を走らせた。
「通ってくれよ……!」
祈るように振り下ろした一撃の目的は、刃を通すことではない。
刃を走って伝わる、白い雷。速さよりも威力を重視したそれが、束となりアルケオーニスの脳天を貫く。
だが、敵も黙って正面から攻撃を受けるほど愚かではない。勢いよく首を振って直撃を避け、大きな足で数歩後ずさる。
分厚く積もっていた雪が蹴散らされ、白い雪煙がノエの視界に舞う。それが収まる前に、アルケオーニスは姿勢を安定させ、再びノエへと迫る。
わかりやすい突進ではあるが、アルケオーニスの正面からノエが退くわけにはいかない。
ノエの後ろには、ルーシャンがいる。彼のレイピアが敵を捌く様子が、地面を伝わってノエの足にも響いている――。
(響いている――?)
なぜ、ルーシャンの足捌きがわかるほどに微細な振動が分かるのか。一瞬の疑問を抱いたものの、今はそれに頓着している場合ではない。
雪を蹴散らし、どすどすと足音を立てて突進するアルケオーニス。この正面衝突を受け止めるのは、高速で突っ込んでくるチョコボ車を受け止めるのと同じようなものだ。
盾に魔力を流し、迎え撃とう。そう思いかけた矢先――アルケオーニスが急激に減速する。
魔物自身、何が起きたのかわからず、戸惑ったような気配を感じる。
一方、ノエにとってこれが好機であるのは間違いない。
すぐさま、防御のために流しかけていた魔力を攻撃へと切り替え、今度はノエが弾丸のようになってアルケオーニスに突撃する番だった。
駆け出しつつ、彼は言う。
「オデット、ありがとう。助かったよ」
アルケオーニスが足を止めた理由――それは、オデットが放った支援魔法によるものだろう。彼女の得意とする占星魔法は、時に重力を操る。全身に錘をつけたように体を重くすることも、オデットならば可能だ。
突如、自分の体が思うように動かせなくなり、苛立ちの咆哮をあげるアルケオーニス。しかし、魔物が立ち直るよりも先に、ノエは魔物の喉元に迫っていた。
斜めに切り裂くような一撃。攻撃に怯み、一瞬首をのけぞらせたアルケオーニス。
長い首の内側の、柔らかい部分を曝け出すような姿勢は、ノエにとってはまたとない隙でしかなかった。
「――――っ」
熱くなりすぎていた己を沈めるように、冷気を軽く吸い込む。横に大きく薙ぎ払った一撃が、アルケオーニスの首の皮を切り裂き、ドス黒い血飛沫を辺りに撒き散らす。
皮を切り裂く感触は、数ヶ月前、竜を屠ったときのものと似ていた。
竜に変じたもの――人を初めて殺した時の、あの感触と。
「……これで、終わり――」
一瞬揺れた心を、肺腑に流し込んだ冷気で沈めさせる。
己を突き動かすために声を張り上げ、逆手に持った剣に魔力を注ぐ。勢い良く振りあげた一撃がずれないように、自身を支える足にも魔力を流し込んだときだった。
「――……?」
どこか、姿勢が安定しない。常のように、ほぼ無意識で地面に楔として魔力を打ち込んだ。だが、それがしっかと定まった感覚がない。
『二人とも、その場所であまり派手な技を使うな!』
ノエの疑問に応じるように、リンクパール越しにミラベルの声が届く。
『あんたたちが立っているのは、川の上だ!!』
その声を聞いた瞬間、ノエの思考が停止する。
一瞬の隙をついて、アルケオーニスが逆襲のためにノエへと急接近する。
すぐに盾を間に挟んで直撃は避けたが、先ほど準備していた大技のための魔力は霧散してしまった。
この場合どうするかと迷いが迷いを誘っていたところ、
「なっ――」
その場に踏みとどまっていたノエの体が、何者かに引っ張られるようにして、数歩分さらに後ろへと引きずられる。
何事かと思うより早く、ノエの眼前に風魔法が爆ぜる。それこそが、今自分が引っ張られた理由だろう。
「大丈夫か、ノエ」
このように魔力で肉体を引っ張る術は、ルーシャンが得意としている。ノエの鼻先が削がれないうちに逃がしてくれたのが誰かは、わざわざ聞くまでもなかった。
「ルーシャンさん、ありがとうございます。それとミラベルさんの警告、聞きましたか」
「ああ。どうりで、雪の上だっていうのに、妙に足元が滑ると思った」
「先ほど魔力を足に流すまで、僕は全く気づきませんでした。雪が分厚く積もっていたので、てっきり地面だと」
「ああ。実際、そこまで気遣わなきゃいけないってもんでもない。ちょっとやそっとじゃ氷が割れるってことはないだろう。だが、踏ん張るために楔として魔力を打つのはやめておけ。どう響くかわからないからな」
ルーシャンの得意とする近接戦の手法の一つに、自身を滑らせるようにして、縦横無尽に駆け回るものがある。その分、姿勢の制御に足先に魔力を集中するため、微細な調整が効きづらいことから足元が地面ではないと気がついたようだ。
「……地面から打ち出すような魔法も止めた方がいいですよね」
「お前が得意としてるアレか。この場所じゃ避けた方がいいな」
ノエの使える魔法の多くは、魔力でできた剣を相手に突き刺すものだ。地面から、空中から、ありとあらゆる方向に生み出される剣は時に竜を貫くほど強力だが、あれらの魔法は威力の制御が難しい。
また、地面から突き出すという魔法は、そもそも現状の環境と相性が悪い。
「剣だけで仕留めなければならない。そういうことになりそうですね」
「ああ。お互いに苦労するな」
「では、交代しますか?」
「冗談。あんなデカブツ、相手していたら先に俺の剣が折れちまう。うちのレディは繊細なんでね」
ジョークを飛ばせるのなら、まだ余裕があるということだ。ノエも「でしょうね」と短く返し、再びこちらに突進してくる大柄なアルケオーニスを迎えうつ。
(そうは言っても、このままでは消耗戦だ。ミラベルさんがドラゴンフライを落としてくれてはいるけれども、地上の敵への決め手がない)
そう思っている間にも、上空の魔物がまた一体撃墜され、ノエの視界の端へと落ちていく。
追撃のため、アルケオーニスから視線をずらさないように注意しつつ、そちらへと向かい、踏みつけるようにしてドラゴンフライの息の根を止める。魔物といえども、弱った個体なら単純な踏み付けでもトドメに使える。
そうして勢いよく足を踏み下すことにより、はっきりとノエも理解した。
地面の上に積もった雪とは異なる、何か底しれないものの上を歩いているような感覚。寒冷化によってできた氷は少しばかり暴れた程度では壊れまいと分かっていても、もしかしたらという不安が滲む。
一方、魔物はノエたちのように氷結した川の上だろうと、お構いなしに突撃してくる。回避と防御で応じつつ、魔力を纏わせた一撃を何度か突き入れるが、やはり致命打にはなり得ない。
(効いてはいる。けれども、これでは時間がかかりすぎる)
せめて、自分をもう一押しする何かがあれば。そう、願ったときだった。
ひらり、と何かが視界の端で動く。きらりと光るそれは、雪ではあり得ない星の輝きだった。
『兄さん、それにルーシャンさん! 今から少し、えっと……支援の魔法をお二人にかけます!』
次いで聞こえたのは、オデットの声。
「盾をはってくれるのか?」
『えっと、そうではなくて……少し無茶ができるようになる魔法です!』
「無茶ができるようになる魔法?」
思わず、同じ言葉を繰り返してしまったが、彼女の曖昧な説明の理由はすぐに分かった。
辺りに飛び散る、占星魔法の魔力を象徴する光のかけら。夜空を彩る星々をそのまま地上に散りばめたような輝きは、ただ美しさを示すためだけのものではない。
光の粒がノエに触れ、吸い込まれていく。その瞬間、ノエは己の魔力の巡りがずっと早まったことを、体のうちにみなぎる活力を、形にならない感覚で理解した。
「……なるほど。これはたしかに、無茶ができそうだ」
先ほどよりも、前に踏み出す体が軽い。敵に妨害魔法がかけられたのではない。ノエ自身が、己の体をいつも以上よりもずっと楽に動かせているのだ。
敵の突進を受け止めるときすら、無意識の怯みが消え失せている。剣の重さは腕からなくなり、まるで腕そのものが剣になったかのようだ。
(これなら、こいつを圧倒できる……!)
今度こそと、ノエはアルケオーニスの懐に再び飛び込む。敵をのけぞらせる一撃も、今は無用。単純な速さで敵を翻弄し、ノエは魔物の喉笛に剣を突き入れる。
今までは鱗の硬さに勢いの大部分を弾かれた剣が、今ならすんなりと喉に食い込んだ。
「このまま、仕留める――っ!」
流し込んだ魔力は、最初に放ったいく束もの白い雷を生み出すもの。雷撃は剣を伝い、アルケオーニスの全身を駆け巡る。
耳障りな絶叫が、至近距離に轟く。大音声に顔を歪めながらも、ノエはアルケオーニスの痙攣が収まるまで、剣にしがみついていた。
のたうち回るアルケオーニスに振り解かれないよう、絶命の時まで待つ。その時間は随分と長く感じられた。
どうと体を打つ重たい音が響く。倒れ込むアルケオーニスに引き摺られて、ノエも地面に体を打ったが、受身のおかげで大怪我には至らなかった。
倒れ込んだアルケオーニスから剣を抜き、反転。魔物が再び立ち上がる様子がないことを確かめてから、背中を預けた彼はどうしたのかと振り返り、
「……すごいな、ルーシャンさんも」
そんな単純な感嘆が口をついて出た。
視線の先では、オデットの魔法のおかげでより機敏に、より精度を上げた刺突を放てるようになったルーシャンが、もう一体の魔物に自身の剣技を繰り出していたところだった。もう一体のアルケオーニスはすでに仕留め終わったのか、半身を煤色に焦がして地面に転がっている。
真っ赤に焼け付くような魔力が剣先を走り、レイピアの軌跡が紅に彩られる。だというのに、魔力そのもののブレはなく、あの一撃一撃が鱗を穿つのに十分な威力を持っていると遠目からも分かった。
突きの連撃を終え、ダメ押しとばかりにり大きく踏み込んだ一撃が、魔物の体を貫く。派手に飛び散った血飛沫を回避してか、大きく距離を置くルーシャン。彼の立っていた場所に、魔物の死体がどう、と倒れ込んだ。
相手が再び動き出す様子がないことを確かめてから、ようやくルーシャンは肩の力を抜く。ノエの視線に気がついた彼は、ノエが倒した方の魔物を見て「終わったか」と言葉少なに尋ねた。
「はい、なんとか。オデットのおかげです」
「まったくだ。身体のエーテルの巡りをよくして、おまけに身体機能そのものを引き上げるとはな」
「体が軽くなって、とても驚きました。普段であっても、別に動きにくいなんて考えたこともないのに」
「確かに、あれだけ巡りをよくすりゃそうなるだろうが、ああいうものは大体後から反動も来る。明日は筋肉痛で呻いてるかもしれないぞ」
筋肉痛云々は冗談かもしれないが、無茶な動きをすればその分だけリスクが後からやってくる、というのは納得できる。
ともあれ、目に入る範囲の魔物たちは全て討ち取った。
魔物が起き上がる様子がないのを確認して、少し離れたところで支援を行っていたオデットが、手を振りながらこちらに駆け寄ってくるのが見える。遅れて、ゲルダも周りの様子を確認しながら、後に続く。
「オデット、先ほどはありがとう。助かったよ。いつの間にあんな魔法を覚えたんだ?」
「治癒魔法の応用でできるのではないかと、少しずつ試していたんです。占星台にいた魔道士様が、細かいところを直してくださったので、やっと魔法として形にできたんです」
「オデット、夜寝る前に何かしてると思ったけど、そんなことしてたんだ」
「はい。いつか役に立ったらと思っていたんです」
ゲルダの驚きの声に少し弾んだ声音で返すオデット。いつになく嬉しそうなのは、自分の魔法が決め手の一つになったからだろう。
しかし、すぐに浮かれる気持ちを引き締め直し、オデットは居並ぶ二人の全身をざっと見やる。
「兄さん、それに、ルーシャンさんも。怪我はありませんか?」
「おかげさまで、大きな怪我はしていないよ」
「でも、額から血が出てます」
指摘されて、ノエは自分の額に手をやる。ぴりと走る刺激に、確かに傷を負っているようだと気づかされた。敵に接近したときに、鱗の破片で切ってしまったのだろうか。
オデットの手がノエの額に触れ、手袋越しに暖かな光が生まれ、傷を包む。あっという間に痛みは遠のき、滲んだ血をオデットが念入りに手巾で拭き取ってくれた。
「お二人とも、無事なようでよかったです」
治療を終えたノエたちに声をかけたのは、オデットの後ろから姿を見せたミラベルだ。まだ手に剣を握り残心を解き切っていないところからして、彼もある程度場慣れはしているようだ。
「足元について、注意してもらって助かりました。もし氷を割ってたらと思うと、ぞっとします」
「お二人が立っているあたりは木が不自然に生えていませんでしたから。寒冷化で凍結した川ではないかと思ったのです」
言われてみれば、今ノエたちが立つあたりは木々や草が全く生えておらず、一面の雪景色だけが小道のように続いていた。寒冷化の前は、ここは一本の川だったと推測できる。
「冒険者だとは聞いていましたが、お二人ともお強いのですね」
「僕たちだけの戦果ではありませんよ。ミラベルさんが上の魔物を堕としてくれたおかげで、上空を気にする必要がなくて、その分戦いに集中できたからこそです」
「そうだな。そちらさんも、司祭の手習いという割には随分としっかりとした腕前のようで。一体どこで習ったんだ?」
ルーシャンに問われて、ミラベルは肩をすくめて首を横に振る。
「剣については家にいた頃に習いました。魔法は趣味が講じていくつかモノにしましたが、実戦に慣れた方には遠く及びませんよ」
謙遜の言葉を口にする青年の隣で、オデットはふるふると首を横に振る。
「でも、あの……ミラベルさんは、わたしとゲルダの方に向かって飛びかかってきたドラゴンフライを、迎え撃って倒してくれたんです」
「うん。ばさーって剣で薙ぎ払ってたよ。だから、十分すごいんじゃないかな」
「ですが、一撃では仕留めきれませんでした」
「それでも、オデットを助けてくれてありがとうございます。どうしても、前衛に立つと後ろのものの確認を怠ってしまって――」
ノエはそこまで言いかけ、唇を閉ざす。ルーシャンやミラベルも、同じように動きを止め、全身の神経を研ぎ澄ませる。
静寂に包まれた一行の空気に、がさり、と近くの茂みが揺れる音が割り込む。その音を拾ったからこそ、ノエは言葉を中途で切ったのだ。
続いて聞こえたのは、枝葉を揺らす音ではあり得ない、人の声。
「おい、どうするんだ! あんなにも騎士が手強いなんて聞いてなかったぞ!」
「どうせ、領主から金もらってだけで大したことないって言ってたやつは誰だよ」
「知らねえよ。でも、とりあえず、目的は果たしたんだ。異端者が騎士を襲撃したってことには変わりない。これで――」
茂みが一際大きく揺れ、声の主たちが露わになる。ノエたちの前に現れたのは、シュガーグレイヴでも何度か見かけたような服装の、ヒューラン族やエレゼン族の男たちだ。
彼らは、茂みを抜けた先にいたノエたちを目にした瞬間、顔色を変えた。
「まずい、まだいやがったのか!?」
「おい、とっとと逃げるぞ!」
「ったく、魔物共が足止めするって話はどうなったんだよ!」
踵を返し、てんでばらばらの方向に逃げていく男たち。追撃を忌避して、逃げる方向をばらけさせる程度には知恵が回るらしい。
話の内容から察するに、彼らはピヌヌたちを襲撃した異端者の一派だろう。
「追いかけますか」
「いや、俺たちも戦闘のあとだ。無理に追いかける必要は――」
ルーシャンが回答を口にし終わる前に、ノエの隣から影が走る。濃紺のそれは、ミラベルが翻したマントだった。
「ミラベルさん!?」
「おい待て、あんた! その顔、あんたがアンディの父親のカーターだろ!!」
ミラベルは、行方不明になった子供が父親と共に街の外に連れ出されたのではないかと考えて、ここまでやってきた。
異端者の中に関係者がいるかは不明だったが、どうやら尋ね人が今の一団の中にいたらしい。
彼は、ノエの制止など聞こえなかったように、カーターなる人物目掛けて一目散に走っていく。男はちょうど凍りついた川を辿るように、真っ直ぐに逃げていくところだった。
「ルーシャンさん、僕も行きます」
「あの、じゃあわたしも」
「こんなところでバラバラになるぐらいなら、皆まとめて行ったほうがいいだろ。ゲルダも、それでいいか」
「うん。元々私は、異端者の人に話を聞くために来たんだから」
ゲルダの首肯を十分に待たず、ノエはミラベルの後を追って走り出す。
氷の下が川であるというのに、全く臆することなく、男たちは逃亡を続けている。それを追うミラベルもまた、自身が放った足元への警告など忘れたかのように、積もった雪を蹴飛ばすようにした男の後を追いかけた。
(あの人が逃げた先に、ミラベルさんが探している子供がいるといいのだけれど)
曖昧な可能性に祈りながら、ノエは硬い氷の上に積もった雪を踏みしめて、彼らの後を追った。
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