らぎ
2025-01-16 14:24:41
791文字
Public モノノ怪
 

離坤ドロライ第八回「朝、5時半」「飴」

火鼠の前辺りの時間で。

時の流れはこの十翼に於いてなきに等しいものであったが、現世を模したらしき陽の出入りは存在する。今はどうやら現世で言う所の明六つの半刻前だろうか。仄かに明るいがまだ陽は出ていない、そんな刻であった。
本来十翼に滞在する薬売り達も体を休めている時間帯だが、『お勤め』へ赴く為十翼を発つ坤の薬売りは紺色の装束を纏い、現世への門を潜ろうとしていたところ。
「坤の方」
涼やかな声が、坤の薬売りを引き留めた。彼がふわりと振り向くと、果して思った通りの人物が立っている。
「離の方見送りに、来てくださったのですか」
「ええ。此度も大奥、と聞きましたがまあそれは兎も角。」
お勤めの話を早々に切り上げた離の薬売りは、自身の着物の袂からなにやら包みを取り出した。包み紙の色は持ち主の装束の浅葱色だ。
「こちら、ひと月前のお返しと言うやつです。」
「おや」
ひと月前、つまりは如月。外つ国から持ち込まれたバレンタインなる風習に倣って、坤の薬売りは想い人たる離の薬売りにチョコレートを贈ったのだった。ひと月後に贈られた方が返礼をするのが併せて慣わしと聞いてはいたが、離の薬売りからもその日に菓子を貰っていた為贈答は完了と考えていた。つまり此方にはさっぱり用意が無い。
「申し訳ありません、何も用意が無く
「構いません。返礼とは言いましたがコイツを渡す口実に過ぎませんからね」
小さな包みが坤の薬売りの手に渡る。感触からして丸いものが幾つか入っているようだ。
「飴ですか」
「ええ。食べ終わる頃には帰れる事を、願っています」
大奥と云えばヒトも、それに連なる情念ひいては強大なモノノ怪もよく集まる場所。離の薬売りが何時もより直截な物言いをしたのは、それが本心からの願いであるからこそであった。
正しく真意は坤の薬売りに伝わったようで、彼は紅の引かれた口元を緩めた。
「はい必ず。」