えなが
2023-05-16 01:37:10
6125文字
Public 革命軍組
 

あいしているから

余生をフィガロとファウストがともに過ごし、近所に住んでるレノックスが様子を見に来る話

 ファウストは茶菓子のつまれた編みカゴに手を伸ばし、さくさくした口当たりのいいクッキーを一枚食べて、淹れたばかりの湯気たつ紅茶に口づけた。
 サンルームに注ぎ込む日差しが、顔を綻ばせる彼を柔らかく照らしだす。彼が呪い屋をやっていると自称したところで、誰も信じられないだろう。それほど落ち着いて穏やかな微笑だった。紅茶の花やぐかおりを堪能するよう伏せたまつげをふるわせて、ゆっくりと瞳をひらく。そういえば、と口を開いた。

「きみたちと再会したとき、やっぱり動揺したよ。きみたちは僕の中では北の、中央の魔法使いだったから。南の国の魔法使いだなんて。しかも一緒にいるなんて。今更どういう顔をしていいかわからないし」
「それで最初は他人のふりをされてたんですか?」
「まあ……関わりがあったのは随分昔のことだから、もう関係ないと思い込もうとしたよ。こいつはこんな調子だし」
「ええ、ひどくない?」
「ははは」

 フィガロは眉を下げて苦笑した。レノックスも肩を揺らして笑う。
 三人は白いテーブルを取り囲んで午後ののんびりとした時間を過ごしていた。フィガロの膝の上では大きな黒猫がまどろんでいる。その背を撫でながら、小さなあくびをひとつした。
 クッキーは、共同生活をしているフィガロとファウストが一緒に焼いたものだ。もうすぐ焼き上がるというところにレノックスがやってきて、上等の茶葉を差し入れた。これはちょうどいいと、そのままお茶会になるのは自然な流れだった。

「あなたも、レノも、雰囲気がだいぶ変わっちゃったし、現に南の魔法使いとして召喚されたということは気質がそっちに偏って土地の精霊に好まれたということなんだろうけど。それに、すごく仲がよくなってて驚いた」
「レノはファウストには変わらず丁寧だったけど、俺に対しては割と大雑把だったしねえ」
「とても仲がいいから、羨ましいと思うときもあったよ。ちょっと寂しくもあったかな」

 レノックスははにかんで、照れくさそうに目を逸らす。

「魔法舎に来る前から全員顔見知りだってのもあったしね、レノの場合はかしこまった態度をあらためさせるのに苦労したかな。ファウストはよく知ってると思うけど、こいつ、頑固だから」
「僕としては、もっと気軽に接してくれるとうれしいんだけど」
「善処します」
「堅いなあ。あと百年はかかるんじゃない? おっと……

 膝の上にいた猫が気まぐれに起きあがって、フィガロのテーブルにあったティースプーンをひったくった。カツン、と硬質な音が響き、自分の所業であるにもかかわらず驚いた猫は、飛び降りて部屋のどこかに駆けていく。ファウストは腰をあげ、フィガロのスプーンを拾い上げた。

「新しいのを今用意する」
「いや、いいよ。もう砂糖もミルクもいらないから」
「そう」

 ファウストはキッチンへと引っ込んだ。床に落ちたものを拾うのも、きれいにするのも、替えを用意するのも、魔法を一切使わなかった。
 レノックスはフィガロの現状の魔力を知らない。他人の魔力の気配を探るのは得意ではない。いくらフィガロが魔力が弱くなったとはいえ、自分よりも魔法が使えない彼のことがいまだに信じられない心持ちだ。
 ふたりが一緒に暮らすようになった、ファウストは極力魔法を使わないようにつとめているように見えた。
 フィガロに対する気遣いのようでもあり、フィガロもそれをやんわりと受け入れてる。

「フィガロ、紅茶のおかわりは?」
「ああ、頼むよ。レノは?」
…………
「レノ、どうしたんだぼんやりして。紅茶のおかわりはどうかってフィガロが」
「え、ああ。すみません。いただきます」

 戻ってきたファウストがまたすぐにキッチンへと引っ込んで、ポットの替えをテーブルへと運んできた。



 レノックスはふたりの焼いたクッキーの袋を携えて、帰り道を歩いた。
 フィガロの魔力が安定しなくなり、胸から賢者の魔法使いとしての紋章が消えた後、彼はファウストと共に、南の国の、雲の街から少し離れた高原の涼しい土地に住んでいる。
 木々に囲まれ、澄んだ色をした湖のそばに小屋を建てた。レノックスは少し離れた土地に小屋を建てたが、歩いて数分も掛からないぐらい近い場所に住むようになった。もちろん、羊たちも連れてきている。
 フィガロの石を狙う輩が寄りつかないように、ファウストは常に気を張っていた。そんな彼のかわりにレノックスは街へおりて、食料や生活に必要なものを買い付けて、毎日決まった時間に彼らを訪ねる。
 今日は朝に釣りをしたと言っていた。魚を焼くケムリが煙突から立ち上っているのを見つめ、レノックスは自分の家の中へと戻った。
 彼の帰りを歓迎する羊たちを撫でて、椅子にかけた。もらったばかりのクッキーを皿にあけた。「きっと、これでいいはず」そんなことを思いながら甘いクッキーをかじる。
 ふたりに対して誠実でありたいし余計な気をつかわせたくない。だからレノックスはつとめて「ふつう」でいた。
 フィガロの体調を気遣いすぎることもなければ、ファウストが求める以上のことはなるべくしないでいた。
 自分がそうあることで、彼らの穏やかな暮らしに少しの雑音も不安も持ち込みたくはなかった。
 助かる、ありがとう。というファウストの言葉を毎日受け取り、彼の望む存在でいることに歓びを感じている。
 はたして、今日の会話は、振る舞いは、ふたりに対して失礼なことをしていないだろうか。いつも通りでいられただろうか。
 何せレノックスには、数日前からフィガロの声が聞こえていない。
 彼らの様子はいつもと変わらないように見えていた。ふたりで暮らすようになってから、ずっと、同じ調子で彼らは生きている。
 もしかしたら声だけではなく、目も見えないし耳も聞こえていないのかもしれない。だが、違和感なく過ごせているし、何も困ったことなどなさそうだ。ファウストもフィガロの心に正しく沿えているのだろう。
 フィガロが口を開けて発した音をレノックスの耳はもう拾うことができないのだ。ファウストだけはなんの迷いもなくフィガロにこたえることが出来ている。
 はたして魔力の差か、信頼の差かわからない。
 自分の知らないところでレノックスとフィガロが気安い仲になったことを、ファウストは羨ましく、寂しく思ったことがあると語った。
 きっとそういった気持ちと似ている。今、彼らは彼らの間でしか通じない言語で語り合い、心を通わせあっている。ほんの少しもの悲しさがありながらも、ずかずかと踏み込んでその領域を荒らしたいとは到底思えない。
 レノックスの目にうつるフィガロは、魔力が弱くなった魔法使い、ではなく、まるで目に見える精霊のようだ。
 実体と言葉を持たないが存在を感じ、魔法使いと共にあり、感情を感じることができるもの。そういったものになんだか似ている。
 フィガロはもうほとんど魔法が使えないらしい。それでも、レノックスからすれば、フィガロは何か劇的な変化をしたようには見えなかった。さすがに四百年前から気配や態度は変わったが、彼が南で開拓をはじめ、そこに定住するようになってからはずっと、ぼんやりとした淡くて柔らかい魔力を常にまとって生きているように見える。今でも。
 いくらその力が弱くなったとはいえ、もうすぐ石になってしまいそうには見えなかった。長命で、なおかつゆっくり石になる魔法使いをそば見るのは初めてかもしれない。
 チレッタの死の際には駆けつけたが、あのときはあの場にいた全員が彼女と生まれてくるミチルを救おうとして、すべてが終わったあとは石になった彼女の処遇と葬儀に奔走し、長く生きた魔法使いの最後はこうなのかと、レノックスはなんとなく思っていた。
 彼女は大魔女と呼ばれるにふさわしく、彼女自身が抱いた激情のまま、心のままにいなくなった。
 他人の死について想像することは少ないが、フィガロがもう長くないのだと知ったとき、彼の命のおわりもきっと場の狂乱を招くのだと信じていた。
 ファウストの意思を推し量るのは難しい。だが、色々揉めたすえに今の生活を押し通したのはファウストの言葉だった。

「見限った者に世話をされるのなんて嫌だろうけど、それだけの人生だったんだ。最後ぐらい我慢しろ、フィガロ」

 そう言ったファウストも、その言葉を受けたフィガロも、まだ何か言いたそうにして、何も言えずに口を閉じた。ふたりとも、今にも泣き出しそうな顔をしていた。レノックスが審判のようにそれを見守っていた。よく覚えている。

「あの子の時間を俺が奪ってもいいのかな」

 フィガロは言った。

「残り少ないわずかな時間を僕が独り占めしていいんだろうか」

 ファウストは言った。
 ふたりとも、お互いには告げずレノックスにだけ胸の内を告げてくる。ふたりの関係はとても難しくて、自分が少なからず橋渡しになれたら、と思い近くに住む許可を得た。
 彼らは結局真っ正面からぶつかれないままで、それでも自分たちの望むような終わりを迎えようとしている。
 共同生活は心配だったが、言葉を操れなくても通じ合えるふたりを見ていれば大丈夫なように見えた。
 釣りをして、菓子を焼いて、優しい光に照らされながら紅茶を飲んで。そうした穏やかな時間がずっと続けばいい。今日も明日も――



 ある日の晩、フィガロが床についたあと、ファウストはまだ起きていた。ひとりでダイニングのテーブルにつき、ボトルをあけてグラスに赤いワインを満たす。
 夕飯時にもフィガロと晩酌をしたが、飲み足りなかった。酸味の強い安酒だった。はずれを引いたなと喉に流しこみながら、今朝、自分宛に届いた手紙をようやく開けて読み進めていた。
 手紙はたびたびいろんなところから舞い込んできた。ほとんどが賢者の魔法使いたちからの便りだったが、たまに呪い屋の依頼も混ざっている。
 呪い屋家業を再開したとは誰にも言ってないはずなのに、知らず知らずのうちに頼まれごとが増えた。東の谷でひきこもって暮らしていたときと同じ事をするのは楽だった。
 自分にとっての当たり前や、ルーティンをこなすことで、心の均衡を保っている。
 考える隙が生じるとすぐに後ろ向きになるのが嫌だった。
 フィガロは自分と過ごす最後でよかったんだろうか。そう、幾度考えただろう。
 そのたびに、見捨てた相手にならどう思われてもいい、気兼ねなく過ごせるんだろう考え、落ち込む。
 本当は南の兄弟や双子やオズ、アーサーと過ごしたかったんじゃないんだろうか。
 誰も彼もがフィガロの愛情を注がれていたのに、ファウストはその愛から見放され、呪いを覚えた身でしかない。
 フィガロがどんな姿になろうとも、魔法が使えなくなったとしても、ファウストからすれば彼はいつまでも尊敬する偉大な師だ。気が緩めばまたすぐに「フィガロ様」と縋りたくなる。自分にはもうそんな資格はないのに。
 見放されて不義理な弟子だ。そんな自分に敬意を抱かれても迷惑だろう。だから再会したときと変わらぬ距離を保つ。

(あなたにふさわしくない僕になら、どんなみっともない姿でも見せてもいいんだろう?)

 これでいいんだと何度も思いながらも、胸が締め付けられるような苦しさが伴う。
 ふと、ファウストは顔をあげた。フィガロが呼んでいる気がして、立ち上がり、部屋の戸をそっとあける。寝顔を見たはずの彼はベッドの上に座っていた。フィガロはファウストの姿を見ると優しく笑ってそっと手招いた。
 この時が来たのだと思った。反射で、いやだ、と首を振りたくなった。この人を少しも不安にさせたくないのに、眉が下がり、口が歪みそうになる。鼻の奥がツンとして、胸からこみ上げるものを飲み下すのが精一杯だった。
 いやだ。どうして。
 どうしようも出来ないのに、困らせるようなことしか頭に浮かばなくて、ファウストはふらふらとフィガロの寝台へと歩みより、膝をついた。

――顔をよく見せて。

 そうフィガロが言った気がする。ここ数日、フィガロの考えていることがなんとなくわかるようになった。ずっとわからないと思っていた人のことがようやく少しだけわかって、自分の内側になじんできているような気がしたのに。掴みどころのない彼の心にあともう少しで寄り添うことが出来たかもしれないのに。
 顔をあげたファウストの頬をフィガロが両手でそっと包む。ほとんど体温が感じられなかった。それが本当にいやだった。
 そうして見つめあっているうちに、ぴしりと分厚い氷が割れるような音がした。ガシャンと重量のある物が落ちて、派手な音をたてて割れた。フィガロの魔道具が浮力を失い、乾いた床に叩きつけられた。



 レノックスは目を覚ました。
 慌てて外に出ると、あたりの精霊達がざわめいて、フィガロとファウストの小屋めがけて飛んでいき、上空でぐるぐると狂乱しているのを感じた。それらはすぐに静かになったが、レノックスの心臓は早鐘を打っていた。
 フィガロの終わりが来たのだろう。すぐに駆けつけようか迷い、やめて、翌日を待った。
 何か、必要とあらばファウストは自分を頼ってくれるだろうと思った。
 朝日がのぼり、昼になり、レノックスは昨日と同じ時間にふたりの家を尋ねた。

「フィガロが石になった」

 開口一番にファウストはそう言った。覚悟をしていたことだがその言葉は鉛のように腹の底に沈み込んだ。
 ファウストは、任務の報告のように、凜として、澄んだ声で、言葉尻を震わすことなくいつもと同じ調子でフィガロの終わりを告げた。
 こんな時ぐらい、泣き崩れて、悲しんで、そうしてくれたらレノックスも何かを言えただろうに。あまりにいつもと変わらない様子でいるから、自分だけ失意に沈むのもはばかられて「そうですか」といつもと変わらぬ音でこたえた。
 フィガロの部屋に通され、フィガロだったマナ石を見つめる。これまでで幾度となく見てきた魔力のこもった石だ。それらとなんら変わらぬ姿かたちをしている。
 石に不足があるのかレノックスには判別つかなかった。ファウストはこの一部を口にしたのだろうか、それとも全くの手つかずなのだろうか。

「レノ。南の国の様式に沿った弔いがしたい。教えてくれないか」
「わかりました」
「魔法舎のみんなにもすぐに伝えてくれ」
「はい。呼んできます」
「頼んだ」

 レノックスが小屋を出て少し歩を進めたところで、わっと場の精霊たちがわきたったのがわかった。
 取り乱して叫ぶことの出来ないファウストの激しく乱れた心によりそうように、精霊たちが騒ぎ立てる。花がちぎれてしまいそうなほどの強い風が吹いて、葉がぶわりと舞い上がる。
 掻き立てられ、レノックスは駆けだした。動いていなければ、みっともなく胸をかきむしり、泣き出して、吠えて、どうにかなってしまいそうだった。