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えなが
2023-02-17 13:04:02
7452文字
Public
フィガファウ
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いしを食む(フィガファウ)
一緒に生きていこうと言った時の話。
もし自分が石になったらフィガロに食べてもらえると信じていたファウスト。
漠然とした不安や焦燥にかられ、眠れぬ夜にそっと起き上がって、僕はベッドを抜け出した。蝋燭に火をともし、燭台を手に取って、廊下に続く扉を開く。
部屋の明かりが消えていたら引きかえそう。そう思いながらフィガロ様のもとへと向かう。
夜だというのに自分の足音すら聞こえない。
絨毯が音を吸うのもあったが、なにより外の風がうるさかった。
すべての命を容赦なく凍り付かせるような、北の国特有の無慈悲な強い風。吹きすさぶそれがあまりに激しくて、窓枠がガタガタ鳴っている。暗くて外は見えないが、きっと今夜も猛吹雪だろう。
外の様子とはうってかわって屋敷の中はフィガロ様の魔力に護られ、常に暖かい空気で満たされており、ぬくもりでいっぱいのベッドから抜け出すことも億劫にならないほどだった。
おやすみの挨拶をしてからそれなりの時間が経過していたが、僕の期待通り、彼はまだ眠っていないようだった。扉の下から暗い廊下に向かって細い光の線が伸びている。
戸をノックするとすぐに「どうぞ」と返ってきた。フィガロ様の部屋を開けるのはいつも緊張する。ためらいがちに手をかけ、ゆっくりと開いた。
部屋の主は机に向かって、何か書き物をしているようだった。
「フィガロ様。お忙しいなか、すみません」
「問題ないよ。どうかした?」
「その
……
眠れなくて」
「体をしっかり休めるのも修行のうちだよ」
「はい」
わずかながら咎める口調ではあったものの、フィガロ様の声色はずっと優しく、追い返されることはなかった。
時には命を奪われてしまいそうなほどの昼間の厳しい修行が嘘のようだ。僕はほっと胸を撫でおろす。
木製の椅子が宙に浮き、フィガロ様の隣へと落ち着く。ここにかけろということだろう。
僕が席に着くのとほぼ同時に、僕のためのカップとソーサーが目の前のテーブルに行儀よく着席した。湯気立つティーポッドから茶が注がれる。
いつもの苦いだけの茶とは違う、華やいだかおりのする紅茶だった。フィガロ様はさらにそこにブランデーを数滴たらして僕にカップを渡す。受け取って、一口つけて、ほっと息ついた。フィガロ様はペンを置いて、僕に向き合い、首をかしげた。僕の言葉を待っている。
何か話があるんだろう。
じっと見つめられ、その瞳を真っ直ぐ見返すことが出来ない僕は、挙動不審に視線を彷徨わせた。テーブルのうえで揺らめく蝋燭の火を見つめ、「あの」と口を開いた。
「フィガロ様は、人間になりたいと思ったことはありませんか」
僕の発言が予想外のものだったのか、フィガロ様は不思議そうな顔をして、あごを引いてゆっくりとまばたきをした。
「ないよ」
ためらいの一切ない回答だった。続けて彼はこうたずねる。「ファウストは人間になりたいの?」と。僕は一度カップをテーブルに戻し、俯いた。言葉を探すように、膝の上に置いた指で、自分の指をいじる。
「たまに、考えてしまいます。僕の村には自分以外の魔法使いはいませんでした。幸い、共にいてくれる友人のおかげで、迫害されたり疑われたり、見放されることはありませんでした。家族も同様に僕に優しく
……
。だけど、感覚的な部分で、ふと疎外感を味わう瞬間がどうしても存在する。簡素な約束を破って魔力を失い、人間と同じ時を重ねて生きていけたらと想像します」
「どうして? 魔法はとても便利なのに。それを失ってもいいと思えるほど、きみは孤独なのかい。自分ひとりで解決出来ないものは、魔力を手放したからといって手に入るとは限らないよ」
「そうです。ですが、このままだと、僕は置いていかれてしまう」
僕は震える声で、内にある不安をフィガロ様に吐露した。
魔法使いとして生きていく限り、どうしたって肉体の時が止まってしまう。今は同じように年を重ねる大事な人たちを、見送る運命にある。
自分がどれだけ長生きできるかはわからないが、不当に奪われぬ限り人間よりは長く生き続ける命であることは覆せない。
いつか、周りの人たちは死んでいく。故郷で帰りを待っている家族も、最愛の友人であるアレクも、老いていなくなってしまう。
長命が怖い。
いっそ魔力を失った方がいいとさえ思うこともある。
僕の胸の内を聞いて、そうだね、とフィガロ様は相づちを打ち、あごをさすった。
「俺が生まれたころは、魔法使いと人間は姿かたちが似ているだけの、明確に別の生き物だった。約束を破ったら魔力を失うという法則も、俺が生まれた随分あとに判明したことだ。魔法使いが人間になる、人間が魔法使いになる。そんなことを願ったり、かなえようとする者はない。魚になって悠々自適に水中で暮らしていきたいと、夢想することはあっても本気でかなえようとすることはない。別の生き物だからね。
さっきも言ったけど、俺は人間になりたいと思ったことはない。ただ、きみと同じように今の時代に生まれて、自分と同じように時を重ねる人間がそばにいたら、今のファウストみたいに思い悩んだかもね」
人間になりたいと思ったことなどないと言いながらも、僕へと寄り添ってくださる言葉に、少し安堵した。
この方は、自分と生まれも育ちも全く違う。魔力が強くて自分など到底足元にも及ばぬほどの魔法使い。厳しい北の国で千年以上も生き抜いている。
それほどの力があれば、人間を自分と近しいものとして認識したこともないのだろう。
この人のようになりたいと思う。些末な悩みがなくなるほど強い力を得れば、もっとアレクの負担を減らせただろうし、成し遂げたい革命もさして苦難のないものになったろう。そうしたら、僕の考えも違っていたのかも知れない。
「まあ、でも
……
惜しい人間がいなかったわけじゃないよ」
「フィガロ様にも、大事な人がいましたか」
「失って千年たっても顔を忘れられない人という存在はある。相手は違う生き物だと思っていても、同じ言葉を介し、感情を持っているから。魔法使いにとっては吹けば飛ぶような百年すら生きられないとわかっていても、愛着はどうしたって生まれる。自分の心のためにも、深入りしないほうがいいんだろうけど、そうはいかないのが世の常だ。滅びたり失うのは何も人間だけの話じゃない。滅びた場所、絶滅してしまった生き物
…
それらを俺はずっと見てきた」
「
…………
」
「死を考えたことがないと言ったら嘘になるな。数ある生殖の営みや繁殖に目を向けることもあれば、死の先に興味がわくことだってある。死にたくなることだってあるよ」
「フィガロ様のような偉大な方でも?」
「ああ。もちろん」
しん、と部屋の中に静寂が満ちた。壁に掛けられた時計が秒針を刻む音がする。
「置いて行かれるつらさ、寂しさは何事にも耐えがたいけど、解決する方法がないわけじゃないよ」
「なんですか」
膝の上に置いていた僕の手をそっとフィガロ様が取る。
「同じ時を生きる魔法使いの同士を作ることだ」
まっすぐ僕を見る、その瞳から僕は目が離せなかった。見とれていた。まるで時が止まったかのようだった。息をするのも忘れ、まばたきが出来ていたかもわからない。
「一緒に生きていこう、ファウスト。俺たちならそれができるよ」
早朝の湖のような、青白んだ前髪から覗く、灰の目の中心に置かれる小さな翠の粒が、まばたきと共にきらりとまたたいた。形のよい薄いくちびるが僕の望むような言葉をくれる。それはまるで神の導きのようだった。
「俺と何百年、何千年と生きていこう
……
。そして、魔力が尽きたなら、相手に石を食べてもらうんだ。どう?」
魔法使いの終わり。魔法使いの死。
人間とは違い、肉体は残らず土に還ることも出来ない。
そんな僕らが死してなおこの世に加わる方法がただ一つだけある。同じ魔法使いに自分の石を食べてもらうこと。相手の魔力の一部になること。そしてまた世界の循環の軌道に乗るのだ。
長命な魔法使いだからか、北の魔法使いだからか、価値のない石になるのだけはごめんだ、とかつて彼はそう言っていた。
すべてに求められたい。最後の最後に生きた証を遺したいのだろう。
「はい。フィガロ様の糧となれるのなら、喜んで」
「はは。俺はもう随分長く生きたから。俺が先に死ぬ可能性だってあるのに」
「あなたの石を食べて、僕は平然としていられるでしょうか?」
「どういうこと」
「だって、フィガロ様はこんなにも強くて、僕なんて足下に及ばない、あなたの強烈な魔力を取り込んで、自分を保っていられるのか自信がありません」
「俺の石だとお腹を壊すってこと?」
「ち、違います!」
「冗談だよ。
……
ねえファウスト、シュガーを作ってくれる?」
「
……
はい」
一瞬、理解が遅れたものの、僕は集中して手のひらに魔力を込めた。
フィガロ様に見とれて動揺して、うまくシュガーを作れるか不安だったが、ころんと生まれた小さなそれは、綺麗な形をしていた。
僕の作ったシュガーをフィガロ様がつまみ上げる。彼の口に収まるのをじっと見守った。
薄く開いたくちびるから、赤い舌がかすかに覗いている。閉じた口の中で、僕の作ったシュガーが彼の舌に転がされているのがわかる。
なぜか気分が微かに昂揚した。
時間をかけてねぶって溶けたシュガーをこくりと飲み込む。喉のでっぱりが大きく上下する。
「さあ、きみも」
フィガロ様の指先に魔力が集まり、シュガーが精製される。僕は咄嗟に手をさしのべたが、その手に乗せられることはなかった。
甘い欠片はくちびるに直接押し当てられ、僕はそれを受け入れた。
彼が僕のシュガーを丁寧に扱うように、僕も彼のシュガーを大事にしたいと思うのに、シュガーと共に人差し指と中指がもぐりこんできて、心が乱される。指の腹でゆっくりと、柔い舌の表面を撫でられた。
「
……
ぅ
…
」
魔力を帯びているのか、ただの気のせいか。シュガーそのものだけでなくフィガロ様の指もなんだか甘いような、痺れるような不思議な味がした。不味くはない、むしろ美味しかった。
じっと僕の所作を見つめてくる瞳が、何を物語っているのか上手く飲み下すことが出来ない。
このまま指を噛みちぎって食べてもいいと言われているようで、実際それをしてみたいと思っている恐れ多い自分がいた。
湧き出る欲望をしずめるために、指先を淡く食んで、吸い付く。フィガロ様の指が誘うように動いて、歯の裏から上あごにかけて軽く撫でる。行儀悪く、口の端から唾液がこぼれていく。首の後ろから背筋のあたりがぞくぞくとざわめいた。
この人のシュガーを食べたのはこれが初めてのことではない。
なのに、一緒に生きていこうと言われ、石になったらお互いを食べようと告げられ、そのうえで与えられるシュガーはなんだか一種の儀式に用いた供物のようで、舌に乗ったものの味すらよくわからなくなるほどだった。甘美にあてられ自然と気持ちが浮き足立つ。
僕は妄想する。
たとえ戦場で倒れてしまっても、あの筋張った手で僕も残骸に触れてくれるのなら。今、まさに自分の舌に触れる細い指が僕をつまみあげるのだ。
フィガロ様はかつて僕だったものを口に含み、僕を取り込んで、そしてひとつになる。彼の魔力の一部になる。
相手は自分の何倍もの年を重ねた北の魔法使い。魔力の差は歴然だった。今更この身を口にしたところで、なんの足しにもならないかもしれない。
だけど、僕は彼にとっての初めての弟子なのだという。たったそれだけの事実が、僕に自信を与えて奮い立たせる。きっと大事を成し遂げられる、勝利へと向かう心を与えてくださる。
僕の口から指を引き抜いたフィガロ様の手のひらが、僕の頬にそっと触れる。そのあたたかさに、僕はうっとりと目を閉じた。
「大丈夫だよ、ファウスト。きみは俺の一部になれるし、俺だってきみの一部になれる」
「本当に?」
「もちろんだよ。俺の石を食べられるね、ファウスト」
「はい」
彼からしたらまだ五十にも満たない、まだ魔法使いの人生の駆け出しともいえる若輩者の自分でも、この方の力になれるのなら、それはなんと素晴らしいことだろうと思った。
肉でも血でもない、彼の内側に作用する、不思議の力になって何千年と共に生きることが出来る。なりたい。
このがむしゃらな生の終着点にフィガロ様がいてほしいのだ。
先に死ぬのは僕の方だと信じて疑わなかった。そうあってほしいと他でもない僕自身が願っていたからだ。
◇◆◇
もし、漏れ出ていたとしたら最悪だ。
嫌な過去の夢を見て目が覚めたとき、僕は決まってそう思う。目の端に触れると乾いた涙のあとが出来ているのがわかった。
本当に嫌な過去の夢かといえば違うかもしれない。だが、今の自分からしてみれば、当時の希望に満ちた若者の陶酔の記憶は、酷く恥ずかしくてとても見られたものではなかった。
いつまでもいつまでも四百年前にとらわれ、よくも忘れられずにいるものだと自分で自分に感心する。くだらない感傷を捨てたくとも定期的に自分の心の傷を掻きむしられる。
起き上がって、両手で顔を覆う。何も考えたくなかった。喉の奥から小さな嘆きの声が漏れた。
そのまま自分の髪をくしゃりと掻き乱す。
フィガロを敬愛していた。その気持ちを否定はしない。
親しい人間がいつか自分を置いていってしまう恐怖はぬぐいされなかったが、彼に「一緒に生きていこう」と言われたことで救われたのも確かである。
四百年前、いつ死んでもおかしくない戦場においても、彼が自分の石を食べてくれるのなら恐くなかった。アレクやレノに叱られるほど無謀で無茶な計画も立てられたし、最後まで自分の足で立ち、懸命に敵と立ち向かうことができた。
フィガロと約束はしていない。してはいないが、僕の中で半ば約束のように心に残っている。
冷たい牢に投獄されたとき、いったいなぜこうなってしまったのかわからず、様々な後悔と絶望の感情の荒波のさなか、「いま死ねば、処刑されれば、フィガロ様に食べてもらえなくなる」と思ったのは確かである。
そして、その考えがさらに僕を曇らせた。
あのとき、抵抗し混乱に陥った魔法使いの多くが人間の手によって石にされた。
人間からすれば意味を持たないマナ石が踏み砕かれ、粉々にされ、擦り切れて、なんの価値もない路傍の石と変わらぬ扱いを受けるのを目にしたとき、僕は身が裂かれるような思いがした。
生きた証を踏みにじられ、生きた価値がないのだと突きつけられている気がしたからだ。
だけどもう、命からがら逃げ延びて、ひとりで長い間生きているうちに、自分の身の処遇についてはどうでもよくなってしまっていた。
もしかしたらフィガロが探しに来てくれるかもと淡い期待を抱いたこともあったが、結局彼は東でひきこもる僕の前に姿をあらわさなかった。それもあって、この四百年で色んなことを諦めてしまっていた。
じゃあ、フィガロの石はどうする?
今、まさにあいつの死期が迫っている。いつだって冗談ばかり言うくせに、一番冗談にしてほしい事はどうやら本物のようだ。それがわかってしまう自分が嫌だった。
フィガロの期待にこたえるように、当時は素直な返事をしたものの、果たして今の自分にあいつの石を食べる覚悟ができたのかと聞かれれば、わからない。彼の死期の話は日を追うごとに自分の中に重くのしかかり、いまだに消化ができてない。
僕は小さくため息をついて、ゆるゆると首を振る。
いや、一体僕はなんの心配をしているのだろう。フィガロと僕はもう何も関係がないはずだ。
あれからどれだけ時間が経ったと思っている。
フィガロは僕をとうに見限った。今は南の国の魔法使いで、僕に石を食べてほしいだなんて、僕の一部になりたいだなんて、もう思うはずはないだろう。
それはそれで侘しくて、寂しい。そう感じる自分の心にも嫌気がさす。ぶら下がった未練を引きずったまま、ベッドから降りて身支度を整えた。今日は寝坊だ。みなが朝食をとるピークは過ぎた時間だったが、まだ何かあるだろう。僕は食堂へと足を運んだ。
「お礼に俺のこと食べてもいいよ」
一人で食事をとる僕とは少し離れたテーブルから、そんなフィガロの声が耳に飛び込んできた。
賢者の料理を気に入ったのか、軽い調子の言葉を口にしている。魔法使いの石を食べられない者にあんな冗談を言って、いったい何が返ってくれば満足なのだろう。
案の定、どう反応していいか、賢者は苦笑を浮かべていた。
困っているなら助け舟を出してやろうと様子をうかがっていたが、話題はすぐにまったく別のものになったみたいだった。
僕は目の前の皿に視線を落とした。フォークで目玉焼きの黄身をつぶして、白身に絡めながらベーコンとともに口に運ぶ。
食べてもいい、か。相手が人間であれ魔法使いであれ、あいつは誰に対してもああいったことを言っているのかもしれない。
フィガロにとっては冗談にしてしまえるような薄っぺらいものなのだ。お互いに食べようなどと言ったこと、覚えているのは自分だけなのかもしれない。
フィガロの石を欲しがる魔法使いはたくさんいるだろう。
ミスラやオーエン、ブラッドリー。北の魔法使いたちはまず絶対に欲しがるだろう。
彼と親しい南の国の人たちも、オズも、双子も、アーサーも、きっと彼の石を弔いたがる。魔法舎の限られた関係でさえこれなのだ。彼の長い人生、様々な交わりの中で、彼を欲する者はどれだけいるのか想像もつかない。そう考えると、なんて競争率だろう。
果たして、僕の分まで遺してもらえるだろうか。
彼のすべてを自分のものに出来ればなんて贅沢は言わない。だけど、もしフィガロが石になったとき、僕がそばにいれたらいいのにと願ってしまう。
まだ彼のぬくもりが残る、さっきまで生きていたのだとわかる石を手のひらに乗せて、他の誰かに感づかれる前に口に押し込んで飲み込んで。喪失を感じるより早く、丁寧に愛するまもなくフィガロを体に取り込んで、僕の一部に、僕とひとつに出来たらいいのに。
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