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えなが
2022-10-26 08:56:17
3850文字
Public
レノフィ
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過呼吸になるレノックスの話(レノフィ)
ファウストを思い出して過呼吸になってしまうレノとそれを落ち着かせるフィガロの話
隣で寝ている相手を起こさないように、レノックスは寝床から抜け出した。そっと靴に足を差し入れる。
物音を立てずに山小屋の入り口までそろりそろりと忍び足で歩いて行き、かんぬきを外して扉を押す。
木枠が軋む音が最小になるようにゆっくり時間をかけて戸を開き、外へ出た。
朝がまだ遠い空には大きな月と、闇に溢れそうなほどの多量の星がちかちか瞬いて、遠くの山の稜線の影は見えなかった。
レノックスはそのまま扉のそばで立ち尽くし、冷たい空気を肺の奥まで吸い込んで、吐き出した。そうして深い呼吸を何度か繰り返す。
はやる心臓と額の汗がひくまで、腕を組み、晴れた暗い空を見上げてじっとしていた。自分の息と、鼓動と、風の音しか聞こえなかった。諦念したようにまぶたをぎゅうっと強く閉じて、また開く。
南の国での生活は、あてのない旅をしていたレノックスの心を落ち着かせるのにうってつけだった。
住み着くきっかけはフィガロの勧めであったが、この国の精霊の気質や自然の空気そのものが、驚くほど自分と相性がよかった。
その自覚は羊飼いの仕事を請け負った一年目から確かにあったが、当時のことはあまり覚えていない。探し物が見つからない旅にくたびれて憔悴している中、任された仕事を機械的にこなしていたからだろう。
数年続けていくにつれて、仕事の重要性や意味、財産を預かる責任の重大さを徐々に知ることになっていった。
この穏やかな暮らしをレノックス自身とても気に入っている。
それでも、ふと、過去の後悔や苦しみや悲しみ、魔法使いに怯え、凶行に走る人間の恐怖の瞳、怒号、炎
――
そういった、当時の「嫌」な記憶がたびたび脳の奥から呼び覚まされて、定期的に焦燥する。どれだけ後悔しても、ただただ苦しい。頭でわかっていても、締め付けられる胸の内はどうしたって制御できない。
そして、自分が味わう以上の痛みを今も主君が浴びているかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになり、それがまたレノックスを苦しませる。
明日も朝が早い。
思考にとりついて絡まった考えは簡単には振りほどけないが、体だけでも休ませたほうがいい。汗がひいて心音が落ち着いたころ、レノックスは小屋の中へ引き返した。
ベッドに近寄ると、フィガロが寝そべったまま頬杖をついていた。空いたスペースに潜り込むと、そっと腕に腕を絡められる。
「すみません。起こしてしまいましたか」
「構わないよ。どうしたの? トイレ?」
「頭を冷やしにいってました」
「ふうん。手が冷たいね」
「夜はやはり冷えます」
「いやな夢でも見た?」
「
…………
はい、ファウスト様の」
「はは。気持ちいいことして、俺と一緒に寝てたのに、ほかの男の夢をを見るんだ」
「
…………
」
茶化すようなフィガロの口ぶりにレノックスは無言のままだった。返答のかわりに、長い溜息をつく。
「怒らないの。いつもなら、あの方をそういう風に言うの、やめてくださいって言うくせに」
「怒ってほしそうなので、言いません」
「なにそれ」
露骨にフィガロを避けるように背を向けて横になったレノックスの広い背中に、構わずフィガロは耳をぴたりとあてた。
いつもより心臓の音がはやまっているように感じる。腰に腕をまわして体を密着させる。
レノックスはわずかに身じろいだ。先ほどは不機嫌そうだったが、フィガロに触れられることは拒絶しなかった。
ぴたりとくっついたままフィガロは息をつめた。レノックスの呼吸と心音に耳を澄ませる。
寝入るにつれて大人しくなっていくかと思った脈が、息が、フィガロの思惑とは逆に作用して、その違和感に顔をあげる。
「レノ
……
レノ
……
!」
みるみるうちにレノックスの呼吸が速度を増していく。
息苦しそうにぜえぜえと浅い呼吸を繰り返し胸を喘がせる。息を必要以上に吸い込んで、とうに肉体は事足りているのにさらに求めて吸い続け、余計に息苦しくなり、ひたすら酸素を得てしまう症状。
フィガロは慌てて体を起こし、苦しむレノックスを仰向けにすると、鼻を摘まんで、ためらいなく口を付け、自分の呼吸を彼の体に送り込む。
レノックスは顔を歪め、不可抗力で足をばたつかせた。フィガロの腕を強くつかみ引きはがそうとする。
平素ならレノックスの鍛えた腕の力にフィガロは魔法を使わずに勝てないだろうが、パニックを起こしているせいか、今は幾分弱かった。まだ対処出来る。それでも、フィガロの骨がみしりと軋む音を立てるほどには彼の力は強かった。
この馬鹿力、と呟きながらフィガロは口を離し、頬を叩いてさまよう視線を己に向けさせる。
「レノ、俺を見て、とにかく息を吐いて。吸うことは考えなくていい」
もう一度鼻を摘まんで口を合わせ、フィガロの呼吸を吸わせたあとに、長く時間をかけて肺の空気を押し出させるのを何度も何度も繰り返す。
一時間近くかけて、ようやくレノックスは落ち着いた。
最後の方は、処置のためというわけではなく、レノックスがフィガロのくちびるを求めてキスをしていた。ぬくもりを求めて抱きしめて、フィガロの口の中に舌を潜り込ませてぬめった舌を合わせて絡めた。介抱ではなく、純粋な触れあいと愛情を求めている彼の所作にフィガロはこたえ、望むままの口づけをかわす。
フィガロは腕や胸元を手のひらで何度もさすりながら、レノックスの好きなようにさせていた。
「
…………
すみません」
「別にいいよ」
「行かないでください」
「どこにも行かないよ」
ただ抱き合いながら、ぽつぽつと言葉を交わす。お互い、人肌が恋しくて、そばにいれば誰でもよかったのかもしれない。
だが、今のレノックスにはフィガロが必要で、フィガロにはレノックスのそばが心地よかった。そうでなければ、こんなにいつまでも離れがたいと思うはずがない。相手の体温が自分と馴染んで、まるで一つになったかのようだ。
「置いていかないで
…………
」
聞いたことがないようなレノックスの声と言葉があまりにか細くて、幼子のようで、弱々しくて、フィガロの胸もまた詰まってしまいそうだった。たまらず強く抱きしめて、手のひらで優しく体を撫でる。
人に何か、愛情や加護やそれに近しいものを望まれ、求められて、与えることにフィガロは慣れていた。
だからこそ、レノックスが心の底から望むものをわかっていたし、彼が真に望む人が自分でないというのも承知していた。
それでも、彼と触れあわずにはいられなかった。頭を撫で、背中を撫で、大丈夫だよと言わずにはいられなかった。気休めなどではなく本心で。約束は出来ないまでも。
「あの方がひどく傷つかれて、一人になりたくて俺から離れたのはわかります。だけど、それでも俺は置いていかれたくなかった」
「うん。あの子は悪い子だね」
「あの方をそんな風に言わないでください」
「お。いつもの調子が戻ってきたな」
レノックスは忍耐強い男で、辛くても、うれしくても、表情があまり変わらない。数百年も同じものを追い求め続ける胆力を持つ。そんな彼でも心が疲弊して摩耗するのだ。
人間だったら数十年で無理矢理終わっていたものが、なまじ魔法使いだったがために途方もない時間を捧げることも出来てしまう。
身も心もぼろぼろにして一人の人を求める激しさを、羨ましく感じながらフィガロはもう一度キスをした。体を重ねるときの情熱的なそれではなく、慈しむような軽いものだった。
「昨晩はすみませんでした、取り乱して」
「別に構わないよ。子供の癇癪みたいなものだし」
「そうですか」
「うん」
翌朝、起きてすぐフィガロは発つ予定だった。
小屋の前からそのまま飛び立つこともできたのに、二人は人差し指のさきっぽをひっかけて、しばらく高原を散歩した。
お互いの指はどちらも冷えていて、わずかな体温のぬくもりも、かすれて空気にまじって消えていく。
魔法を使って管理しているとはいえ、レノックスは羊たちの動向をうかがいながら、どこか気もそぞろだった。そんな羊飼いの真面目で精悍な横顔をちらりとフィガロは見上げる。
気持ちのいい風が吹いている。山あいから、どこまでも続いて行きそうな青い草を撫で、二人の間を吹き抜けた。
「じゃあ、この辺で」
フィガロは呼び出した箒に横座りになって、ふわりと軽く浮き上がった。
いつも見上げてるレノックスを、今は少し上空から見下ろす。
「麓にはいつ降りてくるの」
「そうですね。まだ準備していないのですが、来週中には」
「そう。ルチルもミチルも結構背がのびたよ」
「はは。楽しみです」
レノックスが名残惜しそうに手を伸ばすので、フィガロは彼の手を握り返しながらさらに近づいて、彼の頬に指の背で軽く触れた。軽い口づけをして離れる。
「この景色も今年は見納めかあ」
「また来年があります」
来年もまだこの国にいてくれるの? と口にしてしまいそうだった。
昨日の様子だと、またふらりとファウストを探しに長い長い旅に行ってしまいそうな危うさがあったというのに、どうやら杞憂だったらしい。
「来年も、俺と一緒に見てくれますよね、フィガロ様」
「うん、いいよ」
頬を愛おしそうに撫でながら、フィガロのくちびるは弧を描く。
夏の終わりのことだった。
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