えなが
2022-08-01 10:10:55
4932文字
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本当に、今日はどうかしている(フィガファウ)

ファウストの処刑時に、もしもフィガロが居合わせたとしたら…という話。
火傷描写あり。痛々しい描写が多いです。



 両の手首をまとめて縛った縄を乱暴にひかれ、よろめく。
 俯き、おぼつかない足取りで群衆の中を歩いた。僕のために用意された処刑台への道だ。
 もはや服ではなく、ぼろきれのような布をまとい、口には呪文を唱えられぬよう轡が噛まされている。
 人間を誑かした悪魔だと罵られ、いわれもない罪で投獄され、民衆からは石を投げられた。つけられた傷を癒やせば信頼はとりもどせないと思いながら、ありのままの傷ついた姿をさらした。誠意を見せればわかってもらえると信じていた。
 人間たちは、火で焼かなければ、灰にしなければ魔法使いを殺せないのだと思っていた。
 そんなことはないのに。魔法使いだって、取り囲まれて殴られ続けたら冷たい石になってしまう。血を流せば、傷つけば、病に倒れれば物言わぬ物となってしまう。
 中央の国で一番大きな広場にあつらえた木の台に僕はのぼり、そこにあつらえた棒に縛り付けられた。足元には僕がよく燃えるようにせっせと木の束が積まれていく。
 高い位置から僕は周囲を見渡した。想像以上の人たちが詰めかけていた。みな好機の目で、今、まさに、魔法使いが滅ぶ瞬間を目に焼き付けようとしている。僕が心から守りたいと願っていた民たちだった。
 アレクと話がしたいと牢獄からずっとうったえていたが、彼はついぞ僕の前に現れなかった。
 石になってしまうのなら、終わってしまうのなら、せめて何かの「意味」が欲しかった。
 アレクと共に生きてきて成し遂げようとした革命は一体なんだったのか。
 革命に身をやつし、戦いの中で命をささげて散るのも厭わなかった。でもこんな終わり方は望んじゃいなかった。
 僕と同じ志を抱いていたはずの、アレク・グランヴェルという英雄をそそのかした大罪人として僕はこの世からいなくなる。
 たいまつを持った男たちが近づいてくる。多くの油を含んだそれがごうごうと燃えさかっていた。
 ああ、これでもうおしまいなのだと。僕は諦念して目を閉じた。その時だった。

「ねえ」

 ふと、覚えのある声を耳にして、僕は顔をあげた。処刑台の上空に、いつのまにか、強い魔力を帯びた魔法使いがいた。
 箒にまたがった彼は淡い紫の光をまとい、多くの精霊達を従えて、中空で微笑む。その姿はさながら天の使いのように僕は感じた。

「ねえ、ファウスト」

 なぜか突然僕の前から姿を消した、僕の敬愛してやまない師匠が、またふいに僕の窮地に戻ってきたのだ。目を大きく見開いた。驚いて声も出ない。そも何かを言おうとしたところで、僕の口はふさがれているせいで何も言葉を発せなかった。

「かわいそうに。こんな姿になって」

 周りがどよめいた。北の魔法使いだ、フィガロだ、と誰かが叫ぶ。 

「この国に、もう未練はないよね?」

 フィガロ様の手には魔道具のオーブがたずさえてあった。もう片方の手であたりの空気を軽く掻き回すような動きを取る。彼が何をしようとしているのか僕にはすぐにわかった。
 だめ、と僕は言いたかった。今まさに僕は人間たちに殺されようとしているのに、それだけはやめてくれ、と心の中で懇願した。

「なくしてしまっても、いいよね?」

 北の大地を覆う分厚い曇天のように、濁った瞳を細めてフィガロ様は呪文を唱えた。
 ざわめき立っていた群衆や、僕とフィガロ様に剣や槍を向けていた兵士たちの目の色が明らかに変わり、一瞬、あたりは水を打ったかのように静まり返る。そしてその場に、甘ったるい不思議な匂いが立ち込めた。
 僕を除き、その匂いを肺に入れたものは全員、正気を失った。
 ある者は笑いながら、ある者は泣きながら、近くにいる者を殴り、引っ掻き、押し倒して、蹴りつける。敵も味方も関係なく、男も女も、大人も子供も、ただ、動くものを見つけたら攻撃をする道具になってしまったかのように、人々は狂乱した。
 あたりは混乱に陥った。叫び声とわめき声。人が人を押しのけ、人の波が人を殺す。フィガロ様は次々と呪文を唱え、そのたびに人の形をしたものがばたばた倒れてなくなっていく。
 フィガロ様!
 僕は心の中で叫んだ。
 やめて、やめてください。罪のない人を殺さないで。彼らは何も、わかっていないのです。自分たちのしていることを。わかっていないから、魔法使いが怖かっただけだから、だから、僕を石にしようとしたんです。どうか、やめてください。フィガロ様――
 彼のおかげか拘束が緩んだすきをついて、首を振るとあっさり轡は外れた。喉から声を引き絞りなんとか嘆願したが、彼は僕を一瞥して微笑むだけで、精神の攪乱と魔法での攻撃を止めなかった。
 僕を処刑しようとした人間たちを、そしてそれを好機の目で見ようとした民衆を、彼は許しはしなかった。


 すべての人が地に倒れた頃、恐ろしいほどの静けさに包まれた。虫の声も、鳥のさえずりも聞こえなかった。
 血なまぐさい、すえた匂いがたちこめる。
 風が砂埃を巻き上げたが、あたり一面横たわる数々の屍を覆うには到底足りないものだった。僕は拘束から解放されていたが、その場にへたりこむことしか出来なかった。

「ファウスト、顔をあげて」

 フィガロ様が屈んで、僕の両肩に手を置いた。
 僕は呆然としながら、彼の顔を恐ろしくて見ることすらできず、立ち上がる気力すらわかなかった。
 すべてが終わり、すべてがなくなってしまった。

「大丈夫だ、ファウスト。少し間違えちゃっただけだよ。人と魔法使い手を取り合う理想の国を俺たちで作ろう。きみが望まぬ国ならば、俺が何度でも壊してあげるから」

 どさ、と目の前に何かが投げ出される。僕はその銀の髪を見て絶叫した。僕の目の前に放られたのは、僕の幼馴染であり、僕の大事な――





「うあ、ぁっ、ああ……

 僕は目覚めて、夢と現実の判断がすぐにつかなかった。地面に両膝と両肘をつき、うう、と唸る。慟哭した、獣のような声が洞穴に響いた。
 火傷で傷ついた皮膚がまたひきつれて裂けた。それが尋常じゃないほどな苦痛をともなった。すぐに動き出すのが難しいほどの、全身を覆う痛みだった。それに耐えながら、僕は、あれが夢でよかったと思い、それを実感するのがつらくて苦しくて、顔を覆い、呻き声をあげながら涙を流した。

 恨みたくとも、憎みたくとも、中央の国の人たちを、愛している。

 人間たちが魔法使い狩りを始めたとき、軍にいた魔法使いたちは恐怖に陥り、逃げ出し、狂ってしまった。僕にはその何にもなれなかった。
 僕は小さく呪文を唱えた。手の中に精製されたいびつなシュガーを眺めてほっとする。
 まだ僕の心は折れてはいない。心が完全に破壊されたとしたら、魔力を失ってしまうはず。大丈夫だ、自分はまだ絶望しきっていない。
 自分のシュガーを口にして、また泣いた。甘すぎるよ、とフィガロ様にからかわれたのを思い出した。彼と北の国で修行をしていた時代に作ったものと、寸分たがわぬ味がした。
 夢の中の話だが、フィガロ様に中央の国をめちゃくちゃにされると感じたときに、この国を守らなければと思った。自分の甘さに辟易した。
 自分を殺そうとする人間ではなく、フィガロ様に初めて殺気を感じた。だからダメだったのか。いなくなってしまったのか。
 あの方の弟子として。僕は失格だったのか。ふさわしくなかったのか。見抜かれていたのか。
 一年の修行を終え、軍に再び合流したころ、彼は僕に提案した。
 自分ならすぐにこの戦争を終わらせられると。誰が勝者であるべきか、相手の軍勢を扇動することなど容易いと。
 しかし僕はそれを拒んだ。
 これは人と魔法使いが共に戦い勝ち取ることに意味があり、強力な魔法での蹂躙や殺戮が目的ではないと。そのためにあなたに師事したわけではない、と。
 想いを告げると、彼は僕の意思を尊重し、それ以上僕たちの戦争の方針に口だすことはなかった。
 時折助言を求めたときに、冗談で残忍な方法を提示することはあっても、他人の思想を魔法でコントロールしようとは決してしなかった。
 あの夢のように、あの方ほどの魔力があれば、民衆を操ることもできたのだろう。だが、現実のフィガロ様はそのようなことはなされない。
 あの夢は、フィガロ様を侮辱するも同然だった。自分で生み出した夢幻を僕は強く恨んだ。
 突然姿を消してしまった彼を、今でも敬愛し、尊敬し、慕っている。彼に認められたかった。
 彼の望むような弟子に、今でも間に合うというのなら、そうなりたくてたまらなかった。

 僕はゆっくり体を起こす。僕を捜索するレノックスの気配は完全に周囲から消えていた。彼には、このまま、僕を忘れて、僕を諦めて生きていてほしい。
 僕はまだ石にはなれない。ここで力尽きてしまえば、アレクに、人間たちに敗北したことになる。
 それは、魔法使いとして、自分を信じてついてきたものたちのためにも許せなかった。ゆえに、僕はただ生きた。

 東の国の谷に潜伏し、最初は気を張りながらただ生きた。
 住み着いてから数年は、少し期待していたのだと思う。
 いつかフィガロがこの場所を見つけ出してくれるかもしれないと。少しばかりの自分の魔力の香りを漂わせていた。彼が本気を出せばすぐ見つけられるほどの匂いだった。
 ただ、待てど暮らせど彼は現れなかった。数十年経ち、アレクの逝去の知らせを聞いて、僕はフィガロを待つのをやめた。
 自分の人生を曲げてしまったものを恨むことも愛することも出来ないまま、僕は庭の野菜を育て、猫と暮らし、ほんの些細なきっかけで呪い屋をはじめ、ただ「生きる」ことをし続けた。



   +++



 突然ガン、と音を立ててランプが机から落ちて割れた。フィガロの師である双子が作ってくれたステンドグラスが衝撃で砕け散った。
 気に入りの物だったのに。
 いや、気に入りのものだったのだろうか。フィガロはしゃがみ込んで、紫色の欠片を手に取り光に透かして心の中で自問自答する。
 部屋の内装に似合うから、単純に色がきれいだから、あの子の瞳に似ていたから。そんな理由で飾っていた気がしたが、整った形がなくなってしまった今、あったかもしれない執着も空気のように薄れていった。呪文を唱えて、割れた破片をすべて片づける。
 椅子に腰かけ、読書に戻った。外は吹雪で、強い風が窓をガタガタ鳴らしていた。
 壊れてしまったランプシェードは、フィガロに向けられた呪いを代わりに受けて壊れてしまったようにも見えたし、偶然、置き場が悪くて落下したような気もした。

…………

 予言とは違う、呪いでもない、何か嫌な予感がここ数日フィガロのまわりにずっとまとわりついていた。

(ホワイト様が死んだ時と同じ感じ……

 オズとの世界征服を楽しみ、世界の半分を手に入れたころ、フィガロの調子が突然悪くなった。それはオズも同様だった。
 二人の心がなぜか乱れ、魔法が本調子で扱えなくなった。そもそも莫大な魔力を抱く二人だったから、それでも征服に支障はなかった。お互いに「何か変だ。何故」と思いながら過ごしていた。そんなときにホワイトの訃報を耳にした。
 ホワイトが死んだと聞かされる前から「嫌な感じ」は常にあった。虫の知らせというやつだろうか。近々悪いニュースが飛び込んでくるかも知れない。

「嫌だなあ」

 協力していた中央の国の軍から戦線離脱して、中央の国がその後どうなったのかフィガロは知らない。
 ただ、先日奇妙な夢を見た。
 ファウストがなぜか忌み嫌われ、処刑されようとしていた。そんな彼を救いだし、またあらたに建国をしようと彼を奮い立たせるもの。
 夢は夢だ。どうしたって、自分は彼の大事な幼馴染の座にはつくことができない。彼と理想を追い求めるなんて、そんなこと出来るわけがない。長年の経験と勘がそう告げていた。

「痛っ」

 めくったページで指を切った。ぷく、と膨れあがった血をなめて、止血の魔法をすぐにかけた。