【天さつ】ありふれた日々

【アニメ学校の怪談】天の邪鬼×宮ノ下さつき
天さつへのお題:背中にかくした素直な声/(こうなるってこと、ずっと前から、)/かわいく言ってもダメ。
天の邪鬼×さつきちゃんはいいぞ。

 季節が一巡しても日々の当たり前は変わらないって勝手に信じていた、というより思い込みたかったのかもしれない。
 当たり前を形成していた色から抜け落ちてしまった色が新しい色になって戻った途端鮮やかさを増す。しかも、その新しく加わった色は我が物顔で勢力を増していき此方が戸惑う時間まで取り上げせせら笑ってくる。
 失ったと思っていたのが帰ってきた。当たり前に組み込まれていたピースが戻って来た、それだけなのにどうにもこうにも再び胸に収まったピースが以前と違い胸を忙しくさせ落ち着かない。



 目覚まし時計が声高らかに歌声を披露する直前慣れた手付きで待ったを掛けた。伸ばした手を一旦布団の中へ帰還させ、もぞもぞ体の向きを変え掛布をズラしつつ半身を起こした。
 カーテンの隙間から差し込む朝日の道が部屋奥まで伸び小鳥の囀りまで聞こえる実に平和な一日の始まり。二段ベッドの下からひょっこり顔を覗かせ敬一郎の様子を窺えば、まだまだ夢の中らしく穏やかな寝息をたて起きる気配がない。
 「さてと、起きますか」
 うっかり寝ている敬一郎を起こさないよう声量を抑えさつきはベッドから抜け出した。手早く身支度を済ませてくしゃくしゃなベッドの上を整えている足元に柔らかくて温かい感触がすり寄ってきた。
 「おはようカーヤ」
 「にゃあ」
 顔を綻ばせながら振り返りしゃがみ込むさつきに黒い尻尾の先が上機嫌に揺れ、待ちかねたと云わんばかりに黒猫が体全身を押し付け喉を鳴らす。艶めく触り心地の良い黒い毛を毛並みに添って撫でれば撫でるだけ水色と金色の目が細くなっていき最後は完全に黒と同化した。
 「にしても、あんたも早起きね。まだ寝てていいのに」
 「にゃむっ」
 ゴロゴロ鳴っている顎下を撫でているさつきの手に抗議の猫パンチが繰り出される。しかし、爪を立てていない緩い猫パンチは自ら撫でていた彼女の手を止めてしまったことに若干後悔しているようにも見えた。
 「うそうそ。いつも付き合ってくれてありがと」
 そんな黒猫の微笑ましさにくすっと笑みが零れ、早起きに付き合ってくれる優しい黒猫を抱きかかえ腰を上げた。小声で「連行じゃ~」と呟くさつきに抱えられた黒猫はこれ幸いに彼女の顔に額を押し付け続けた。

 一階に下りたその足でまずは母親に朝のご挨拶。薫る線香の尾を追いりんの音を響かせ静かに手を合わせ俯き目を閉じた。さつきの隣に行儀よく座る黒猫もまた彼女に倣い目を閉じ腰を上げる気配に合わせ軽快な足取りで台所へ向かう。
 そのあと一足先に朝ご飯を美味しそうに食べる愛猫を満足げに眺めたあと朝食の準備に取り掛かる寸前決まってさつきの上に影が下りてくる。

 「おい」

 出し抜けに掛けられた低く驚かせる気満々の声でその場で数センチ浮いていた頃が懐かしい。
 やや呆れ気味にさつきが声のする方へ視線を投げた先、厭らしく光る夕暮れ色の瞳が「もう蛙みたいに跳ねないのか」と小馬鹿にしてくるのにもいい加減慣れた。
 首を痛めるほど見上げなければならない巨躯。燃え盛る紅く長い髪。深い森を彷彿させる肌と鋭く尖った爪。蓄えられた髭は髪と同じ紅に彩られ、耳まで裂けている口には鋭い牙が生え揃っている。大凡人間には到底見えない風貌は、見る者全て恐怖で震え上がらせること間違いなしだが如何せんさつきは怯えも隠れもしない。
 寧ろ自分に向かって伸びてくる大きさが違い過ぎる手をお玉で叩き落とすくらい全く恐怖心を抱いていない。それは臆せずに腕を組み相手を──、天の邪鬼を睨み上げるほどである。
 「おお、痛い痛い。折れちまったなこりゃ」
 「嘘吐けっ」
 わざとらしくお玉で叩かれた手を擦る天の邪鬼にさつきが突っ込む光景は最早日常茶飯事化しており、家族の誰よりも早く朝食を食べ終えたカーヤは口の周りをひと舐めし終えるなり台所を後にした。
 ナニは犬も食べないし猫も食べないのだ。
 一匹が早々に立ち去ったのを天の邪鬼だけは横目で見遣りすぐさま視線を「如何に朝の時間は貴重なのか」高説を垂れている少女に戻した。右手に持ったお玉を上下に振い逆の手を腰に当て説教モードになっているさつきの視界に入るよう鼻先ぎりぎりまで人差し指の長い爪を掠めさせ。
 「時間はいいのか?」
 「じか、……ああっ!!」
 あっちむいてホイよろしく壁掛け時計を指差す。怪訝な顔で時計を見たさつきが長針の刻む音を聞き間髪置かずに声を上げた。大慌てで文句を言いながら朝食を作り始める小さな背中の滑稽なこと。三つ編みの尻尾がテキパキ動くのに合わせ揺れるのを一歩下がった場所から天の邪鬼は眺めた。
 生憎元の姿が立派過ぎるため窮屈極まりないが目を瞑ろう。程なくして漂う小さい体に押し込められていた時に嗅いだ美味そうな匂い。
 「(……よもや鬱陶しい制約が多い生身の肉体を猜むとはな今更か……)」
 本来の感覚を取り戻すまでのもどかしさに天の邪鬼は夕暮れ色の瞳を眇める。
 大妖怪天の邪鬼様がいる同じ空間で警戒心の”け”の字を抱かないで朝食を作り続けているさつきを握り潰すなぞ造作もない。片手で事足りてしまう脆弱な背中に天の邪鬼の手が伸びる。
 奇しくも初めて出会った無力な子供だと侮り追い詰め勝利を確信した時のよう。
 そして、あの時と同じくさつきに触れる直前、天の邪鬼の手が徐に止まった。
 「ほら、味見するんでしょ」
 手際よく作った卵焼きの端を菜箸で掴み落ちぬよう逆の手を添えさつきが振り返り差し出した。焦げ目のない綺麗な卵焼きは均等に人数分切られ皿の上に置かれ、その端数分味見をするには丁度いい部分をさつきは当たり前に天の邪鬼に向かって差し出した。
 恐怖を忘れた無垢な瞳を嘲笑わずに大きさの違う顔を寄せ卵焼きの端を頬張った。到底腹を膨らますには足らな過ぎる味をじっくり味わう。変わらない味、さつきの作る卵焼きの味。食べれば食べるほど物足りなくなる、味。
 「そっちも寄越せ」
 「ダメ」
 「・・・さ、」
 「その手には乗らない」
 「チッ」
 先日まんまと天の邪鬼の褒め殺し包囲網に掛かり父親のおかずの量が減ってしまい、それを不自然に誤魔化す羽目になった二の轍を踏むわけにはいかない。豪快な舌打ちをする小憎らしい面貌に肩でため息を吐き、さつきは卵焼きの反対側の端っこを菜箸で掴んだ。
 落とさぬよう手皿を添えて青紫色の舌を覗かせる口に運び、不承不承咀嚼する天の邪鬼にくすりと笑い──。
 「しょうがない。今日の夕ご飯はあんたの好きなの作ってあげる」
 自分の体を包むように添えられている強靭な掌に背中を預け寄り掛かる。視界端で見えていた天の邪鬼の手はいつだって途中で空に漂い、素知らぬふりをしてさつきの体を緩く閉じ込めた。それに何の意図があるのかさつきは分からなかった。だが、この手は酷いことをしない全幅の信頼と共にさつきもまた何食わぬ顔で寄り掛かった。背中から感じる巨大な力に安心している事実に耳が微かに熱を帯びる。
 「(変なの)」
 鋭い爪で顔を傷付けぬよう注意を払いさつきの提案を疑いおかわりを催促する天の邪鬼の指をそっと押し退けた。
 「約束は守れよ」
 釘を刺してくる大妖怪様に生返事を返したさつきが朝食の仕上げに取り掛かる。湯気が立ち昇る御妙付け、炊き立ての白米、バランスを考えたおかずは、ちょっと時間が危なかったので少々手を抜かせてもらい体に染みこんだ動きでテーブルに並べていく。一通り朝食を揃えたさつきがやり切った顔で頷き、まだ起きて来ない二人を起こしに行く矢先、天の邪鬼に首根っこを掴まれ呻き声を上げた。
 「また忘れやがって」
 「だからってこの持ち方はないんじゃない!?」
 気分は宛らおいたした猫の如く。フローリングから数センチ浮いていた足がフローリングとの再会を果たすのも束の間、さつきの何処か不安げで幼い眼差しが天の邪鬼を仰ぎ見る。
 「それやらなきゃ、ダメ?」
 「………
 「はぁ。はいはい、分かりましたよ」
 天の邪鬼の無言の圧に折れたさつきが結っていた三つ編みを上げ天の邪鬼に見えるようにうなじを晒す。
 素直に従う少女に大妖怪は喉奥で嗤いたい衝動を飲み込み、自身の頭から真紅に燃える髪を一本引き抜いた。赤い糸の両端を掴み眼前でピンと張らせ舌先を這わせ、端から端まで舐め終わった糸を静かに待っているさつきの首に絞めない程度に何重にも巻き付け結んだ。
 息苦しさを感じないものの締め付けられている違和感に慣れる日は来るだろうか、なんて「お前はお前自身の体質の危うさを自覚しろ。オバケを引き寄せ付ける自覚をもっと持て」と所謂オバケ除けを直々に天の邪鬼から施される度に大きく溜息を吐いてしまう。以前敬一郎にはしていないのかと問いかけたこともあったが、案の定というべきか気だるげな二つ返事が返ってきた。
 しかし、さつきはこのオバケ除けをしてもらう回数が増えるにつれ名状し難い感情が湧き上がる。それが一体何なのか毎度朝のドタバタで忘れ、ふと思い返す時はいつだって湯船に浸かっている時だった。恐らく今日もそうなるのだろう、と独り言ちるさつきの背中を見送る天の邪鬼は彼女に聞こえない声量で囁いた。

 「敬一郎にもしてるさ。たださつき、お前とは違う真っ当なヤツだ」

 つり上がる口端を隠すため覆った掌は隠す役目を放棄して鋭利な牙を覗かせてはクツクツと喉奥で嗤う。
 疑うのを知らない純真無垢少女。その愚かしさとそんな少女に執着、依存している己自身を天の邪鬼は緩やかに姿を消しつつ笑い続けたのだった。