窓から差し込む朝日が素朴な礼拝堂を照らしている。日差しは温かく、これから私が歩いていく未来を照らしてくれているようだ。
礼拝堂の祭壇で女神像がうっすらと微笑んでいる。
私は目を閉じ、像に向かって手を合わせた。女神様に祈りを捧げている時、いつでも心は静謐としている。けれど、今は違った。誇らしさと決意、そして喜びが心の中に溢れてならない。
今日、私はリンクさんと結婚式を挙げる。
女神様、物心がついた幼い頃から私は誠心誠意女神様にお仕えしてきたつもりです。けれど今日から、私はただ一人の女性に愛を捧げて生きることになります。女神様のためだけに、心の底から祈りを捧げることももう無くなるでしょう。その無礼を、どうかお許しください。そしてどうか、私たちのことをお見守りください。
目を開き、私は女神像を見上げた。女神像は変わらず、柔らかな笑みを浮かべるばかり。私は女神像に背を向けた。そして歩き出す。自分の幸せを掴むため。ドアノブに手をかけた時、空気が震えるのを感じた。
『おめでとう、アルバート』
私は振り向いて女神像を見る。女神様の声が聞こえたような気がした。その声が無性に懐かしく思えて、気がついたら涙が零れていた。
女神様が祝福を与えてくださったことが嬉しすぎただけなのだと、自分に言い聞かせる。懐かしいも何も無い。私は女神様にお会いしたことなど無いのだから。
✽✽
「
……綺麗じゃん」
壁に背中を預けた年子の弟は、言葉に反して険しい顔をしている。理由は何となくわかるけど、ここは素直に受け取っておこう。
「そう? ありがとルベル」
「あのおっさんには見てほしくないくらいな」
「まだそんなこと言って
……。もう手遅れなんだからね」
「わぁってるよ」
きっと弟は、この先もずっと義兄にこんな態度なのだろう。けれど私は知っている。本気で腹を立てているなら、『こんな態度』では済まないことを。なんだかんだで、この子はあの人のことを認めている。この子はプライドが高いから、それを表に出さないだけ。
ふと、扉の向こうから戸を叩く音がする。私が「はい」と答えると、介添人の方が入ってきた。
「新郎の入場が完了しました。準備はよろしいでしょうか?」
その言葉に胸が高鳴る。扉の向こうは祭壇。たった数メートル先に、あの人が待っているのだ。緊張を隠そうとして、思わず口角が上がる。
「はい。お願いします」
再び扉が閉じたので、私は笑いながら弟に向かって右腕を差し出した。弟はブスッとした顔をしながらも腕を組む。こんなに近い距離で隣り合うなんて久々だし、もしかすると人生で最後かもしれない。
扉が開いた。女神様を象徴する聖なる白い絨毯が祭壇まで真っ直ぐ続いている。絨毯を挟むように左右に並んだ参列者の数は決して多くはない。それを共に望んだ人の背中が見える。今から私は、彼の元へ歩いていくのだ。
参列者たちの視線が私と弟に注がれる。厳かなパイプオルガンの音が流れる中、私は履き慣れないヒールで一歩踏み出した。次第に和やかな拍手がオルガンの音色に重なる。少しずつ、けれど確実に彼との距離が近づいていった。まるで、出会ってからの日々を追体験するように。
危ないところを助けられた初対面。
多くの教えを与えられ、短所と向き合い、長所を伸ばすことができた。
今まで抱いたことのない想いが胸に芽生え、それが彼へのものだと気づいた私はそれを彼に告げた。
断られた日は、一晩泣いたほど悲しかった。気の迷いとまで言われて、悔しさすらあった。
諦めきれず、再度想いを告げた。やはり断られて悲しかったけれど、その真意に彼の誠実さを強く感じた。
今後の展望を応援され、それに応えることが私の恩返しだと思うようになった。
そして彼の言う通り、この感情は一時の気の迷いだと思い込んだ。
けれど機会に恵まれ、私は彼と再会した。一個人としての彼に触れたことで、私の中で想いは膨らむばかり。幸いにも周囲の理解が深く、同僚は応援してくれたし弟も文句を言いながら許容してくれている。
絨毯の終わりに辿り着くとルベルは腕を離し、左側の最前列へ歩いていった。私と肩を並べているのは、彼ひとり。私はこれから、この人と共に歩んでいくのだ。
オルガンの音が止まり、新しい曲が流れ始めた。それを伴奏として、背後から参列者たちの歌う女神ハイリアへの讃美歌が聴こえてくる。祭壇の奥にある女神様の像が、それに応えて微笑んでいるように見えた。
私は少しばかり頭を動かし、ヴェール越しに彼の方を見る。真面目な彼のことだから、真っ直ぐに前を向いているものだと思って。
だから驚いた。灰色の瞳が燃えるように、私のこと見つめていることに。頬が熱くなる。過去を思い返して落ち着きかけていた心臓が苦しい。讃美歌がずっと遠くで鳴っているような気がしてきた。
歌声が止み、講壇を挟んで向こう側にいる神父様が聖典を開く。祈りの言葉をいただく時にまで見つめ合うわけにはいかない。私が前を向くと、彼もそうした。
「
……『女神が申するに【此処は、いつ如何なる時もあなたを受け入れる場である。いつでも帰ってきなさい。私は、あなたを待っています】とのことである』」
結婚すれば、私の居場所は彼で彼の居場所は私。この言葉には、そんな意味があるのだろう。そう在らねばならない。生涯そう在りたいと、願うならば。
「新郎アルバート」
「はい」
今日初めて聞いた彼の声は、平衡さを保とうとしながらもどこか上ずっていた。彼と過ごす時間が増えてからは、彼が緊張しがちな人だと知った。もし私にとって彼が『教官』のままだったら、そんなことを知らずにいたかもしれない。
「汝は汝と同じ女神の子である新婦を愛し、母なる女神ハイリアの御下、支え合い愛し合うことを違いますか?」
「誓います」
抑揚のない、どこまでも真っ直ぐな声が誠実な彼らしい。彼の生真面目さを私は尊敬しているし、真摯故にこちらを笑わせようとしてくれるところが好き。
神父様の視線がこちらに向けられる。私が誓う番だ。声がひっくり返らないよう、私は手に力を込めた。
「新婦リンク」
「はい」
「汝は汝と同じ女神の子である新郎を愛し、母なる女神ハイリアの御下、支え合い愛し合うことを違いますか?」
「誓います」
「では、指輪の交換を」
神父様の言葉を合図に、彼と向かい合う。近衛の正装をした彼を見るのは初めてだ。紺地に金糸で縁取りされた特別な装束が、彼を人ならざる存在のようだと思わせてくる。まるで女神様に選ばれた、遠い遠い昔の勇者様みたい。女神様が彼を私の元へ遣わしてくれたのだと言われたら、あっさり信じてしまいそう。
私は左手、右手の順番でグローブを外し、介添人に預けた。神父様が持つリングピローには、黄金色の指輪が慎ましい顔をして私達を待っている。
彼が指輪を受け取ったのを見て、私は手を差し出した。もう片方の手が私の手のひらを優しく包んで支え、薬指にするりとはまる。シンプルで、宝石のない金の指輪。だからこそ、私達の繋がりを象徴する。
私も指輪を受け取り、私より大きくて皮の厚い彼の手を取った。今更緊張してきたのか、手が震えている。落としたらどうしよう。そう思うと固まったまま動けない。
「
……どうぞ」
私以外に聞こえないほど小さく、彼が囁いた。
「私を、貴女だけのアルバートにしてください」
声だけなのに、優しく抱きしめられたような気がした。肩から力が抜けて、震えも止まる。私は彼の薬指にそっと指輪を通し、根本に収まったのを見て安堵した。
「女神ハイリアの御加護の下、新たな夫婦が誕生した。皆様、どうか盛大な拍手を」
二人して振り向き、参列者の方を見る。満面の笑顔を浮かべている友人たち。相変わらずムスッとしている弟。驚くほど背筋を伸ばして拍手をしてくれている数人は彼の同僚。少しテンポの遅い拍手をしているのは裏路地にある音楽店の店主さん。小さい頃お世話になったパン屋のご夫婦もいる。
「それでは新郎新婦が退場されます。引き続き拍手でお送りください」
彼が私の腕を引き寄せるように組み、そっと微笑みかけてくれた。私も笑い返して、一緒に最初の一歩を踏み出す。お互い、参列者に手を振って白い絨毯の上を歩いた。
なんだか、夢を見ているみたい。このまま空の彼方まで飛んでいけそうなほど、心も体も軽々としている。
✽✽
挙式が一通り済み、今は教会の外でパーティーの真っ最中。私は出席してくれた同僚やリンクさんのご友人に挨拶と感謝をして回り、ようやく一息つけたところだ。空は高く青く、程よく真っ白な雲が散りばめられている。晴れてくれて本当によかった。女神様も私達の婚儀を祝福してくださっているのだろう。
リンクさんは今『お色直し』に行っており、ここにはいない。彼女は『きっと気に入ってくださると思います』と言っていた。どんなドレスを着てくるのかと気になりすぎて、何度も何度も彼女が通った扉に目を向けてしまう。五秒に一回は見ている気がする。
「なぁにソワソワしてんだよ、おっさん」
「ぁ
……、ルベル君
……」
弟君はやはり疑うような目で私を見てくる。挙式の主役である花嫁の、その肉親とは思えない不機嫌な顔だ。
「そんなに姉貴にムラついてんのか?」
「はッ
……!?」
私は数回咳払いをする。図星かと意地悪にニヤつく弟君を軽く睨み、息を整えてため息をひとつ吐いてから言い返した。
「何故神聖な場所で、不埒なことを考えねばならぬのですか
……」
「ふぅん、違うんだ」
「お色直しが楽しみなだけですよ」
「
……あっそ」
期待外れと言うように、弟君は露骨に無関心な態度となった。
「
……改めて、ありがとうございます」
「ぁ? 何が?」
「結婚の許可を、くださったこと
……」
私が礼を言うと、げんなりした顔をされ、その上で視線を逸らされた。
「なんでおっさんの照れ顔なんか見なきゃならねぇんだよ」
「そ、そう言われましても
……」
「皆さん、お待たせ致しました!」
私が五秒に一度見ていた扉から、リンクさんの介添人が出てきた。いよいよかと思い、私の視線はそちらへ釘付けになる。
「お色直しをした新婦様のご登場です!」
一斉に拍手が巻き起こる。介添人に手を引かれ、扉から出てきたのは
……黄から橙のグラデーションが目を引く、まるで秋の花のようなドレスを着たリンクさんだった。裾は濃い橙色で、上に向かうにつれて黄色へと変わっていく。到達点は柔らかな日差しに照らされた色素の薄いリンクさんの金髪だった。ドレスが花なのではない。彼女自身が、一輪の、しかも大輪の花。
私の好む色が、彼女にここまで似合うとは。
「ぁ
……」
棒立ちすることしかできない私の元へリンクさんが優雅に歩いてくる。声帯が震えない。声が出ない。
あまりの美しさに包まれて、身動きひとつできなかった。
「
……アルバート様?」
「姉ちゃん、コイツ、目ェ開いて気絶してるんじゃねぇの?」
「
……似合ってなかったかな
……」
しゅん、とリンクさんが視線を落とす。私は石化を自力で解くが如く、喉に力を込めて叫んだ。
「ッ、いいえ!!!!」
「うわっ、何だよいきなり。大声出すなよおっさん」
「申し訳ありませんリンクさん!」
私は掻っ攫うようにリンクさんの手を握った。リンクさんはまつげを震わせて、その奥からチラリと薄氷色の瞳が覗く。
「その
……あまりの美しさに
……何も言えず
……。
……とても、御綺麗です」
「本当ですか?」
「心の底から、そう思います」
頬を緩ませ笑いかければ、リンクさんはこちらを見上げて微笑んでくれた。よく見てみれば、瞼に引かれた色も、唇を彩る色も、うっすらではあるが華やかな黄や橙。肌に馴染んで、リンクさんの印象を更に明るくしている。
口付けたら、柑橘の味がするのだろうか。
「リンクさん」
「はい」
「
……ちょっと此方へ」
私はリンクさんの腕を引き、ヒューヒューとした冷やかしやきゃーきゃーという黄色い声を背にしてこの場から立ち去る。パーティーをしている教会の前庭から、静かな裏庭へ。木の枝葉は刈り込まれ、萎れている花は無い。手入れがよく行き届いている。芝生で覆われているためにドレスの裾が汚れることはない。ここに仕えている修道士や修道女は、庭師になっても食べていけるだろう。
「すみません、突然連れ出して」
「いいえ。私も、アルバート様と二人きりになりたかったのです」
式の最中は大人びて見えたリンクさんが無邪気に笑う。この顔は私にだけ向けてほしい。他の人に知られたくない。弟君にですら、見せたくないと思ってしまった。
私はリンクさんの頬を撫でる。リンクさんは目を閉じ、仔猫のように頬ずりをしてきた。可愛くて可愛くて、独り占めできる喜びが沸々としてくる。
「その
……君に口付けをしたくて、ですね」
親指の腹で、そっと唇をなぞる。リンクさんの頬がほんのり赤くなり、体温がグッと上がるのを感じた。
「けれど、あんなに多くの方の前では躊躇われましたから
……此処で、と。よろしいでしょうか?」
頬から耳先まで真っ赤になったリンクさんが愛しい。耳の裏をくすぐると、肩がぴくりと上がる。
「
……はい、もちろん」
その返事に応えるべく、もう片手でリンクさんの腰を抱く。リンクさんの手のひらが私の胸元に置かれた。そして頬を撫でていた手をスルリと顎まで降ろし、指先で軽く上に傾ける。涙の膜が張った瞳は陽射しを浴びて煌めいていた。それが瞼で隠れたのを見て、私は顔を近づける。
「
……綺麗ですよ」
誓おう。今この場では女神様ではなく、自分自身と、彼女に。
私はこの子を愛し、この子の人生を頂くことへの贖いをし続ける。
いつまでも、いつまでも。
「アルバート様、その
……」
「私のことは、どうかアルとお呼びください。私たちは、もう夫婦なのですから」
「じゃあ
……アル
……?」
「はい」
「
……もう少しだけ、二人でいてもいいですか?」
甘えてくるリンクさんが可愛らしくて、思わずもう一度抱きしめる。
「えぇ。暫く二人で此処にいましょう」
『いつまでも幸せに暮らしました』
現実は物語ではないから、そんなわけにはいかない。
だから、今この瞬間を永遠に慈しむ。
私の今際に、この子が「幸せでした」と思ってくれるように。
終わり
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.