【カブミス】秘密の恋

学パロ。カブルーが高校を卒業してミスルンのペントハウスで初めてキスをする話。
1/12インテの無料配布折本でした。手に取ってくださった方ありがとうございました!

 俺は秘密の恋をしている。もうずっと前から、誰かに知られたら困るような恋を。でも、俺はひどく満足していた。あの人に初めて会った時から予感があって、この恋が俺の全部を満たすような予感があって、だから今はとてつもなく幸せだった。たとえこれが公にならなくたって構わないと思えるくらいには。それに、ちょっとばかしスリリングでもあった。俺が知るあの人の顔は、この世で俺しか見たことがない。そして俺は、それでいいと思っている。あの人の泣き顔や、笑顔は、俺が見るだけでいいと思っている。そんな幼い独占欲を、俺は抱いている。あの人と出会った時からずっと、あまり褒められたことのない、初めての恋を抱いている。

 ミスルンさんと初めて出会ったのは、いつもより早めに乗った通学電車の中でだった。その時俺は高校三年生で、部活を引退して受験勉強に専念していたのだが、後輩に頼まれて監督をすることになっていた。回りのみんなは共通テストに向けてぴりぴりしていたが、幸いにも俺の志望校は模試ではA判定だったので、正直余裕ぶっていた。そんなふうに学校に向かっていた時、俺の隣の向かいに上等なスーツに身をまとった、小柄で、痩せた、灰色がかった銀色の髪の男が座った。電車の中に人は俺たち以外にいなかったから、手持ち無沙汰だった俺は彼の容姿をじろじろと観察した。普段はそんなことは(失礼だから)しないのだが、何故か目がそらせなかった。いつも乗らない時間帯の、いつも見かけない男。そのきれいな顔は、正直好みだった。でも、だから見つめていたわけじゃない。その時その男は――後にミスルンと名を知るその男は、突然頭から倒れたのだ。俺は驚き、うろたえた。でも、社内には俺たち二人しかいない。だから、俺は駆け寄って、彼の意識があるか確認した。幸運にも彼は(頭は打っていたが)言葉を喋れて、俺はほっとした。
 その時、咄嗟にどんな言葉をかけたのかはあんまり覚えていない。思ったよりずっと軽かった、骨の浮いた身体は俺の手のひらに馴染んで、ちょっとびっくりしてしまったのだ。まるで以前にも、彼を抱きとめたことがあるような気すらした。
 そんな感動に俺が呆けていると、彼は脇に抱えたビジネスバッグから薬を取り出し、それを口に放り込んだ。そして実は最近病気休暇から復帰して、職場に向かう最中なのだと言った。だから時たまこういう事が起こるのだと、お前には迷惑をかけたなと、もう大丈夫だと。でも、俺は心配だった。また彼が倒れたらどうしようと思った。何の病気から復帰したのかは知らないが、見ず知らずの人にそんなことは聞けないが、このまま一人で電車から降りさせてはいけないと思った。そして俺は、いつもなら踏み込まない他人の人生に足を踏み入れた。職場まで送って行きます、俺はまだ時間があるのでって、そんなふうなことを言った。拒否されるかと思ったけれど、何となくこの人は俺を拒まない気もしていた。だって出会いは昔義母であるミルシリルが好む少女漫画に出てきそうなものだったから。同じ電車に居合わせて、運命的に人生が重なる瞬間。それを俺は経験して、だから俺は勇気を出して、ようやく起き上がった彼を見下ろしながらまた、職場まで送って行きます、と言った。するとその男は名を名乗って、俺に笑いかけた。それはぎこちない笑みだったが、唇の端を緩めて目を細めただけの表情に乏しい笑みだったが、俺はそれに心臓を貫かれてしまった。多分、あの時に俺は真実恋に落ちたのだと思う。本能的に、この笑顔は俺にしか向けられないと思った。どうしてそんなことを思ったのかは知らないが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
「俺はカブルーです。あなたは?」
「ミスルンだ。ケレンシル家のミスルン」
 ミスルン、いい名前だなって俺は思った。とっても透き通っていて、美しい名前だなって俺は思った。でも、この後、俺はちょっと驚くことになる。というのもミスルンさんは俺がいつも降りる駅で降り(運命な気がした)、同じ方向に向かい(やっぱり運命だと思った)、そしてどういうわけか、俺が通う学校の向かい側にある、カナリア女学院に入っていこうとしたのだ(これにはちょっと驚いたがとてつもない運命だと思った)。
「ここまででいい。無事たどり着けた。礼をしたいから連絡先を教えてくれ」
「あぁ、えぇと……
 ミスルンさんは、この学校に勤めているのだろうか? そう思ったけれど、尋ねようとしたけれど、俺たちは、どうも清楚な制服を着た女子生徒たちの中で浮いていた。いろんな瞳が俺たちをじろじろと見て、俺はちょっと消え入りたくなった。女の子に慣れていないわけじゃないけれど、人並みに付き合ってはいたけれど、女子校の前で会話をするのはちょっと勇気がいった。というのも、ミスルンさんは有名人だったのか、大勢の女子生徒たちがひそひそと何事かを喋っていたのだ。でも、俺は自分のスマホを取り出して、LINEを交換しましょうと言った。でもミスルンさんが取り出したのは今では珍しいガラケーで、そんなものは知らない、と言った。だから俺たちは電話番号を交換して別れた。ミスルンさんは門の中に消え、俺は予定より遅れて学校に入った。これが、俺たちの出会いである。ちょっと素っ気ないが、俺にとっては運命的な出会いである。

 結局、ミスルンさんが電話を寄越したのは、出会いから一週間くらい経ってからのことだった。彼は「遅くなってすまなかったな」と言って、学校で待ち合わせをしようと言った。正直カナリア女学院に行くのは気が引けたが(だって女子校である)、彼に会いたい気持ちが勝った。そして俺はやはりじろじろと眺める瞳たちに縮こまりながらミスルンさんを待って、合流して、なぜか制服のままタクシーに乗って高級ホテルのレストランに連れて行かれた。もちろん、そんなお礼はいりませんって言った。でもミスルンさんはその意味が分かっていないみたいで、「ここしか知らないんだ」とちょっと憮然とした顔で言った。もしかしなくても、この人はお金持ちなのかって俺は思った。考えてみれば電車で倒れたときも高級なスーツを着ていたし、何なら今はすっごく高そうな腕時計をはめているし、ウェイターには「ケレンシル様」なんてふうに馴染みとしか思えない呼ばれ方をしているし。でも、その時の俺は既に彼に惹かれていたので、そのまま一緒に高級だろう食事を取った。ミスルンさんはテーブルマナーも完璧だった。俺も教えられてはいたけれど、余裕たっぷりの姿は大人の男だなあと思った。のだが、ミスルンさんはまた倒れた。今度は病気からじゃなく、多分ワインの飲み過ぎで。俺はそんなミスルンさんをまた抱きとめ、声をかけた。するとミスルンさんはこう言った。「上に部屋がある」と。まるで下手な誘い文句みたいなことを。俺はまさかこんなに早くそんな関係に? と思った。でも後々俺は思い知ることになる。彼はペントハウス住まいをしている、本当のお金持ちだって。

「でもまさか、あなたがこんなにだらしのない人だとは思ってなかったな」
 俺はそうひとりごちながら、だだっ広いが、ものが散らばった部屋を片付けた。俺は今、あの日連れてゆかれたペントハウスにいる。ミスルンさんはベッドに寝転びながら本を読んでいて、でも、不服そうに俺を見た。多分、放っておいても掃除される、その分の代金は払っていると言いたいのだろう。けれど、それには限度ってものがある。積み上げられた大量の本、何かの論文を印刷したもの、それに混じる生徒の答案用紙。俺は全部が高級なしつらえの家具にため息をつきつつ、ミスルンさんに近づく。そしてこう言う。「まぁ、あの頃よりはマシですけれどね」って。
 彼のペントハウスに初めて入った時は、部屋はもっと荒れていた。あの時の俺はそれに唖然として、ミスルンさんの生活能力のなさに驚いたのだった。
「それで、卒業式はどうだった? さぞ女を泣かせたんだろう。告白されたか?」
「人聞きが悪いな。泣く子も……まぁ、告白もされましたけど、全部断りましたよ」
「どうして?」
「どうしてって、あなたがいるからです。ねぇ、ちゃんと待ちましたよ。俺、高校を卒業しましたよ。だからねぇ、いいでしょう?」
 キスくらいしても、いいでしょう? そう、俺たちはいまだキスすらしていない仲だった。俺はずっとミスルンさんに恋をしていたが、彼は頑なに「条例に引っかかる」と聞いてくれなかったのだ。それでも、ミスルンさんは俺の告白を受け入れてくれたのだけれど。
「少し悔しいな」
 俺がミスルンさんのベッドに腰かけると、彼はそんなふうに言っって、ボタンが全部なくなった俺の学ランの襟元に触れた。ごく近くにある灰色がかった銀色の髪からは、花の香りがした。頭がくらくらする。甘い匂い、ミスルンさんの匂い。
「もしかして、第二ボタンが欲しかったんですか? あなた、結構可愛いところがあるんだな。俺のをもらってどうするつもりだったんです?」
「うるさい」
「でもねぇ、聞いてください。あなたが嫉妬しちゃいけないと思って、ほら、これ」
 俺はそうつぶやいてポケットからボタンを取り出して、彼に握らせる。ミスルンさんが目を見開き、でも次の瞬間には、出会った時より大分柔らかくなった笑みを浮かべる。
 そして、俺たちは何も言わずに、初めてのキスをする。するとミスルンさんは俺の学ランを引っ張って、ベッドに引き入れる。突然のそれに、俺はちょっと驚く。結構積極的だなって思いながら、でも喜びながら。
「情熱的ですね。もしかして、この日を待ってた?」
「私はこう見えて一度は恋愛で身を滅ぼしかけた男だぞ」
 ミスルンさんは尊大に笑う。俺はそれに、彼のかつての恋を思い出して悔しくなったけれど、それでもこれからミスルンさんが自分のものになることに喜びを抱いた。
「じゃあ、俺もあなたで身を滅ぼそうかな」
 俺がそうからかうと、ミスルンさんは「お前こそ情熱的だ」って笑った。俺たちはキスをする。二度目のキスをする。そしてベッドの上で、手のひらを絡める。
 俺は秘密の恋をしていた。もうずっと前から、誰かに知られたら困るような恋を。でもそれも、今日で終わりだ。俺は今日、ようやく恋人を手に入れる。誰よりも愛しい、そんな恋人を。一生かけて身を滅ぼすような恋を、俺はようやく手に入れたのだった。