シノハラ
2025-01-13 19:18:18
2157文字
Public カピマヴィ
 

いつか見えなくなる

伝任まで終わらせたのでカピマヴィで読書感想文をしたためました

 双駆輪のメットインからタタコスとちび竜ビスケット、それから葡萄酒――ではなく絞っただけの葡萄ジュースを取り出して、代わりにヘルメットを収めた。炎元素で駆動させる秘源装置に近い事もあってどれもほんのり温まっており、ジュースはしばらくおいて常温に戻してから飲むと決めている。
「半年ぶりになってしまったな。ここは変わりなかったか?」
 もちろん余暇がないわけではなかったが、オシカ・ナタに来られる程にまとまった休暇を得るのはマーヴィカの立場上少々難しい。普段の就労形態に不満はないものの、どうしても彼を訪ねる頻度はマーヴィカが望むよりも低くなってしまっていた。
「最近ナタでは果樹園が増えている。前まではアビスの侵入による被害を最低限に減らすため、短期間で収穫できる植物を作る事が多かった。この葡萄ジュースはそこで初めて収穫された葡萄で作っていて、平行してモンドの技術者を招待して葡萄酒作りも試している」
 ナタの気候下で試行錯誤してようやく収穫できた葡萄は他の国でのものと比べれば、まだまだ品質が劣っているのは否定できない。それでもマーヴィカにとってはナタの平和を示す価値あるもののひとつなのだ。
 彼のいる座の前で腰を下ろしてタタコスの袋を捲って齧り付くと、ぷりぷりした海老と食感を残した玉ねぎの芳香が口の中に広がった。海底で暮らす海老もまさかこんな高所で食べられるとは露とも思わなかっただろう。
 タタコスを飲み込んでから顔を上げると、静かに座っている彼の姿が視界に収まった。きっと彼も、こんな場所で眠ることになるとはナタに足を踏み入れた時には思いもしなかったに違いない。
「そうだ。君は旅人にカーンルイア人の友人がいるのを知っていたか? たまにしか会えないらしいが、機会があったらカーンルイアの料理について教えてもらえるように頼んでおいた。うまく再現できる料理があれば、今度持ってこようと思う」
 今の彼では食べられないのは百も承知しているが、こういうものは残されたものの自己満足であり特権でもあるのだ。まだ知らぬ味を思いながらも、マーヴィカは二つ目のタタコスに口を付ける。
「君の好みの料理だといいな。いや、この場合はそうでない方が嬉しいのかもしれないな?」
 自分が食べられもしない故郷の味を目の前でもぐもぐとやられてしまっては、マーヴィカなら平然とはしていられないだろう。目の前の誰かがこちらの事が分からないことを良いことに料理の皿をじっと見つめてしまっていたかもしれない。
 なんとなく彼がそんな品のないことをするところを想像するのは難しく、マーヴィカは小さく笑ってしまう。たくさんの魂を抱えながら生きていたのを考えれば、品行を欠いた途端方々から指摘を受けていたなんてこともあったかもしれない。
 持ち込んだタタコスを全て食べてしまってから、ちび竜ビスケットを片手に温度の落ち着いた葡萄ジュースを飲む。少し渋みを感じる葡萄ジュースに子供向けのビスケットの甘味が良く合った。
 ナタでの葡萄の栽培経験が増えるに従って、こういう味わい方はできなくなるだろう。指先を葡萄の雫で濡らすと、マーヴィカは一度立ち上がって黙って座り続ける彼の前に歩みを進める。
「君もこの味を覚えていてくれ」
 おそらく唇があるはずの場所に、マーヴィカはそっと指先の雫を移した。夜神に混ざり合いながらも死には至れない肉体の微かな温度を感じながら、ゆっくりと指を引いて反応がないことを確かめる。
「いつか葡萄酒も持って来よう。飲んだ後すぐは双駆輪には乗らないようシロネンに言われているから、味わうのは君だけになるが」
 それだけが少々もったいない、とぼやきながらマーヴィカは再び腰を下ろして今度は彼の膝に体重をかけて寄りかかる。やはり常人のような体温ではないが、かといって死者のそれのように生者を拒むわけでもない温度がじわりとマーヴィカに伝わった。
……君は私を少しでも愛してくれていただろうか?」
 夜神の国に住まう家族はマーヴィカを愛していると伝えてくれた。その言葉を受け取る前から、マーヴィカはその愛を疑った事は一度もない。そういう愛情のひとかけらを、彼はあの瞬間マーヴィカにも向けてくれていたのだろうか。
「それとも、ただ君の望みを果たす途中に私がいただけだっただろうか」
 顎を上げて彼の見えない面を見上げてから、マーヴィカはゆっくりと瞼を落とす。行き場のない名も知らぬ魂を救うのと同じくらいの優しさと使命感で、彼はマーヴィカの命をこの世に留めただけなのかもしれない。
――スラーイン」
 きっとこの問いの答えは未来永劫得られない。たとえ、自身の体が限界を迎え、夜神の国に迎えられたとしてもマーヴィカはそこで彼を見つける事は叶わないだろう。彼は夜神に溶け込んで、個としてマーヴィカが区別できるのはこの座に残る肉体のみのはずだった。
「私は後どれくらい君に会いに来られるだろう」
 五百年前のあの瞬間から、マーヴィカにとって死は一つの手段であり恐ろしく思ったことなど一度もなかった。今生での死は寂しさすら残さないものだと思っていたのに。
 君のせいでこんなにも寂しい。そう囁いた声はきっと彼にすら届いていなかった。