溶けかけ。
2025-01-13 17:22:51
5297文字
Public ほぼ日刊
 

雨降る君に傘をさす

フリーナの家に空き巣が入った話。

 空き巣に入られたようです。被害の確認をお願いします。
 家に帰って来たら、警察隊がいた────という経験をしたことがあるだろうか。荒れた部屋には警察隊と偵察記録型のマシナリーがいて、慌ただしく調査を進めていた。部屋の中は惨状といって差し支えないほどで、衣服や宝飾品などの入っていたクローゼットやチェスト、ドレッサーに至るまで、開けられるところは全て開けられ荒らされる徹底ぶりだ。鍵付きの引き出しは無残な引っかき傷と共に破壊され、もう修理することは出来ないだろう。
 フリーナは溢れ落ちた衣類や宝飾品の数々を拾い集め、確認していく。全ての確認が終わったところで、サァ……と血の気が引いていくのが分かった。
「宝飾品も服も……なにより下着がない……。それに、みんなで撮った写真も……
 正確には、写真はあった。とはいえ、こちらもご丁寧に切り刻まれていて、繋ぎ合わせてみたところ、不自然な空白が存在していた。自身の記憶が正しければ、どの写真もフリーナだけが綺麗に切り抜かれているようだった。
 知らない人間に部屋に押し入られ、大切にしていた物や普段から身につけていた物を盗まれる恐怖。写真にまで執着するのは流石に異常と言えよう。これならば、金目の物を目当てに強盗に入られた方がまだ救いがあった。正直、服や下着の使用方法についてはあまり考えたくない。個人的な欲のためであれ、転売目的であれ、誰とも知れない相手の手に渡っているのは正直、気持ちが悪い。粟立つ身体を掻き抱き、寒さに震える腕を擦る。独り恐怖に押し潰されそうになりながらも耐えていたフリーナの元に警察隊の一人がやって来た。
 この汚れに見覚えはありますか、そう問われたフリーナの目の前のテーブルに置かれのは、いつも身に着けているショーツ。だが、いつもと違い、少しだけ様子がおかしい。室内の乾燥用のマシナリーに入れておいたはずの下着には不自然な皺が出来ていた。
 女性隊員が広げても? と尋ね、フリーナが怖ず怖ずと頷いたのを確認すると、ゆっくりとショーツを広げる。
「ひっ……!」
「フリーナ様! しっかりしてください……!」
 広げたショーツのクロッチ部分には白濁の液体がべったりと付着していた。あまりの衝撃にフリーナが過呼吸を起こす。
 医者を! と女性隊員が叫んでいるのが音を失いつつある耳が捉えた。気を失う直前、暗む視界に見慣れた銀糸が映り込んだ気がした。

「目が覚めたか……?」
「────ヌヴィレット……?」
 目を覚ましたフリーナが最初に見たのは心配そうなヌヴィレットの顔だった。次いで、頭を乗せているのが彼の膝の上であることに気がつく。
……っ!」
「君は倒れたのだ。もう少し横になっていた方が良いと、医師も言っていた」
 起き上がろうとするフリーナをやんわりと押し返したヌヴィレットは彼女の視界を手で覆った。手袋越しでも伝わるひんやりとした手が気持ちがいい。
「フリーナ殿……。これは提案なのだが…………
 ヌヴィレットはそう言ってから黙り込む。言うべきか、言うまいか、そんな迷いが視覚情報がなくとも彼の雰囲気から伝わってきた。
「なんだい……? 勿体ぶっていないで教えておくれ」
 フリーナの言葉にヌヴィレットが息を飲み込む。暫しの逡巡のあと、彼は詰めていた息を吐き出し、徐ろに口を開いた。
「パレ・メルモニアに一時的に戻って来るのはどうだろうか……? 此度の件の犯人に家を特定されている以上、また戻って来る可能性もある。鉢合わせた君がどんな危険に晒されるのかは想像に難くない……。無論、君が私の提案を拒否するのであれば、別の手立てを考えよう。だが、今、この家で生活するのは推奨しかねるため、どこか別の家に移ってもらうことになる。あるいは、クロリンデやナヴィアさんの家で世話になるのもいいだろう」
 ヌヴィレットの提案は至極真っ当なものであった。フリーナの家が犯人に知られている以上、警備の厚いパレ・メルモニアか腕の立つ二人の家で生活する方がこの家にいるより遥かに安全だと言えよう。だが、ヌヴィレットとしては抵抗感があるのだろう。パレ・メルモニアを逃げるように去った経緯といい、ポワソン町のことといい、彼が言い淀んだのも理解出来る。
「そうだね……。少し、考えさせてくれ」
 フリーナはそう言うとヌヴィレットの視線から逃れるように寝返りをうった。背中を丸め、膝を抱え込んで目を閉じる。今はもう少しだけこうしていたかった。たとえ、それが現実逃避でしかないと理解していても。

「こんばんは、ヌヴィレット。今日から暫くの間、よろしくね」
「元は君の古巣だ。遠慮をすることはない。……荷物をこちらに」
「これくらい何てことないよ」
「レディに荷物を持たせたとあっては紳士の名折れ。私の名誉を守るためにも、ご協力願えないだろうか?」
 夕方、荷物整理を手伝ってくれたクロリンデと入れ替わりでヌヴィレットが迎えに来た。
 彼の言い分も一理ある────フリーナは渋々、トランクケースを手渡すと彼の隣に並んだ。ヌヴィレットはそれを横目で確認するとフリーナの歩幅に合わせて歩き出す。遅すぎず、速すぎず、それでいて、こちらに気取らせない、完璧な歩幅は、二人が数百年間を共に生きてきた証左であった。

「ここが君の部屋だ。一応、何かあったときのために私の部屋の隣に用意をしたのだが、気に入らなければ言ってくれ。すぐにでも新しい部屋を手配しよう」
 とんでもないことを言い出すヌヴィレットにフリーナは慌てて首を左右に大きく振った。
「い、いいよ! そんなことせずともキミの隣の部屋が一番安全なのは分かっているから!」
 正直、普通のゲストルームに案内されて、ほっとしたくらいだった。ヌヴィレットのことだから、元々住んでいたスイートルームに案内されたらどうしようかとずっと考えていたのだから。
「そうか……。何かあったらこれを使ってくれ」
 ヌヴィレットがフリーナに水で出来た鈴を手渡す。ヌヴィレットにしか聞こえない音色の鈴は、彼がフリーナの元へ一瞬で移動するための目印の役目も果たしているという。
……君のプライベートを侵害するようなことはしたくないのだが」
 ヌヴィレットが困ったように眉を下げた。これを使えば一瞬で移動できるということは、フリーナの居場所は彼に筒抜けになるということだ。
「ありがとう、ヌヴィレット。そんな顔せずとも、キミがこれを悪用するなんて思っていないよ。本当さ」
「すまない……
「謝らないでくれよ。キミは何も悪いことなんてしていないんだ。もっと堂々としているといい」
 フリーナがつま先立ちをする。ヌヴィレットは当たり前のように屈むと彼女の愛撫を受け入れた。
「相変わらず、キミの髪は綺麗だね」
 柔らかな髪の感触を楽しむ。彼は龍だけれど、こうして大人しく頭を撫でられている姿は大型犬のようだった。

「ふぅ……
(今日は疲れることばかりだったな……。早めに休もう……。)
 フリーナは毛布を被ると体を丸めて蹲る。一人でいると、昼間の恐怖が蘇ってくるようで、鳥肌が立った。
(思い出すな……! 早く目を閉じて眠ってしまえ……!)
 強く目を瞑り、耳を塞ぐ。目蓋の裏に焼き付いた残像が、耳に残った音声がフリーナをゆっくりと蝕んでいく。
「うわぁ……!? って……な、なんだ風か……
 窓を強く叩く音に飛び起きる。よく見れば、どこからか飛んできた枝葉や風そのものが窓にぶつかっては大きな音を立てていた。
 (そういえば……昔、屋上から僕の部屋に押し入ろうとした人がいたような……)
 ひたひたと爪先から冷たいものが迫り上がってくる感覚にフリーナは体を硬直させた。動かない手足に自分の体が自分のものではないかのような感覚を覚える。まるで、体が凍ってしまったようだ。
 怯えるフリーナの耳にノックの音が飛び込んで来た。
「フリーナ殿。私だ。体調はどうだろうか……?」
 ヌヴィレットの声にフリーナの胸に暖かいものが広がっていく。ようやく、動かせるようになった足でゆっくりと扉に近づき、ドアノブに手をかけたところで、フリーナの頭にとある疑問が過った。
 ────彼は本当にヌヴィレットなのだろうか、と。
 最近、発明された物のなかに他者の声を真似する機械があるという。それにより、犯罪に巻き込まれたという話も聞いている。
 ────もし、この扉を開けた先にいたのがヌヴィレットではなく、今回の事件の犯人だとしたら?
 ドアノブを掴む手が震える。やがて、震えは全身に及び、産まれたての子鹿のように膝ががくがくと揺れ、バランスを崩したフリーナは尻餅をついた。
「フリーナ殿?」
 扉の向こうから聞こえてきたドサッという重いものが落ちるような音にヌヴィレットは首を傾げる。
「うわあああ……!?」
 次いで、フリーナの悲鳴と走り去る音が聞こえ、ぶつかり何かが派手に割れる音が響いた。
「フリーナ! ……すまないが鍵を開けさせてもらう!」
 ヌヴィレットは予め持ってきていた合鍵で部屋の扉を開く。
 足を踏み入れた先は惨憺たる状態であった。テーブルに飾ってあった花瓶は落ちたことにより、割れ、辺り一面に花と水と破片をぶち撒けていた。乱れたベッド上には誰の姿もなく、点々と濡れた足跡がクローゼットの中へと続いていた。
「フリーナ、そこにいるのか……?」
 ヌヴィレットがクローゼットに近づき、そっと開ける。色とりどりの衣服に埋もれた毛布の塊が小刻みに震えていた。
「フリーナ殿。私だ、安心するといい……
 ピクリ、と毛布が小さく跳ねた。
「ヌヴィ、レット……?」
 毛布がもぞもぞと動き、フリーナが顔を出した。
「フリ……
 青い色違いの瞳に涙を湛えたフリーナが飛び出し、ヌヴィレットに抱きついた。尻餅をつくも、何とか受け止める。
「フリーナ……
 がたがたと激しく震える小さな身体に気付き、抱きしめる。
「大丈夫だ……。ここには君を害する者はいない……
 ヌヴィレットの手が怯えるフリーナの背を毛布越しに擦る。こうなるのなら、もっと早く彼女を訪ねるべきだったと後悔が胸を占める。

「す、すまない……情けないところを見せてしまって……
 目元を赤くしたフリーナが自身の涙を拭う。
「もう、大丈夫だから…………。ヌヴィレット……?」
 フリーナがそう言うも、ヌヴィレットがフリーナを離すことはない。
「お願いだから、離してくれ……
…………何が大丈夫なのかね? 君はまだ、こんなにも震えているというのに」
「そんなわけ────!」
 このときになって初めて、フリーナは自身が震えていることに気がついた。手も声も全てが震えているというのに何故気付かなかったのかと不思議に思うほどだ。
「怯えを隠そうと……誰かに迷惑をかけまいとする心意気は立派だが、君を心配している者もいる。怖ければ怖いと口にしてくれ。黙っていては分からない」
「でも、僕は……
 フリーナが不意に口を噤む。何百年と独りで耐えてきた彼女にとって、感情を表に出すというのはまだまだ難しいのかもしれない。それも、恐怖や怯えという負の感情であれば、より顕著に隠そうとするだろう。
 ────ならば、少しずつでも彼女の不安を取り除き、信頼を得るしかない。
「時間がかかっても構わない。恐怖や喜び、悲しみ……数多の感情を私に教えて欲しい。私は……君の味方でありたい」
 ここで味方だと言い切れるほどヌヴィレットは無神経ではない。一度は裏切ったのだ。警戒心の強い彼女が恐怖に耐え兼ね、一瞬でも胸に飛び込んで来ただけでも御の字だろう。
「どうだろうか?」
 ヌヴィレットの問いかけにフリーナが小さく頷く。今はこれが及第点といったところか。
 震えが止まったのを確認し、静かにフリーナを離す。
「どうやら、私の役目は終わったらしい。おやすみ、フリーナ殿」
 ヌヴィレットが立ち上がる。彼の服の裾をフリーナが掴んだ。
「あっ……え、えーと……ハハハッ……ご、ごめん。つい……
 フリーナは笑みを貼り付けるとそそくさとその手を離す。ヌヴィレットが溜息を吐けば、細い肩が大袈裟に跳ねた。
「すまない……。怯えさせるつもりはなかったのだが……
 言いながら、フリーナの手を取る。震えが止まったとはいえ、恐怖心が消えたわけではない。
 ヌヴィレットがフリーナを横抱きにし、ベッドへと横たえると自身もその隣に横になった。
「ねぇ、ヌヴィレット……。これはいったい……
 所謂、添い寝というものではないだろうか。
 彼は、ぽん、ぽん、と毛布越しに優しくフリーナの体を叩く。
「ヌヴィレット……僕、一人でもへい……
 一定のリズムがフリーナの眠気を誘う。ミルククラウンのような睫毛に縁取られた瞼がとろとろと落ちていく。
「おやすみ、フリーナ。──よい夢を」