手を滑らせてメリュジーヌの頭を撫でてしまったら予想外の事が起きたセスリ殿の話(と書いてメリュジーヌにめちゃくちゃ懐かれているセスリ殿の話と読む)です。パートナーの身内に懐かれる人大好き真君なので一度は書いておきたかった
リオセスリにとってメリュジーヌとは、良き隣人であり、命の恩人であり、優しき姉たちである。最近そこに「愛するひとの大切なものたち」という文言が加わったところではあるが、彼女たちが自らにとって尊重したい存在であることに変わりはない。あの愛らしい見た目と純粋無垢な言動で勘違いされがちであるが、彼女たちはそのほとんどがリオセスリの齢を越えてこの世界に生きている、言わば生き物の先輩であり、愛玩の対象にしたり、人の幼子にするような態度で接してはならない、と、少なくともリオセスリは考えている。彼女たちは愛すべき人間たちから可愛いと持て囃されるのを嬉しげに受け入れているので現状に不満はなかろうがそこはまあリオセスリの個人的な信条の話だ。
そう。
尊敬し尊重すべきメリュジーヌに対して、間違っても褒美の代わりに頭を撫でるなどとそんなことはすべきではない。
(やっ…ちまった……)
今まさに間違ったことをやった右手を握り込み、リオセスリは胸中で頭を抱えた。燦々と陽光の降り注ぐフォンテーヌ廷内某所である。定例会議を終え帰路についていたリオセスリを、メリュジーヌがわざわざ追いかけてきてくれたのだった。渡し漏れていた書類があったようですと差し出されたそれを、ありがとうと受け取ったまではよかった。問題はその後だ。何故この手は流れるようにその小さな頭を撫でてしまったのか。リオセスリは自問する。
そういえば、と思い出したのはパレ・メルモニアへの道中で見かけた親子の姿だ。戸口で待つ母親へ、ただいまと駆け寄る少女。お使いありがとう、ばっちりねと頭を撫でる手と、誇らしげに笑う少女の顔。
あれに影響されてしまったのだろうか。最近順調な仕事と、本日の天気で気が抜けていたのかもしれない。ついでに愛しの君の顔も見られたので多少、いや割と結構浮ついている。その結果がこれかと表情には出さずに眉を寄せ、兎にも角にもまずは謝罪をとメリュジーヌを見てみれば。
ぱちぱちと大きな瞳を瞬いた彼女は、その両手でリオセスリの手が触れた場所を確かめるように押さえて――ふにゃ、と相好を崩した。
「……公爵様に褒められました」
えへへ、と、メリュジーヌは笑う。それはそれは嬉しそうに。ぽふりぽふりと、その感触を思い出すように両手を動かしている彼女に紡ごうとした謝罪をひとまず飲み込んだリオセスリを見上げて、漂うタイダルガのようなふわふわとした雰囲気を纏った彼女は言う。
「次もお役に立てるように頑張りますね!」
何故だか強い決意を感じさせるそれになんとなく謝罪を口にするのを憚られ、かわりに助かるよ、と笑顔を向けて、リオセスリは今度こそ帰路についた。
――のが、つい一週間前だ。今日も今日とてパレ・メルモニアへの道を辿りながら、リオセスリはひたすらに困惑していた。顔見知りの巡水船ガイドのメリュジーヌから始まって、散歩中と思われるメリュジーヌに、見回りに精を出すメリュジーヌ等々、目の前で瞳を輝かせるメリュジーヌの頭を撫でるのは彼女で八人目だ。今日は一日お天気みたいですよ。一本先の路地のお店のバブルオレンジはとっても美味しそうな色でした。蕾んでいたお花が咲きましたよ。リュテスのランチがフレンチトーストセットです。マゼンタクジャクバトがふわふわしていたので明日はちょっと寒くなるかもしれません――エトセトラ、エトセトラ。新聞の地域欄というか、メリュジーヌの感覚を活かしたささやかなお役立ち情報というか、そんなものを報告してくれた彼女達はその後決まって言う。「お役に立ちましたか?」。
ヌヴィレットには及ぶべくもないが、リオセスリもまたメリュジーヌ達には並ならぬ思いがある。彼女達を悲しませたくはないし、どうせなら笑顔でいて欲しいと思っている身としてはそれに対する返答なんて「そうなのか。教えてくれてありがとう、助かったよ」しかないのである。
リオセスリからの謝辞を受け取ったメリュジーヌ達は、皆一様にその大きな瞳を煌めかせ、リオセスリに向かって心持ち頭を傾ける。何を求められているのかは幸いすぐにわかったものの、何故それを求められているのか、そうすることが正しいのか確信が持てないまま、せめて「失礼するよ」と声をかけることで自らの信条とひとまず和解しその頭を撫でさせていただいているわけだが、彼女たちの揺れる尻尾と心からの笑顔を見てしまえば何の遊びだい、とは少し聞きづらい。結果として可愛らしい報告を受け、礼を言い、頭を撫でて、お仕事頑張ってくださいと嬉しげに手を振ってくれるメリュジーヌに手を振り返して別れる――という、心温まりつつも困惑の深まるやり取りをこうして繰り返している。
「三番の機械で作業中の方、ご禁制の物品で特別許可券を集めているみたいです」
――リオセスリに何の不利益もなく、逆にあたたかい何かを受け取ったような心持ちで足を進める道すがら出会った九人目のメリュジーヌからもたらされた情報は地域欄を飛び出していたけれども。
該当者の労働時刻と証拠品押収に繋がる追加情報をも提供してくれた栄えあるマレショーセ・ファントム隊員であり、シグウィン看護師長の友人でもある彼女に今日一番の感謝を述べて、差し出された頭を丁寧に撫でる。ついでに次にシグウィンに会いにくる時はとびきりの茶菓子を用意するので是非一報入れて欲しいと事付けた。こんなに有意義な情報の対価が自分の礼と頭を撫でるだけなどリオセスリ自身が耐えられないので。
楽しみにしていますと飛び跳ねる彼女に見送られ、パレ・メルモニアの入り口をくぐる。メリュジーヌ達との予想外の触れ合いでいつもより時間がかかってしまったが、約束の時間にはまだ余裕があった。ヌヴィレットの顔が見られるからと浮かれて要塞を早めに出てきてしまったのが功を奏した形になったのが少々恥ずかしいが、結果オーライというやつだろう。
「こんにちは、公爵様!」
「こんにちは、セドナさん」
彼女の定位置に近づくと、エレベーターを降りた時から来訪に気づいていたらしいセドナが待ってましたとばかりに声を弾ませ迎えてくれる。そして胸を張った。
「今日のお茶菓子はドゥボールの季節のタルトを用意しました!」
「新作の、限定発売のやつかい?」
メリュジーヌの誰かから今日聞いたばかりの話だった。私はまだ食べられてないんですけどとっても美味しいと聞きました、と少しだけ萎れ気味に教えてくれた彼女を明日は食べられたらいいなと元気づけたのはほんの一時間前だ。
「はい! 公爵様がいらっしゃると聞いたので頑張りました!」
それはそれは誇らかにセドナが笑う。達成感に溢れたその笑顔に、それが遠慮からのものだったとしてもそこまでしなくてもなどと言うのはあまりにも無粋だ。
「そうか、ありがとう。お茶の時間が楽しみだよ」
「お役に立ちましたか?」
にこりと笑んで素直に礼を告げれば、セドナは他のメリュジーヌ達と同じ言葉を口にした。
「そりゃあもう。いつもありがとうな。セドナさんには本当に世話になってると思ってるんだ。今回のことだけじゃなく」
普段ヌヴィレットの一番近くで仕事をしているのは彼女だ。職務上リオセスリとの関わりもそれなりに重ねている彼女とは良い関係を築けていると思っている。こうして直々に茶菓子を用意してくれるのもそうだし、その特殊な視点で気付いたヌヴィレットの細やかな変化を知らせてくれたりもするこの小さな協力者にリオセスリは頭が上がらないと言ってもいいかもしれない。
ぱあ、と表情を輝かせたセドナが帽子を腕に抱える。他のメリュジーヌ達よりは「お姉さん」に見える落ち着きのある彼女だが、やはりこれは外せないらしい。こちらが撫でやすいように帽子を取るところは流石の判断力と言えるだろうか。
ますます謎を深めつつ、失礼するよと声をかけ、カウンターの内側へ手を伸ばす。本日十回目のそれを無事に成し遂げ、ヌヴィレット様をお待たせしちゃいけませんよね、と執務室へと送り出されたのは約束した時刻より少し前だった。
「ごきげんよう、リオセスリ殿」
出迎えてくれたヌヴィレットは目に見えて機嫌が良さそうだった。微笑みさえ浮かぶその美貌は入室早々に目にするには少しばかり刺激が強い。跳ね上がった鼓動を制しつつごきげんようとなんとか挨拶を返せば、先に見た眷属のように待ちきれぬとばかりに席を立ったヌヴィレットが歩み寄ってくる。
「彼女達とよい触れ合いをしてきたようだな」
どうやら、というかやはり、というか。「主様」は全てお見通しらしい。機嫌が良いのはそれでかと得心して頷く。
「小さなものから大きなものまでいろんな情報をもらったよ。知ってたら教えて欲しいんだが、彼女達の間で何が流行ってるんだい?」
どうやらここに至るまでの困惑の答えが得られそうだと問いかけたリオセスリに、ヌヴィレットはその瞳を瞬いて。
「リアスの…一週間前君に書類を届けたメリュジーヌの頭を撫でただろう」
「ああ、うん」
「あれが本当に嬉しかったのだと話してくれたのだが、同じ話を皆にもしたようで」
「うん」
ふわりと、宝玉がゆるむ。
「彼女達は君の役に立てば頭を撫でてもらえると思ったようだ」
くすくすと珍しくも声を立てて笑うそのひとに告げられた「答え」は、愛らしさに微笑ましさを混ぜ込み気恥ずかしさを纏わせたようなそれだった。
「あー、まあ、気を悪くさせたんじゃなきゃよかった。けど正直そんなに喜ばれるのは意外だったな」
どうもやらかしが予想外の方面に転がったようだと頬を掻き、それならもう少しそういう場面に遭遇してもよさそうなものだがと疑問を呈せば、ヌヴィレットの笑みが彩を変える。眷属達を見守る者のそれから、どこか甘く誇らしげなそれに。
「君だから、だ。リオセスリ殿。君だから、彼女達はあんなにも喜んでいるのだ」
私を選んでくれた、私が選んだ君が彼女達にこれほどまでに好かれている。こんなに喜ばしいことはない。ヌヴィレットは言う。
「君がこの国の誰よりもメリュジーヌ達を尊重してくれている事を私は理解しているつもりだ。ただ、メリュジーヌは種族としてはまだ幼い。君の信条に反しない範囲で構わないので、今日のように彼女達に接してくれると嬉しい」
間違っても彼女達が気分を害することはない。
言い切るヌヴィレットに思わず笑ってしまった。眷属達のリオセスリに対する心情によほど自信があるのだろう。私がこんなに君のことを想っているのだから彼女達も君が好きなはずだ、なんて幻聴まで聞こえてくる勢いだ。そこまで買ってもらえているのは素直に嬉しいので都合の良い耳にそっと感謝しておくことにする。
「あんたがそう言うなら。出来る範囲でそうさせてもらうよ」
兄気質、と、少々踏み込んだ付き合いのある者達からは評されることの多い身だ。事実染み付いているものはあって、小さな者を――身柄だったり年齢だったり――目にすると無意識に構おうとしてしまう節もある。メリュジーヌは尊重すべき姉達だが、それはそれとして彼女らに無邪気に親愛を向けられるのはくすぐったくも楽しかったのも事実で。
「主様」より要請も受けてしまったことだし、少しだけ彼女達との関わり方を見直してみてもいいのかもしれない。
リオセスリの答えに満足げにうむと頷いたヌヴィレットがこほん、と咳払いをひとつ。
「では、リオセスリ殿。何か私に、君の役に立てるようなことはあるだろうか」
「……そうきたかぁ……」
思わず心の声が口から飛び出してしまった。ついでにうっかり吹き出してしまったが許されたい。これまでの話の流れからのこれはあまりにも予想外が過ぎる。今回もまた唐突な可愛いに右ストレートを食らってしまった。
「……私とて羨望の感情くらい持ち合わせている」
愛しの君に言外に撫でて欲しいと言われて鉄面皮を貫ける男などいるだろうか。いやいない。いたとしたら情緒を育てたほうがいい。そんなことを考えつつ肩を揺らしていたリオセスリに、微か拗ねたような、恥じらいの見え隠れする音律が追い討ちをかけてくる。
「あんたの頭ならいくらでも撫でさせてもらいたいけどな、俺は」
『恋人』の席に、距離に、許されている、なんていつだって思っているのだ。よしと言われれば際限なく構い倒してしまうだろう。そんな存在に触れてもらうための対価など求められても困ってしまう。むしろこちらが払いたいくらいなのだから。
「それでは公平さに欠ける」
ふるりと振られた首に真面目だなぁと笑みを深めて両手を伸ばし、その頬を包んで鼻先を寄せた。
「こういう時に使えるものがあってな。恋人の特権、っていうんだ」
まああんたが『最高審判官』として俺からの謝意を得たいって言うなら何か考えさせてもらうが。
どうする? 至近距離で細めた瞳に、深海を宿した睫毛が羽ばたく。躊躇うようにうろうろと宝玉の瞳が彷徨って、では、とその声が呟いた。
「その『特権』を…使わせてもらいたい」
小さなそれも、この距離なら聞き取るには充分で。
喜んでと頭を撫でた手に心地良さげに目を伏せていたヌヴィレットがややして漏らした「足りない」に、じゃあハグもつけようかと笑ってその身体を抱きしめる。
「これも『特権』のうちだろうか?」
身じろいだヌヴィレットが不意に顔を上げて聞いてくるのにまあそうなるかなと答えれば、彼はそうかと息をつき。
「可能であれば『特権』のままにしておいて欲しい」
ぽそり呟いて肩口に埋まってしまう。
「誓うよ」
そこは「自分だけにして」でいいのになぁ、なんて思いつつ、淡く染まった耳朶に笑みの形の唇を寄せた。
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