紫輝
2023-11-04 00:20:06
6100文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィ】琥珀の色した愛を貴方に【原神】

ヌ様のためにスープを作るセスリ殿の話。水から感情を読み取れるヌ様に愛情たっぷりのスープを饗したらどうなるのかなってふと考えた産物でした。手順諸々はふわっと流してくださいテイワットなので

 鍋の中によく練ったひき肉と角切りにした人参、刻んだマルコット草の茎を入れ、全体が馴染むまで混ぜ合わせる。ひき肉に少し粘りが出てきた辺りで新鮮な卵白を加え、充分に粘りが出るまで更に練れば準備は完了だ。
 出来上がったタネに水を加えて伸ばす。これを飛ばすとこのあとの工程で卵白が煮えてしまうからだ。
 丁寧に伸ばし終えたタネに昨日仕込んだブイヨンを温めた物をゆっくりと加えよく混ぜる。一般的なコンソメスープは鳥肉と牛肉を合わせて使うことが多いようだがこのレシピは鳥だけを使ったものだった。さぞ上品な味わいになることだろう。ホテルのメニューに燦然と輝いているのも頷けるというものだ。
 火にかけ、卵白が焦げ付かないよう混ぜながら待つことしばし。スープが煮立ってきた辺りで火を弱め、分けてあったマルコット草の花びらを加える。ここからは沸騰させてしまうと風味と香りが飛んでしまうらしい。繊細な料理だ。鍋の中身は卵白が想定通りの仕事をしてくれたおかげで灰汁が広がることもなく、透き通ったスープの片鱗を覗かせている。ここまで来ればあとは様子を見ながら数時間待つだけだった。
「思った以上に手間かかるなこれ」
 コトコト煮える鍋を見守りながら呟く。リオセスリが休日をスープ作りに当てている理由。その発端は異邦の旅人たる少年の一言だった。曰く、「ヌヴィレットってご飯作りがいあるよね」。
 詳しく聞いてみれば、先日水中世界に散らばるウーシアを帯びた仕掛けの解除に力を借りた際食事を共にしたという。汁気の多いものを好む彼の人のために野菜スープを作ったらしいのだが、思ったより喜んでもらえた、そうだ。「ヌヴィレットは水に込められた感情がわかるって言ってたから、美味しく食べて欲しい気持ちが伝わったんだったら嬉しいなぁ」――そう言って名の如き笑みを浮かべる少年を見ていて、年甲斐もなく。
 羨ましい、などと、思ってしまった。
 紅茶を饗したことは多々あれど、食事を振る舞ったことはまだない。まず料理を趣味としているわけでもないから、そうしたいという欲がそもそも湧かなかった。けれど少年の言うように、簡単な汁物でも彼の人の心を動かせるなら。喜ぶ顔が見られるのなら。それはすごく良いな、などと。
 スープのレシピを拝借したいと持ちかけたリオセスリに少年は快く頷いてくれて、材料集めも手伝うよと申し出てくれたのだ。
 何種類か提示されたレシピの中から選ばれたのはシンプルなコンソメスープのレシピだった。フォンテーヌで材料が揃うことと、材料が新鮮で質が良ければとりあえず美味しくはなるからというのが少年の言だ。簡単に作り方を聞いた時ブイヨンは店で買うこともできると言われたが初回くらいは頑張るさと答えてしまったのを若干後悔していなくもない。少なくともあの人のためじゃなきゃここまではやれないなと、先日の苦労に思いを馳せるなどして。
 『水の上』の出来事を把握する手段の一環として買い求めた雑誌の一冊を適当に捲りつつ灰汁を引いて、コトコト、コトコト、ひたすら煮込む。
 そういえば何がどうなると水に感情が溶けるのだろうか。手を触れているわけでもないのに。人の身体は六割が水分だと言うから、レードルやら何やらを伝わって料理に移るのだろうか。答えの出るはずもない事をつらつらと考えているうちに、じわじわとスープの量が減ってきた。もう少し煮詰めて漉せば完成だ。
 不器用ではない自負はあるし、今のところ鍋の中身もいい塩梅だ。少なくとも失敗はしていないだろう。
 水に溶けた感情がどんな風に伝わるのかわからないが、少しでもこの胸の内が彼の人に届くのなら。休息を知って欲しいとか、一人で解決できそうなことにもとりあえず巻き込んで欲しいとか、心安くいて欲しいとか――そういう想いが伝わればいいと思う。あの人にはいまいちその辺りが伝わっていない気がするので。あとは料理に必須の気持ちだ。美味しく食べて欲しい。喜んでくれたら、もっといい。
「鍋から溢れそうだなぁ……
 我ながら重い。自覚はあるが、やっと捕まえた人なのだ。逃がしてなるものか――溶けたらまずい感情は胸の内に押し込んで、鍋を持ち上げる。出来上がったスープは透き通った琥珀色をしていた。

* * *

「時間取ってくれて有難うな、ヌヴィレットさん」
「礼は不要だ。君と過ごせるのは私にとっても嬉しいことだからな。君が鍋を持ち出した時には医務室への訪問を勧めようかと思ったが」
 向かい合う二人の前に鎮座するテーブルに用意されているのは紅茶と茶菓子――ではなくスープとサラダ、白パンという、ちょっとしたランチセットだ。最近定期報告の後は茶卓を囲んで帰るのが定番になってきているが、今回はあらかじめ少し時間を作って欲しいと伝えてあった。君のためならとあっさり空けられた時間になんとも言えないむず痒さがあったがそこを深掘りするのは今はやめておく。
 立ち昇る湯気の向こうからまだ微かに心配そうな瞳を向けてくるヌヴィレットに小さく笑う。まあ確かにある意味奇行ではあるのかもしれない。メロピデ要塞からここまで大切に運んできた箱の中身がスープの入った鍋とは誰も思わないだろう。人相も人相であるし。
 『食事への招待』の体をとらなかった理由は簡単だった。大仰にすぎる、と思ったからだ。ただ作ってみたスープを飲んで欲しかっただけ。もてなしの心得はもちろんあるが、それスープだけのためにお招きありがとう、などと言わせるのは気が引ける。だからいつもの紅茶の代わりにと、こうしてこの時間を選んだのだ。
「驚かせて悪いな。この通り健康そのものだから安心してくれ。ちょっと興味が湧いてスープを作ったんだが、せっかくだからあんたにも飲んでみてほしくてね」
「ふむコンソメスープだな」
「レシピ通りだ。妙なものは入ってないから警戒しないでくれ」
 つい、と細まった瞳に思わず両手を挙げてしまった。まるで報告書を見るようなそれに、具入りの方が色々誤魔化しが効いたかな、などと後悔しようとして。
「君が私に用意してくれるものだ。その必要が?」
「あんた本当に軽率に俺を舞い上がらせに来るよな
 ぱちりと瞬く紫水晶と小鳥のように傾いだ首に、挙げた手で口元を覆った。
「リオセスリ殿?」
「いやなんでもない」
 ついでに先の思考も撤回しておく。時々正面からぶつけられるこの全幅の信頼は心臓に悪いのだ。予想もしようがないから構えておくこともできない。
「冷める前に食べてくれ」
「では有り難く頂くとしよう」
 取り繕うように促すと、ヌヴィレットのすらりとした指がカトラリーを手にする。琥珀色のスープがその 花唇 かしんの中に消えて。
 階調の瞳がぱちりぱちりと見え隠れする。さながら初めての味に出会ったように。
 それから視線がスープに落ちて、ふ、とそのうつくしい唇が弧を描いた。
美味だ」
 しみじみと、その声が呟く。
「今まで口にしたことのない味わいがある。材料はフォンテーヌのものか?」
「ああ。食材調達の地域は出来る限り揃えた方が喧嘩しないって聞いたことがあるんでな。一応水はエリナス近くの山の湧水だ」
「いい選択だ。あの一帯の水は口当たりが柔らかく、汁物に向いている。流石リオセスリ殿だな」
「お褒めにあずかり光栄だ」
 満足げに頷くヌヴィレットに、鳥とマルコット草との兼ね合いでその地域だっただけだしなんとなく高いところにある綺麗そうな水を選んだだけ、とはちょっと言いづらい。まあこれを秘匿しておくくらいは罪にはなるまい、手間賃として貰っておくことにしようととりあえず謝意を述べておく。
「材料がいいのか? だがそれだけでこの味にはいやああ……そうか」
 またひと匙を口にしたヌヴィレットが、今度は何かを探ろうとするかのように、頭の中を整理しているかのようにぽつぽつと呟いて。
「そうかふふ」
 やがて答えを得たりと微笑む。メリュジーヌ達に見せるのとはまた違うタイプの、例えるならひとの幸福ではなく自らの幸福を喜ぶような、綻ぶような笑みだ。向こう一ヶ月くらいどんな激務でもこなせそうな気がするなぁと、何やら急激にご機嫌麗しくなった恋人を眺めながらカトラリーを置く。ちょっと今は食物が喉を通りそうにない。
とても美味であった。君さえよければまた作ってくれると嬉しい」
 腹の前に胸がいっぱいになったリオセスリを他所に、大切にたいせつに皿を空にしたヌヴィレットの、まるで花でも飛ばしているかのように軽やかな声が囀る。次を願うくらい口に合ったようでひとまず安心した。味見はしているが、しているうちによくわからなくなるのが味見というものだから。
「あー、ブイヨンを既製品にさせてくれるなら」
「勿論君の負担にならないようにしてくれて構わない。フォン・ブラン鳥のブイヨンならドゥボールが取り扱っていたはずだ」
「ドゥボールのなら間違いないな。有益な情報提供に感謝するよ。最高審判官様のお墨付きも貰ったことだし、残りはあいつらにやるかな」
 ここに至るまでの諸々を思い返しながら示した提案はあっさりと受け容れられた。ついでにもたらされた仕入れ先の情報を記憶に留めて、スープの譲渡先を思案しつつ脳内の本案件に関する計画書に『処理済み』の判を押す。
「あいつらとは?」
「空とパイモン。レシピ提供と材料調達の功労者だ」
 ブイヨンから作るなら沢山鳥がいるよねと手慣れた様子でそれを狩り、加工処理する手際は今思い返しても頼もしかった。レシピは作りやすい分量とやらで約七、八人前くらいできる量だったからスープはまだなみなみとしているが、パンとメインディッシュさえつければ育ち盛りの子と食い意地の張った妖精精霊?のことだ。ペロリと胃に収めてくれるだろう。
「駄目だ」
「うん?」
 あの子たちはしばらくフォンテーヌを探索すると言っていたから、まあ人を使えばすぐに見つかるだろう。一応目星だけはつけておくか――などと回していた思考を硬い声が止めた。
「それは、困る」
「ヌヴィレットさん?」
 つい落ちてしまっていた目線を上げた先に些か下がった柳眉を見て首を傾げる。先ほどまでの会話に美貌を曇らせるような話題はなかったはずだけれど、と。
「私が水から感情を感じ取れることを君は知っているだろう。私はこのスープから、君がこれにかけてくれた時間と、労力と、込めてくれた想いを受け取った。それは何にも代えがたい幸福をもたらしてくれるもので、だからこそ今までにない味わいを感じたのだと推測する」
 玲瓏なる声音が、事実確認と自己分析を淡々と紡ぐ。
「このスープを口にするだけで君がどれほど私を想ってくれているかわかる。それが嬉しい。とても、満ち足りた気持ちになる。このスープは君の想いそのものだと私は思う」
 スープの味か、込められた感情とやらを思い出しているのか、胸に手をあてながら言葉を織り上げる目尻がうっすらと朱に染まっているのが愛らしい。触れて温度を確かめたいが、この人の言葉を遮るべきではないと動きそうになる手を押しとどめた。
「他の者に水に溶けた心を感じ取れない事は理解している。だがそれでも、私は「これ」君の想いが他者の口に入るのを許容できない。どうか考え直して欲しい」
「ヌヴィレットさんの言い分はわかった。けどすごい量だぞ? 食べきる前にダメになるだろ。棄てたくもないし」
 いっそ悲愴にも聞こえる声で懇願へと着地した言葉の数々は光栄ではあるし何か物凄いことを言われたが、物理的な問題ばかりはどうしようもない。少なく見積もってもあと四、五人分はあるのだ。ブイヨンを仕込んだ日のことを加味すると明日、最悪明後日には消費しきりたい。苦労したのだ。できればシンクではなく誰かの胃袋に入って欲しい。
「棄てるなど言語道断だ。そうするつもりなら止めに入らせてもらう」
 だから妥協してくれと言おうとした言葉はなにやらすごい剣幕のヌヴィレットを前に喉奥に消えた。深みを増すアメジストと像を結ぶ見慣れた杖に彼の本気を感じ取って、ひとまず杖を握ろうとする右手に己の左手を重ねることでそれを制する。
「分かった分かった。なら別のプランが必要だな」
 まるで子どもの癇癪だ。なまじ実力があるだけに非常に厄介だけれども。それはそれとしてそこまで気に入ってくれたのだと思えば気分はいい。元々この人のために作ったものなのだから、誰にも渡したくないというならそれに応えるだけだ。
 食品の鮮度を保って、保管期間を延ばす、となれば。
 一つ思いついて、レードルに手を伸ばす。手のひらに集めた元素を注ぎ、作り上げたのは琥珀色の玉だ。多少歪だが、どうせ融かして食べるのだから問題ないだろう。所謂一人前より少し少ないくらいの量になるようになんとなく当たりをつけて、鍋の中身を全て固めた。
「これで貯蔵用マシナリーにでも保管しておけば急いで飲まなくてもいいんじゃないか?」
「君はやはり聡明だ。感謝する、リオセスリ殿」
 一部始終をそわそわと見守っていたヌヴィレットが瞳を輝かせて立ち上がる。席を離れた彼が棚から持ち戻って来たのは花の意匠が美しい硝子の空き瓶だった。
「それは?」
「海底で拾った物だ。フォンテーヌでは見ないデザインだから、恐らく他国のものが流れ着いたのだろう」
「確かに綺麗な瓶だがなんでそれを今」
「見た方が理解しやすいはずだ」
 ヌヴィレットは瓶の中へ琥珀色の玉を収めて蓋をすると、その手から水を生み出す。瓶を守るように形作られた球形はヴァザーリ回廊にある水の彫刻を彷彿とさせた。促され、触れてみたその水は貯蔵用マシナリーに保管されている物以上に冷たい。
「あんた本当にやること規格外だよな
「凍らせることこそできないが限りなく温度の低い水を生成することは可能だからな。これで大切に味わえる」
 この人にはあまり馴染みのない表現だが、ほくほく、としか表現できない雰囲気でもって愛おしげに瓶を見つめるヌヴィレットに満足半分、不安半分で控えめに釘を刺す。
「凍らせてるとは言えいつまでも置いておけるわけじゃないからな。変質する前にちゃんと食べてくれよ?」
「む……
「また作るから。な?」
…………わかった」
 だいぶん往生際の悪い承諾の返事に思わず吹き出す。こんなに喜んでくれるのなら時間をかけた甲斐もあったというものだ。次はポタージュでも作ってみようか。旅人にレシピを持っていないか聞いてみよう――そんなことを考えながら口にしたコンソメスープは、やはりというか何というか、リオセスリにとっては少しばかり味わい深い普通のスープだった。

 後日この世の全ての幸福の化身の如きうつくしい微笑みでカップを傾ける最高審判官が目撃されてパレ・メルモニア内がちょっとした騒ぎになるのだが、それはまた別の話だ。