紫輝
2017-08-05 19:45:32
3116文字
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【にほじゅず】弟が修行に行きました。

青江が修行に出た日の日本号と数珠丸の話です

 彼の脇差が修行に出る日、空は生憎の雨模様だった。しとしとと振る雨はまるで名残を惜しむかのようだ。
 嘆く空にやれやれと肩を竦め、この本丸最初の脇差はその銘の通りにっかりと笑む。
「帰ってくる頃にはあがってるといいよね。・・・行ってくるよ」
 そうして、彼は旅に出た。

 本丸の端の端には小さな空き部屋がある。喧噪から離れ、木々のささめきや小鳥のさえずりを耳に感じられるその場所は思索や瞑想にちょうどいいと、一部の同胞たちの寄り場になっていた。
 立て切られた障子の隙間から漏れ出す香りは紛れもなく白檀で、日本号は紫苑の瞳をそっと細める。
 彼の脇差が兄と慕う同派の太刀は、常の端然とした振る舞いを崩さず、旅立つ弟分を「気を付けて」とその微笑みでもって送り出してからふらりと姿を消していた。内番や出陣の予定もなく、彼が本丸での時のほとんどを過ごす自室や書庫にも姿がないとくれば、残る場所は一つだけだ。外界との境界線たる障子を静かに引き開ければ、予想通り、端座する痩躯が目に入る。
 倣うようにその隣へ腰を下ろすと、彼が持ち込んだのだろう香炉から上る細い煙がゆるりと揺れ、伏せられた瞼を飾る長い睫毛が震え。
「日本号殿・・・」
 囁くような鈴の音が、日本号の名を呼んだ。
「なにもないなら、それでいい」
 あるなら話せと、言う気はなかった。数珠丸のことだ。言えと求められれば断れない。そう思ったので。
 ひとりで瞑想に耽りたいのだと言われれば立ち去るつもりだったが、数珠丸がそう口にすることはなかった。何かを迷っているように気配が揺れる。膝の上に置かれた拳に触れた手を、縋るように掴んできた指先は小さく震えていた。
「わかっているのです。あの子は強い。人の身を得てからの経験も、私より多い。心配することなど何もないはずなのに、ひどく不安に駆られるのです」
 軒先から滴る雫のように、数珠丸が言葉を紡ぐ。俯くその横顔は流れる髪に隠れて見えないが、悲壮な顔をしているのだろうなと声音だけで十二分に伝わってくる。やはりなと、苦笑をひとつ。
「それが兄貴ってやつだろ。無理に蓋する必要なんてないさ。元は鋼とはいえ、今の俺たちには心があるんだからな」
 縋ってくる指先を己のそれと絡めるように握り直してやって口にする。やはり彼は姿を消してからずっと、この場所で弟分を案じていたらしい。
 『修行』とは大まかに言えば己なりの『戦う理由』を見出す一連の流れを指す、ようだ。ほとんどの者は最も印象深い主の元を訪れ、その生き様を改めて目にすることで答えを得て戻ってくる。その過程で主の死や己の消失する瞬間を目の当たりにすることも当然ながら珍しくなく、旅立った者たちから送られてきた手紙に目を通す審神者が悲痛な面持ちをしているのも何度か目にした。
 彼の脇差がどこへ行き、誰に会い何を見るのか、それは日本号たちには知りようのないことだ。彼が帰ってくるまでは。
 だからこそ心配なのだろう。知らぬ間に彼の脇差が傷つくことはないかと。仏道の護り刀らしく周囲の全てを慈しむ数珠丸だ。同派の刀に関することであれば、その思いも一入だろう。
 それを押し込める必要はないのだと告げた言葉に、数珠丸が顔を上げる。そして困ったように呟いた。
「けれど・・・そもそも私たちは刀派を同じくするだけです。その私が『兄』としてあの子の身を案じるなどと、分不相応なのでは」
 ああ、と、声には出さず溜め息。そこか。
 数珠丸の、ある種特有のものの考え方は往々にして日本号の一驚を誘う。とかく真面目なこの天下五剣は、どうしてそうなったと問いただしたくなるくらいには硬く難しく思考を巡らせるのだ。その思考をほぐしてもっと肩の力を抜けと諭すのは、昨今日本号や彼の脇差の役目になりつつある。最早慣れたものだった。
「貞宗のちっこいのとか見てみろよ。顕現して初めて会ったっつーのに山姥切にべったりじゃねぇか。刀派違っても兄弟みたく見える奴らもいるし、小烏丸なんて全ての日本刀の父自称してるだろ。それくらい大雑把に考えれば、刀派同じだけで充分兄弟名乗れると思うぞ。青江はあんたを兄さま兄さまと慕ってるし、あんたも青江を弟みたく可愛がってる。条件は整ってると思うが」
「そう、でしょうか」
「あんたは色々難しく考えすぎなんだよな。いいところだと思うが、たまにはざっくり物事考えてもいいと思うぜ」
 貞宗の名を持つ短刀は、顕現当初からこの本丸の初期刀である打刀によく懐いていた。彼なりに何か感じるところがあったらしいが原因を問うても太陽の如き笑みと「いいじゃん好きなんだもん!」の一言が返ってくるだけで、山姥切がなんだかんだ構ってやっているのもあって最近はすっかり兄弟扱いだ。小烏丸に至っては言うに及ばずで、平安刀連中ですら彼の太刀の前では子ども扱いされるとむず痒そうな顔をしている。それを思えば「同派」である時点でなにも悩む必要はないのではないか。
「あの子は気を悪くしないでしょうか」
「むしろ喜ぶんじゃねぇか? あいつあんたのこと大好きだからな」
 諭す日本号に返る声はまだ少し、不安を帯びている。的外れな心配はすぐさま否定してやった。日頃から兄さま兄さまと、暇さえあれば数珠丸の側へやってくるあの脇差が、同派だというだけで自らが弟扱いされたと憤慨する様などどう頑張っても想像がつかない。桜に埋もれてひっくり返ることはあるかもしれないけれども。
「・・・ありがとうございます、日本号殿。少し、気が楽になりました」
「そりゃよかった」
 ああそれなら想像つくなと一人肩を震わせていた日本号に向かって、数珠丸が吐息まじりに微笑む。どうやら苦悩の芽を摘むことには成功したようだ。成り立ちゆえか努めているからか数珠丸の感情の機微はあまり表に出ることはないが、それでも憂いに陰る表情を見たくはない。ひとまずと胸をなでおろす日本号の前で、数珠丸が思い出したようにぽつりと呟いた。
「・・・貴方も、いずれ修行に出られるのですよね」
「そうだなぁ。政府とやらの許可が降りれば」
「私はきちんとお見送りが出来るでしょうか」
 こんな有様で。言葉と共にそっと指先に込められた力にくつりと笑う。
「・・・ま、許可が下りるとしても大分先だろ。その頃にはあんたに愛想尽かされてるかもしれねぇし、今は考えないでおけ」
 ようやっと脇差連中が修行に出始めたところなのだ。流れを見ればこのあとは打刀連中であろうし、その次はきっと数珠丸達だろう。いまだ顕現数の少ない槍や薙刀はいつ修行に出られることやら検討もつかなかった。それに修行を終えた同胞達は、程度はあれど確実に、精神的な成長を遂げて帰ってくる。数珠丸がどのような旅をするのかはそれこそ検討もつかないが、帰ってきた彼にとって己は必要ではないかもしれない。
 全て仮定の話だ――先の見えぬ未来について思いを廻らせつつよしよしとその頭を撫でてやると、美しく整った眉がきゅうと寄せられた。
「日本号殿、今看過出来ぬ言葉を聞いた気がするのですが」
「そうか? 気のせいだろう」
「日本号殿!」
 指をほどき立ち上がる。開け放った障子の向こう、雨にけぶっていた庭は雲間の陽光にきらきらと輝いていた。
「おっ、雨があがったな。城下にでも降りるか、ずっと部屋に閉じこもってるのはよくないぞ」
 虹でも見えるかもしれないな。目を細め、一歩踏み出す。心持ち、ゆっくりと。
 待ってくださいと追ってくる慌てた声に肩を震わせる日本号に呼応するように、水溜まりに映った太陽が煌めいた。