屋敷の中はしんと静まりかえっている。時計に目をやれば既に零時を過ぎていた。常であればベッドに入っている時間だ。夜会へと出かけた主はまだ戻らない。
主は公の場に国広を伴うことはほとんど無かった。執事として必要な学は修めたつもりでいるし、日々変化する社会情勢に対応するための勉強も怠ってはいない。相変わらず芸術面には進歩が見られないが。
やはり見た目か、と、壁の鏡をぼんやりと見つめながら考える。持って生まれた金髪と碧眼を主は綺麗だと愛でてくれるけれど、国広に言わせればこの色合いと体格の所為で実年齢より若く見られるのが問題だった。万が一の時のために武術も修めてはいるし主も国広の腕を認めてくれてはいるが、それでもこのように年若く貧相な執事を連れ歩くのは長船の家名に傷をつけかねないのだろう。であればせめて護衛をつけてくれと頼んではみたが、「その辺の護衛より僕の方が強いからね」・・・などと笑まれてしまっては主の実力を知っている国広に言えることはなく、今のところ心配の種は順調に成長し続けている。全く嬉しくないが。
カタリ。持っていたペンが手を離れ音を立てる。物思いから呼び戻されると同時に、玄関のベルが控えめな音を奏でた。
直ぐさま立ち上がる。この時間に人の屋敷を訪う非常識は変わり者と称される主の友人にもいない。外出していた主の帰宅に相違ないだろう。
ドアを押し開けると、まず目に入ったのは白だった。内側から光が零れ出るように輝く白い髪は、まるで宵闇に浮かぶ星明かりを集めたようだ。髪と同じ純白を着こなす様にはただならぬ気品が伺える。やや遅れて視認した、見慣れた黒檀の髪。それがぐったりと真下を向いていたものだから、国広は思わず声を上げた。
「旦那様・・・!」
直後、白い客人がしっ、と人差し指を唇の前に翳す。月に似た金色の瞳が穏やかなひかりを湛えて、落ち着いた声が囁いた。
「大丈夫だ。今夜の酒が飲みやすいわりに強いひねくれ者でな。久しぶりに酔いつぶれたんで、送ってきたのさ」
「それは・・・ご足労をおかけして申し訳ございません。主人は私が、」
「いや、ここまで来たんだ。ベッドに放り込むまでは手伝うぞ。君一人には手に余りそうだからな」
で、あとで盛大にからかってやろうと思う。
楽しげに忍び笑う白い客人の言葉は(後半はともかく)尤もであったので、大人しく身を引いて客人のために道をあける。無意識だろうが存外に素直に階段を上がってくれた主のおかげで十分もかからずに辿り着いたベッドの上によっこらせ、などという見目に合わないかけ声と共に客人が主を横たえたのを確認して、ベッドサイドに用意してあった水をグラスへと注いだ。
「光坊、ほれ起きろ。お前さんの愛しの我が家に帰ってきたぞ」
口にして主を揺さぶる客人の手つきは少々乱暴にも見える。泥酔状態の人間にそれはあまり宜しくないのではないか、と不安になりつつ見守る国広の目の前で、転がっていた主が小さく呻いた。
「起きたか。とりあえず水飲め。体内の酒を薄めろ」
客人の言を呑み大人しくグラスの中身を干した主は、それでもまだどこかぼんやりとしている。眠そうに瞬く様が猫のようで、失礼と知りながらつい笑みを零してしまった。
「よし飲んだな。明日を楽しみにしてろよ」
くつくつと笑った客人が唐突に国広を振り返る。反射的に背筋を伸ばすと、金色の瞳が楽しげに細まって。
「・・・申し遅れた。俺は鶴丸国永、君の主人とはそれなりの付き合いだ。友人、ってやつだな。で、君があれだな。光坊の掌中の珠だろう?」
「は・・・・・・?」
自己紹介に続いた予想だにしなかった単語に、礼を取ることも忘れて間抜けな声が漏れる。一歩、国広との距離を詰めた鶴丸は、へえ、だとかほう、だとか呟きながらまじまじとこちらの顔を覗き込んできた。主の友人に滅多な態度を取るわけにもいかず黙してその視線を受け止めていた国広の瞳を最後に覗き込んだ鶴丸は出会って一番の笑みを開かせる。
「なるほどなるほど、こりゃあ光坊の気持ちもわからんでもないな。これだけの美人、独り占めにしたくなるのが男心ってやつか」
「あ、の・・・仰ることの意味がよく、」
「君は知る由もないだろうが、俺たちの間では君のことはよく話題に上るんだぜ。『伊達男がその愛情のほとんどを捧げる花』ってな」
「・・・・・・は?」
鶴丸が楽しげに語る内容は俄には信じがたい事実だらけで、国広を容易に混乱させた。自分は彼らと顔を合わせたことすらないと言うのに、いつの間にそんな大それた事になってしまっているのだろう。誤解も甚だしいと執事の立場も忘れ反論に開きかけた口を閉じさせたのは誰あろう主その人だった。
「鶴さん・・・余計なこと言わない。国広、ただいま。みっともないところを見せてごめんね」
「あ・・・お帰りなさいませ、旦那様」
「なんだ、聞いてたのか」
「聞こえてたよ」
ゆっくりと身体を起こした主がやれやれとばかりに肩を回す。紅茶が飲みたいという呟きにお持ちしますと応えれば、一人分でいいからねと釘を刺された。よろしいのですかと問う前に、本人から不満の声が上がる。
「おいおい、ここまで運んでやった恩人にそれはないだろ」
「それは感謝するけど、お礼はまた今度。これ以上余計なこと言われちゃ敵わないし、さっさと帰って欲しいな。夜道に気をつけてね」
「君・・・薄情なのか気遣いできるのかわからないな・・・」
やれやれと、鶴丸が肩を竦める。観念したかのように両手をひらりと挙げて、白い体躯が踵を返した。客人を一人で帰らせる訳にはいかない。慌てて先に立ち寝室のドアを開けた国広をちらと見て、鶴丸が二度、楽しげに肩を震わせる。
「いいことを教えてやろう。君の主はな、俺たち友人の目に触れさせるのが勿体ないと宣って、再三要求してるのに頑なに君を同席させようとしないんだぜ」
「え・・・」
「つるさん・・・・・・?」
恐らく主にとって最も「敵わない」だろう事実をあっさりと暴露していく客人の暴挙に、主の終ぞ聞いたことのないような地を這う声音が辺りに響く。それにけらけらと笑いながら、また明日な、と告げた鶴丸が自らの屋敷に帰っていったのを見送って紅茶と共に戻った国広を待っていた主の眉間には皺が刻まれていた。
「失敗した・・・」
まるで呪詛の如き呟きには自己嫌悪がありありと浮かんでいて、茶器を手渡しながら国広はそっと主に声をかける。
「その・・・旦那様。先程の件ですが・・・聞かなかったことに致しますから」
「うん? ああ・・・いいよ、もう。どのみちあの人、そろそろ屋敷まで押しかけてきそうだったしね」
時間の問題だったと、主は言う。先刻よりも幾分かすっきりした顔で紅茶が美味しいと笑う主の雰囲気にもう険は見受けられない。ひとまずはよかったと安堵の息をつく国広を見上げて、主は覗うように整った眉を下げる。
「僕の我が儘で君には窮屈な思いをさせたね。ごめん」
「いえ・・・その、旦那様が私をお連れにならないのはこの身が未熟であるからと、」
つい口から出た余計な一言に、主が目を見開いた。ぱちりぱちりと、黄玉が見え隠れする。
「そうか・・・そんな風に考えていたのか。それなら尚更君には申し訳ないことをしてしまったな」
先よりも更にすまなそうに呟いた主は、カップをソーサーへ戻し、真っ直ぐに国広を見つめて口を開いた。
「僕は君を未熟であるとは全く思っていないよ。どこへ伴っても胸を張って当家の執事だと言える。ただ社交界というのは色んな人間が集まるから。その・・・君が良からぬ輩に目をつけられないかとか、どこかの淑女に目を奪われないかとか、・・・それが不安で」
続いた言葉のせいで、ふわりと歓喜に湧いた心は感謝の言葉を紡ぐ前に笑みを形作る。主の杞憂は全くの見当外れだからだ。こんなにも素晴らしい主に恵まれているというのに、今更どこの誰が見えようものかと。
「私の武術の心得は貴方にもお認め頂いている程でございますし、私にとって貴方以上の主はこの先も現れません。どうぞご心配なく――光忠様」
「・・・・・・君は本当に、容赦なく僕をコロしにくるね・・・」
恐ろしい子だと軽く首を振った主が差し出すカップに二杯目の紅茶を注ぎながら思う。主が己に供を許してくれない理由が先の言葉で全てなら。
「また今夜のようなことがあっては困りますから、今度からは私もお連れくださいね」
「・・・・・・考えておくよ」
許されない理由はないと思うのに往生際悪くそんな答えを返してくる心配性の主に、国広は三度笑みを浮かべるのだった。
貴族忠さんは(本丸忠さんより)独占欲強いくらいが萌えますとても!!
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