黒白の刀

復讐から生まれた二振りの御神刀の話。
今の刀の知識や文化の流行がまだなかったころの時代のものなので、いろいろおかしいですが和風ファンタジーということで大目に見てください

1.

 あなたさまが、この宮にやってきた理由は存じております。この宮に奉られている刀の拝観を求めてのことでしょう? ええ。その刀はここに。今私が手にしている白木の拵えと黒漆の拵えのものにございます。
 御神刀は二本あるのかと?
 はい。この刀は二本で一対。黒漆のものは、それ一本では人の手に余る血に餓えた嵐となる。白木のものは黒き刀を鎮めるために、威力を発揮する。かつて刀神に愛された一族の名工が、己が命を削って打った刀にございますれば、どちらも人並み外れた――刀神の威力を秘めた傑物でございます。
 もしよろしければお聞かせいたしましょうか?
 なぜ御神刀が二本あるのか。それを打った者と振るった者の物語を。 


2.

 当時はどこもかしこも戦の炎で包まれておりました。遠い都でわき起こった跡目争いの火種が、いつの間にやら諸国に及び、全く関わりなき民をも巻き込んで燃え狂ったのでございます。今の世からみれば遠い遠い昔のこと。十年の長き月日に及び、ようのことで鎮火した足利の時代に起きた応仁の大乱のことにございます。骨肉の争いで当事者たちが命を落とすことは自業自得でございましょうが、平穏な時を望んでいた者をも巻き込んだ争いへの憤りは――どこへ持って行けばいいのやら。
 その一族は、名の知れた刀工の一族でございました。
 刀工というのは少々語弊がありましょうが、ともかくも刀の神に愛された一族だったのでございます。鍛冶師となり、刀を造る方に回る者。腕を買われ、刀を振るう側に回る者。造る側と使う側、両方がこの一族には備わっておりました。
 ええ。刀打ちであれば、恐れ多くも武士として戦で名をあげるというわけにはいきませぬ。
 ただ戦乱のうち続いた時代のことであれば、職人、百姓であっても、時に武器を手に取り、戦にかり出されることがございました。素人の中に混じって、かの一族の者が抜きんでて目覚ましい働きをしたことで、その腕のことが伝えられたのでございます。
 かの一族の打ち出した刀は世に二つとない傑物となり、血族の打ち出した刀を振るう者は比類なき剣豪となる、と。
 ですがこのときは、そうした血のなせる技が裏目に出ました。危機感を覚えた敵方の手が、その一族に及んだのでございます。

 突如馬のいななきとと共に訪れた武士たちは、情け容赦ありませんでした。
 相手は刀打ち。たとえ戦場で名をあげる腕前とは言っても、ひとたび村に帰れば粗末な衣に身を包み、一家団欒の時を過ごす、ただの民草にございます。あまつさえ、その来襲は夜陰に紛れた完全な不意打ちでございました。高貴な者をそのように襲ったら卑怯者と罵られたことでございましょう。けれど相手は身分の低き者ども。わざわざ礼儀を重んじることもなかろう、と。
 襲われた者たちは抵抗する間もございませんでした。一族皆ことごとく――血統を恐れてのことならば女子供、生まれたばかりの乳飲み子に至るまで。あっという間に闇にきらめく刃に屠られ、絶命いたしました。それはもうあちこち血しぶきが飛んで。目を覆うばかりの惨状でございます。
 しん、と誰一人息をするものいなくなったのを見計らって、武士たちは引き上げました。
 一族皆ことごとく――
 いえ。本当は、わずかばかり生き残った者たちがいたのでございます。
 ちょうどそのとき一族の中で十になったばかりの娘が病にかかり、一つ山を越えた別の村の医者の元にやられておりました。その娘を見舞って彼女の従兄弟にあたる兄弟が二人、連れ添って出かけていたのでございました。おかげで娘と兄弟、その三人だけは難を逃れたのでございます。
 けれどそれを幸運なことと片づけるのは、あまりに惨いことでございましょう。
 快復した娘と連れ添って三人、意気揚々と戻ってきた者たちの目に映ったのは、血にまみれた家屋と永遠に語ることのない骸ばかりであったのですから。


3.

 生き残った三人は、年端のいかぬ子供でございました。
 一番年上だった兄は名を竹房といい、年は数えで十五歳。弟の若房は十二歳。快癒した娘は名を小菊といって、先にも語った通り十歳でございます。
 明日が当たり前にあると信じて疑わない輝きに満ちた年の頃であるはずでした。特に、病を得て生きるか死ぬかの数日を過ごした小菊にとって、無事に危機を乗り越えた今からが、楽しみの連続となるはずでございました。けれど突然降りかかってきた惨劇は、深く激しく三人の心をえぐったのでございます。
 それだけではございません。家を奪い、ぬくもりを奪った惨状は、三人の居場所までもを奪ったのでございます。
 懐かしの土地に戻ってきたその足で、三人はすぐさまその地を離れなければならなかったのです。
 生きていることがしれたら、自分たちの命を狙って再び追っ手がくる。そうした恐れもありました。また恐れおののく村人たちによって、追い出されたも同然な形で、三人はとって返す勢いで住み慣れた土地を後にしなければならなかったのでございます。
 …………。物心つかぬ頃だったら、傷の修復も可能だったかもしれません。
 ですが嵐のように訪れた惨劇は、なんの構えもなかった心には刃の雨のようなもの。決して癒えない傷となって刻み込まれたのでございます。
 幼いとは言ってもすでに十歳を過ぎた者たちでございます。何がどうなったのかわからぬと、記憶の底に封じて消し去ってしまうほど、幼くはなく。すべてを水に流して蓋をして新たな生き方を選べるほど、大人でもございませんでした。
 柔らかな心ゆえに三人は至極単純、純粋に誓ったのでございます。
 復讐を。
 一族を襲ったのは、はるか遠くまで名の知られた氏族の者であると聞いておりました。何十人もの家来を引き連れた、屈強なる武士の一族だと。
 武士など恐れ多くて近づくこともできないはずの方々でございます。けれどそれでも。若さゆえの単純さと純粋さで、三人は復讐を誓ったのでございます。
 そのためになら、どんなこともする。何を犠牲にしても構わない。
 明日があるという希望は、明日の保証なんてどこにもないという絶望に変わりました。そして何を犠牲にしても惜しくはないと思うほどの、熱く強い憎しみを生んだのでございます。


4.

 戦乱の中にあって親子共をなくした、彼らのような身の上は珍しくありませんでした。
 餓えによりそのまま骸となる者も多い中で、三人は必死の思いで生きる手段を得、力を合わせて日々を過ごしておりました。復讐を遂げる。そのためだけに積み重ねられた日々ではございましたけれども、そうした強い思いがあったからこそ、三人は厳しく辛い中でも生きる意志を研ぎ澄ませていられたのでございましょう。でなければ絶望に心を食われ、一族の後を追って黄泉路につくという方向へ流されていたでしょうから。
 兄・竹房は早くから鍛冶の現場に入って、炉の熱さと鉄を打つ響きを間近に育った者でした。ですから刀鍛冶として親方について修行を重ね、若くして一人前と認められるほどの鍛冶師になったのでございます。
 弟・若房は刀の腕に秀でておりました。幼い頃から刀の稽古を受けておりました。刃を振るう身のこなしには一分の隙もなく、その腕を買われ、主に戦場を稼ぎの場としておりました。
 小菊は美しい乙女に成長しておりました。その器量をもって稼ぎを得る最中、お客を楽しませる嗜みとして舞を覚え、いつしか飾り刀をもって神社に奉納する舞を踊るまでに至りました。
 三者三様それぞれの特性を生かし、月日を重ねたのでございます。
 けれど、それは復讐のための日々でございましたから、復讐のために命を差し出すことになれば、ためらわなかったのでございます。


5.

 あの悲劇から五年。刀の神は彼らを見捨てませんでした。
 ある夜三人の夢枕に、信託が下ったのでございます。
『一途なまでのその想い、叶えてつかわそう。ただし願いを叶えるにあたって、その代償を頂かなくてはならない。
 お前たちは「時」と「心」と「命」、それぞれ一つずつ捧げなければならない。
 誰が何を捧げるかは相談して決めるがよい』
 目覚めて三人は各々の夢を語りあい、その内容が全く同一だったことを知って、この神託が本物であると確信いたしました。
 復讐を叶えるためには、時と、心と、命が必要。
 相談するべきは、それぞれが何を捧げるかという点でございましたが、実のところそのことについて相談する必要などなかったのでございます。少し考えればあっさりと定まることでございました。
 最後まで抵抗したのは、弟・若房でございました。
 自分の身を惜しんでのことではございません。残り二人のことを案じての抵抗でございました。
 ――復讐。
 実践者は、どう考えても若房しかおりません。小菊が祈りを込め、竹房が刀を打ち出し、若房が仕上がった刀を振るう。それが三人の中での暗黙の了解でございました。
 さすれば刀の振るい手である若房から「命」と「時」を奪うわけにはいかない。竹房は刀を打ち出す身であり、研ぎ直しを引き受ける身であれば、「命」だけは残しておかねばならない。だとすれば。

 小菊が、神刀のための贄として、命を捧げる。
 竹房が、生涯分の活力すべてを注ぎ込んで、刀を打ち出す。
 若房が、人としての心を捨て、鬼神となって刀を振るう。

 それしか残されてはいないのです。もしかしたらこのことを見越して、神はこの三つの代償を求めたのかもしれません。
 若房だけではございません。抵抗心は竹房の中にもありました。もちろんそれは命を奪われる小菊を案じてのことです。けれど一番熱心に説得に回ったのは当の小菊でございました。自分が贄となることで復讐が遂げられるなら、これほど嬉しいことはない。だから構うなと。
 熱心な小菊の言葉に、とうとう竹房は折れましたが、若房は尚も抵抗を続けました。
 復讐のみを心の支えにして生きてきた。そのほかの幸せをうち捨てても構わぬほどに。そんな荒んだ心の内で、それでも若房の中には――小菊に対する仄かな想いが芽生えていたのでございます。
 小菊もまた精悍な若房に、心惹かれるものを感じないではありませんでした。ですが心に根付いて今や自分の一部と化してしまった憎しみの炎を捨てることはできませんでした。ゆえに小菊は若房への想いをなきものとして、きっぱりと拒絶したのでございます――本当に憎しみは、人の心を曇らせます。
 結局は当初の予定通り、事がなされました。若房はぽつりと呟きました。
「これが心を捧げるということなのかもしれないな」


6.

 小菊は山奥の上流の清らかな流れに身を沈め、禊ぎを行いました。そして身を清め終わった後、持っていた短刀でその喉を突いたのでございます。あふれ出た鮮血は川に乗って、あっという間に流されていきました。
 竹房は、一人鍛冶場にこもり、朝も夜も寝る間も惜しんで鉄を叩き続けました。きんきんと澄んだ音が響き続け、一番最後に蒸気の音があがりました。とぎすまされた刃を冷やすため水桶に刀を浸します。その水桶の中身は、小菊の血が流れたあの清流から汲んだ水でございました。
 一降りの刀を携えた兄の姿を見て、若房は愕然としました。
 若さに満ちあふれていた二十歳の兄の姿が、六十過ぎの翁の姿に変わっていました。黒々していた髪は薄い白髪に変わり、みずみずしかった肌は皺の刻まれ乾いたものへと変じていたのです。
 渡された刀を引き抜いて、再び若房は目を見開きました。
 柄と鞘は黒漆を塗り込めた闇の色をしたものでしたが、鞘から引き抜いた刃も同じように黒々とした色に染まっていたのです。打ち出されたばかりの刃は銀灰色に輝くものだというのに。竹房が語るには最後の仕上げに水に鎮めた瞬間、一息に刃が黒く染まったそうです。
 復讐の色。呪いの色。小菊の命、竹房の時間を吸い込んだ色。
 切れ味を疑いたくなるような粘るほどの漆黒の刃。ですが尋常でない外見同様、その切れ味も尋常ではありませんでした。一閃すれば生身の人間は言うに及ばず、厚い肉に包まれた馬の脚でも鉄板を重ねた甲冑でも易々と裂いたのでございます。
 もともと腕の良い、若房のこと。何物をも通す刃を手に入れた彼を、阻める者などおりませんでした。 
 ですから若房はただ目当ての一族が合戦する中、黒刀を一振り携えて飛び込むだけで済みました。あっさりと敵陣の中に切り込み、目に映るものをすべてを屠り、目的の大将の首を軽々とはねました。驚くほど簡単に、復讐は遂げられたのでございます。
 ……そんなに簡単に終わってしまっては、これまで積み重ねてきた憎しみと苦労のやり場に困るほど、あまりにもあっさりと呆気なく。


7.

 ここで、すべては終わるはずでございました。
 ですがそれでは終わらないのが、憎しみから生じた業というものでございます。

 刀が――使い手の所有物としてではなく、刀そのものが『名を残す』というのは、どのような場合でございましょうか。
 聖なる力で使い手を守護する神刀と認められたときか。逆に血に飢え、使い手を取り殺す呪いの刀としてか。おそらくは正負どちらかの相を極めた場合に語り継がれるのではないのでしょうか。
 若房が振るう刀は『復讐』という黒い心から生まれたものです。その刀は復讐を遂げたことで目的を果たしたのではなく、ようやく、真の意味での完成を果たしたのです。
 復讐を終えたとき、若房が思ったのは小菊と兄のことでした。
 事が済んだら若房は兄の元に戻り、その世話に尽くすつもりでございました。そして兄が寿命を終えたら――おそらくはそう遠い先のことではないだろうと思っておりました――自分も二人の後を追おうと。これからの人生は余生のようなもの。復讐を遂げた今生きる意味はない。
 そう思えば、村を焼かれたときより殺伐と張りつめていた心がようやく緩み、安らぎさえ覚えたのでございます。
 そのとき若房の耳に声が響きました。「我は千の血を欲して眠る」と。
 その意味をつかむ前に、若房の意識がふっと遠のきました。

 戦場で、一つの噂がささやかれるようになりました。
 黒塗りの刀を携えた若武者の話。鬼神のごとき強さを誇り、目にした者は必ずや命を奪われる。敵味方、関係なく、それはもう無慈悲なまでに冴えた剣筋と残忍さで彼の者の通った後は血の道が築かれる。
 血を吸うたびに彼の手に握られた刀は、黒々と深く輝き、力を増すのだと。


8.

 精も根も尽き果てた老人となって余生を過ごす竹房の耳にも、その噂が聞こえてきました。
 まさか弟がそのようなことを、という竹房の不安を見透かしたかのように一通の文が届けられたのでございます。慌てて開けば、そこに記されていたのは、弟の悲鳴でありました。
 ――手にした刀に操られ、誰彼構わず血を求めてしまう。千の命を奪うまでは、この殺戮は止まらないのだと。
『刀を振るっている間、意識はない。
 おそらくは血の香に酔ったまま相手の首を跳ねているのだろう。それでも事が終われば正気に返る。血に塗れた刃を見て、愕然となる。もういい。もう終わったと叫んでも、刀は止まってくれない。刀を手放そうともしたことも一度や二度ではない。だが、いつの間にやら刀は自分の手の中にあり、真新しい骸が足下に転がっている。
 思いあまって、自らの胸に刃を突きたてたこともある。
 けれど気づけば血塗られた刀を握り、山ほどの骸が転がる中に一人きりで立っていた。貫いたはずの胸の傷は消えていた。命を絶つこともできない。刀が目的を達するまでは不死の身体であることに震えを覚えた。
 助けてくれ、などと言う資格がないことはよく知っている。
 けれど放っておけば、この手が、この刀が、無関係な者の命を奪っていく。
 そして――自分たちと同じように、復讐にかられて、呪いに囚われる者を増やしていってしまう。だから、どうにかして自分を止めてくれ。兄上の前に姿を現したいが、こんな状態では兄上に危害を加えないとも限らない。
 自分が正気でいられる間に文をしたため送る』
 若房からの文は、そう結ばれておりました。


9.

 復讐の代償に、若房が捧げたのは「心」
 それがどのような結果をもたらしたのか竹房は悟ったのでございます。悟って、初めて、はげしく後悔いたしました。
 後悔は、復讐にかられた日々すべてを否定することにつながるゆえに、今までしたことはありませんでした。けれど小菊を失い、気丈であったはずの弟の悲鳴を聞いて、初めて自分たちが行ったことがいかに厳しく罪深いことであったか悟ったのでございます。
 憎しみを蓄え育て上げ、満を持して放つと、その想いは他人に移って、広がっていくのでございます。
 止めなければならない。鎮めなければならない。それは刀にとらわれた弟に対する想いでもありましたし、自らが生んだ黒刀に対する想いでもありました。
 刀の神に愛されたほどの腕前を持つ、竹房でございます。刀を鎮める責任を感じ、同時に冷静に刀を鑑定する目が別の懸念も生んでおりました。
 ――千人を斬ったら、あの刀は本当に鎮まり、終わるのだろうか、と。
 鉄のかたまりから生み出された一振りは、すでに一個の美しさと力強さを兼ね備えた生命を持っております。ましてや竹房が憎しみに駆られた手で打ち出した刀であれば、強い負の気をもった荒れ狂う嵐となって当然のもの。
 今生で千の命を奪って若房を解放しても、次なる使い手を見つければ、再び暴れ出すのではないか。
 ならば、あの刀を満足させる方法ではなく、鎮める枷を用意しておかなければならない。
 刀鍛冶は神聖な仕事でございます。一刀一刀、精魂込めて打ち出した刀は神への供物ともなるもの。その本来の役目を今ここで取り戻すことはできないだろうか。
 それが、あまりに都合の良い願いであることは、竹房も重々承知しておりました。「何を犠牲にすることもいとわぬ」という条件で復讐の力を授かっておきながら、いざその力を手にしたとたん、その威力の大きさと恐ろしさに全てをなかったことにしたいと願い始めたのです。あまりに身勝手な願いは、神の怒りに触れ、罰を下されるかもしれない。それでも構わない。
 復讐のために、時と、命と、心を捧げた。
 もう一度今度は自らの信念を持って、代償を捧げよう。
 自分は鍛冶師。刀を打つことしか能がない。刀神が優れた刀を欲する神ならば、もう一刀、その御心に叶うほどの傑物を打ち出して見せよう。だからどうかその一刀に黒刀を封じる力を与えてくれ。この竹房の心と腕に免じて、どうか愚かな願いが生んだ黒い嵐を鎮めてくれ。
 そうして祈願すること百度。
 祈願が済めば、食を断ち、竹房は一人籠もって、再び刀を打ち始めたのでございます。
 すでに竹房の身体は60過ぎた翁のもの。無理のきく身体はございません。無茶を続ければどうなるか――竹房は自分でよく知っておりました。それでも竹房は己が身体にむち打って、刀を打ち続けたのでございます。
 肉のそげ落ちた身体の中で、竹房の目だけが若かりし頃と全く変わらぬ、鋭く澄んだ色を湛えておりました。


10.

 走馬燈というのをご存じでございましょうか。
 臨終の際、今まで自分が通ってきた人生の道筋、それら一つ一つが、ぽうっと明かりに照らし出されるように浮かび上がる現象にございます。あれはどのような力をもって、行われるのでございましょうね。
 川に身を沈めた小菊は、深い闇でいくつもの場面を眺めておりました。
 浮かび上がるのは小菊の記憶だけではございませんでした。彼女があずかり知らぬはずのその他の事々――小菊が心に強く案じる者たちの身も、映したのでございます。魂魄は身体を離れれば、時間も距離もものとはせず、自由に行き来できるのでしょう。
 小菊は魂一つとなって、黒刀に関わる出来事を総ざらいしたのでございます。

 自分たちの留守中、一族を襲った武士のこと。
 舞の稽古に励み、時に意に染まぬ相手と一夜を過ごす、若かりし自分の姿。
 信託を受け、頭をつきあわせ、声を荒げ、三人で相談を重ねた夜のこと。
 刀を打ち出し、翁のように白髪となった竹房。
 黒刀を構え、見事宿願を果たした若房の顔。
 その若房の耳に囁いた呪いの言葉。
 数多の命を奪い続ける我が身を嘆き、一度など自らの胸をついた若房。
 そんな弟のことを知り、胸が灼かれるほどの後悔を味わった竹房。
 刀工の誇りを再び燃え上がらせ、祈願に励む竹房。
 一心に刀作りに励む竹房の心には、熱意と後悔が渦巻いておりました。
 本当は、自分こそが止めなければならなかったのだ。年長者ならば、自分こそが憎しみの手綱をとり、二人を鎮める役目を負わなくてはならなかったのだ。それなのに背を押すような真似しかしなかった。

 ――違う。
 若房の絶叫と竹房の後悔を聞いて、小菊もかぶりを振りました。おそらく三人の中で一番復讐心が強かったのは自分だ。何かを強く憎まなければ立っていられなかった。生きてゆけなかった。竹房と若房は、自分のそんな想いに付き合ってくれたのだ。
 それなのに肝心の自分はいとも簡単に彼岸へ渡ってしまった。役目は終えたと早々に身軽になり、一番辛い部分を押しつけて逃げ出したのだと。
 憎しみは時を浪費し、心を損ない、命を削るものであるのだと、ようやく悟ったのでございます。
 どんなに謝っても、どんなに涙を流しても、もう届かない。それでも口から言葉がついて出たのでした。
「ごめんなさい」
 そのとき、きんと澄んだ音が闇一杯に響き渡りました。
 水を打つような、この上なく、清らかで、澄んだ音でございました。それは竹房が刀を打ち出す音でございました。そして突然小菊の周囲が白い炎をたいたように、眩く明るくなったのでございます。

11.

 目を開ければ、小菊は檜の香が漂う小さな社の中におりました。
 身を起こして当たりを見回すと、驚きで目を見張っている竹房の顔がありました。
…………小菊!」
 枯れ枝のような竹房の手には、白木の鞘に収まった細振りの刀が握られておりました。
 最初小菊は、竹房が三途の川を渡ってやってきたのかと疑いました。ですが小菊は、やってきたのは自分の方だと気づいたのでございます。しっかりと床の上に立つ足がある。身体の重みを噛みしめている――自分の方が川を渡って、舞い戻ったのだと。
 そこは間違いなく現世でございました。
 精魂込めて神刀を打ち出した竹房への褒美か、それとも竹房自身が自らの命を糧として反魂の奇跡を呼んだのか。いずれにしろ蘇りの奇跡の具現に二人は驚きながらも素直に受け止めていたのでございます。
 竹房が打ち出した神刀。
 それが若房の持つ黒の刀を止めるためのものならば、その刀を振るえるのはただ一人。共に黒刀を生み出した小菊でしかありえなかったのでございます。
 小菊は当然のように両の手を空へさしのべ、竹房も当然のように、その手に刀を乗せました。
 刀には刀を持って制するしかないのでございます。

 全てを心得て憂いを帯びながらも凛と澄んだ小菊の目を見て、竹房ががっくりと膝をつきました。その口から震えるような声が漏れました。
「済まない。こんなことなら若房にお前を娶せ、新しい生活を築くのだった……
 小菊はかぶりを振りました。それを断ったのは自分自身。竹房が悔やむことはないのです。
 酷なことを強いるという負い目が竹房に自責の念を抱かせるのでしょう。竹房は告げました。
「その刀はお前を守り、若房にとりついた呪いを払ってくれるだろう。けれどそのためには、振るい手の心に迷いがあってはならない。――ためらってはならない。ためらえばこの刀は威力を失い、その加護も失う」
 小菊も震える身体を押さえるように手渡された刀を抱きしめ、深く頷いたのでございます。

 小菊が頷いたのを見て、竹房は全てが終わったと感じたのでしょう。
 彼を今の今まで支えていた気力の糸がぷつりと切れました。竹房は床に崩れ落ち、そのまま息絶えたのでございます。
 息絶えるその瞬間に竹房の身体が細かな銀の粉に包まれたかのように、白くけぶりました。その途端髪は黒々とし、身体には若さの張りが戻ったのでございます。
 けれど、息だけは止まったままでございました。


12.

 名工・竹房が最期に生んだ二振りの刀。それは互いが互いを制する双子のような持つものでした。
 そのうちの一方は若房の手に。もう一方は小菊の手に。男と女が惹かれあうようにこの二本の刀もまた、互いに引き合うのでございます。

* * *

 若房は一人森をさまよっておりました。
 戦が続いているうちは――自分が身をおける戦場があるうちは、まだよいのです。けれど争いが収まって、しばらく平穏な日々が続くと、徐々に刀が血を欲し始めるのです。それは獣が腹を空かせて餓える様子と、よく似ていました。そうなると刀は獲物を選ばなくなるのです。
 一度だけ刀の飢えが極限に達したときがありました。
 そのとき刀は、平穏な生活を営む里へ突如押し入ったのでございます。
 戦の炎も及ばぬような小さな里。武器の扱いに長けた者など、誰一人としていないような小さな集落。か弱い者たち相手に容赦なく――女、子供が相手でも構わぬと――暴れたのでございます。
 ……自分がかつて味わった苦しみを今度は与える側として。
 若房が我に返って、自らの胸を突き刺したのは、このときでございます。もう耐えられないと思ったのでございます。けれど刀は未だに手の中にあり、未だに自分も生きて動いている。
 いっそ狂ってしまえば楽だろう。
 けれど若房の良心が、それを許さなかったのでございます。
 刀を振るっているその瞬間こそ我を忘れていても普段正気でいられるならば、こうして身を人から遠ざけていられる。血を求めて刀を振るうなら、せめてそれは戦場にだけに留めておきたい。
 こうして若房はなるべく人気のない険しい森や獣道などを選び、戦場から戦場へ渡り歩いておりました。それは死に場所を求めてさすらっている姿でもありました。


 さらさらという水の音に導かれるうちに、若房は小さな沢へと出ておりました。月は雲にまぎれ、ぼんやりとかすんでおります。細い水の流れが、にぶく糸のように輝いておりました。
 そこはかつて小菊が身を捧げた、あの川の上流でございました。
 そして若房は沢の対岸――森の入り口付近に、この場には似つかわしくない不可思議な輝きを見つけたのでございます。ぼうっと、それでいて清冽な青白い輝き。じっと目を懲らし、それが刃の輝きであることに気づいて、若房は目を見開きました。
 月の光を反射して光っているのではございません。刃そのものが光源となって、水のような青白い光を放っているのでございます。
 その光に照らされ、ぼんやり浮かぶ姿は、よく知った者でありました。
 白い袴、微かに色のついた上衣。頭上高く水引で髪を結った男の出で立ちでありましたが――それは小菊でございました。
 なぜ、と問う気持ちはもう湧きませんでした。小菊が両手で構えた刀を見た瞬間、若房には、全てがわかったのでございます。ほっと安堵のため息すら漏れました。
 兄上と小菊が、来てくれたのだと。
 けれども若房の想いとは裏腹にいつものように意識が遠のく感覚に襲われました。
 若房は必死で唇を噛みしめました。
 森をさまようこと数日。刀は血に餓えておりました。持ち主の意識など省みず、ただ刀は嬉しそうに嘶くばかりでした。

* * *

 刀を構えて自分めがけて沢を渡ってくる若房の姿に、小菊は咄嗟に動くことができませんでした。
 けれど小菊の持つ刀は、きちんと反応をしめしたのでございます。導かれるように腕が動いて、黒刀の一撃を跳ね返しておりました。きん、と高く澄んだ音が川面に響き渡りました。
 きん、きん、と。
 水の音に混じって上がるのは刀が刀を打ち返す音ばかり。二つの影は入れ替わり立ち替わり、まるで踊るようについては離れることを繰り返すのでした。
 何度目のことか若房の振るった刀を、小菊は己の刀で受け止めました。絡んだ刀ごしに二人の目が合いました。そこで小菊は胸を突かれたのでございます。若房の目は握った黒刀のように何の光も宿さぬ一面の黒でございました。そこには狂気の光すら見いだすことができませんでした。
 堅く凍ったような一面の闇が浮かぶだけだったのでございます。
 若房は確かにその印象を大きく変えておりました。かつての健やかな精悍さは失われ、殺伐とした気配に身を削がれているような、荒んで乾いた空気ばかりをまとっておりました。
 それは恐ろしいというよりは、痛ましいものだったのでございます。村を追い出されたばかりの頃、復讐だけを支えに生きてきた自分たちの姿そのものでありました。
 ためらっては、ならない。
 そう言われておりましたが若房の闇の目の正体に気づいてしまった瞬間、小菊が心に封じていた思いが弾けてしまったのでございます。
 ――できない。
 腕から力が抜けるのを感じ、握っていた刀から光が失われていくのを見ました。
 自分がこの手で若房を斬ることが、彼自身の望みを叶えること、彼を救うことだと、よくわかっておりました。それでもやはりできない。ああ、と小菊の瞳が絶望に翳ったとたん、熱のような強い力を間近に感じました。
 若房の手でした。黒い瞳の中央一点に小菊が握る刀のような、蒼い輝きが戻っておりました。どれほどの意志の力だったのか、一瞬だけ正気を取り戻した若房は、自らの刀を沢へ投げ捨て、小菊の手に自分の手を添えたのでございます。
 白木の刀は、再び水のような清らかさを取り戻して輝きました。
 その刃先はちょうど若房の首筋に触れておりました。力を込めて若房は小菊の手ごと刀をぐいと引いたのでございます。

 若房の身体が揺れ、地面に崩れ落ちかける若房を咄嗟に小菊は抱き留めておりました。寄り添うようにしゃがみこみ、ただ茫然と小菊はその場に佇んでおりました。
 落とした白木の刀はその輝きを失い、しずまりかえっておりました。一方若房が落とした黒い刀も同様に、沢の水に浸されて水底でしずまりかえっておりました。
 ぽつ、ぽつ、と頭上から雨が降り始め、やがて、ざあざあという勢いに変わりました。
 血も涙も洗い流す雨に打たれるまま、私たちはそこに佇んでいたのでございます――


13.

 これが二振りの御神刀の由来でございます。ええ。私はこの刀の威力も、業の深さも、よく存じております。自分が手にした刀でございますれば、それはもう骨身に染みて。
 困った顔をなさっておいでですわね。
 あの話には最後にもう一つ、続きがあるのでございます。最後若房を斬ったとき、小菊の身には彼の血が降りかかりました。若房は言っておりました。貫いたはずの胸の傷は消えていた。命を絶つこともできないと。
 同様に小菊の身にも不死の呪いがかかったのでございます。
 ――小菊の身に課されたのは、刀の守り手となること。
 若房が殺めた分の「命」の償いが終わるまで、この世に留まり、刀を守り続けること。
 ええ。神が求めた代償の中には「時」が含まれておりましたから。

  あなた様は刀を見に来たとおっしゃいましたが、本当は刀だけではなく、私のことも知りたいとお思いになったのでしょう? 山奥の小さな宮に百年姿の変わらぬ巫女がいるとの噂の真偽を確かめるべく。
 すべてが終われば、この黒塗りの刀もまた浄めの刀として浄化されるのでございます。そうなれば白木の刀も役目を失う。二本の刀は一つとなり、ようやく寄り添うことができるのでございます。そうなれば、私もようやく――
 ええ、もちろん私の話を信じるか否かは、あなた様の自由にございます。
 けれどこの二本の刀。不思議なものでございましょう? 人を殺める道具であるのに、こんなにも美しく、恐ろしい。
 こんなものを生み出せる、そしてこんなものを求めてしまう人の心の業は本当に深いもの。つくづく私はそう思いますのよ。