願いの賭け

戦場に赴いた二人の親友が、それぞれの思いを向ける相手のために手紙を託す話。シンプルな掌編。

『親愛なるアゼフィールド、ジェザール。マリアのことに関して、お前たちに残念な報告をせねばならない』
 ローレイルから届いた手紙の宛名は、自分とジェスへの連名になっていた。だがアゼルは硬い顔つきで何度も文面を読み返すと、そっと手紙を折り畳み、近くの炉にくべた。白い紙は見る間に朱色の炎につつまれ、やがて灰となって散った。親友ジェスのまったく知らぬ間に。

* * *

「じゃあ俺の手紙はマリアに渡してくれ。ところで何でお前はいつもローレイル様宛てなんだよ。マリアには?」
 手紙を交換し終え、真っ先に封筒の宛名を確認したアゼルが不思議そうに問い返した。ジェスが苦笑する。
「お前もマリアで、僕もマリアに? どっちにしろローレイル様に手紙が渡れば、それが廻ってマリアにも伝わるさ」
「ふぅん」
 アゼルが片眉をあげて自分を探るように見つめた。
 最後なら、マリアにだけ特別に伝えたいことがあるんじゃないのか。
 見抜かれている気がしてジェスは視線を逸らす。全くない、とは言えない。けれどすでにマリアがアゼルを選んでいる以上、たとえ自分が死んでも、それを伝えることは――手紙に残すことも――絶対にできなかった。
 無言のジェスに気まずさを感じたのか、アゼルが気を切り替えるように笑いながら手紙をかざす。
「ま。別に誰が相手でもいいか。どうせこの手紙、今度もお前に返して破り捨てられることになるだろうしな」
 その言葉にジェスも微笑み返した。

 当時戦場に赴いた騎士たちの間では、一番親しい同胞に手紙を託し合うことが慣行となっていた。
 自分が死んだときには、この手紙を頼んだ相手に渡してくれと。状況を考えると手紙というより遺書と呼ぶ方がふさわしいが、互いが無事で戻ってきたら、この手紙は自分の手に戻され自らの手で破棄される。そして次の一戦が交わされるときに再び新たな手紙を交換し合うのだ。
 ――この手紙は、遺書でもあったが願いでもあった。
 無事この手紙を自分の手で破ることができますようにと。
 また親友から手紙を託された身であれば、うっかり死ぬことはできない。『自分が死んだら、この手紙を届けることができなくなる』そんな気持ちが生まれるのだ。ささやかな、まじないに近いものではあったが、それが少しでも生還の手助けになるのなら無駄であるとは言えないだろう。だからこそ遺書ではなく、手紙と呼ばれるのだ。
 だが、ジェスは、いつもアゼルから手紙を託されながら思う。自分がこの手紙を抱いたまま死ぬのなら、それもまた本望かなと。

 ジェスの隣にはいつもこの赤髪の親友の姿があった。そしてもう一人。青い眼を柔らかに微笑ませたマリアの姿も。
 幼いときからいくつもの季節を三人で過ごしてきた。笑うことも泣くことも怒ることも、そのほとんどの場面を共有してきた。人生の大半を互いによく知りあっているのだ。マリアとアゼルが懇意にしているローレイル神父の前で婚礼をあげたときの姿も、ジェスは鮮明に覚えている。
 親友のすぐれたところをジェスは知りすぎるほど知っていた。マリアが彼を選んだ気持ちも、痛いほどに分かった。だからアゼルが無事マリアの元に帰ることができるなら、自分が代わりに命を落としてもいいと本気で思っていたのだ。鈍い痛みはあるけど、それ以上に真摯に思っていた。願うのは「二人が」幸せであることだ。自分の隣に立つマリアの顔が寂しげに曇るくらいなら、アゼルが彼女を照らして笑わせてあげるほうがよほどいい。
 手紙の交換が願いの現れなら、自分の分も含めて、この手紙には二人分の願いがこもっている。
 ……結婚してからわずか一年と半でアゼルはマリアを置いて、戦場へ行くことになった。どちらも大切な存在だから、絶対に戻って、幸せな人生を送って欲しかった。
 それなのに。

* * *

「アゼル!!」
 髪の色と同じように半身を赤く染め上げて地面に倒れた親友を抱き起こしながら、必死にジェスが名を呼ぶ。のぞき込むジェスに向かって、ゆるく微笑み返したアゼルの口から鮮血がこぼれた。その口元をぬぐってやりながらジェスがもう一度叫ぶ。
「マリアが待ってる!」
 ふうっとアゼルの目が潤んで悔しそうに歪んだ。傍らのジェスの腕をきつく掴んで何かを言いかけ、ふいにその手が力を失って地面に落ちた。
……アゼル?」
 呼んだ声に答えはなく、代わりに響いたのは出がけに交わした親友の言葉。
『どうせこの手紙、お前に返して破り捨てられることになるだろうしな』
「自分でそう言ったくせに!」
 戻すべき相手の居ない懐の手紙が、きりきりと胸を刺した。

* * *

 戦が終わりジェスが故郷の街へと戻ってこれたのは、親友の死から三ヶ月後のことだった。
 まずローレイル神父のところに立ち寄ってみたが、神父はマリアのところにいるとのことで留守だった。重たい足取りのままジェスはマリアの元へ向かう。いつもなら自分の隣には親友の姿があるはずだ。道に落ちる影がたった一つしかないことが、こんなに孤独だとは思いもよらなかった。
 絶対に二人で。もし万が一影が一つだったとしても、それは自分ではなく、アゼルのものであるはずだったのに。
 けれど出迎えたマリアの姿とローレイル神父の言葉が、ジェスのそんな確信を吹き飛ばした。
「マリアに手紙!? そんなはずはない!」
 二人が戦に出てすぐのことだった。流行病による高熱が元で、マリアの瞳は光を失ったと。そう記した手紙を送ったとローレイルは告げたのだ。
「言伝ならまだ分かる。だが目の見えないマリアに、どうして手紙など」
 必要があるとすれば、それは――
 そろそろと探るようにマリアが腕を伸ばし、手紙を差し出したまま固まっているジェスの手を柔らかく包んだ。
「あなたは私の目のことを知らなかったのね。ならば、その手紙は私にではなく、あなたに宛てられたものよ。ジェス」
 愕然としたままジェスがローレイルを見やると、神父も頷いた。震える指でジェスは封を破り、手紙を開く。
 そこにはたった一言。
『もしお前がこの手紙を読むことになったら――マリアを頼む』

* * *

 ローレイルから受け取った手紙がすっかり灰になったのを見届けて、アゼルはおもむろに交換用の手紙を作成する。ずっとこんな手紙なんて、無意味だと思っていた。
 マリアに俺が死んだらジェスに頼れと書いた手紙を遺しても、苦しめるだけだろう。
 ジェスに託す手紙がジェスに宛てたものになっていたら、勘のいいあいつはきっとその内容に気付くだろう。
 でも、これなら――。 
 もちろんこの手紙が用を成さないのが一番いい。自分で破ることができるならずっと黙ったまま俺がマリアを幸せにする。ジェスより自分が選ばれて嬉しかったことを嘘にはできない。
 これは賭け。万が一のときの用心。そして願いだ。
 親友だから、おそらく最後の最後じゃなきゃ言えない。親友だからこうでもしなきゃ絶対に動いてくれない。
 愛しい妻もかけがえのない親友もどちらも大切な存在だ。
 自分で破ることができるのが一番いい。でももしこの手紙が残ったら、二人には自分のためにも幸せになって欲しいと願うのも本当なんだよ、と。
 そしてアゼルは手紙を書き終え、丁寧に封をする。
 次もこの手紙を破ることができることを願って。