てらだゆ
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(途中)十四階の生花

アルテレ大捏造ムルシャイ。じわじわ進捗。

 月の見える部屋は珍しい。
 限られた土地に隙間なく積み木を積んだような街には、そもそも空の見える場所がほとんどない。顔を上げても壁と瓦と、縫うように生える落月華の花々が視界のほとんどを埋め尽くす。昼間であれば薄霧の向こうから陽は射すが、夜には無数のランタンとネオンが通りを染め、悠然と輝く夜空をすっかり隠してしまう。窓からの景色も同じようなもので、それどころか四方を壁に覆われている家も少なくない。
 シャイロックの割り当てられた部屋は極めて好条件だった。
 街のはずれに面したビルの最上階、地表の喧噪からも離れた部屋はフォルモーントタウンで最も月見に適した場所のひとつと言えるだろう。
 照明もつけないまま、シャイロックは爪にやすりをかけていた。そっと息を吹きかけ、窓辺へ翳すと、月明かりを贅沢に浴びた指先は淡くきらめいた。手入れを終えたところで、階段を上がってくる気配に気が付く。
 今日は少し早い。
 ベランダ越しに外を見やるが、まだ月は昇りきっていなかった。それに、どうも様子がおかしい。
 足音を立てないよう、慎重に段を上がっているようだが、かえってそれが耳につく。荒い呼吸と心臓の音まで聞こえてきそうだ。
 コン、と控えめなノックが響く。返事をしないでいると、針金が擦れる音とともに扉が乱暴に揺れる。やがて、かちりと鍵が回された。薄く扉が開いていき、外廊下の灯りに訪問者の得物が光ったところでシャイロックは縄鏢を放った。
 扉の先にいたのは見知らぬ男だった。顔を認識するより先に、縄鏢の刃が男のナイフを弾き飛ばす。きん! と金属音が響くと同時に手首を引き、再び投げる。切っ先は空気を割いて男へ飛ぶ。避ける隙も与えず、縄が足を絡めとる。あとは手繰り寄せるだけ。シャイロックが軽く腕を引くと、男は簡単に倒れた。後頭部がカーペットに鈍く打ち付けられる。
 勝負は一瞬だった。訪問者は自分に何が起きているか、気付く間もなく気絶してしまったことだろう。
 シャイロックが相手の素性を調べるために男を拘束しなおしていると、ぱちぱちぱち、と乾いた拍手が鳴らされた。
「見事な縄さばきだ。武器の扱いはご実家で?」
「ムル」
 見覚えのある男が戸口に立っていた。「失礼するよ」と声をかけてから室内へ入ってくる。
「見ていたんですか」
「階段に先客がいてね。何やら挙動が不審だったから観察することにしたのさ。お陰で面白いものを見ることが出来た」
 そう言って足元に転がった男の顎を掴み、つくづくと眺めた。男は気を失いながらも、う、と呻いた。
「刺客を送られるなんてきみも愛されたものだね。随分初々しい刺客だったけれど……ふむ」
 男を検分していく友人を見て、シャイロックはどっと疲れを感じた。怪しい人物を見かけたからといって追い払ってくれとは言わない。助けられる義理はないし、今までだって何度も似たような目には合ってきた。だが、人が刺客と対峙するのを見世物のように楽しむのは趣味が悪いのでは、と思うのだった。
 ムルは男の懐から紙片を取りだした。折りたたまれた紙は何度も読み返されたようで、皺に添って破れかけていた。
……ああ。これを見てごらん」
 差し出されるまま覗き込むと、細筆で簡潔なメモが書かれていた。

『対象 ××街 ××路南 十四階 シャルロット』

「人違いだったんですね。本当に慣れていない方だったのでしょう」
「どうする? 運が悪かったととどめを刺す? それとも慈悲深いきみは見逃してあげるのかな。きみを殺しに来たことすら許して」
「気の毒ですから、階下にでも放っておきましょう。手伝ってくださいますか?」
「後でなら構わないよ。シャイロック、今夜は満月だ。哀れな刺客を運ぶより、夜空を眺める方がよっぽど有意義だと思わないかい?」
 ぎらりとムルの瞳が光った。それは自分を映しているようで、実際は肩越しの月明かりに向いているのだろう、とシャイロックは思った。
 ちょうど二人の足元で男が「う、うう」と唸った。
「起きそうだね」
「起きてしまいそうですね」
 二人は顔を見合わせ、それからシャイロックは肩を落とした。
「安眠を促す香を焚きましょう。明け方には気分よく目覚めるはずです」
 シャイロックの香で、すぐに刺客は柔らかな寝息を立てた。その間にムルはベランダへ移動し、早速月を見上げていた。
「まるでご自分の家のようですね」
「俺の棲家には窓がないからね。それに、きみだって俺が来るのを待っていたんじゃない? 厨からスパイスの香りがしたよ。戸棚にもハーブワインの大きな水差しがあった。一人前にしては随分多く仕込んだみたいだね」
「貴方のためではありませんよ。日ごとに深まる味わいを楽しむために、余分に作るんです」
 シャイロックはそう言って、水差しの隣にあった蒸留酒のボトルを手にした。ベランダで待つ友人にグラスを手渡すと、相手の口が弧を描く。
「折角作ったのに出さないんだ。どうして?」
「もう少し寝かせた方が美味しくなるからですよ」
「成程。それなら飲み頃になったらまた訪ねよう」
 かちりとグラスを突き合わせる。
 天空から白い光が、何にも遮られずに二人に降り注がれる。口に含んだアルコールが甘く鼻へ抜けていく。
「この部屋から見える月が一番綺麗だ」
 ムルが呟いた。シャイロックも頷く。
「それには同意いたします」