戸惑えど 3

なかなかくっつかない利こまの続きです。まだ終わりません。
土井先生視点の話です。土井尊の要素があります。捏造設定ありますご注意下さい。




 午後の授業が終わり、号令をかけると掃除当番に当たっていない子たちが次々に教室から飛び出していく。廊下は走るなよーと一年生に声をかけながら出席簿とテストの答案を脇に抱えて職員室へ向かう。
 まったく、授業中に居眠りや内職をしていたって鐘がなるとすぐにシャキッと元気になるんだからなぁ。外を駆け回るよい子たちを眺めながら、あれくらい張り切って勉強してくれたら私の胃も痛まないんだが……と苦笑する。
 これからテストの採点だ。一年は組の実力は毎回視力検査並みで、きっと今回も。そう考えただけでチリチリとみぞおちのあたりが焼き付くようだ。
 ちょっと気が重くなりながら食堂のそばを歩いていると、前から小松田くんがやってきた。
「土井先生、ちょうどいいところに。お手紙が来てますよぉ」
「ああ、ありがとう。ご苦労さま」
 受け取った手紙を裏返すと、差出人は諸泉尊奈門とある。どれどれとさっそく中を開くと案の定、大きな字で「果たし状」と書かれている。彼の闘志をそのまま込めたような勢いのある字だ。相変わらず元気そうだなあと、手紙をしたためた彼にとっては不本意だろうけれど微笑ましくて、くすりと笑ってしまう。
 それを見た小松田くんが
「今度いらっしゃるなら、おせんべい用意しておきますね」
と言う。
 尊奈門くんはどうやら小松田くんと気が合うらしく、私を訪ねてはたんこぶをこしらえた後、彼のところでお茶を飲んでいくみたいだ。ときどき入門票のサインをめぐって小松田くんに懲らしめられているようだけど。
 そこで、ふと違和感を覚えた。
 いつもなら小松田くん、彼のことが話題になると親しい友人のことを話すみたいにめいっぱい尊奈門くんとの思い出話をしはじめるのに、たった一言で終わってしまった。例えば「彼、土井先生との対決のために有給を使いすぎて上司の方に怒られてるらしいです」とか「お世話になってるから今度土井先生に菓子折りでも持って行けとタソガレドキの皆さんに言われたけど、土井先生の好みが分からなくて困ってるんですって」とか、本人は絶対に私に直接漏らさないことを教えてくれるのが面白くてうんうんと聞いているのが、今日は何も言わないからちょっと物足りない……、なんて。
 それに話すネタがないというより、どことなく落ち込んでいるように見えた。
 普段の笑顔が満開の花なら、今は七分咲きってところか。
 よく笑いよく喋る小松田くんが元気のない理由、そういえば思い当たる節がある。
 もしかして、あれかな。
「ねぇ、小松田くん」
「はい」
「そういえばこのところ、利吉くんは学園に来ないね」
「へっ、……え、ええ」
 名前を出した途端に目が泳ぎそわそわしだして、明らかに動揺している。やっぱりなぁ。
 もちろん山田先生あてに彼からの手紙は届いている。ただしすべて偽名だから、小松田くんが利吉くんの安否を知るすべは、彼が学園に姿を見せるほかないのだ。
 それと、教員長屋と客間が近くにあるもんだから、利吉くんが泊まるたびに小松田くんが布団を抱えて話を聞きに行っているのを教員たちは皆知っていて、ある時からそれがぱったりとなくなったのもまた、誰も口にしないが周知のことだった。
 彼、以前から小松田くんにだけ当たりが強かったし、と思って少し踏み込んでみる。
「もしかして利吉くんと何かあった?」
「えっ、と……何もありません、でも」
 小松田くんはためらいながら言葉を続ける。素直なのが彼のいいところだ。
「僕どうしたらいいか分からないんですけど、嫌われているのでこれ以上ご迷惑はかけちゃいけないと思って」
 うつむいて、珍しく寂しそうな、泣き出してしまいそうな表情を見せる。
 利吉くんがどんなに邪険にあしらっても、めげる様子はこれまで一切なかった小松田くんだけれど。まったく何事も起きていないというには無理があるだろう。よっぽど傷つくことでもあったような落ち込みっぷりだ。
 「利吉さんみたいなプロの忍者は僕の憧れ」と公言している彼だが、これじゃ憧れ以上じゃないか。
「利吉くん、ああ見えて意外と不器用なところがあるから。君たちの間のことはよく分からないけど、迷惑といわれてもそんなに落ち込まなくていいんじゃないかな」
と思ったままを口にする。
 事実、小松田くんのことを迷惑そうにしていても、利吉くんの心をほぐしてありのままに振る舞わせてあげられるのは私や山田先生ではなく、歳の近い彼にほかならない。
 利吉くんは小さな頃から大人たちに囲まれ背伸びして生きざるを得なかった。年相応の姿が顔を覗かせることは年々少なくなり、立派に仕事をこなすようになった今では十八歳らしさなんてほとんど見せなくなってしまったのだけれど、のん気な小松田くんの前では不思議と心のままに感情を露わにしているように見える。意地悪やひねくれた態度が多いのも、率直さに慣れない若い心がそうさせるのだろうな。
 そもそも利吉くんが本当に嫌がっていたなら、学園内で極力相手に接触しないよう細心の注意を払うだろう。

 小松田くんを励まして別れてから、今度利吉くんが来たらちょっと探りを入れてみようかと考えながら自室に戻った。
 出席簿とテスト用紙、そして黒々と濃い墨文字の手紙を文机に置いて座ると、息をつく。
 机の上には果たし状と書かれた活力みなぎる文字がある。
「若いなぁ」
 自然と口から出た言葉が自分でも爺くさくて少し笑った。
 若いなぁ、みんな。
 共に生きられなくても、たとえ手に入れることが叶わなくても、同じ空の下にいるだけでいいと思えてしまえるのは歳を取ったからなのだろうか。教員の中では若輩者の私がそう言ってしまうのはおこがましいが、少なくとも十代の頃の私は今のような心持ちではいられなかった。
 自分の手の内にないものはすなわち持っていないものであるかのように、奪ったり奪われたりを繰り返して。
 けれど手に入れなければ大切にできないなんて、誰が決めたのだろうか。
 相手のすべてを受け入れてしまえば、少しくらいの葛藤なんて取るに足らないものだ。それが敵であっても。

 あーあ、それにしてもあの二人こじれちゃって、早く何とかならないかなぁ。
 ぼんやりとしていた自分に気がついて、しぶしぶと答案に手を伸ばして朱墨と水を取り出すと硯にすって採点の用意を始めた。
 長屋の廊下に差した陽の光がてり返して、部屋の中が明るい。少し眠くなってきた目をこすり、次の満月までに仕事をあらかたやっておかないと、と一人笑みをこぼした。





(続)