溶けかけ。
2025-01-09 22:51:50
3409文字
Public ほぼ日刊
 

葬送の水

ヌヴィレットが早逝し、フリーナが権能を受け継いだIFのお話。  
なんでもありな人だけが読んでください。

 
 それは、山々を越え、遠いモンドの端で撮影をしていた僕の元にまで届いていた。
 
 ────ヌヴィレットが死んだ。

 フォンテーヌに大量のアビスが入り込み、人々を襲ったのだという。ナヴィアやクロリンデ、リオセスリなど、神の目を持つ者や壁炉の家の者たちも前線に立ち、ある者は大怪我を負い、ある者は死者になったという。特に争いが酷かった場所はナタの戦争のようであったと聞き及んでいる。
 僕は残りの日程をキャンセルして、大急ぎでフォンテーヌへと戻った。この時の僕は不自然なくらい冷静だった。

「フリーナ!」
 僕の姿を認めたナヴィアが駆け寄ってくる。体の半分を包帯で覆われた彼女は痛々しくて、見ていられなかった。
「フリーナ様」
 クロリンデが僕の名を呼んだ。彼女も大怪我をしたらしく、松葉杖を突いていた。
「ただいま、みんな。それと、お疲れ様。今日はゆっくり休んで疲れをとってくれ。数日後には、今回の件で亡くなった人たちを悼むための式典を開くことにする。遺体の身元確認を急いでくれ」
 フリーナは流れるように指示を出すと、パレ・メルモニアにある遺体に黙祷を捧げた。しばしの間、目を閉じていた彼女はゆっくりと目蓋を開くと歩き出す。
「ごめんよ、少し借りるね」
 ヌヴィレットの遺体から杖を抜き取ったフリーナは騒がしくなりつつあった人々に喝を入れるかのように、杖を突いた。
「静粛に。最高審判官が亡くなって不安になる気持ちは理解出来る。だが、まだアビスの脅威に晒される可能性がある以上、のんびりとしていられないのが現実だ」
 フリーナの言葉に民衆は黙りこくった。アビスの殆どをヌヴィレットが相討ち同然で屠ったとはいえ、まだまだ彼らはどこからか出てきているのだ。
「これより、パレ・メルモニアのゲストルームを開放する。被害があった地域の者たちはそこで寝泊まりをしてくれ。医薬品などの応援物資は、旅人を始めとした冒険者たちが運び屋をする手筈になっている。スメール、そして沈玉の谷経由で数日以内には届くはずだ」

 その日の夜、フリーナは遺体が安置されたエントランスにいた。火葬も水葬もしている場合ではなく、遺体は安置と言えば聞こえがいいが、実際はただ放置しているだけだ。
…………
 フリーナの神の目が光り輝き、エントランスが水元素で満たされる。水が引く頃、彼女はゆっくりと目を開くと小さく息を吐き出した。
「今は、これしか出来ない僕を赦してくれ」
 手を組み、祈るように膝を着いた。馬鹿馬鹿しい、と冷静な自分が鼻で笑った。ヌヴィレットの権能は今、フリーナの手中にあった。
「咎人の僕だけど、これ以上……犠牲者が出ないようにするから……だから、少しだけキミの力を……神座に着くのを赦してくれ」
 フリーナの身体が青い光を纏う。身体が変わる痛みに、のたうち回りながら耐える。やがて、光が収まりフリーナは痛みに喘ぎながら立ち上がる。最早、フリーナはフリーナであってフリーナではなかった。
「僕は水神──フォカロルスであり……フリーナ・ドゥ・フォンテーヌだ。僕の全てをフォンテーヌに捧げよう。この身が尽きるその日まで……
 それが例え、彼女の希望を踏みにじる行為だと知っていたとしても、もう退路はない。

『人として幸せに生きてね』

 ごめん、フォカロルスもう一人の僕
 僕はもう、人であることを辞めた。人としての幸せを得られずとも、キミが……キミたちが守ったこの国が、民が、『存続』していくためならば、僕は僕を裏切ることだって出来るんだ。



「久しぶりだね、旅人」
「今日は招待してくれてありがとう」
 向かいのソファに座るフリーナの髪は以前のように長くなっていた。ふと、違和感を覚え、彼女を凝視する。そして、ようやくその違和感の理由に思い至った。
「喪に服していたんだね」
 フリーナの服は以前と変わらないデザインのものだ。違いがあるとすれば、色だった。紺より濃い漆黒。もしかしたら、彼が亡くなってからずっとその色を纏っていたのではないだろうか。
「やっぱり、キミには分かってしまうんだね」
 フリーナが温かな紅茶を旅人の前に置いた。物音一つ立てずに紅茶を嗜む彼女は淑女そのものだ。
「今日、キミを呼んだのは他でもない、権能についてのことなんだ」
 フリーナが手の平を天井に向ければ、手の上に丸い水の塊が現れる。それは凝縮された水元素であった。
「キミに僕の最期を看取って欲しいんだ」
 ひゅっ、と喉から風音がした。手紙が来たときから理解はしていたが覚悟は出来ていなかった。
…………決めたんだね」
 旅人はカップをソーサーに戻すとテーブルの上に置いた。綺麗にデコレーションされたケーキに手を伸ばす気にもなれず、行き場をなくした手を悩んだ末に膝の上に重ねた。
「思えば、ヌヴィレットが亡くなってから随分と経った……。僕はもう長いことプネウムシアを供給していない。この意味が分かるかい?」
 フリーナの言葉に頷きで返す。プネウムシアを供給していない、つまり────代替エネルギーがみつかったということだ。
「今のフォンテーヌ人はフォカロルスのことも、ヌヴィレットのことも知らないんだ。僕は、それが悪いことだとは思わない。前へ進んでいるということだからね」
 フリーナは旅人に何枚かの書類を手渡す。目を通す彼/彼女の表情は驚きに満ちていた。
「フォンテーヌも年々、民主化の気運が高まっている。神はもう時代遅れなんだ。これからは、どんどん人の時代になっていくんだろうね」
 そう言うフリーナの顔は、どこか寂しそうであり、嬉しそうでもあった。強いて言うのなら、親が子どもの成長を愛しむときの表情に似ている気がした。
「だから、もうかみは要らないんだ。これは、良いことなんじゃないかな?」
 僅かに頭を傾けたフリーナに旅人は息を詰める。盛大な歌劇が終わるまでに五百年。そして、ヌヴィレットが急逝してから五百年。
 ────合わせて、千年。生まれついての人間が耐えられる年数はとっくの昔に過ぎていた。彼女は『フリーナ』という少女の残り香だったのかもしれない。
「大切なものだからキミに預けたいんだ。フォンテーヌの神は僕で終わりでいい」
 フリーナは席を立ち、旅人の手を取ると水の塊を彼/彼女の手に乗せた。
「こんなこと、キミにしか頼めないんだ。僕の旧知はキミしかいないからね」
 彼女の言葉に思わず顔を上げる。雨が降り出す前のような表情に旅人の心がさざ波立った。おちつけ、と自身に言い聞かせ、目を閉じる。熟考の末、目を開けた旅人の目に飛び込んできたのは、今にも消え入る寸前の灯火のようなフリーナだった。
「分かった。預かるよ」
 権能が身体に満ちていく。それと同時にフリーナの身体が淡い光に包まれた。
「ありがとう、旅人」
……ねえ、フリーナ。怖くないの?」
 旅人の疑問にフリーナは目を丸くした後、微笑んだ。
「僕は人としては長く生きたからね。僕にとっての死は新たな旅立ちでもあるんだ。……なんて、かっこいいことを言ってみたけど、やっぱり少し怖いかな。けれど、大切な人たちにまた会えるなら……こんなに幸せなことはないだろう?」
……ヌヴィレットとフォカロルスが怒るんじゃない?」
 せめてもの、抵抗だった。死なないで、と言えない代わりに軽口を叩く。
「やっぱりキミもそう思うかい……? ああ、時間みたいだ。もう少し、話していたかったな。────さようなら、旅人。もっと早く会いたかったな」
 目を開けていられないほどの眩い光に思わず目を瞑る。
 次に目を開けたとき、フリーナの姿は既になかった。
 一歩を踏み出した旅人のつま先に何かが当たる。視線を下げた先には二つの宝飾品が落ちていた。
 一つは、曇天のように曇った特別な神の目。神であり、最期まで人であった彼女を彼女足らしめた物。
 もう一つは、ある人の遺品。不思議な色をした宝石の嵌ったカメオは彼女の千年を支えた寄す処であった物。
 二つを拾いあげ、胸元に添えて目を閉じる。目蓋の裏に焼き付くのは今まで見送ってきた友人たちの姿。
 何度、離別を経験しようとこの胸の痛みに慣れることはない。

「さようなら、フリーナ。あなたの長きに渡る献身に感謝を」