和綺
2025-01-09 15:18:36
3667文字
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強き者は優しき者

五歌ワンライ/ワンドロ
第9回:茈
遅刻&読み手を選ぶ内容のため、お題のみお借りしました。
※五条生存解釈ですが、脳の損傷についての解釈があります。なんでも大丈夫な方のみでお願いします。

あとになって思えばですけど、と言って、乙骨憂太は懐かしそうに笑った。
静かな部屋で眠りに落ち、自分のために用意された食事をとり、これから所属するという場所の制服に腕を通した。いってきます、いってらっしゃいと挨拶を交わして、脱げないように紐を結んだ靴で踏んだ呪術高等専門学校の地は、じゃり、と音を立てて、山間の澄んだ風が首をかすめた。
一歩一歩歩みを進めるたびに、冴えた空気が顔を拭って、木々がさわさわと揺れて、砂利道ばかりだった視界が、だんだんと景色を映したころ、や、と明るい声が聞こえた。
顔を上げると、長身の、白髪の、目に包帯をぐるぐる巻きにしたそのひとが笑っていて、朝日が零れ落ちていた。そのときに、ああ、眩しいなと目を細めたのだ、と乙骨は言った。
「あとに、そのひとがとてつもなく強い術師だってわかって、その力も知って、それから、そのときのことを振り返ったときに、思ったんです」
照れたように笑った乙骨が、柔らかい髪に指を通していた歌姫と目を合わせる。そういえば、随分と背が伸びたな、と関係のないことを思った。
「僕は希望に出会ったんだなって」


呪霊は呪術師の生活のことなど慮ってはくれないので、その出動は二十四時間体制である。そのなかでもやはり夜の発生が多く、任務が夜通しになることもざらだ。
前線向きではない術式の歌姫は任務が重複することが常で、今日もこれで四件目である。舞を終え、裸の足がコンクリートに下りる。代わるように、呪霊の前に立ちはだかった術師が地を蹴って、増幅された呪力を解き放った。
事前情報から等級が変わったため急遽駆けつけたが、間に合ってよかったと歌姫は、息をついた。
ぱしゅっと水音のような音とともに、帳が上がる。もう夜が明けていた。さすがに今日はこれで終わりだろうか、と合流した術師をねぎらい、ともに補助監督が待つ車へと向かう。
「あ、お疲れ様です」
まだ年若い補助監督が歌姫と術師にぺこりと頭を下げた。
「うん、お疲れ様」
にこりと微笑んだ歌姫と笑みを交わし、車のドアを開けようとしたとき、ぴりりと着信音が響いた。咄嗟に術師と目を合わせて、これはやばいか? とアイコンタクトを交わす。さすがに疲労困憊ではあるが、呪霊が現れたというならそんなことは言っていられない。
呼吸を整えて、呪力を練り上げながら、応答している補助監督の話を聞く。
「はい、ええ、近くにいます。三体ですか? ええっと……
ちらりと補助監督が歌姫を見やったので、こくりと頷いてやる。安心したような、申し訳なさそうな顔をした補助監督が、電話の向こうへ、これから向かいますと答えているのを聞いて、歌姫は術師にも大丈夫か、と声をかけた。彼も連勤だったはずだ。あまりにも疲労が蓄積しているようなら、別の術師を手配する必要がある。
「ええ、はい、庵術師と、え? ……えっ、いいんですか?」
補助監督の声のトーンが上がり、歌姫と術師は顔を見合わせ、そろって首を傾げた。補助監督は少し上ずった声でやり取りを終えると、端末を暗転させた。
「どうしたの? 行かなくていいの?」
歌姫の質問に上がった補助監督の顔が高揚している。
「はい、あの、特級の方が駆けつけてくれたみたいで」
「特級?」
「はい! 少し離れたところで任務があったみたいなんですけど、呪霊の気配を感じたって、飛んできてくれたみたいです!」
「ああ、リカね」
「乙骨術師ですか?」
「はい! よかったです! さすが特級ですね!」
頬を紅潮させてはしゃいでいる補助監督に、そうね、と微笑んで、歌姫は術師に車に乗り込むよう促した。
「じゃあ、こっちは引き上げていいのよね?」
「あ! はい! 高専に戻ります」
「そう。じゃあ、運転よろしくね」
車の反対側に回り込んだ歌姫が乗り込むと、ゆっくりと発進した。
窓の外には田園が広がり、少し視線を遠くに投げると、山間に広がる空が見える。帳の夜の色が薄まり、明るい色が広がっていく。それをぼんやり眺めていると、窓に人影が写る。目を凝らすと、歌姫の隣に座っている術師がかくんかくんと転寝をしているのが見えた。ふ、と笑って、まだ窓の外へと焦点を合わせる。疲れてはいるが、どこか興奮しているのか、眠気がやってこない。
「庵術師も眠っていただいて大丈夫ですよ」
運転席から声がかかり、歌姫はありがとう、と返した。同時にさきほどの彼女の興奮が脳裏によみがえり、またふふ、と笑ってしまった。
「楽しそう。なにかいいことでもあったんですか?」
「さっきの。すごくテンション上がってたから」
くすくすと笑いながら答えると、バックミラー越しに合った目が、恥ずかしそうに伏せがちになった。
「あ、すみません、はしゃいでしまって……
「いいのよ、かわいかったし」
「特級の方とお会いできることってなかなかないですし、あ、会ってはないですけど、なんかほんとにいるんだなぁって感じです」
「優しいいい子よ、乙骨は」
は、と付けたことに他意などなかったけれど、それでもやはり歌姫が知っている特級術師は、お世辞にもいい子などと言える面々ではない。
扉に肘をつきながら、ぼんやりと外を眺める。緩やかなスピードで流れていく車窓の、空の色が、薄く明るく眩しく変わっていく。
「わぁ、きれいな朝焼けですねぇ……
……そうね」
ふと、乙骨の言葉を思い出した。優しいいい子だ。そして強い。膨大な呪力とその力もそうだが、それらに圧し潰されない心が一番強靭だ。
その力と心で、誰かを救い、誰かの笑顔を生んでいる。強くて、優しい、いい子だ。


「それではお疲れ様でした!」
扉を開けてくれた補助監督に笑顔を返し、隣で目をこすっている術師の肩をぽんと叩いてねぎらうと、歌姫は車を降りた。
だいぶ復興が進んだとはいえ、任務だけではなく、結界や今後の高専の在り方など、遠方にいては決められないことがまだまだたくさんあるため、歌姫はほぼ東京に滞在している。今日もひと眠りしたら、会議の予定が入っていた。
車内ではあまり眠気がやってこなかったが、今になって十分に温まった体が疲労を訴え始めた。あふ、と小さな欠伸をこぼし、宛がわれている寮へと足を向ける。シャワーを浴びて、仮眠を取ろうと石段を登った先に、人影があった。
長身のシルエットに、柔らかな白髪が揺れている。包帯こそなかったけれど、朝日を浴びて、にぱっとした笑みを浮かべている。
「うたひめ!」
嬉しそうに破顔した男が手を振るのに、歌姫は足を速めて傍へと寄った。
「五条! まだ朝早いわよ!」
辺りを見回して、ひとりだということがわかると、歌姫は眉を顰めて、腰に手を当てた。
「あんまりひとりで出歩くなって言われてるでしょう」
「むかえ」
にこにこと笑った五条が歌姫を指さす。
「迎え? 私を?」
そう、というようにこくこくと頷いた五条が、おかえり、とまた笑った。
「そう……ありがとう。ただいま」
「うたひめ、よわい。にんむ、たくさん、だめ」
「お前はこの期に及んでまだ言うか」
ひくひくと引きつるこめかみを押さえて唸ると、五条は楽しそうな笑い声をあげた。
体も呪力もほぼ回復したものの、脳の損傷が著しく、今の五条は幼い子どものような状態になっている。記憶もどこまであるのか曖昧で、ただ仲間の事を忘れてはいないようだった。
呪力が戻っており、術式の行使にも問題がなかったため、自身で反転術式を施し、徐々に回復傾向にはある、とは家入硝子の言だ。同じ口で、いつまでかかるか、完全に回復するかはわからないとも言っていた。
それがいいことなのかはわからない。歌姫だけではなく、きっと他の誰もがそれを判断できない。ただ、五条悟が長い眠りから覚め、あの青い瞳が皆を捉えたとき、緩く弧を描いたこと、それを見た仲間たち、特に生徒たちが涙を流して飛びついたことまで否定したくはなかった。
こうしてここにいることの是非は、きっと最後のその瞬間まで誰にもきっとわからない。ただ、あのときに終わっていればよかったと思わせたくはないな、と少し意地のような気持ちが歌姫にはあるのだ。
「むらさき!」
「えっ」
急な大声にぎょっとした歌姫は、咄嗟に五条の手元を見た。呪力も術式も問題ないのだから、それは当然五条の意思ひとつ、指先ひとつで、いつでも発動が可能なのだ。
けれど、見下ろした指先は印を結んでおらず、ただ無造作に歌姫の背後を指していた。
「なによ?」
「むらさき!」
再び同じことを繰り返した五条が指し示す先を見るために、歌姫は背後を振り返った。
呪術高等専門学校は山奥に位置する。鬱蒼と茂る木々の間から見上げる空が近い。
夜の帳が上がり、眩しい朝日が橙を照らし、薄青と混ざった空は、鮮やかなグラデーションを生んでいた。紫色のきれいな朝焼けだ。
夜に蠢く呪術師の仕事終わりは、いつもこうした美しい始まりに出迎えられる。強くて、優しい、希望の朝だ。