千代里
2025-01-09 13:36:39
13988文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その28


「ねえ、オデット」
「は、はい」
「オデットがどんなにじーっと見ていても、オデットの考えてることがミラベルって人に伝わるわけじゃないと思うよ」
「それは、わかってますけれど……
 ゲルダのごもっともな意見を聞いても、オデットは宿泊所の布団の皺を無意味に広げ続けていた。
 折り返し地点の占星台から旅立って、すでに五日が経ったその日の晩のことだ。
 ここまでの道のりは順調そのもので、行きのように天候が途中で崩れることもなく、雪もちらつきはしたがささやかな量にとどまってくれていた。どんよりとした曇り空が空を覆ってはいるので暖かくはないが、雪で視界が邪魔されないだけマシである。
 騎士の巡回任務の方も順調だった。ミラベルの同行について、事情を聞いたイレーナは快く承諾してくれた。
 日程を遅らせるつもりはないと言っていたが、天候のおかげもあって、同行者が増えても道を踏破する速度に遅れが生じることはなかった。
 使っている街道は行きとは別の街道ではあるが、魔物の影はそこまで多いわけではなく、
「前回は隊長自らがこの街道の巡回に参加していた。恐らくは、すぐに魔物が近づかぬよう対策をしておいたのだろう」
 というイレーナの発言通り、魔物が近づいた跡すら残っていないほどだった。
 過去の遺恨から生じた不審により、ノエたちにも辛辣な態度を見せたピヌヌだったが、騎士としての務めは堅実にこなしていたようだ。
 そうして任務は順調に進んでいったのだが、オデットは別の部分で頭を悩ませていた。
「せっかく、お兄ちゃんと一緒に行動できる時間が増えたのに……全然話ができていません」
「ミラベルさんは、私やヤルマルとはちゃんと話をしてくれるよ」
「そうなんですけど、そうじゃないんです」
 本日の宿である旅宿の一室にて、オデットは布団を握りしめたまま唇を尖らせる。
 お馴染みとなった無人の旅宿にて寝床を整える作業も、この旅を経てすっかり板についていた。おかげで、こうして考え事をしながら話をしていても、手は勝手に動いてくれる。
「お喋りに付き合ってはくれてますけれど、わたしが肝心のことを話そうとしても『自分は兄なんかじゃありません』って顔をするんですよ」
「でも、そもそもオデットもミラベルとあまり話をしてないよね」
「うっ」
 ゲルダから直球の指摘を受けて、オデットは言葉を詰まらせる。
 実際、同行が始まってから今まで、話す機会はあるのに言葉に詰まったまま、オデットはいたずらに時間を消費していた。
 ――懐かしい記憶を持つ彼と、昔話をしたい。
 以前ノエに語ったように、オデットの願いはこの一つだけだ。
 思い出話に花を咲かせて、今は元気にやっていると伝えて、ミラベルにも自分の行く末を穏やかに見守っていてほしい。ただそれだけを願っているのだが、どうにもその『それだけ』が難しい。
「だって、何を話したらいいか、いざ本人と話すとなると言葉が詰まってしまって」
「ミラベルさんって、ノエみたいにオデットが困ってたら『どうかしたの』って訊いてくれないものね」
「それはわたしと話したくないから、かもしれません……
 実際、彼はヤルマルやルーシャンのように話し上手な面々に話題を振られれば、相応の返事はしている。おかげで、孤児院の様子やシュガーグレイヴの町の様子を彼伝いにいくつか知ることもできた。
 だが、オデットは彼の近況と同じくらい、自分の話を彼としたい。その情熱はあるのに、彼の周りに薄い壁が一枚貼ってあるかのような感覚があって、オデットは踏み出せずにいる。
「やっぱり、ゲルダが前に言ったみたいに、わたしと話すのが迷惑だから、昔の知り合いだってことすら認めてくれないのでしょうか」
「じゃあ、それも含めて直接質問したら?」
「えっ」
「だって、オデットの質問の答えはミラベルしか持ってないんでしょ。じゃあ、本人に訊こうよ」
 オデットがもたもたしている間に、ゲルダは全員分のシーツをぴんと伸ばしおえ、次いでオデットの手をしっかと握った。
 逃げ場を無くした少女は「でも」とか「それはさすがに」とまごついていたが、ゲルダが聞く耳を持った様子はない。
「それに、ノエと喧嘩していたって言ってたよね。オデットはそのことも気になってるんでしょ」
「待って、待ってください、ゲルダ! 流石にそれはあまりに失礼では……
 オデットの精一杯の抵抗は軽やかに無視され、彼女はゲルダと共に部屋から廊下を通り、居間へと向かうことになった。
 玄関口から一つ廊下を挟んだ先にある広間は、暖炉といくつかの家具が置かれており、利用者が顔を揃えてくつろげる空間になっていた。
 広間に顔を出すと、片隅の椅子に腰を下ろして作業をしていたノエとルーシャンが、真っ先に顔を上げた。
「オデット。部屋の準備は終わったのかい」
「はい。それは終わりました。えっと、ヤルマルさんたちは?」
「ヤルマルさんなら、ほら、あそこ」
 今夜の火種になるように、薪をまとめていたノエが暖炉の片隅を指差す。
 そこには、暖炉から湧き上がった炎に齧り付かんばかりに近くに寄ったヤルマルがいた。耳を手に持って火に近づけているのは、寒空にさらされた大きな耳を少しでも温めたいと思ってのことだろう。
 一見するとユーモラスな姿勢になっているヤルマルの隣には、話題の人であるミラベルが火の番をしている。今日の火付当番は彼のようだ。
「ヤルマルは、どうあっても寒さに慣れないみたいだな。見ていて少し気の毒になってくる」
 ルーシャンの言葉につられて、宿に入って早々、荷物の片付けよりも先に暖を取るのを優先したいと言わんばかりのヤルマルの様子をオデットも思い出す。
「せめて耳が僕らのような形になっていれば、もう少し体幹の寒さが減ると思うのですが……
「若人みたいに、横に出っ張った耳でも寒そうだがな。大きな耳当てがないと収まらないだろ?」
 ノエの隣で、夕飯に使う干し野菜を程よく解凍していたルーシャンは、ナイフを置いて自分の耳を指差した。
 ヒューラン族の彼と違って、ノエのようなエレゼン族の耳は先端が尖っており、ヒューラン族のそれよりもやや大きい。その分、寒風に触れる部分も多いのではないかということだ。
「ああ、それとお嬢ちゃん。サルヒとイレーナなら、見回りに出て行ったぞ。獣よけの薬を撒いておかないと、安心して眠れないからな」
「そうなのですね。そういえば、お二方は最近よく一緒に行動しているような気がします」
「話していて通じ合うところがあったんだろ。あちらの騎士様は、サルヒと同年代のようでもあるしな」
 何やら目を細めて頷くルーシャンは、まるでサルヒの保護者のようである。彼なりに従者の交友関係が広まることを歓迎しているといったところか。
「オデット」
 つんつんと背中をつついてきたのは、ゲルダだ。彼女が何を言いたいかを察して、オデットは「でも」と「だって」をもう一度口の中で転がす。
 ゲルダの言いたいことはわかる。早くミラベルの元に行って、何か話をしてこいというわけだ。
(たしかに、わたしの悩みにゲルダを付き合わせ続けるのは申し訳ないとは思ってますが……
 この数日間、ミラベルと少ししか話ができず、しかもその会話すら肝心の部分を上滑りしたものだけという有様である。
 上手く話せないという愚痴やら不満やらを何度もゲルダに聞いてもらっていたので、ゲルダとしてもそろそろ事態を動かしたいと思うのもわかる。
 だが、である。
 しかし、である。
(い、いきなり、どうしてわたしとちゃんと話してくれないんですかって聞くのは不躾ですよね……。わたしはお兄ちゃんといっぱい話したいことがあるって思ってるのに、お兄ちゃんはそうでもないって思っていたら……
 出会った直後は希望と期待に胸が疼いて仕方なかったのに、今となっては不安と疑念も同じだけ膨れ上がってしまって、堂々巡りは加速するばかりだ。
 結局、またミラベルをじっと見つめて、彼が何か反応してくれないかと祈り続けていると、
……あ)
 一瞬、彼の視線が暖炉の炎からこちらに移ったのがわかった。
 火の番をしている影は、かつて寒々しい一室に閉じこもっていたオデットのそばで、暖炉の番をしていた彼の姿と重なる。
 しかし、それだけだった。
 彼は再び視線を火の元へと戻し、ヤルマルの「寒い寒い」という言葉に相槌を打ち始める。
「オデット、どうかしたのかい」
 そんな視線の応酬の意味は、当の本人たち以上に周りの方がよく見ていたのだろう。
 ノエは薪をまとめる手を止めて、オデットの迷いに満ちた瞳をじっと覗き込んでいる。
……あの、わたし。えっと」
「オデットは、ミラベルさんとお話をしたいんだって。でも、上手くいかないからどうしようって、ずーっと悩んでるの」
「ゲルダっ」
 この件について、オデットはノエに相談していなかった。本人の主張はどうあれ、ミラベルはオデットの『兄』であった人だ。そして、今のノエもまたオデットの『兄』である。
 ノエは、オデットの『兄』であることに、ただの呼び名や肩書き以上の意味を感じてくれている。本人自ら、オデットに教えてくれた。あの羊飼いの小屋で、ノエがどんな思いでオデットと向き合ってくれたか、想像することしかできないが生半可な気持ちではあるまい。
……ごめんなさい。わたし、お兄ちゃんのことを」
「君が彼と話をしたいって気持ちがあることは、あの晩に君の言葉でちゃんと説明してもらっている。だから、そこまで僕に遠慮しなくても大丈夫だよ」
 わかっているからと言ってくれるのは、強がりもあるのだろう。
 それを承知の上で、オデットは素直に首を縦に振り、ノエの善意に乗ることにした。
「だけど、ゲルダさんが言うように、言葉で伝えなくては、オデットが話したいって気持ちを彼は受け取ってくれないと思うよ」
……もしかしたら、お兄ちゃんはわたしとお話しするのが嫌なんじゃないかとも思うのですが」
「それは無いのではないかな。僕も腹を割って話せたと思う回数は少ししかないけれど、彼は君の兄であったことは自覚しているような振る舞いをしていたし、その上で君の身をとても案じているようだったから」
 サルヒが以前言っていたように、オデットのためを思って口を噤んでいるのかもしれない。だが、それは結局オデットにとっては余計に悩みの種を増やすだけとなってしまう。
「オデットがどんなふうに感じているか、ちゃんと伝えたら応えてくれる人だと思うよ。彼は、誰かのために行動できる人のようだから」
 話しながら、ノエはつい先日のやり取りを思い出していた。
 氷のように冷ややかな態度の裏に、ミラベルは激しい熱を抱えていた。子供を騎士団の任務に連れ出すなどと何事かと、ノエに食ってかかった様子は、ただ常識的な思考に従って声を荒らげていたようには見えない。
 実際、アンディという少年の失踪については、彼は焦りを見せながらも自分のできる最善手を冷静に選んでいたのだから。
……わたし、頑張ってみます」
「うん。いってらっしゃい」
 ノエに励まされ、ゲルダにぐいぐいと背中を押され、オデットは火の番をしているミラベルの元に辿り着く。
 ヤルマルが近くにいるのも、今はありがたかった。言葉に詰まった時、彼女ならきっと助け舟を出してくれるだろう。
「あの、ミラベル……さん」
 お兄ちゃんと呼ぶのは、今回の話の内容として適切ではなかろうと、呼びにくいが彼の名前で呼びかける。
 それは舌に転がすとどうにも仰々しく、馴染みがないものと感じられた。今までなら、さして気にならなかったのに、今は思い出の中の小さな自分が不満げに頬を膨らませているとわかる。
「何でしょうか。夕飯なら、もう少し時間がかかると思いますが」
「あ、いえ、ご飯の催促じゃないです。あの、ミラベルさんと……お話がしたくて」
「私は、あなたの兄ではありません。前にも言いましたよね」
「はい。それでも、わたしはあなたがお兄ちゃんだと思うんです。だけど、ミラベルさんがどうしても違うっていうなら、無理にそうだって頷かなくても、今はいいです」
 とりつく島もなくオデットを追い払おうとしたミラベルは、機先を制されて灰をかき回していた火かき棒を止める。
 ヤルマルも耳を両手で温めながら、オデットの様子を見守ってくれていた。
「ミラベルさん、わたしと話をするのは嫌ですか」
「そういうわけではありませんが」
 まずは一つ、オデットの中に蟠っていたものがゆっくりと解けていく。
 オデットの質問を否定したミラベルには、嘘や誤魔化しの気配はなかった。
「では、ミラベルさん。わたしの昔話に付き合ってくれませんか」
「私は、あなたの兄では――
「お兄ちゃんじゃなくてもいいんです。わたしは、お兄ちゃんに似ていると思うあなたに、わたしの話を聞いて欲しいんです」
 暖炉の護人となった二人に倣って、オデットは隣にしゃがんで火に手のひらをかざす。
 寝台を整えるために冷えた部屋にいたせいで、しんと冷え込んでいたオデットの掌を、じわじわと炎の熱が温めてくれた。
「わたし、昔のことを思い出したのは最近なんです。その記憶の中には、お母さんのことや、占星魔法を教えてくれたおばあちゃんがいて……その一つに、お兄ちゃんもいたんです」
 小さなオデットと共に、子供のようにはしゃぎながら、日々を楽しく彩ってくれた母親。
 罪悪感を抱えながら祈りと共に縮こまっていたオデットに、魔法の手ほどきをしてくれた老女。
 思い出しきれない部分もあるけれど、そこにはいつも見守ってくれる誰かの温もりがあった。
 オデットが思い出した『兄』もその一人だ。
「お兄ちゃんと出会った頃のわたしは、わたしの人生の中ではとても辛い頃だったみたいなんです。兄さんやミラベルさんが教えてくれたように、教会の悪い人が進めていた事業に無理やり参加させられていたんだと思います」
 なぜ、自分がその場所に行き着いたかについては、オデットも思い出しきれていない部分がある。一緒に事業に加わっていた人もいたはずなのに、彼らの顔はほとんど思い出せない。
 どれだけ記憶を辿っても、嫌な感情がそこに溜まっていることだけが分かり、どんな経緯で自分がそこにいて、何をしていたかは霧がかかったように曖昧だ。
「分かっているのは、寒くて、怖くて、毎日が不安だったってことだけです。それ以外は、どれだけ頑張っても思い出せなくて、今もはっきりしないんです。でも、その中にお兄ちゃんと過ごしていた時間もあって……そこだけは、はっきりと思い出せるんです」
 星芒祭のお土産にと渡された、少し崩れたお菓子のことも。
 他の人たちと離れて寒い部屋に閉じこもっているオデットの元に、薪を持ち込んで部屋を温めてくれたことも。
 一人きりの少女の隣に、寄り添ってくれた時間があったことも。
 ――オデットを連れ出して、雪原を走っていた最後の瞬間のことも。
「わたし、その時間があるから、あの冷たい時間を乗り越えられたんだと思います」
…………
 そこまで言い切ってから、ようやくオデットは勇気を振り絞りミラベルの顔を見つめる。彼は、視線の半分だけをオデットの方にやり、黙って言葉の結びを聞いていた。
……あなたが、その兄のことを思い出す時」
 不意に、聞き手に回っていたミラベルが口を開く。
「そこには、いつも辛い思い出が隣り合わせであった。そのように、私には聞こえました」
 立ち上がり、大きな薪を手に取ったミラベルは、勢いづく炎の中にそれを入れる。
 焚き付けのおかげで盛んに燃えていた炎は、居所を見つけた子供のように、投げ入れられた大きな薪も包んでいく。
「あなたにとっては重要な記憶かもしれませんが、辛い記憶がその隣にあるのならば、無理に思い出す必要はないのではありませんか」
 焚き火を見つめる紫紺の瞳は、以前ゲルダが指摘したように、無理に感情を押し殺しているようにも見える。それとも、炎のゆらめきがそう見えさせているのだろうか。
「私は、これまで多くの貧しい子供たちを見てきました。孤児院に保護した子供の中には、運よく心優しい一家に引き取られた子供もいます。あるいは、成長して良い縁に恵まれ、家庭を持った者もいました」
 いきなり何の話を始めたのだろうと思いつつも、オデットは彼の言葉の続きを待つ。
「残念ながら、孤児院といっても、運営状況はさまざまです。多くの孤児院は、子供たちの要求の全てを満たすことはできませんでした」
 滔々と、淡々と、彼は続ける。
「新たな生活を得た子供たちは、かつての自分の生活を思い出しては、時に今の自分の立場は過ぎたものではないかと悩む者もいました。親切にしてくれた仲間や、孤児院の大人たちを置いていくことが申し訳ないという者もいました。……オデットさん。あなたは、そのような方がいたら、どのように声をかけますか」
「それは……今、その方を幸せにしてくれる場所があって、それを受け入れたいという気持ちがあるなら、そちらを優先していい……って言うと思います」
 一瞬、オデットはグリダニアに残してきた友人の顔を思い出していた。
 イシュガルドに残してきた友達を思い、竜の声に怯えず暮らせる日々を受け入れていいかわからない。そんな風につぶやいた少女(エメーヌ)のことを。
「ええ。私は、今のあなたの話を聞いて、同じことを思ったのです」
 はっと小さく息を呑み、オデットは自分を見下ろす青年の瞳を見つめる。冷然とした面持ちの向こうに滲むもの――労りや慈しみと名付けられるそれは、炎のゆらめきが見せた幻などでは決してない。
「事情は少し異なりますが、あなたがかつて世話になった方を思い出し、懐かしむとき、そこには小さな傷が見えてしまうはずです。あなたにとって、親切にされた思い出は、酷い目に遭った経験と裏返しだ。私の姿を見て、その人を思い出してしまうのなら、尚更です」
 オデットは、新たな生活がもたらした幸せを受け入れるのなら、苦い過去をわざわざ振り返る必要はないと言った。
 それを逆手にとり、ミラベルは同じ意見をオデットにも示す。
 過去を思うあまり、そこにある苦いものまで受け取ってしまうのなら、そもそも振り返らなければいいと。
 オデットが返答に詰まっていると、
「でもね。どれだけ辛く苦しいことだったとしても、忘れたくない出会いってものもあるんだよ」
 不意に割って入ったのは、ヤルマルの軽快な声だ。
 ふわふわの長い耳をようやく解放した彼女は、白緑の片目を瞑り、
「君の言いたいことも分かるよ。オデットが慕っていた思い出の人は、オデットが思い出せない記憶の中にいる唯一の光だ。その光が、余計なものまで照らし上げてしまわないか、君は『大人』として心配しているんだろう」
 あくまでミラベルが当事者だろうという指摘はせずに、ヤルマルは言葉を紡ぎ上げていく。
「実際、オデットはお母さんと暮らしていた時期については、ボクたちにも積極的に話してくれている。それは、オデットにとって思い出すことが負担ではない部分だったからだろうさ」
「そうでしょう。だったら、なおのこと――
「だとしても、だ。思い出さなきゃよかった、と後悔しながらも、手放したくない出会いっていうものもあるものさ。矛盾だらけではあるけれど、そういう出会いが一つや二つあることぐらい、君ぐらいの年ならわかっている頃合いじゃないかな」
 言いつつ、ヤルマルもまた目を細めてもっともらしい顔つきで頷いて見せる。
 その芝居じみた振る舞いは、頑なになっていたミラベルと、おずおずとした気配を消しきれないオデットのやり取りを解くための仕草でもあった。
……忘れられるなら、忘れておいた方がいいこともあります」
「ですが、わたしはお兄ちゃんのことはちゃんと覚えておきたいのです。その時、思い出さない方がいいとあなたが思うものがそこにあったとしても」
「あなたには、すでにノエさんというあなたを守る兄が隣にいるのに?」
「お兄ちゃんの思い出をわたしが想うことを、兄さんも受け入れてくれています。いえ、受け入れようと努力してくれています」
 以前なら、ノエのことを話に出された時点で言葉に詰まっていただろう。
 だが、今のオデットは違う。
 ノエとは、すでにミラベルのことを話し合っている。彼は自分の中にある『良くない感情』を自覚し、己の心の一端をオデットに見せてくれた。それなのに、これ以上一体彼の何を疑い、遠慮するというのか。
……そうですか」
 ミラベルは、細いため息をつく。
「私は部外者です。だから、あなたが曖昧だった思い出を振り返り、その末に何を見出そうと止めるための理屈を持ち合わせていません」
 それでは、少なくとも思い出を振り返ることを許してくれるのかとオデットが喜色を浮かべかけるも、
…….それでも私は、一人の大人として言います。思い返すことすら困難になる苦難なら、その周りにある思い出ごと消し去った方がいいのではないかと。人の記憶に立ち入ることはできないので、無理に止めることはできませんけれどね」
 ミラベルは肩をすくめ、軽く両手をあげてみせる。降参のポーズは、事実上オデットの昔語りを聞くのをひとまず受け入れたということだろう。
「話したいのなら、ご自由に。『赤の他人の私』でも、相槌くらいなら打てるでしょう」
 あくまで関係者ではないという立場を翻さないミラベルではあったが、傾聴の姿勢を見せたのは確かだ。
 オデットは先ほどよりもパッと顔を輝かせ、いくつかは繰り返しとなったが、かつての思い出を一つずつ手繰り寄せ、口にする。その折々で、素早く目の前の彼の表情を伺うのも忘れていなかったが、あいにくミラベルは相変わらずの鉄面皮を貫いていた。
 思い出のいくつかを辿り終えてから、
「お兄ちゃんには、ずっといて欲しいなと思っていたんです。でも、お兄ちゃんがわたしの所にはずっといなくて、他の所に行っている時もあったみたいで、朝起きてお兄ちゃんが来ないかって誰かに聞いていた覚えがあります」
「ミラベルは、ずっとオデットのところにいなかったの? どこかに出かけていたの?」
 黙ってオデットとミラベルのやりとりを聞いていたゲルダが、ストレートに彼へと問う。
「その方は私ではありませんが、もし彼が私と同じように各地の視察を受け持っていたのなら、度々姿を消していたのは、他の施設も監査するためでしょう。労働者として雇われた方々が不当な扱いを受けてないか、確認するのが仕事のはずですから、一箇所にとどまっているわけにはいきません」
「でも、実際は悪いことをしてたんだよね?」
 ゲルダの物言いはかなり詳細な事情が省かれていたが、だからこそ本質を貫いているともいえた。
 ミラベルは当時を思い出してか、オデットやノエに向けるのとは違う苦々しさを顔に浮かべ、
「あなたのおっしゃる通り、事業の発案者とその関係者は『悪いこと』をしていましたね。わかりやすいところでは、施設の中の暖房設備を自分たちの部屋にだけ使い、毛布も薄手のものしか用意されていなかった。薪を準備するために渡された費用を、横領するためです」
 だから自分は部屋の片隅で凍えていたのかと、オデットは兄がいなかったときの記憶のかけらを思い返す。
「私たちが訪れた時だけ暖炉に火を入れて、温度調節が難しいために薄手の毛布を使っているなどと言い訳をしていましたが、蓋を開ければ随分と自分勝手な節約だったというわけです」
「ノエから聞いた話では、検挙に時間がかかったようだけれど、それもここのお国柄の問題かい」
 ヤルマルの質問に、ミラベルは頷いた。
 ノエにも説明したように、貴族が裏に絡んでいたことを説明してから、
「私は他の国の様子を伝聞でしか知りませんが、生まれながらの身分が明確なこの国では、ただ貴族として生まれただけで多くの無理を押し通すことができる力を持ったも同然です。私のような末端では、彼らの押し通した無理を覆すだけでも一苦労でした」
「末端といっても、今はそれなりの地位なんだろう。聞いた話じゃ、君はとある貴族の遺産の整理にも関わっているそうじゃないか」
 ヤルマルが言っているのは、以前グリダニアで護衛をした、元イシュガルド貴族の女中――ディアヌや、彼女らの主人の息子――ティエリーから聞いた話だ。
 彼らによると、ミラベルはティエリーの家の者と近しい貴族が遺した遺産を回収し、複雑な魔法がかけられたものについては、逐一調査を行なっているという話だった。ミラベルは、その調査に関わっていたため、一介の女中であったディアヌも名前と顔を覚えていたのだった。
……どこでその話を?」
「ティエリーからだよって言ったら、君には伝わるかな」
「ああ……。そういえば、ニヴェールの家にいたメイドから私のことを聞いたと、ノエさんが話していましたね」
 ミラベルはオデットのことを話すときとは異なる鋭さを帯びた視線を、ついとヤルマルに向ける。
 その仕事は、孤児院のことやオデットの件とは別に、無関係な人間に触れられてはならないものとして、扱っているのだろう。
「確かに私は遺産の調査について、手伝うように指示を受けました。私は神学院にいた際、個人的な興味で魔法の歴史や発展について調べていたので、その知識が役に立つだろうと父が主人である彼らにに私を売り込んだのですよ」
「主人である彼らに……っていうことは、君、ニヴェールの関係者なのかい?」
 オデットも思わず目を丸くして、ゲルダと顔を見合わせる。ニヴェールといえば、今まさにオデットたちがいるこの土地を管理している領主の名前でもある。
「ミラベルは、偉い人の家族なの?」
「家族ではありません、ゲルダさん。少々複雑な経緯がありましてね」
 うんざりといった調子を隠そうともせずに、彼は言う。
「元々、この付近を治めていた別の家が取り潰しになり、ニヴェール家はその縁戚関係にあった。故に、彼らの領地と遺産の正当な継承者となった。その際、彼らの分家であった私の家もまとめて彼らの傘下についたのです」
「分家というのは、親戚ということですよね。親戚なら、ミラベルさんのお家が土地を引き継ぐものではないのですか?」
「普通ならあなたが言う通りなのですが、イシュガルドという国では、必ずしもその理屈が通らない場合があります。この場合、大領地を治めることで得られる権益は、自分の家では持て余すと思ったのでしょう。つまり、小規模の領地を譲られた上で、権威を持つ貴族の下につく方が得だと感じる者の方が多かった、ということです」
 オデットとゲルダは揃って眉を寄せ、首を傾げる。
 彼女らにとって、家族の持ち物を血の繋がる他の家族が引き継ぐのは当たり前のことだ。より近しい者ほど、遺されたものを欲しがるものではないかと考えてしまう。
 しかし、引き継ぐものが土地ともなれば、単純に感情論だけでは難しい場面もある。それがミラベルの話す『うんざりするような事情』の内訳だ。
「そうして傘下に収まったはいいものの、やはり外から入ってきた血であることには変わりありません。ニヴェールにとっては、自分の子供の夫のそのまた父親の兄の娘の夫……といった具合に、非常に遠い関係ですからね」
「それって、ほとんど赤の他人ではありませんか?」
「ええ、そうですよ。だから、少しでも役立つところを見せようと、父は私のような駒を上司にあたる家に送り込んだのです」
 ややこしいねえ、とヤルマルが呟くのがオデットにも聞こえた。グリダニアとはまた違うイシュガルド独自の権力問題は、オデットにとっても複雑怪奇なものに思える。
 ノエの家族の時もそうであったが、そこまでして権力とは守らなければならないものなのか、と考えてしまうのだった。
「ミラベルは、貴族の人なの?」
 オデットが切り出そうか悩んでいた内容を、これまたゲルダがずばりと聞いていく。
 竜に育てられた彼女は、会話の際に相手へ遠慮するという感覚がまだ育ちきっていないようだ。
 だが、今回においては、二の足を踏みがちなオデットの代わりに質問をしてくれるので、オデットとしてはありがたくもあった。
「私の母親はそうですが、おそらく父は違います。この場合の父とは、私と血縁関係にある父という意味です」
「そういえば、君もハーフエレゼンのようだったね。となると、それは聞かない方がいい話かな」
 やんわりとヤルマルは話の矛先を逸らしたが、ミラベルは「構いませんよ」と首を横に振る。
「母は私を生粋のエレゼン族と主張していますが、顔立ちこそ母似でも私の髪色も目の色も、家にいる名目上の父とはまるで異なります。それだけならまだ如何様にもごまかせますが、この体ではね」
 ミラベルはその場に立ち上がり、己の体に軽く手を添えてみせる。その体躯は、エレゼン族特有の長身からは程遠く、ほとんど小柄なヒューラン族と大差なかった。
 ミラベルの口ぶりでは、彼の名目上の父親もまたエレゼン族なのだろう。成長するにつれて、誤魔化しようのないほどに不貞の象徴が顕になっていく姿を見て、家の者がどのような感情を抱いたかは想像に難くない。
「そんな理由もあって、私は勝手な真似をしないように神学院に送られました。それでも、司祭という立場を使って、できることはある。貴族のしがらみに囚われる生活よりは、ある程度自由に動けているので、これはこれで悪くないと思っていますよ」
「お兄ちゃん……いえ、ミラベルさんのおかげで、悪い司祭様の企みも暴かれたわけですから、わたしもミラベルさんが司祭様になってくれてよかったと思います」
「私一人のおかげではありませんけれども、そう言ってくれたのなら私も……その兄という人も、報われる気持ちになるでしょう」
 そこで話に一区切りがつき、ミラベルは立ち上がったついでと言わんばかりに、部屋の隅に寄せていた椅子を運び、暖炉のそばに運ぶ。
 寒空の下に戻ってくるサルヒやイレーナのために、休める場所を作るつもりのようだ。
「オデットさん。先ほどは思い出話を聞かせてくれましたが、ノエさんとの日々はどうなのでしょうか。私としては、昔のあなたも大事ですが、今のあなたの境遇も気になっています」
 子供が騎士の仕事を手伝うなどと、とまでは言わなかったものの、ミラベルがオデットやゲルダのような年少の者が大人の職務についていくことを好ましく思っていないらしい。
 道中の視線からも、彼が反対意見を持っていることは察せられていた。
 だからこそ、オデットは胸を張って言う。
「兄さんは、わたしにとって、とても大切な人なんです。誰に対しても優しくて、紳士的で、剣の腕もすごく強くて。わたしが困っているときはすぐに気がついて声をかけてくれます」
「ほほう。オデット、君にとってノエはそう見えているのかい」
「では、ヤルマルさんにはどう見えているのですか?」
 にやにや笑いを浮かべるヤルマルは、オデットの肩をとんとんと手で叩き、
「そうだねえ。人好きのされる好青年であるのは確かだね。それに、ボクが驚くほどのお人好しだ」
 もしベッドの準備をしているオランローがこの場にいたなら「どっちもどっちだ」と言っただろうが、あいにく彼はこの場には不在だった。
「彼は、相手が悪人ではないかと疑える状況であっても、まずは話を聞こうとする。それでいて、オデットのことは人一倍大事にしているのが分かる。単なる面倒見のいいお兄さんとしても、それ以外としてもね」
「それ以外、というのはどういうことですか」
 すかさず、ミラベルが質問を挟む。その反応自体がオデットを特別視している証明にもなるのだが、ミラベルはその件には無自覚なようだ。
 構わずに、ヤルマルはわけ知り顔で続ける。
「オデットは、ノエにとってはただの仲間じゃなくて家族のようなものだからね。記憶を取り戻したら、そこでお別れにしてしまえるほど、簡単に手放せる存在じゃなくなっているんだろうなって話だよ」
 ノエ自身が家族に対して一悶着あった人間だかったからも理由としてはあるのだろう、とヤルマルは内心で付け足す。
 だが、流石にまだ会って間もないミラベルにノエの内情を話すつもりはなかった。
……そうですか。では、オデットさんにとって、ノエさんは親切なお兄さんという感じなのでしょうか」
「そうなると思いますが……でも、わたしとしては、いつまでも子供扱いされるのは、ちょっと違うといいますか……
 ただ、兄と妹の関係で終わるのは、オデットとしては少々もどかしいものもある。とはいえ、その感情を言葉にするのはあまりに恥ずかしい。
 そんなことを考えているとき、オデットはパタンと戸が閉じる音に気がつく。数秒遅れて、オデットは同じ部屋にノエとルーシャンがいたことを思い出した。
「あの……今のわたしたちの話、兄さんにも聞こえていたでしょうか」
「聞こえていたんじゃないかな」
 何やら愉快な物語の始まりに口角を釣り上がらせるヤルマルとは裏腹に、オデットは炎よりも赤く顔を染め、熱が出たと勘違いしたゲルダに両頬を挟まれてしまった。ひんやりとしたゲルダの手のひらは気持ちいいが、今はそれどころではない。
(兄さんとの昔話は、別に聞かれても構いませんが……その後のことまで、聞こえてしまったのでしょうか……
 ノエに対する賞賛に嘘はないが、当の本人に聞かれてしまったとなれば話は別だ。オデットが真っ赤になったまま固まったのを見て、ミラベルはふっと口角にこもった力を緩める。
「どうやら、彼女はノエさんのことをとても大事に思っているようですね」
「君にもそう見えるかい?」
……ええ、とても」
 目を細めて頷くミラベルの瞳に、微かな寂寥が混じる。
 いつまでも子供だと思っていた少女が、少し目を話した隙に大人の世界に片足を踏み入れてると気がついた。彼の横顔は、そんな気持ちが淡く滲み出していた。