よつもり
2025-01-08 20:19:07
1095文字
Public 考えたこと
 

大きなものと繋がる感覚について


ちょっとした、数秒の暇でもXを開いてTLを眺めて何かを得たような気になっているものの、アプリを閉じスマホをポケットに仕舞った瞬間に、つい数秒前まで読んでいた物事は綺麗さっぱり消え去っているわけです。
というような、何を得るでもないのに、Xを開いて怒涛のような文字の流れを眺めては、何かを得たような気になってしまう。
何かを得た気になっているけれども実際は何も得ることができていないということについて、分かっているのに、またXを開いてしまう。

というようなことを繰り返していて、私はXを開くことで何を求めているのだろうと考えました。
ちょっと、時間を無駄にしすぎているような気がして。

情報そのものというよりは、数多の情報が流れて、もしかするとその中に私の心を射抜くような「何か」が見つかるかもしれない、といったような期待。けれどもその期待は、胸踊るような感覚ではなく、もっと冷めている。
工場のラインで、自分の受け持ちの部品を待ち構えている人のような気持ちかもしれない。ベルトに乗って流れてくる膨大なものの中から、自分が求めるものを探す見つかれば見つけたと思う。けれどもそれを見つけたからと言って特別な感動はない。次の部品を探さなければいけないまたベルトの上の膨大な部品を眺める

というようなベルトコンベアからのピックアップ作業は、自分の身になるかといえばそういうわけでもないので、同じ時間を何かべつのことに振り分けたいわけで、Xを眺めるのを少し控えようと思って控えると、やってくる物足りなさ。

という物足りなさの正体を考えてみると、私はXに、何か大きなものと繋がる感覚のようなものを求めていたのだなあと思うわけです。
「大きなものと繋がる感覚」自分がなにかに属しているような、自分が何かを得ているような、自分が一人ではないような、なにかそういう感じ。
逆に言えば、自分はどこにも属しておらず、手持ちは少なく、一人。という感覚を私は根本的に抱いていることとなる。

SNSがない頃は、それらの根本的な感覚によって発生する欠乏感を満たす方法は読書や音楽だったと思うのですが、SNSによってそれらの物足りなさはインスタントに満たされるようになってしまったような感じがしています。

そっか、私は寂しかったり、色々物足りなく感じるから、Xに依存するんだなあ。
疲れて動けないときほどおすすめTLを更新し続けてしまうのも、そういった感覚がより強まるから依存度も高くなるのだろうなと。

というようなことを考えた日でした。今日はなるべくXを開かず、読書に時間を費やしました。