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よつもり
2025-01-07 20:49:37
9227文字
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映画・本・インプット(2025)
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2025年1月〜3月読了の本
カウント.タイトル(読了月日)
1.小説 落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊 最強の軍師/原作・挿絵:尼子騒兵衛、著:阪口和久(01/07)
漫画・アニメなどの絵による表現作品をノベライズするときはこう書くのか! という発見がありました。
面白かったです。もともとこのようなお話だったところに映画はより効果的に肉付けをしていったんですね。
文体は読みやすく、専門的知識が要求されそうな部分には簡潔に説明が入る親切設計。
物語を展開させるための、文章の格好良さというようなものを考えれば、そういった説明をしないほうが文章は美しいかもしれない。
けれども、この物語を読んでいる人が、この本に記されている文章を読むだけできちんとこの物語を理解できるようにと書かれている、そのような親切さを、私はいいなと思います。落第忍者乱太郎/忍たま乱太郎の世界は、媒体が変わってもきっとそういった一貫した哲学のもとにあるのだなと。
尼子先生の挿絵がとても素晴らしいです。浮世絵のような趣を感じます。
2.同志少女よ、敵を撃て/著:逢坂冬馬(01/11)
タイトルを見て、あらすじ読んで、「さて、これは大丈夫な方の小説だろうか
…
」と若干訝しく思いながら読み始めました。
冒頭、牧歌的な村の風景から始まり、その村が焼かれ、家族も顔見知りも失った主人公セラフィマがイリーナというベテラン女性狙撃兵に拾われる。イリーナに復讐心を焚き付けられたセラフィマは、イリーナが教官を務める女ばかりの狙撃訓練学校に入り技術を叩き込まれ、仲間たちとともに戦場に配置される。
セラフィマは自身の復讐を果たすことを誓いながらも、戦場で目にした光景によって次第に自身の動機を深く追求するようになり、やがて彼女なりの結論を見出す。
というような、ざっくりいうとこのようなお話でした。
大丈夫かどうか心配でしたが、大丈夫でした。もっと言えば、この物語が出した結論を、私は好ましいと思いました。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』という名著がありますが、そちらを読んでいたことがあったのもよかった。この名著を使うことで、この物語をこういうふうに現実に接続するんだ、という驚きがありました。その仕掛けが面白かった。
この物語は、男性作家が書いたというのに驚くほど女性に寄っているお話で、
作中で描かれる「敵」というものの来歴、そしてその敵を撃つセラフィマの描写をみて、男性に対しての悲観を感じました。
戦争という極限状態にある人間、そこで男性の暴力性が出たとして、それをどこまで批判することができるだろうということは、ちょっと考えました。
セラフィマが最期に「敵」と認識した人物も、もし戦場という場でなければ良き男性、良き市民、良き夫となっていただろうと思われる人物で、それが戦場において暴力性が発露されたとして、果たしてそれをどこまで責めることができるだろうか。それを「敵」と認識したセラフィマの方こそ、戦場という極限状態において、普通ではない、純粋すぎる理念を内面化した末の、一種の化け物ではないだろうかとも思われました。
だからこそセラフィマとイリーナは寄り添うしかない。お互いの世界観を共有できる者同士で支え合うしかないし、その世界観の中で、共通の視線を持つ者同士で愛し合うしかない。
男と女という形で分断が起きる、そのような分断を発生させる戦争こそ批判されるべきであり、作中で「敵」とみなされた彼は批判されるべきかどうかについては私は保留。しかし、彼を「敵」とみなし、自らの手を汚したセラフィマのその理念、結論によって救われる気持ちもあることは事実。
エンタメとして良くできたお話であり、エンタメでありながらもそのエンタメ性を求めて読む読者を刺しに行くようなお話でもあって、気概を感じました。私が懸念した「大丈夫な方のお話だろうか
…
」の、私が思う大丈夫じゃない方のお話を求めて読み始めた男性読者なんかは嫌な顔するんじゃないかなと思うので、それを思うと結構愉快。
3.傷を愛せるか/宮地尚子(01/25)
『環状島=トラウマの地政学』『環状島へようこそ トラウマのポリフォニー』という本に以前から興味があり、それでいて未だ読めずにいるのですが、
その著者の先生のエッセイ、しかもちくま文庫から出版、近所の本屋さんでも置いてた。
ということでこちらを先に読むことに。
トラウマ、ジェンダー、性的支配、民族浄化、DV被害者、多重人格者、性的虐待
…
などを取り扱っているという、なかなか重くシリアスな分野の専門家の先生の著作ではありますが、
エッセイという性質からか、ご本人がきっとこういうお人なのか。
語り口は落ち着いていて、柔らかくて、そしてどこかずっと寂しそうな気配が漂っている。
取り扱うテーマの物々しさに対抗するには、強くあらねばならないのではないか、こんなに繊細で大丈夫なのだろうかと心配になるくらいに繊細ですが、上記のテーマに関心を寄せ、紐解いていこうという気持ちは、そもそも繊細でなければ抱くことがないはず、といったような納得もあります。
「心を寄せる」「想像する」というのは、人として大切だよね、ということはおおよそ自明のこととして語られることだと思いますが、その実践というものは難しい。
傷ついた人に心を寄せ、その傷ついた心を想像する。
言葉に起こすとこんな簡単なことの、実際の負荷はきっと計り知れない。
そして心を寄せ、想像したとして、その傷を癒やしてやることはできないという根本的な無力がある。
この無力は人が、体というもので輪郭を形作り、そして体と体が隔たれているから発生する、「私と貴方は違う人間」という辺りから発生しており、この無力をなんとかしようとすれば人類補完計画でオレンジジュースになるしかないだろうね、と私は思うところですが、
この著者の宮地先生は、この無力に体当たりをしていくような人のような印象がありました。
落ち着いて、優しく、柔らかく、繊細なような人が、その繊細さを持ち合わせながら同時に、人の限界にアタックしていくような、そんな印象です。
そりゃ無茶だよ、と思わなくもないですし、著者自身による文庫版あとがきで「身を削って仕事をしているようなところがある」と指摘を受けたと書いてありますが、きっと私も同じ印象を抱くだろうと思います。
優しすぎ、懸命すぎ、聡明すぎるひとの精神に触れることができるいい本でした。
こういう人は人類には必要なのだ。
4.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー/ブレイディみかこ(02/08)
2019年出版の本ということで、今から6年も前の話と思うと、今はもう主人公の少年も18歳
…
今は成人くらいの年齢に達しているはず。
首相がテリーザ・メイだったりするので、おお、なんだか内容が昔な感じがするなあなんて思って読んでいました。
新型コロナが流行り始める前くらいの時期のお話ですね。
と思うと、著者の息子で、主人公の少年は、一番青春をしたい時期にコロナが流行っていたのかも。
いま、続編の2があるということを知ったので、そのあたりのことももしかして2に書かれているかな。読みたいけれども、伝書で買おうかそれとも文庫で買おうか、迷うな。
著者は日本人で、配偶者はアイルランド人。その二人の間に生まれた子供は、日本語でいわば「ハーフ」の少年。
彼は低所得者の子供が多く通う保育所に通い、その後規律正しいカトリックの小学校に進学した後、今度は公立の中学校に通うことになる。
カトリックの小学校は中流階級の子どもが多く通うようないくらかおハイソな場所だったところ、公立中学は一転、貧困層も多く家庭の事情も様々で、著者の子である少年のように様々なルーツを持つ子も多い。その中で「日本人とアイルランド人のハーフ」である少年は、様々な同級生や上級生たちとの間に起こる出来事に向き合いつつ、学校生活を送っていく。
さて、読んでみて最初、こんな賢い少年は果たして本当にいるのだろうかと思いましたが、
著者の筆致の鮮やかさをみて、この作家が母親であれば、きっとこういう賢い子供も育つんだろうな、ということを思いました。
まず、母親である筆者の見識と胆力が凄いなと思います。日本人である筆者はイギリスという国において日常的に差別にさらされながらも、それを日常にある出来事として受け入れて対処法も知っている。その土地に馴染み、家庭を持って、子供を育てるというのはどれほどの苦労があるものだろうと思うところですが、このお話の書きぶりをみると、確かに大変そうではあるのですが、それらの大変もどこか楽しんでいるような、そんな様子も見えるような気がしてきます。
大変なことをただの負担だけと思わず、経験として処理しているような感じに見えるとでもいいましょうか。人生への向き合い方がきっと軽やかな方なのだろうなと。
そんな母親をもち、母親とはまた違う人生哲学を有している様子のトラック運転手の父親をもつ、息子である彼は、公立の中学校で勉強し、級友とのなかなか難しい友人関係に悩み、楽しみ、楽器を学び、バンドを組むなど、彼は彼で色々な障害にぶつかりつつも、多分彼が母親を見て学んだであろう似たような軽やかさと眼差しの深さで日々を過ごす様子が見えます。
貧困とか人種差別とかいじめとか、その辺りがテーマになっているんだろうなと言う感じはありつつ、色々ある世の中に結構真面目に向き合って、でも対処できないようなことはその場でひとまず折り合いをつけて過ごす様子が、いいなあと。ドツボに嵌りすぎず、でも真剣で、でもどうにもできないことはあって、それでもなんとなく頭に置いておいて、もし必要なときはすぐに腰を上げる事ができるようにしている感じ。
そのような態度が心地良い本でした。筆者のあり方がとても良い本です。
5.そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ(02/13)
どんな本でも評価って分かれるものだろうと思われますが、この本に関しては「面白かった」と「好きではない」がかなりはっきりと分かれているような印象だったので、さて私はどっちだろう。と思って読み進めました。
結論としては、良かった。ということで良いかと思います。飛び抜けて面白くて夢中!というわけではありませんが、最後まで読んだ時に「なるほどこの本はこういうお話なのか」ということがちゃんと納得できて、いい読後感でした。
帯にも「いい読後感」と書いてありましたので、つまりそこが売りなんでしょう。
母親との死別、父親の再婚。父親の海外赴任に伴い継母と日本で暮らすことを決意し実父とは生き別れ、継母とともに暮らすも継母が再婚しまた別の父親ができ、更に継母が離婚しまた別の男と再婚したことでまた新たな父親ができ、そして継母は失踪し
…
というような親の事情に振り回されて三人目の父親(全く血の繋がりはない他人)の森宮さんと二人で暮らす優子という高校生が主人公です。物語はほぼ優子の視点で語られます。
三人目の父親が、不器用ながらも優子の父親を全うとしようとする姿がこの物語のポイントであって、つまりこの物語はそこを描き出したいわけですが、視点が優子にあるために、優子という子の淡々としているようでジメッとした内面であるとか、優子を取り巻く人間関係のいくらかのしょうもなさとか、そういう部分へのつまらなさというものがもしかしてあるのかもしれない。
この本へのあんまりポジティブではない評価って、多分それらの優子まわりの描写が気になるのかなあということを思いました。
優子と継父の森宮さんとの会話も、どうも妙に堅苦しいというか、自然ではないような部分がありますね。
妙に演劇がかっているような感じのところがあるかもしれない。そのシーンを成立させるために喋らされている感じとでもいいましょうか。
というようなぎこちなさや不器用さがところどころに見えるものの、じゃあ読みにくいかというとそういうこともないし、最後まで読み通した時に、なるほどこれは優子ちゃんの物語ではなくて、優子ちゃんという子を引き受けて父親やる覚悟を決めて優子ちゃんが手を離れるまで父親をやり通した森宮という男の生き様を描いた物語なのだな。ということが分かるわけです。
優子ちゃんを書こうとしたお話であるならばあんまり面白くないかもしれませんが、森宮さんを描こうとしたのだとしたらそれまでの描写の積み重ねにちゃんと意味が通るんですよ。
というわけで、最後まで読むことが必須のお話ですね。最後まで読むと「なるほど
…
」と納得があります。納得に辿り着くと面白いですね。
6.レジリエンス入門 折れない心のつくり方/内田和俊(02/14)
実用書の類だと思いますので、まとめをしていきましょうね。
・「レジリエンス(resilience)」と「ストレス(stress)」はもとは物理学用語だったものが心理学用語となったもの。
・物理学用語による「ストレス」は「外圧に依る歪み」という意味であり「レジリエンス」とは「その歪みを跳ね返す力」
・心理学では、「ストレス」がかかって、心がへこんだりくじけそうになったり落ち込んだりした状態を、もとの正常な状態に戻す力を「レジリエンス」という。
・心理学用語としては「精神的回復力」「復元力」「心の弾力性」と表現される事が多い。
・レジリエンスはもともと誰にでも備わっている。
・レジリエンスは ①個人差が大きい ②鍛えれば強くなる
・レジリエンスを強化することで
①勉強やスポーツに役立つ(やる気と集中力の持続・本番に強くなる)
②人間関係、コミュニケーションに役立つ(地震や自己肯定感が増す。共感力や思いやりが増す)
③将来に役立つ(一生の財産である「グリッド(grit)」を手にすることができる)
・グリッドとは
…
「遠いゴールに向かって興味や情熱を失わず、とてつもなく長い期間にわたって、継続的に粘り強く努力し続けることによって、物事を最後までやり遂げる力」
…
生まれ持った才能や知能には関係せず、後天的に身につけることができるもの。
・「気分」と「感情」の違い。気分は「良い」「悪い」とシンプルに分類したもの。それを細分化して「嬉しい」「楽しい」「悲しみ」「不満」「恐怖」など細分化させたものが感情。
・「エリスのABC理論」アルバート・エリスによる。
「A」はAffairs「出来事」
「B」はBelier「信念」⇒「考え方の癖」「物事の捉え方」「出来事に対する解釈」
「C」はConsequence「結果」⇒「発生した気分や感情」
出来事はA「出来事」とC「結果」が直結するのではなく、
AとCの間にB「解釈というフィルター」が挟まるということをエリスは提唱した。
人によってフィルターは違うので、同じ出来事を見たとしても、C「気分や感情」は変わってくる。
・「性格」とは、「思考」「感情」「行動」のパターンの組み合わせのこと。
・エリスのABC理論で発生したC「感情や気分」の先に、「その結果どんな行動を取るか」まで含めて、「性格」となる。
・性格を構成する「思考」「感情」「行動」のうち、「思考」と「行動」は変えることができる。「気分や感情」を変えることは難しい。
・しかし、「思考」と「行動」を変えることで「気分や感情」に働きかけることができる。間接的なコントロールは可能。
・レジリエンス強化のためには「思考」に働きかけることが一番の鍵。
・P60からの引用〈レジリエンスを高める脳の鍛え方は、知識を増やすのではなく、視点を増やします。言いかえると、一つの出来事や事実を多くの異なる視点から違う見方をする訓練です。これこそが脳つまり心を柔軟にします。それによって、しなやかで俺折れにくい心が育っていくのです〉
・エリスのABC理論のB、思考というフィルターを変えることによって、C「気分や感情」も変化させることが可能。
・ストレスは決して健康に悪いということはない。ストレスがレジリエンスを高め、健康や寿命にまで良い影響を与えるという研究結果がある。
・レジリエンスを弱めてしまう七つの考え方。
①否定的側面の拡大(肯定的側面の否定)
…
嫌な側面ばかりに着目してしまう態度。
②二分化思考(少なすぎる判断基準、勝ち負け思考)
…
白黒はっきり
③「当然」「べき」「ねばならない」思考
④過剰な一般化(柔軟性のなさや、レッテル貼り)
⑤結論の飛躍(心配性、妄想癖)
⑥劣等比較
⑦他者評価の全面的受け入れ
上記への対応。
①ポジティブな出来事を三倍意識するくらいで丁度いい。
②二分化思考は自分への脅迫行為と捉えよ。最低三つ、それ以上の選択肢を用意すること。
③常識や良識によってこの思考は形作られる。「当然」の反対は「感謝」。感謝すること。
※②と③に共通する視点の増やし方として「全ての言動には肯定的な意図がある」と頭に置いておくこと。
④過去に正しかったことは今も正しいとは限らないと思っておくこと。
⑤
…
④にも共通する大作として「問題解決や目標達成のための方法・手段」=「オプション」を多く持つように意識すること。
オプションを多くする方法として、本を多く読む、人の話を聞く、自分で情報の取捨選択がしづらい新聞を読む、自分が避けていた新しい分野、新しい人間関係にチャレンジすること。
※「エリスのABCDE理論」
…
上記のABCに加えて、D「Dispute」(自分の考え方に疑問を投げかける)、E「Effect」(効果)
物事に対する自分の解釈Bに対してDで疑問を投げかける。そうすると、E効果として物事を観る視点が増える。=オプションが増える。
⑥「私にとって恵まれているものは何なのだろうか」と自分の持っているものに目を向ける。
⑦他人からの評価は適切に取捨選択する。
※⑥⑦に共通することとして、「自分軸」が確立されていない。
「自分軸=人生の目的+心のニーズ」
・目的と目標の違い。目的は英語で「Gorl」。目標は「Objectives」
目的に到達するまでのマイルストーンを目標。さっきに「人生の目的」を決めてから、目標を設定していくこと。
・心のニーズとは。自分の本心が求めること。何をしている時、どんな時、喜びや充実感を得られるか。満たされた気分になるか、幸せに感じるか。
「心のニーズ」と「人生の目的」はベクトルが一致する。
心のニーズには「チヤホヤされたい」などの一見不純に見えるようなものもある。
・自分軸(「人生の目的」と「心のニーズ」)が明確になると、今がゴールではないということが分かるようになるので他人との比較に惑わされなくなる。経済的に恵まれなかったり、人から理解されない不遇があっても、粘り強く物事に取り組めるようになる。また、自分軸の確率は「グリッド(Grit)」の強化にも役立つ。
・①〜⑦に共通するのは「完璧主義」。完璧主義は良くないので「最善主義」という考えに切り替えること。
・「最善主義」とは「様々な制約のある不公平で理不尽な現実を素直に受け入れ、そんな状況の中でベストを尽くそう」という現実的かつ合理的な考え方
・ほか、提言 ①マインドフルネス−呼吸法、瞑想の活用 ②「被害者」ではなく「主体者」となること ③マイナスの感情を自分のエネルギーに ④「fruitful monotony(実りある単調)」を耐える⇒小テストのように小さい区切りで結果を出していくことを意識する ⑤マズローの5段階欲求には「尊重欲求」がある。人を頼ることで相手の尊重欲求を満たすことに繋がる。人を頼ることは相手にとっても悪いことではない。
7.夢で会いましょう/村上春樹・糸井重里(02/23)
おじさん二人なので、書かれている内容もそりゃもうおじさんらしい
…
というかもうおじさんというよりもおじいちゃんなお二人がはるか昔(1981年)に書いた散文集なので、そういう物と思って読まないと「なんかすごく女性の書き方が偏っているし今の時代の感じではないし流石にアップデートしたほうが良いのでは?」ということを言われかねないような内容になっていて、そろそろ両氏の昔の作品には手塚治虫の作品集に書かれているような「時代背景を鑑み」的な一文を添えた法が良いのではないかというような気もしてきます。古典と捉えられればそういう物として読んでもらえますが、お二人共今も元気だからこの本の発行時期を読者の側が考慮しないとなという。この時期は私も生まれていませんね。はるか昔の本が出版元が変わってなお、今も版を重ねて流通しているのはすごいですよ。
それはそうと私はこの本の感じは嫌いじゃなくて、なんなら面白く読みました。
五十音順のお題に村上春樹と糸井重里がそれぞれ散文を書いて一冊に収録しました、というやつで、お互いに原稿をやり取りして一つのストーリーを作り上げるというようなものではなく、それぞれが自分のお題に取り組んだものを交互に出し合うというようなもので、だから村上春樹と糸井重里の作品にはお互いの作品に干渉はしていないと思うんですが、それぞれが出してきた文章が何だか妙に調和しています。書かれた文章の著者も文章の最後に(i)だの(m)だので示される形になるので、文章を読み始めるとそれがどっちが書いたものだか分からなかったりする。一応傾向はあるので「これは春樹だな」とか「こっちは糸井っぽいな」ということを思ったりするんですが、文章の最後を確認するまでわからなくて予測が外れることもあったりする。
内容もどうも夢の中みたいな感じですね。いろいろなものがランダムなんですが、不条理というほどの気まずさといたたまれなさはなく、ぼんやりと読んで楽しめる本だと思います。テーマも主張も何もなく、けれどもテーマや主張を斜に構えて笑うような冷笑とも一線を画し、とりあえず「変」な話が次々と展開されるんですよね。
だから、なんかテーマがあるものを読みたい、であるとか。自分の思考を深めたい。という人にとってはただただ時間が取られるだけの本になっちゃうと思うのですが、とりあえず何でもいいから軽く読みたい、という人には向いていると思います。
文章はとても良いです。中身があんまりなくて文章が良いという文章は貴重だと思うので、そういう楽しみ方ができる本だと思います。
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