へえ、意外と簡単にセーフティーが外れるんだ。まあそこが手間だと命に関わるか。なんて感想をアベンチュリンが漏らした次の瞬間の出来事だった。
レイシオの普段使っている投擲武器のオリジナルをアベンチュリンがしげしげと眺めたかと思うと、極々自然な動作でひょいと放り投げたのだ。投擲と表現するには適当かつ力がかからなさすぎたため、真っ白なそれはくるくると回転しながら宙を舞う。
その物理規則に則った美しい弧を眺めながら、自分が上げたマヌケな声は直後の轟音で掻き消されたと思う。リビングと隣の部屋を区切る壁が弾けた小さな礫がレイシオの肌をばちばちと叩き、慌てて瞼を落とした上で更に大きな破片をもろに食らわないために上体を下げて頭を腕で覆い隠す。
本来であれば距離を取らなければならないのは明白なものの、深く沈み込むソファに座り目の前にテーブルがある状態だと逃げ出すのもままならない。遅れてアベンチュリンがクリフォトの力を借りる事を思い出したらしく、礫の感触が消えたのでレイシオは再び瞼と体を持ち上げる。
砕けた――というより、アベンチュリンが破壊した壁は自分達から一番離れた面のもので、彼の部屋が一人暮らしにしては無駄に広い点が初めて効力を発揮した瞬間だったのではないだろうか。少なくとも、レイシオの家のそれなりに余裕がある広さのリビング程度ではもろに被害を受けていたに違いない。
ばらばらと砕け落ちるコンクリート壁を息を呑みながら見ていると、甲高い警告音が鳴り響き始めた。すでに部屋の隅に逃げ込んでいた創造物達がその音に堪えかねたのか大きく弾んで、固まっているレイシオとアベンチュリンにぶつかると最後は懐に潜り込んだ。
「君達、怪我は」
「僕はない、けど……」
思わず手元の創造物に触れて壁だった物が当たっていないかを確認しながら、レイシオは二匹の創造物を抱えているアベンチュリンに問いかける。まだ自分のした事が信じられないようで呆然としているアベンチュリンが返事をするうちに、彼の手元からもにうにうと声が上がった。
レイシオは人が本分で獣医ではなかったが、彼らが痛みを感じているような声ではなかったため一旦安堵する。とはいえ小さな生き物は不調を隠すものなので、後でしっかりと検査はした方が良さそうだが。
腕の内にいる創造物が肉球をレイシオの手のひらに押しつけるのと同時に、玄関の方からもう一つ高い音が鳴り響いた。マスターキーが玄関戸に使われた音だったのだろうと気づけたのは、重たい靴音が廊下に響いたからである。
「アベンチュリン総監!」
「ごめん! 僕が壊した!」
アラートを聞きつけた警備員が次々にアベンチュリンの部屋に突入してきて、外敵の有無を確認している気配がある。おそらくリーダー格だろう警備員が家主を見つけて声を上げた瞬間、アベンチュリンは両手を挙げながら自白をしていた。
安否確認を続けたかっただろうに言い淀んでしまった警備員の肩にスターピースカンパニーの社章が印刷されているのは、決して偶然ではない。アベンチュリンがピアポイントで使用している不動産はスターピースカンパニーが提供する社宅の一つで、治安の維持も当然自社で行っているだけの話だ。
「何故です!」
「理由は説明できない!」
なぜならそんなものはそもそも存在しないから。アベンチュリンの答えは間違いではないのだろうが、後続の警備員をどよめかせるのには十分だったらしい。ぐっと息を呑んだらしい先鋒の警備員が覚悟を固めたようで、レーザー銃をアベンチュリンに向ける。
がら、と音を立ててバランスを保っていた壁の欠片が崩れ落ちる。レイシオに寄ってきていた一人が避難を求めてくる中、アベンチュリンに対して一時的に拘束する旨を声高に宣言する声が聞こえていた。
どの辺りから止めていれば良かったのだろう、と考えつつレイシオは素直に警備員の誘導に従い部屋を出る。
遡ること一システム時間前、レイシオとアベンチュリンは買い物袋を片手にアベンチュリンの部屋に上がり込んでいた。袋から取り出すのはそこら辺の店で調達してきた惣菜とつまみとパンで、酒はアベンチュリンの部屋にそれなりにあるはずなのでそれで宅飲みをしようという話になっていたのである。
最初は鍋を作りたいなんてアベンチュリンが言い出していたものの、鍋はともかく携帯コンロがなかったために断念した。今となっては熱々の鍋の出汁を被らずに済んだので、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
これもアベンチュリンであれば地母神の慈愛によるものなんて言うかもしれないが、彼の幸運の根拠がそこにあるのかは正直レイシオには判断がつきかねている。ポルカ・カカムの生み出した全知域を念頭に置けば、類似した能力が他に存在しないとは言い切れない。だからレイシオが気にしているのはかの地母神――マザー・フェンゴの実在性であるのだけれど。
とはいえ彼女が本当に存在したとしても、細かいことを気にする人間からすればあんまりにも大雑把な祝福であると言わざるを得ない。たとえば横倒しになった瓶からこっくりとした色合いのワインが零れ落ちて、いかにも高そうな絨毯に染み入るなんて事には彼女は全く気にならないらしい。
閑話休題。ある程度腹がくちくなるまで飲み食いをして、追加でボトルをもう一本開けるかどうかという頃合いだった。そういえば君の武器なんだけど、と飲みの場にはやや相応しくない言葉がアベンチュリンの口から飛び出してくる。あれって虚数エネルギーなんだっけ、との問いかけに、レイシオは半分だけイエスと答えた。
もう半分のノーは自分の懐から取り出した、携帯用の投擲武器である。虚数エネルギー製のそれを作るための見本にしているだけなので、持っているだけで実際に使ったことは一度もない。普段は無用な長物であるそれに少々改造を施してタッチペンやポインタ代わりにもできるようにしている手前、大学の学生には電子チョークだと思われているだろう。
そんな説明をレイシオがすると、武器は玄関に置いてきてほしかったかもなんてアベンチュリンに言われた。今更面倒だと答えれば、アベンチュリンがレイシオの手から投擲武器を奪ってしげしげと観察する。くるくると回せば許容範囲を超えた振動を検知して先端のライトがちかちかと明滅した。
これは? と問われたので、セーフティーを外さないまま大きく動かすと警告が出ると説明した。ふうん、と鼻先で頷きながらアベンチュリンが更に観察を重ねて、自力でセーフティーを解除する。
そして冒頭の台詞に至った訳である。ちょっとした達成感と得意げな響きを孕んだ様子を思い出しながら、駆けつけた管理者にレイシオは経緯を説明していた。そうしている間にも騒動を受けて近隣の住民がひょこりと顔を覗かせては、警備員に言われて部屋に戻らされている。
「事情は大まかに把握しましたが、これから別室にお連れして細かく聴取を行う予定です。レイシオ顧問にもご協力いただけますと助かるのですが、いかがでしょうか?」
「酔っ払いの主張に効力があるのであれば付き合おう」
一通り説明が済んだ頃になって、追加の脅威がないと判断したらしい突入部隊がぞろぞろと部屋の奥から出てきた。アベンチュリンを拘束する判断をしたリーダーらしき男が複雑そうな表情をしながらレイシオの元にやってきて、怖々同行を願い出てくる。この状況では致し方がないと覚悟して頷けば、抱きかかえたままだった創造物がなん、と小さく鳴いた。
彼だか彼女だかが鳴いた方向に視線を投げると、後ろ手に拘束されているらしいアベンチュリンが玄関戸を潜り抜けているところだった。足下には残りの二匹が侍っていて、足を自由にしてもらえているのだから悪意や脅威度は低いと判断されているのだろう。悪意の欠片もなしに壁を破壊しないでほしいが。
「アレは聴取の後精神判定にもかけてやってくれ。正気じゃないかもしれない」
「あ、このやろ……」
「それは別班の判断によるところではありますが、おそらくそうなるかと思います」
ええ、とアベンチュリンの不満の声が上がるが、社宅を破壊する上級幹部にそのまま仕事をさせる訳にはいかないだろう。酔っ払いの蛮行に火力がうっかり重なってしまっただけだと、ちっとも面白くない証明を彼らはしなければならないのだ。可哀想に。
「あれらは一旦僕が預かろう。まだ僕の方が無理は利くだろう?」
「はい、ゲージ等は用意できませんが……」
「構わない。部屋の隅に置いておいてくれれば静かにしているだろう」
爆発の衝撃が抜け切れていない今であれば、広い部屋に連れて行ったとしても三匹で凝り固まっているに違いない。そう判断して創造物にレイシオが手招きをすれば少々飼い主を気にしたようだったが、本人に行っておいでと言われてしまえば抗えなかったらしい。
レイシオの足下に移動した同族の傍にいたくなったのか、レイシオの腕の中にいた個体がぬるりと這い出て地面に下りる。先に連行されるらしいアベンチュリンを見送ってから、近くで待機していた警備員があれこれ会話をするのになんとなく耳を傾けた。とはいえ、仕事中かつ自分に直接関係はないとはいえ部の顧問レベルの人間がいる中で仕事以上の会話をするつもりには皆なれないらしい。
しばらくしてから部屋の用意ができたのか、警備員がレイシオを連れて地下に移動する。三匹でひっそりとしていた創造物達を呼んでやれば、一匹も遅れずにレイシオの後をついてきた。
通された部屋は尋問用というよりも会議用のために用意されていたらしい。テーブルの前に用意された椅子に腰掛けると、足下に創造物が固まったのが分かった。
それから上で状況を説明した相手とは異なる事務方らしい人物がやってきて、レイシオは再び経緯の説明を求められる。録音もしているはずだろうに、二、三同じような内容を説明させられたり、どうでも良いだろう些末な部分を深掘りされたりした。
同じ話を何度もさせられると酒が入っていることもあって気分がくさくさしてくるが、そういう手法でレイシオの証言に矛盾点がないかを確認しているのだろう。一番の問題は説明している内容の大半が酒気帯び真っ最中であったが故に、二人の行動が往々にして不適切なところだろうか。今考えると、酔っ払った状態で武器を取り出す事自体どうかしていたのだ。
レイシオの一貫したややどうかしている説明が必要な条件を満たしたのか、調書用のメモを取っていた職員からの問いかけが止んだ。ひとまずこれでお役御免かと思った直後に、規則正しいノックがあった。職員が手元の器具を操作すると、かしゃんと扉の鍵が開く音が響く。
「こんばんは、ドクター。随分とやんちゃな夜を過ごしていたみたいね」
「こんな夜中――いや、もう早朝か? アベンチュリンの子守にご苦労な事だ」
まあそんなところ、と姿を現したジェイドが目を細める。
「あなた達が家を壊したって聞いたからびっくりしたわ」
「壊したのはアベンチュリンだが」
「でもあなたも武器を渡したんでしょう? だめよ、酔っ払いに投げるためのおもちゃなんて渡したら投げるに決まってるじゃない」
一応アベンチュリンに罪をなすりつけてみたものの、状況報告はしっかりとジェイドの元に届いた後であるらしい。しっかりと自分でも反省している部分を指摘されてしまって、仰る通り以上の感想が抱けなかった。飲みながらのダーツが盛り上がるのもつまりはそういうことではないか、なんて些か逃避めいた気づきを得てしまう。
「まあ、そんな話ばかりするために来たわけじゃないの。アベンチュリンの今後のスケジュールの連携と伝言をしようと思って。家は数日で直る予定だけど、彼がその日数で自由になるかは怪しいところでしょうね。あの子の立場を思えば、たっぷり時間をかけて調書を取った上で精神鑑定をしておきたいからしばらく社内に閉じ込めるつもり」
大げさなのは分かっているものの、潔白を証明せざるを得ないとジェイドは判断しているらしい。アベンチュリンの来歴と現在の立場を思えば、過剰な対応だと批難はできないだろう。とはいえ、作られるはずの報告書を考えると今から方々に憐憫を垂れるしかない。
「それで、その間あなたの足下にいる子をお願いしたいらしいの。あの子に部屋を壊させた罪滅ぼしくらいに思って頂戴」
レイシオが考え込む間に足下から微かな声が聞こえ、脛辺りに毛の塊が押しつけられるのが分かった。彼らの知能であれば三匹であの部屋で暮らして行けるだろうが、温室育ちである事を思えば家の一角がずっと工事中というのはなかなかに苦痛を伴うことになるだろう。
「……分かった。引き受けよう」
環境の変化に精神が不安定になってどうにもならなかったら一度ヘルタの宇宙ステーションに戻そうと考えながら、レイシオはジェイド経由のアベンチュリンの願いを受け入れる。すると、みん、と創造物達の鳴き声が聞こえてすりすりと脛を擦られて、どこぞにこんな妖怪の伝承があったと思い出してしまった。暗闇を歩いているとこんな風に脛辺りを擦ってきて、通行人の邪魔をするのだったか。
これから帰って一眠りするというジェイドの退室を待ってから、レイシオは椅子に座ったままゆっくりと体を伸ばした。そうすると椅子の下にいた創造物達もにゅっと物陰から外に出てくる。
移動用の籠がアベンチュリンの部屋のどこかにあるはずだから見つけてこなければ、と考えた矢先にジェイドが既に手配をしてくれていたらしく大きくて高さのあるキャリーが届いたのは助かった。一瞬タクシーには横倒しにしないと入らないのではないかと案じたが、一つ一つ分割できるようになっているらしい。
おそらくアベンチュリンの私物であろうそれの入り口を開けると、創造物が行儀良く籠に収まってくれる。レイシオの部屋に置き去りにした私物を返却してもらってからペット可のハッチバック型のタクシーを呼び、レイシオはようやく地上に戻った。
玄関を出れば角度の低い場所にある太陽の光がレイシオの瞳をちくちくと刺す。宇宙のあちこちを飛び回っていれば日の出を拝む羽目になるのは珍しくも何ともないが、こんな不健全な方法では初めてかもしれない。
「レイシオのお家って遠いの?」
「それなりに遠いが、ヘルタの宇宙ステーションよりはずっと近い」
「そっかあ」
ひとところから声が聞こえてくるので、三匹のうちのどれがレイシオに話しかけてきているかは分からなかった。タクシーが来る時間から逆算して、レイシオはシャトルの席も押さえしまう。ほとんど始発の時間だったこともあって、一人で席を二つ取っても罪悪感が起きないのは幸いだった。
「ベリタス・レイシオ様ですか?」
「ああ、そうだ」
ちょうど創造物達を入れていたケースを一匹ずつに分解し終わった辺りで、タクシーがレイシオの元にやってきた。客の確認をした運転手がキャリーを畳んでトランクに入れる間に、レイシオは後部座席に三匹を詰め込んだ。
ステーションでいいですよね、と問われてレイシオは相槌のみで肯定した。それから程なくして事故を避けるための疑似エンジン音が流れ出して、タクシーがレイシオと三匹を運び始める。
「アベンチュリンってなんで壁を壊しちゃったの?」
「酒を飲んで酔っ払っていたからだな」
タクシーに揺られるうちに大分落ち着いてきたのか、先ほどよりも柔らかい調子の問いかけが隣の席に積まれた籠から聞こえてくる。遅れてシートベルトを着用しながら答えてやれば、お酒、と疑問符付きのオウム返しが籠のいずれから響いた。
「お酒を飲んだらそんなことになるの?」
「必ずと言うわけではないが、迂闊になりがちで後先に対しての意識も低下する。だから今回はそういう結果になった」
「お酒って怖いね」
「そうかも知れないな」
酒は百薬の長なんて言うが、酒が薬として正しく管理されていない限り期待した効果など得られまい。故に、現代になっても依存症に苦しむ者はもちろん、急性中毒で命を落とす者だって後を絶たなかった。
「きょーじゅも飲まない方がいいよ!」
「そうだな」
適当な返事を創造物達にしながら、しばらく飼い主の家で飲むのは止めようとレイシオは考える。理想を言えば酒なんて飲まない方がいい。ただ、美味しくて楽しい物が体に悪いのもこの世の常なのである。
「お客さん! あんまり酒臭くないですけど、相当酔ってますねえ!」
創造物が気をつけてね、と念押しをした辺りで、黙っていた運転手が肩を震わせて笑い出した。それからふうふうと調子を整えて、バックミラーでこちらを伺いながら楽しそうにレイシオに指摘する。
創造物の言葉は共感覚ビーコンに専用の辞書データをインストールすれば理解可能になるが、当然ながらかなり特殊なデータである。間違っても抱き合わせのデータセットをインストールしたら混ざっていた、なんてことは起こりえない。
つまり運転手から見たレイシオはにゃーにゃー鳴く籠に真面目くさって返事をする、とんでもない酔っ払いだったのだ。まず共感覚ビーコンの事を失念している時点でまだまだ酒は抜けていないと思った方が良さそうだ。
思わず少しだけ笑ってしまったら、楽しいお酒だったんでしょうねえとどこか羨ましそうに続けられる。最終的に壁が派手に砕け散ってしまったけれど、そういう所も含めて楽しい酒だったのかもしれない。レイシオの家は当然無事だし、アベンチュリンだって大きな怪我をしたわけでも夜風が凌げなくなったわけでもない。もしかしたら上司が自由になるまでは部下は大迷惑するかもしれないが、それはアベンチュリンが考えることである。
運転手に聞こえるか分からないくらいの相槌は数時間拘束された後とは思えないくらいの軽やかさが混じって、それがどうにもおかしくてレイシオはまた少しだけ笑ってしまった。
――後日、彼のペットを回収しにくる前にアベンチュリンから正式な謝罪と事の顛末が知らされた。どうやら彼は上役はもちろん部下も含んだ一通りの人間から家の中で武器で遊ぶなと叱られて、降格や謹慎こそ免れたものの大幅な減給を食らったらしい。ついでに行われた鑑定結果も前回から随分良くなっていたらしく、あの時と比べれば何でもいいのかもしれないけどとコメントする彼にレイシオは花丸のスタンプを送りつけたのだった。
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