舎まゆ
2025-01-07 16:14:54
10330文字
Public 小説
 

【1/19文学フリマ京都9/新刊サンプル】くじらもどき 下巻

ブース:お-82
あふたるちか

『くじらもどき 下巻』
文庫170p
700円

内気な少年と大きな人魚が出会うお話の下巻です。

1/19(日) 11:00〜開催
京都市勧業館「みやこめっせ」 1F 第二展示場
入場無料
お待ちしています:)

  1

 地域探究発表会。
 白いチョークがこつこつと快活な音を響かせる。黒板に書いた文字に背を向け、クラスの担任教師である小野寺は生徒達をぐるりと見渡した。
丹恵和 にえお高校の地域探究コースを履修している二年生は、グループで共通のテーマを一年かけて研究し、三学期の終わりに発表会を開いてもらいます。一学期と二学期は皆さんが決めた研究の途中経過発表や、レポートで成績を決めます」
 生徒達は小野寺の言葉に興味深げに耳を傾けるか、または反対の態度をとっている。まずはグループを決めましょうと教卓に出した箱を見て、一人の生徒が手を上げた。
「せんせー! どうしてくじ引きでグループを決めるんですか?」
「仲の良い学友とだけ交流するのではなく今まで積極的に交流しなかったクラスメイトと協力して自分たちの研究を進めていくことはきっと皆さんの将来に役立ちます」
 
 小野寺の言葉に皆はもう何も言わなかった。彼らが納得したと受け取り、小野寺は名簿に書かれた名前を呼び始める。全員が引き終われば、グループが発表された。

「なんだよ、半分は見た顔じゃねえか」
 集まった生徒の中で最初に口を開いたのは陸と同じ港町に住む平田だった。うんざりしたような顔で集まった面々を眺めている。
「橋本さんは違うでしょ。こっちに住んでるんだし」
 そう平田に言ったのは、 くま がいだ。 さか ちょうの山沿いにある住宅地に住んでいる彼女は、はっきりとした物言いをする女子生徒であった。陸と平田とも小学校からの仲といってもいいが、港近くに住む陸と平田の二人と特別馴染みが深いわけではない。
「みんな、よろしくね」
 グループ内で唯一、瀰境町出身ではないのが、 はし もとだった。この高校がある丹恵和市生まれで学年の噂では地元の有力者の孫娘であるという。しかし彼女はそういったものを感じさせることなく、いつも己の席で静かに本を読んでいる。
 平田がちらちらと橋本の様子を窺うような、落ち着かない素振りをみせている。その姿に小さくため息を吐いて、熊谷はひとつ手を叩いた。
「で、テーマ! どうするの!」
 小野寺からはテーマも自分たちで決めるようにと指示されていた。それだけでは心許ないだろうと今までの生徒達が取り組んできた研究例や、全国の同じような授業で取りあげられるものが記されたプリントを渡されている。
「えー……なんでもいいぜ、オレ」
 渡されたプリントに一瞥もくれずに投げやりに言う平田を熊谷はじろりと睨む。
「まじめに考えて」
「だって興味ねーし……
 単位さえ貰えればそれでいい、と言いたげな平田の態度を見た熊谷の眼差しがささやかな軽蔑に染まる。憮然とした態度を隠さないまま、熊谷は陸をきっ、と見つめた。
「天貝君は?」
「えっと……急には思いつかないかな……プリントに書かれたテーマ例を見ても真似できるものと出来なさそうなものがあるし……
 彼女の圧にたじろぎながら答える陸に助け船をと橋本が身を乗り出す。
「地域探究ってことは、自分たちの住んでいる町のことが一番やりやすいと思わない? この地域には海があるんだから、そこから良いアイデアってないかな」
「たしかに。自分の住んでいる町のこととか、あんまり考えたことないかも」
「丹恵和市は……夏は海に遊びに来る観光客で賑わうよ。でも他のグループと被るかもしれないね……ビーチのゴミ問題とか、新聞にのったりするから」
「別に被ってもいいじゃん」
「平田くん、被っていたら逆にやりづらいと思うよ。資料集めとか……だから、瀰境町のことに絞ってみたら? 丹恵和市とは別のことで良いテーマが見つかると思う。私以外はみんな、瀰境町に住んでいるでしょ? 見つけやすいんじゃないかな」
 橋本の言葉に熊谷が頷きかける。良いの? と念を押すように聞けば橋本は頷いた。
「テーマを決めるのは今日じゃなくても良いですからね。よく考えてくださいよ」
 小野寺の声が届く。ふと陸が周囲を見渡せば、どのグループも話し合いは難航しているように見えた。時計に視線を移せば、授業の終わりが近づいている。
「じゃあ決めるのは次にしよ。というわけで、みんなは次までに何かテーマになりそうなものを見つけてきて、その中から決める。どう?」
「なんでお前が仕切ってんだよ」
「やる気がゼロのあんたに言われたくない」
 
 熊谷に言い返され、平田がフンと鼻を鳴らす。見計らったかのように授業終わりのチャイムが鳴った。小野寺がいったん締めようと手を叩くと、二人は不機嫌そうな顔で席に着いた。
「今日の授業はここまでですが、まだテーマについて話し合いたいグループはそのまま続けてよろしい。下校時間は守ること!」
 起立、礼、と日直が号令する。小野寺がそのまま教室を出て行けばそれを合図に怪腕して帰る準備をはじめる生徒も、議論に戻る生徒もいた。
「あと頼むわ。オレ忙しいんだよ、サッカー部があるからな」
 そう言い残し出て行った平田の背中を睨む熊谷の表情は苦々しい。
「なにあいつ」
「レギュラー狙ってるって。だから練習が忙しいんじゃないかな」
「ふうん……
 陸の言葉にさして興味がなさそうに熊谷が相づちをうつ。天貝君は部活をしていないの、と聞いてきた橋本に、陸は首を振った。
「帰宅部。スポーツ得意じゃないから」
「それなら、テーマをきちんと考えてきてくれるよね?」
 すかさず釘を刺したのは熊谷だ。
「分かってるよ、いい案が浮かぶかどうかはともかく」
「たぶん、しばらくはこの三人でやらないといけなくなるかも。今のところは……
 ぽつりと橋本が呟けば熊谷はようやく表情を和らげ、肩を竦めた。
「どっかで埋め合わせしてくれればね」

 家に帰り、ポストを開けば封筒が入っていた。宛名を見てみるとそこには陸の名前が書かれている。不思議に思い差出人を見て、陸は思わず声をあげた。
「なおちゃんだ!」
 あの夏以来、久しく会っていない従兄弟の名前が丁寧な字で記されていた。驚きつついそいそと家に入り、居間を通って自室に向かう。母は既に帰ってきているようでテーブルには夕食が置かれていた。
 ぴったりとドアを閉め、柔らかな色の封筒を暫く眺める。震える手でその封を開ければ、いくつかの写真と便せんが現れた。写真はどれも見慣れない景色――これは、海外なのだろう。町並みを彩る文字がそれを物語っている。
 それをいったん机に置き、ぴしりと折られている便せんを開いた。

 
 陸くんへ

 しばらく会っていないけれど、お元気ですか。
 ボクはお世話になっている教授と一緒に日夜研究に明け暮れています。
 お手紙を出したのは、そろそろ陸くんが進路を考え始める頃だと思ったから。
 まだピンときていないかもしれないけれど、陸くんは陸くんのやりたいことをやってみてください。
 もし、進路や悩みがあったら遠慮無くメールや電話をしてね。
 また、そっちに遊びに行きたいです。

 手紙の終わりにはメールアドレスと電話番号が記されていた。090から始まる番号を見るのは初めてで、十一桁のそれを眺めているとガタガタと玄関が開く音がした。


「イルカが流れ着いてな」
 ほうれん草の煮浸しをつまみつつ、父はぽつりと呟いた。その表情は難しく、その隣で母は無言で夕食をとっている。
「十数頭だと、処理に困る」
「どうするの?」
「埋めるか、海の底に沈めるかだな。埋めて数年経ったら、学者先生が掘り返すこともある。……ところで陸、学校はどうなんだ」
「え? 普通だよ。授業で平田くんと一緒のグループになったぐらいで……
 陸が答えれば父はおお、とどこか安心したように頷いた。
「そうか、リュージ君と一緒か。だがリュージ君はサッカー部で忙しいらしいじゃないか。平田さんが言っていたぞ、いつも遅くに帰ってくるって」
「レギュラーになりたいって。だから、グループの居残りにはあんまり参加してない」
「お前もサッカー、やればよかったじゃないか。勿体ない」
「今さらやってもしょうがないよ。俺、運動苦手だし」
 
 そう言って胡瓜の漬物を囓る陸に、父は口惜しそうにビールを呷った。中学校に入るや否や、平田と同じサッカー部に入るようにしきりに勧めていたのに結局入らなかった息子が、理解出来ないようである。
 無言のままで夕食を食べていた母が立ち上がり己の食器をシンクに持っていく。軽く水で流した後、二階へとあがっていった。
「おやすみ」
 陸の挨拶に帰ってくる返事はない。父ももはや気にしていないようであった。
「運動部に入っておけば、箔がつくってもんだ。オレだってお前ぐらいの頃には平田さんと一緒にサッカー部に入ってたんだぞ」
「前に言ってた万年補欠の話?」
「やかましい」
 顔を真っ赤にして口を尖らせる父に、陸がにやりと笑う。そのままごちそうさま、と立ち上がれば父と自分の皿をシンクに運び、洗い始めた。
「リュージ君がお前と仲良くしてくれているのが、ありがてえよ、オレは。お前は背ばかり伸びてひょろっこいからなあ。そりゃケンカもするだろうが、そういう友だちはいたほうがいい」
……
 ビールで酔いが回った父は野球中継を眺めながらぼそぼそと呟いている。陸は聞こえないふりをして蛇口を捻り、勢いよく出る水で皿の泡を流した。

 父と母が寝静まっても、陸はまだ起きていた。
 椅子に腰掛け、今日届いた手紙をもう一度読み、写真を眺める。
「なおちゃん、なんの研究をしているんだろう」
 あの親しみやすい従兄弟は、無事に希望の大学へと進学していた。母がなおちゃんの母――つまりは彼女の姉から顛末を聞き、それを我が子のことのように夕食で語っていたのを陸は思い出していた。
 あの子は頭が良いから。きっとえらくなる。
 そういったことを三日ほど陸と父は聞かされた。
 しまいには父がうんざりした顔でもういいと止めたのだが、母は途端に不機嫌になっていつものように部屋へ閉じこもった。
 陸が中学生になってからというものの、母は仕事から帰ると夕食の支度をし自室にこもるようになっていた。夕食の席は共にするのだが、それでもさっさと食べ終わって二階へと戻っていく。本当に機嫌が悪いと、おりてすらこない。そんな母を父は最初窘めていたが、今はもう諦めている。
 中学校から高校になり、ぐんと背が伸びた陸を母はこれ以上大きくなるなという目で見る。母の願いに反して陸は175センチほどの背丈になった。
 彼女が我が子を見上げなければならなくなったころ、その眼差しには怯えがよぎり、そして殆ど、笑顔を向けなくなった。
 それでも陸は、この母親に反抗をする気にはなれなかった。彼女に関しては諦めばかりが先行する。父もそうなのだろう。そして今、大きくなった陸が母に暴力をふるったならば、きっと彼女を黙らせることは出来るだろう。それが彼女にとってどれほど惨めにされるか、なんとなく想像もつく。
 ――母は自分が嫌いなのだ。理由は分からないが、どうしようもなく、息子である自分が憎いに違いない。
 小学生の頃と比べても陸ははっきりと感じ取っていた。何故、という思いは少なからずある。しかし、一度聞いてしまえば恐ろしいことが起きる。漠然とした恐れも抱いていて、結局黙っていることが天貝家にとってよいのだと結論づけて、陸はこの安心の出来ない家族関係を受け入れている。
「あっ……
 同封された写真を眺めていればふと陸の頭の中で何かが差し出された。
「自由研究」
 思わず口にして立ち上がる。本棚の端に追いやられたクリアファイルを引っ張り出せば、少し色褪せてヨレたチラシが挟まっていた。
「ストランディング」
 それはなおちゃんが遊びに来た夏に行った資料館のチラシであった。
  さか ちょうに流れ着いたクジラやイルカの骨格標本を展示した企画展。それを夏休みの自由研究の題材にしようとしていた。しかし、それは母が買ってきた万華鏡作成キットに取って代わられたのだった。
「これだ」
 あの時、なおちゃんは言っていた。いつか自由研究として見せてよ、と。今の今まで忘却の彼方にいた言葉がまるでお告げのように、陸へと差し出されたのだった。


 
  2

「それで、考えたんだけど」
 翌日、グループ――陸たちは三班に割り振られた。三班が話し合っている中で陸が切り出せば橋本が促す。熊谷は軽く身を乗り出し、平田はふんぞり返るように椅子の背もたれに身体を預けている。
「瀰境町ってよく流れ着くんだ。イルカとか、クジラとか……他のところよりもずっと多い。昨日もイルカが流れ着いた。平田くんも知っているよね」
「まーな」
 陸の問いに平田が同意する。それがどうした、と言いたげである。
「これ……テーマにならないかな」
「ンなもん調べてどーすんだよ」
 平田の言葉に熊谷がじろりとそちらを睨み、口を開いた。
「あんた、何でもいいんでしょ? 黙っててよ」
 
「他のグループとは被らないと思う。だって、クジラやイルカがしょっちゅう瀰境町に流れ着くだなんて知っているの、町の漁師ぐらいだ。それに町にある資料館の企画展になるぐらいの題材だよ」
 陸の言葉に平田は黙り込む。熊谷に釘を刺された手前、これ以上口を挟んでも自分の利にはならないと踏んだようだった。
「私はそのテーマ、いいと思うな。もし調べてみて何か分かったら大発見じゃない? テーマとしても充分立派だよ」
 橋本は賛成、と軽く手をあげる。熊谷も同じらしく、いくつかのテーマ案が書かれたルーズリーフに書き込む。
「他には?」
 熊谷が問えばこれ以上はもう出ないようだった。決まりね、熊谷が赤ペンで丸をつける。平田はわざとらしい大きなため息を吐いた。

「イルカが流れ着いたって」
 岩場に腰掛け、陸はつま先で海面を撫でた。打ち寄せる波が足の甲を撫でる。

 また沢山いってしまったね
 あれらはそっちにいってしまったね。そうなれば這うことしかできないのに

 〝海〟もイルカが さか ちょうの浜辺、いたる浜に流れ着いたことを知っていたらしい。残念そうな声が波と共に岩を濡らす。
「なあ、どうしてイルカはこっちに流れ着いちゃうんだ?」

 どうしてだろ
 おまえ、しってる?
 おかしくなっちゃうんだよ、あいつら
 へえ!
 ちがうよ、うっかりだよ

 〝海〟が口々に喋り始めて、陸は顔をしかめた。わかった、わかったよとなだめれば彼らは悪戯っぽく笑う。

 でも人間もこちら側に来るよ
 浮かぶのにせいいっぱいなのにね
 へんなの

 まだ喋りやまない〝海〟の声を聞き流して、陸は波間に飛び込んだ。まだ冷たさの残る海中をゆっくりと泳げば、空気の粒が少年の肌を撫でる。

 ねえ、そっちってたのしい?

 〝海〟の声が陸の背中を撫でた、気がした。

 ――どうだろう。

 陸は答えないまま、揺れる海水を蹴る。陸にとって楽しいと思えることは、海にあることが多かった。こうして一人で泳ぎ、海の中を眺めるのが好きだ。
 ひとしきり泳いで、岩場で陽の光を浴びながら飛んでゆく飛行機を眺め、遠くの船がどこかへ向かうのを見送るのも好ましい。この海のどこか、地平線よりも遠いどこかでくじらもどきが泳いでいる。今はどこで友人である白いクジラを探しているのだろうかと考えたりもする。家出母親の影を感じながら本に没頭するよりはずっと心が安らぐのだ。
 

 五月も後半になり、夏の気配が感じられるようになってきた。研究テーマが決まってからというものの、陸と熊谷、橋本は週のほとんどで居残っている。三人とも、この課題に取り組むことが煩わしくなく、寧ろ積極的であった。
「でもストランディングだっけ? よく思いついたよね、天貝君」
「小学校の時に自由研究にしようと思っていたんだ。テーマを考えてたら思い出して」
「思ってた? つまり、しなかったってこと?」
「うん、ちょっとね」
 まさかこんな所で自由研究の続きのようなものをするとは思わなかったけれどと陸は苦笑いを零す。
 その手にはこの五年間で起きたストランディングの事例と、その生き物の種類が記されていた。
「まあそれで、早いうちからテーマに悩まなくなってよかったよ。まだなにをするか悩んでいるグループもあるって。テーマの発表、もう来週だよ?」
「けっこーマジメなんだ、私たち」
「一人除く、ね」
 借りた自習室にマーカーの滑る音が響く。
「そういえばさ」
 集中が途切れたのか、熊谷が口を開く。手だけは動かそうと、マーカーで紙に書いた字を縁取っているのが見えた。
「うちのサッカー部って強いんだっけ」
 熊谷は暗にここにいない一人が本当に忙しいのか疑問に思っているようだった。それに答えたのは橋本だ。
「地区大会は毎年出場してるよ。それと去年は全国に行ったんだ。ベスト14だっけ」
「えっそうなんだ?」
「まだ垂れ幕がぶら下がってるよ。学校始まって以来だったから……もしかすると、この先ずっとぶら下がってるかも。全国常連の水泳部をライバル視してるみたい」
 橋本の言葉に校舎の外壁に揺れる垂れ幕を思い出したのか、ああ、と熊谷は声を漏らした。そして合点がいったかのように、肩を揺らして笑う。
「つまり……あいつは誉れあるレギュラーの座を狙っているってわけね」
 肩を竦めて熊谷が茶化せば、あれ、と橋本が首を傾げた。そして少し躊躇ったあと、言葉を続ける。
「私のお兄ちゃん、キャプテンなんだけど」
「え、うそ、あの噂のキャプテン? お兄ちゃんって……あっ、名字……!」
「うん、でも皆が思ってるほどかっこよくないよ。いつも母さんに怒られているし……靴下を脱ぎっぱなしにするな、とか……。それでお兄ちゃん、言ってたんだけど、レギュラー発表は三年生の引退後、秋なんだよね。でももうこの時期でほとんど決まってるって……
「え、じゃあ平田くん、レギュラー候補ってこと?」
 知らなかった。レギュラー候補まであがっているならばもうレギュラーになった同然といの一番に自慢してきそうなものなのに。内心訝しがりながら陸が問えば、橋本は歯切れ悪く、ううん、と唸る。その様子に何かを察したのは、熊谷だった。
――望み薄そう」
「今年はレギュラーを狙っている子、多いみたい。二年連続で全国に行くぞ! って感じ。あの、でも努力次第だよ。頑張れば……まだ望みあり、じゃないかな……
「まあ、うるさいのがいないから、いいんだけどさ……そういえば天貝君はあいつと近所なんでしょ。仲良いの?」
「親同士が同級生ってだけ」
「てか、帰宅部って珍しいよね。手伝い?」
「運動が苦手なんだよ。かと言って文化部もしっくりこなかったし……
 陸のややぶっきらぼうな答えに、熊谷は目を丸くした。
「うっそだ。あたし覚えてるもん、小学校の運動会」
「え、なに?」
 熊谷がペンを動かすのを止め言い放てば、橋本も興味を引かれたのか身を乗り出してくる。
「六年の徒競走速かったじゃん。平田にもめちゃくちゃ差をつけてさ! あ、でもゴール間際でこけちゃって一位にはなれなかったんだっけ……でも、全然速かった!」
「そんな前のこと、よく覚えてるな」

 
「それくらいキョーレツだったってこと。だってさ、天貝君って徒競走の最下位あたりにいるイメージだったし? あの時の平田、すごい顔してたよ? 納得してないって感じで」
 よし、と熊谷が書き上げた紙を眺める。橋本もルーズリーフに纏めていたものが出来上がったらしく、それをトントン、と揃えていた。
「テーマの発表の練習もしなきゃ。でも、いいのかな……私で」
「いいよ。橋本さんが一番落ち着いてやってくれるって思ってるし。俺には無理だ」
「あんた、気が小さそうだもんねえ」
「うるさいな、目立ちたくないだけだよ」
 軽い調子で言い合えば、三人が顔を見合わせて笑う。教室の外はすっかり暗くなっている。



  3

 六月の末に中間発表会は行われた。
さか ちょうで発生しているストランディングの件数は、全国の港町と比較すれば非常に多いと言えます。それが環境によるものなのか、それとも別の理由があるのか……私たちはそれを調べることで、将来、クジラやイルカの保護に役立てることが出来るのではないかと考え、今回の研究テーマにしました。以上、三班の発表でした」
 ぱちぱちと教室に拍手が響く。やや顔を強ばらせた橋本が教壇から戻ってくるのを陸も拍手で迎えた。
「次、四班――
 手元のバインダーでメモをとっていた小野寺が促す。
 はい、と四班の生徒が立ち上がった。

「やっぱこのテーマ、変だぜ」
 全グループの発表が終わって教室に漂っていた緊張が緩む中、平田の声が刺さった。それにいち早く反論したのはやはり熊谷である。
「あのねえ、もう発表したものにいちゃもんつけるのやめてくれる?」
「もっと簡単なのにすればいいじゃん。面倒クセーよ、ゴミ問題とかでいいって」
「それじゃあ二班と被るじゃない。そもそも、テーマを決めるときに真剣にならなかったアンタに言われたくはないわ」
 ぴしゃりと言い放つ熊谷に平田は苦々しい顔で舌打ちをした。そのうちに授業終わりのチャイムが鳴り響けば、平田はいつものように鞄をひっつかみ、去って行った。
「なにあれ、今日ちょっとひどくない?」
「あっ……
 二人の様子に困惑を露わにしていた橋本が何かに気がついたのか口元に指を寄せる。
「今日、練習試合のスタメン発表の日だった気がする……
「え、それでイライラしてるの? ちっさ……
 心底呆れたのか、熊谷が悪態を吐く。橋本はなんと言えばいいのか逡巡し、しかし気を取り直そうとプリントに視線を落としたので二人のそれを覗き込む。平田のことばかり気にしていられない。
 
 翌々日に小野寺先生が各班を呼び出した。評価のためだ。一班、二班と呼ばれるにつれて陸は落ち着かない気持ちになっていた。そして、ついに三班が呼び出された。
「このテーマを思いついたのは?」
「天貝君です」
「そうか。なにかきっかけが?」
「小学校の時に瀰境町の資料館で企画展をやっていたんです。ストランディング……生き物の漂着について……それを思い出したので……
 陸が答えれば、なるほど、と提出された資料を眺めつつ小野寺が頷く。そしてうん、とひとつ相づちをうち、口を開いた。
「このまま、このテーマで続けなさい。なかなか面白いテーマだ」
「本当ですか?」
 橋本が思わず上げた声には喜色が浮かんでいる。小野寺は笑って肯定した。
「資料館で企画展をやるほどの題材だ。資料も豊富にあるはずだよ。天貝君、君が小学生の時に見たものが、今ならまた別の見方も出来るかもしれない。きっとそこには瀰境町の地理や歴史があって、面白いことが分かるだろうね。やってみなさい」
 頑張るんだよ。
 小野寺の言葉に橋本がほっと息を吐く。三人は胸をなで下ろしたのだった。
「良い感じじゃない? いい成績貰えるかも」
「でもまだテーマを発表しただけだよ」
 教室に戻ればやや浮かれ気味の熊谷の言葉に陸がぽつりと指摘をすれば、それはそうだけどと熊谷が唇を尖らせる。
「とにかく、今のテーマでいいっていうのは確か。だから頑張ろうよ」
「それなら皆で資料館に行ってみない? もうすぐテストが始まりそうだから、夏休みにでも予定を合わせて……
「それ賛成!」
 橋本の提案に熊谷が同調する。陸も、たしかにと肯定した。黙って話を聞いていた平田は、つまらなさそうに手を揺らした。
「オレはパス」
「なんで」
「オレ、忙しいんだよ」
「サッカー部の練習? あんた結局レギュラーになれるの?」
「うるせーな!」
 熊谷の言葉に平田が怒鳴る。
 しん、と周囲が静まりかえり、視線が三班の面々に集まった。
……
「やめろよ」
 平田が張り上げた声に固まってしまった熊谷と橋本を見て、陸がたしなめる。ひく、と口元を引きつらせ、平田は暫く三人を睨んでいたが、鞄を持って乱暴に立ち上がった。
「平田くん!」
 陸の呼びかけに平田は応じず、そのまま立ち去ってしまった。しばらくかたまってしまった熊谷が橋本に視線を寄越せば、彼女は青ざめた顔をさせている。たまらず陸が口を開く。
……大丈夫?」
「ごめん……私が余計なこと言った」
「私は大丈夫……ちょっとびっくりしただけで……
 それ以上、三人とも何も言えず沈黙が下りる。今日はもう何も話し合う気になれず、そのまま解散になった。
 学校を出る時、横切る運動場に陸は視線を向けた。サッカー部が元気よく練習している。目をこらしてみたが、その中に平田はいないようだった。

 中間発表会が終われば、七月の期末試験はすぐだった。生徒達も夏休みの気配を感じながら、試験勉強に勤しむ。
 試験が終わるとほどなくして、夏休みが始まった。予定をつきあわせて、資料館へ見学に行くのはお盆休みになってから、ということになった。