ナスカ
2025-01-05 17:48:35
6014文字
Public
 

千寿菊に誓う⑩

前回の続きです。

ネールの季節第三の月、その二十三日目。空の記念日がやって来た。殆どの家々がその扉を閉め鍵をかけ、多くの人々が記念日を楽しむために街へと繰り出す。たくさんの店が掻き入れ時だとばかりに、お菓子やおもちゃ、記念日の特別な旗を売り出していた。この時はハイリア人のみならず、商機だと踏んだゾーラ族やリト族、ゴロン族にゲルド族までやってくる。他種族でごった返しつつ、大体こんな様相だ。
私はリンクさんが勇者役を務めるパレードを待っていた。陣取っているのは数ある停止箇所の中でも一番の見どころ、勇者役が魔王役を退魔の剣で打ち倒す場面を繰り広げるところだ。冷たい風がヘブラの方から吹き始めるこの季節に、同じ場所で待ち続けるのは少々厳しいものがある。私は近くの屋台で売っていた、ゴロンの香辛料がふんだんに使われたトマトスープを片手に青空を見上げたり、人の往来を眺めたりして過ごしていた。
先日、こちらからリンクさんへ正式に結婚を申し込んだ。その日の内に弟君……ルベル君にもそのことを伝え、「もうオレにはどうにもできねぇし、良いよ別に」と刺々しくありながらも了承してくれた。そのあと陛下にもご報告をし、式の日取りや形式も決まりつつある。
リンクさんにとって、今回の勇者役は式の前の大仕事。彼女の晴れ姿を一番良いところで見たい気持ちが、この行動に私を駆り立てている。
近衛の任に就いていた頃、もちろん記念日は仕事。教官となってからは、このお祭り騒ぎに浮かれた生徒たちが馬鹿なことをしやしないかと目を光らせるのが当たり前になっていた。こうしてゆっくりと『記念日』を楽しめるのは、子供の頃以来のような気がする。
「そういえば、ルベル君はどうしているのでしょうか……
リンクさんが勇者役に選ばれたのに、彼はそれを観ることができないのだろうか。パン屋に住み込みで働いていることもあって、こんな日でもせっせとパンを焼いて店内に並べているのかもしれない。
私はバッグの中から、小型の印刷機が付いた双眼鏡のようなものを取り出した。これは『写し絵の箱』と呼ばれ、最近出回りつつある最先端の品だ。本物にそっくりの絵が作れるという、驚きの技術力を誇る。それ故高価で、所持しているのは殆どが富裕層だ。しかしその内、これを一人一台持つのが当たり前の時代がやって来るだろう。
これからリンクさんと過ごすのに、思い出はできるだけ多く残したい。写し絵の箱はうってつけだった。貴族階級の生徒たちの会話を小耳に挟んだ私は、仕事終わりに買いに走った。普段心の中で金持ちどもをやっかんでいる私だが、この時ばかりは彼らの噂話に感謝した。
もしもルベル君がパン屋の仕事を離れられないなら、写し絵だけでも撮って贈ってあげよう。

✽✽

「リンク、緊張してる?」
「少しだけね」
「大丈夫だよ! あんなに練習してたんだから!」
傍らに立つ彼がそう私を励ましてくれた。真面目すぎない彼の表情にはよく助けられている。
「ありがと」
彼に支えられ、私は飾り立てられた馬に乗った。今日の相棒である馬は真っ赤な鞍や手綱を身に着けて、自分がパレードの主役の一人だと心得ているように見える。胸が張れない代わりに、首を真っ直ぐに伸ばしてウルリとした目で前を見つめていた。
「頑張ろうね」
オシャレに編まれた鬣を撫でれば、ご機嫌に鼻を鳴らしてくれた。
今はパレードの出発地点である大聖堂……その裏手で時間が来るのを待っている。パレードを待つ人達の賑わいが漏れてきて、その人数の多さに『勇者役』がどれほど大役なのかを改めて思い知った。国中の人々が『勇者』をどう思っているのか、ということも。
けど大丈夫だ。私には、見ていてくれる人がいる。役目が与えられたことも勿論支えになっているけれど、それを特別な想いで待っている人がいることが何より幸せ。
「そろそろ開門です、ご準備を」
パレードの警備兵がそう告げるのと同時に、大聖堂の鐘が時報を鳴らした。始まる。私は空を見上げ、大きく冷たい空気を吸い込んだ。
両開きの大きな門が、重々しい音を立てて開いていく。片方に三人ずつ配置された兵士たちが、地面を足裏で思い切り押していた。その先にはもう、大勢の人々がパレードを見るために詰めかけている。歩き出していなくても、視線が注がれている以上は本番だ。
私は背中に負った鞘から、勇者が携えたという退魔の剣……その模造品を抜き出す。難しくて何度もやり直した。柄を握り、スルリと抜けた感触に喜びが溢れる。剣の切っ先を空に掲げた。これが、『この勇者』の象徴とされる姿。
万雷の拍手と歓声が沸いた。近衛は華やかな職ではあるけれど、こうして多くの人々から注目を集めることは滅多にない。胸を満たす強烈な満足感に、私は思わず口角を上げた。
恐れるものなど何も無い。私は手綱を引いて、歩き出すよう馬に伝えた。私たちが前に進みはじめれば、後ろの隊列も歩みだす。
「ゆうしゃさまだ!」
「カッコいいねぇ」
「おーい!」
張られた規制線の一番手前には城下に住む子どもたちが並び立ち、こちらに向かって手を振ってきた。可愛らしいその声援に応えたくて、私は笑って優雅に手を振り返した。
私は本物の勇者じゃない。けど今この時ばかりはなりきるのだ。人々を励まし、救いを齎す、気高い女神の騎士に。あんな風になりたいと、ずっと望んできた姿に。

✽✽

出発地点の方が俄に盛り上がっている。そろそろリンクさんがこちらにやって来ているようだ。停止地点は複数あり、ここに到着するまでに二回停止し対剣舞が行われる。相手は『魔剣の精』に扮した、『勇者役』と同等の評価を受けている凄腕騎士だ。かつてリンクさんは魔剣の精を演じることを余儀なくされ、しかしその見事な舞で級友たちを魅了した。今では立場が逆転して彼女が勇者を務めるのだから、やはり『一般的な考え』というものは当てにならないものである。
「おい、 来たぞ!」
私は隣に座る観客の声に、写し絵の箱を構えた。写し絵なんて素人以下。それでもリンクさんの姿を美しく残したいという気持ちは誰にも負けない。
だがレンズ越しに彼女を見た時、私の腕から力が抜けて、思わず写し絵の箱を下ろしてしまった。
「なんと……
神の鳥を図案化した美しい馬具を身に着けた馬の上に、威風堂々たる様子のリンクさんが跨っている。伝統的な勇者の装束である緑の衣は、紺地に金糸で縁取られた近衛の正装よりは地味だ。しかし金の肩当てや、馬具と同じ色をした真っ赤な外套は華やかで、リンクさんの陽光のような金色の髪によく似合う。まるで本当に、御伽草子から飛び出してきたようだ。
薄氷色の瞳は誇らしげにキラキラと輝き、世界を救わんとする勇者に相応しい煌めきだ。理想を体現したと言っても良い。
私と会う時はいつでも『私だけのリンクさん』でいてくれる。今のリンクさんは『皆の英雄』となっていた。それがとても嬉しいはずなのに、寂しさが点々と染みのように混在している。
これはあくまで一時的なもの。私はそう思うことで寂しさの染みを拭き消した。
リンクさんの視線がこちらに向いた途端、観客が歓喜に沸く声が消える。にこやかで慈悲深さすら感じられる、女神像のような美しい微笑みがシャボン玉のように私を包み込んだ。一歩一歩進んでいく蹄の軽やかな音だけがゆっくりと遅回しに聞こえる。
求めていたのは『これ』だったと、心が答えていた。私の、私だけの女神様。この手を取って、そのまま何処かへ連れ去ってほしい。私の本当の願いとは、そういうことなのでは無かろうか。
「イーガ団だ!」
叫びとあちこちで上がる悲鳴が私を現実へ連れ戻した。素面で酩酊状態にあった私は目を見開き、リンクさんと対剣舞をするはずだった相手がならず者であると知る。
「皆さん落ち着いて! どうか我々の指示に従って避難を……
大混乱に陥って各々逃げ回る観客たち。足を踏まれたと怒っている男、親と離れ離れになってしまった子どもは大泣き、人が多すぎて右も左もわかりづらい。警備兵たちは統制を取ろうと図るが、観客の人数に対し圧倒的に足りていない。多勢の渦に巻き込まれて沈んでいく。
私も、そんな中のひとりだ。
大聖堂の時とは話が違う。人数があまりにも多すぎだ。
「この状況でどうするかな!? ニセモノ勇者め!」
イーガ団がリンクさんを挑発する声が聞こえた。不味い。今リンクさんが持っているのは退魔の剣のレプリカに過ぎない、言ってしまえばオモチャだ。正規訓練を受けていないが、彼らは暗殺者。玩具で対処できるような相手ではない。
「あまり私を舐めるな」
杞憂だった。リンクさんは女神から、戦神へと変貌する。地平の彼方まで真っ直ぐなその声に、混乱していた人々が我に返ってリンクさんの方を見た。私もそんな群衆の一人だった。
「王国軍よ、奮え」
リンクさんが一言告げた。途端に私の中に残っている騎士の血が熱くなる。
「皆何のために兵士となった。こういった有事のためだろう。民を守れ。脅威と戦え。女神ハイリアの加護の下!」
馬上のリンクさんは、模造品の剣を掲げた。だがそれは太陽の光を受け、本物の退魔の剣のように聖なる輝きを放っている。
「民よ、平気だ。ここにいるのは皆を守るために厳しい訓練を受けた王国の精鋭。どうか軍の指示に従ってほしい。皆には、女神ハイリアがついている」
リンクさんの冷静な言葉に、その場の空気がガラリと変わった。警備兵たちは「こちらに避難してください!」と大声を張り上げ、観客たちは整然とそれに従う。私もその中のひとりになるべきなのかもしれない。
だが私の心には、若き日に戦った騎士の自分が生きている。決して死ぬことのないあの頃の私が、リンクさんの言葉に感銘を受けて涙していた。もしも私が子どもだったなら、彼女の姿を見て騎士になる道を選んだだろう。
私は、ここに残るべきだ。
「お手伝いします。避難経路を広くできますよ。まずはあそこにいる警備兵をやや左に行ってもらった方が良いですね。動線も少しばかり変えたほうが良いかと」
「貴方は?」
私に話しかけられた若い警備兵は驚いた。当たり前だろう。どう見ても一般人なのに、いきなり手伝うと言い出してあれこれ意見してきたのだから。私は彼に敬礼した。
「退役した近衛騎士です。この状況を黙って見過ごすわけにはいきませんから」
その言葉に警備兵はパッと笑顔になる。
「左様ですか! それは助かります! ではこちらをお貸ししますので、どうかお力を貸してくださいませ!」
若い彼はそう言って隊章を渡してきた。彼の所属が刺繍されている。私がこの場に残って軍の仕事に携わっていても、疑問に思う者は減るはずだ。
「ありがとうございます、お借りしますよ」
私は隊章を胸元に付けて駆け出した。リンクさんはそこで戦っている。だから、私は私の戦いをする。これから一生、共に並び立つのだ。心意気もそうでありたい。

✽✽

気づけば満天の星空だった。日照時間が短くなりつつあるこの季節に、よくもこんな騒動を起こしてくれたものである。
私が付いた避難場所は、城下町の西にある広場だった。同様のものが東側にもある。民間人には軽い怪我人が出た程度で、犠牲者はいなかった。迷子を無事親のもとに返し、看護師だという方々と協力して怪我人の処置を行い、散々動き回ってようやく休めた時にはもう日が沈んでいた。
その間、リンクさんに何があったのかはよくわかっていない。彼女のことを心配しすぎると、目の前の現実に集中できなくなる。なるべく考えないようにしたし、見ないようにした。
だが、イーガ団と交戦した兵士が大怪我をして担ぎ込まれてきた時に目眩がした。もしもリンクさんがこんな目に遭っていたとしたら。私は心配を押し殺すためにとにかく働き続けた。
増援が城から派遣されたとの情報が入り、手伝いに当たっていた一般人は帰宅するようにとの指示を受けた。やっとリンクさんの安否を考えることが出来る。私は隊章を貸してくれた若い兵士を探した。カンテラやランタンがまだまだあちこちで灯っているが、夜なだけあって人の顔を判別するのが難しい。これを返されないと彼も困るはず。返却せずにはここから動けない。
そう考えた直後、隊章を見れば所属はわかることを思い出した。手頃な相手を探して、彼に返すよう頼むのが手っ取り早いだろう。私はひとまず家路を辿るため、隊章の返却をお願いして広場から離れた。
街の其処此処は規制線が巡らされていたり、王国軍の人間が固まって何やら話し込んでいたり、何かと物々しい。私はその中にリンクさんを探した。
「無事でいてくれているでしょうか……
あわよくばリンクさんに会えないだろうか。だが彼女は現役。これほど大きな騒動の後だ。まだまだ仕事が残っているはず。今リンクさんの元へ向かっても迷惑にしかならない。やはり宿舎へ向かう他無さそうだ。
……もし、現役に戻ることができるなら……
などと、どうにもならないことを考える。それに、もしも私が教官にならなければリンクさんが騎士になれていたかどうかわからない。結局世の中はなるようにしかならないのだ。
「アルバート様?」
耳に飛び込んできた声に私はつむじ風を作り出す勢いで振り向いた。そこには疲れを表情に滲ませたリンクさんが、私のことを真っ直ぐに見つめて立っているではないか。
肩当ては外されているが、寒さのためか外套は身につけたまま。緑の服は薄汚れ、布のところどころが切れていたり破けたているが、騎士にとってそれ以上の勲章など存在しない。よく戦い、働いたのだろう。
だがひどい怪我をした様子は見られない。体に力が入らない。それほどに安堵している。
私はヨタヨタとリンクさんに歩み寄った。リンクさんは私が疲れていると思っているのか「大丈夫ですか?」と私の顔を見上げてくる。
「リンクさん……
「えっ、は、はい!」
私はリンクさんを思い切り抱きしめた。リンクさんは驚いたのか腕をワタワタと動かしている。彼女が生きていることが嬉しくて、更に強く抱き寄せてしまった。リンクさんは私の気持ちを理解してくれたらしく、脱力して身を任せてくれた。
その手で連れ去ってほしいと思っていた彼女の、私と比べてなんと柔らかく小さいことだろう。
「ご無事で、本当によかった……!」
リンクさんの頭髪に頬を擦り寄せた。もっと彼女の存在を感じたていたい。
……アルバート様も」
背中にリンクさんの手のひらを感じて、その声が鼻声になっていることに、思いは同じだと嬉しくなった。じわ、と涙が滲む。
離れたくない。側にいてほしい。叶い続けるのが難しい願いばかり浮かんでしまった。

続く