よるはこ
2024-04-14 13:34:02
4678文字
Public mp100 徳神
 

#徳川光誕生祭2024

小学一年生の徳川と神室が友だちになるきっかけの話。ファンブックネタ。自作短歌ss。

    春ひらく 言葉に色があることを キミの眸の中で知ったよ

    春ふれる 祝福みたいにやわらかく はにかんだまま産声を聞く



 四月も半ばになると、桜の花びらはもうほとんど散り去ってしまいました。枝の中は寂しく残った紅色のがく片と瑞々しい若葉が入り混じっています。
 神室真司はため息をつきながら、葉桜になりかけている桜並木の通学路をひとりきりで歩き、小学校の校門をとおりました。まだ背中に馴染まないランドセルを背負い、朝日を浴びるおおきな校舎を忌々しげに見上げます。
 くすんだ白いコンクリート、幾何枚もの古い窓ガラス。入学式の日に、真司のお母さんが見上げて一言「みすぼらしいわね」とつぶやいていたのを思い出しました。
 あそこへ入りたくない。入ったら、お母さんが言ったあのひどい言葉が、自分にも降りかかりそうでこわかったのです。真司は立ち止まって校舎から目をそらします。ただ、どこを見ても、葉桜になりかけの中途半端で粗末な桜の木が目に入って、ぼくたち似てるね、と真司に呼びかけるようにさざめいています。真司はまた嫌な気持ちになって、校舎も桜も目に入らないようにうつむきました。そうして少しの間だけジッとして、観念したようにうつむいたまま校舎の中へ歩いていくのでした。


 真司は小学校の入学式の日に、桜がどれだけ満開で、どれだけきれいに咲いていたのか、まったく知りませんでした。隣でお母さんがつき続けるため息の、ひとつひとつが頭や肩にのしかかって自然と足元しか見れなくなったのです。写真すら一枚も撮ることもなく家へ帰り、お母さんはたった一言「中学受験は頑張りなさいよ」とだけ言いました。入学おめでとうの言葉すら、お父さんからも兄さんからも、誰からもかけてもらえませんでした。真司は自分の部屋のお布団の中でこっそり泣きながら、それでもあきらめることはありませんでした。
 六年後、また神室家として認めてもらえるように頑張ろうと自分をふるい立たせ、自習や読書だけでなくバイオリンのお稽古も、寝る時間を惜しんで努力しました。もちろん、学校の時間も少しだって無駄にしませんでした。そうして一生懸命に数日すごしている間に、桜の花はすぐに散ってしまいました。けれど真司にとって、桜の美しさなんてどうでもよかったのです。
 入学式の次の日、初めての授業は、クラスメイトのことをたくさん知って仲良くなるための、自己紹介カードを書くことでした。そこに真司は覚えたての漢字で『神室 真司』と書きました。思った以上に漢字がきれいに書けて満足気にほくそ笑んでいると、それを見た先生は「まだ漢字が読めない子もいるから、ひらがなで書いてね」と言ったのです。
 真司は努力を否定されたような気がしてしばらく呆然としたあと、きれいに書けた名前を消して、ひらがなの名前を投げやりに書きました。書いたあと、ただでさえ好きではなかった学校がさらに嫌いになったのでした。


 真司が引き戸を開けると、誰もいないと思っていた早朝の教室に男の子がひとり立っていました。並んだ机の後ろ、ランドセルをしまう棚の上の掲示物を眺めています。七三分けの男の子はゆっくり真司の方を向いて、
「おはよう、かむろくん」
 良く言えば落ち着いた、悪く言えば無愛想な声で言いました。
オハヨー」
 真司も子どもにしてはしぼんだような、つぶやくような声で返して席につきます。ランドセルの中身を机にしまって振り返ると、男の子はまだ掲示物を眺めています。あいつ、なんて名前だったっけと真司は思い出そうとしましたが、そもそもクラスメイトにたいして興味がなくて、名前どころか顔すらもよく覚えていませんでした。でも相手は真司のことを覚えて、名前を呼んでくれたのです。
 空になったランドセルを持って席を立ち、棚に入れる時、ちらりと男の子を見ます。胸の名札には『とくがわ ひかる』と書かれ、一重の涼しげな目と流した前髪でふちどられた横顔は、とても清潔でりりしい印象でした。真司は思わず、
「なに見てるの?」
 と聞きました。徳川光は話しかけられてやっと、おどろいた顔で真司を見ました。
じこしょうかいカードを見てる」
 それでも落ち着いた声でそう答えました。真司は苦い顔をして自己紹介カードを見上げます。クラスメイト全員分のカードが壁一面に貼られ、その中に自分のカードを見つけました。漢字の消した跡がかすかに残っていて、また悲しくなって目をそらすと、おのずとほかの子が書いたカードを見ることになります。どの子も正直、きれいに書いてあるとは言いがたい出来でした。大きさがバラバラのひらがなは紙の中を自由気ままにおどっているようです。その無邪気さにイライラした真司はポツリとつぶやきます。
「こんなの見て、なんになるの?」
 光は質問の意味が分からず、
「クラスのみんなのことが分かる」
 と思ったままのことを言いました。
「分かったらどうなるんだよ」
 真司は少し乱暴な物言いになって、光はますます意味が分からなくなりました。顔いっぱいにハテナのマークを浮かべて、なんで怒っているのだろうと考えます。とりあえず、分かるとどうなるのかを、教えようと思いました。
「これ、おれのカード」
 と、指を差します。真司は初めて、光の自己紹介カードを見ました。ほかの子とは明らかに違う、丁寧にお行儀よく書かれた字でした。真司は『とくがわ ひかる』と書かれている下に消された跡をみとめ、
いっしょだ」
 とつぶやきます。ひらがなの下に漢字で『徳川 光』と書いた跡があって、真司はうれしくなりました。
「うん、おれもさいしょ、かんじで名前書いてたんだ。こういう、いっしょなのが分かるとちょっとうれしい。だから見てる」
 と光はほんの少し口の端を上げて言いました。
「ねぇ、どう思った?ひらがなで書けって言われてさ、腹が立ったでしょ?」
 真司は自分と同じくらい、かしこい光に興味を持ちました。この学校の子は知らないことが多いくせに、無知のままに遊び呆けているような子ばかりだと思っていたからです。いっしょに怒ってくれたならうれしいと期待しました。ですが、光は首を横にふります。
「ううん。これはみんなに読んでもらうものだから、たしかに先生の言うとおりだなって、はんせいした」
ふぅん、あっそ」
 真司は急につまらなくなって、光の聞き分けのいい態度が気に入りませんでした。同じだと思ったのに、どうして頑張りや努力を消してと言われて平気でいられるんだろう。ほかの子が漢字を読めるようになればそれでいいのに、と思うのでした。
 真司は光のカードを読み進めていきます。好きなもの、読書とごはん。特技、勉強。誕生日、四月十四日。
「今日たんじょうびなんだ」
 真司がそう言うと、光はなんだか恥ずかしいようなくすぐったいような心地になって、照れかくしにほほをかきながら、まぁうん、とあいまいに返事をします。
 真司は礼儀として、かるくお祝いの言葉でも言ってあげようと思いました。けれど、「おめでとう」というたった一言がのどに引っかかって、真司はどうしても言えませんでした。受け取ったことのない言葉を自分から発するのはとても難しいことだと、真司はその時、初めて知りました。
「へぇ〜。じゃあキミ、勉強が特技って書いてるし、もちろん自分が生まれた季節、知ってるよね?」
「え?春じゃないのか?」
 キョトンとした顔の光に「おめでとう」を言えない代わりに、知識をひけらかしてやろうと、真司はにやりと笑いました。そうしたらきっと、彼は自分のもの知らずなところを恥じて、もっと勉強しようとやる気を出すに違いありません。ぼくと同じくらい、一緒になって、がむしゃらに勉強してくれたらうれしいと真司は思っていました。真司は家族からそういう言葉をよくもらっていたので、そうなると信じてうたがいませんでした。
「日本には昔から二十四つの季節があるんだ。春分とか冬至とか聞いたことあるでしょ。今日はね、」
 真司は少しもったいぶって、きのう本で読んだばかりの知識を光に教えてあげました。
「清明っていうんだよ。清らかで明るいって書く。これくらい、知っときなよ」
 ふふんと自慢げに、兄さんがよくするのをまねして、鼻で笑って言いました。しかし、光はそんな真司の態度にまったく動じることなく、教わった言葉をかみしめるようにちいさく「清明」とつぶやきます。目を大きく開いて、黒いひとみがまんまるになりながら真司を見つめます。
「すごいきれいな言葉だ
 真司は光のまっすぐなまなざしに、矢で射抜かれたような感覚をおぼえました。知識で光を圧倒しようとしていたのに、いまは彼の無垢な感性に、真司は息を飲みます。
 光はドキドキしする胸を落ち着かせるように、ほぅと一息ついて、
「おれ、好きなんだ、あたらしい言葉を知るの。すごく楽しい」
 その言葉からは、真司が勉強に対して感じている苦しみは一切ありませんでした。
「おしえてくれてありがとう」
 聞きなれない言葉に真司は立ちすくみます。
 光の目がキラキラにかがやいて、真司はまえに博物館で見た黒曜石の矢じりを思い出しました。しっとりと黒くて、つやつやと美しくて、狩りをするためにとがっていて、目が離せないのにふれたら、きっとケガをするような宝石を、光のひとみの中に見つけました。
「なんだよ。これくらいでおおげさだな、キミは」
 きれいで、こわくて、羨ましくて、ずっと見ていたい。これらの気持ちがぜんぶ合わさって、どれでもない不思議な気持ちになりました。
 真司は、この気持ちの正体を知りたいと思ったのでした。いつか、矢じりの切先にふれたように、光の正しさに傷ついてしまう予感をたしかに感じて、それでも彼と友だちになりたいと心から思ったのでした。
「おめでとう、とくがわくん」
 今度はすんなり、お祝いの言葉と名前を呼ぶことが出来て真司はほっと安心しました。光も照れたように笑います。
 その時、廊下の方からガヤガヤとにぎやかな声が聞こえ出し、朝の会の予鈴も鳴り出します。二人はお互いにじゃあまたと言って、それぞれの席につきました。
 

 友だちになるのってどうしたらいいんだろうとその日はずっと、真司は考えていました。勉強で切磋琢磨するのが友だちだよねと、真司は光と二人でノートを広げて、一緒にえんぴつを走らせる想像をします。それだけでなんだか楽しくなってきて、その日の学校の授業が終わると、顔を上げて塾へ急ぎました。目にうつる葉桜がどれだけさざめこうと平気でした。


※ ※ ※


『清明 すべてのものが生き生きとして、清らかで明るく美しいころ』
 お父さんからプレゼントを受け取って、お母さんが作ったご馳走を食べ、みんなでホールケーキをかこんだ楽しい誕生日が終わりつつある時間に、光は、自室の辞書を開いてふっと微笑みます。春の、この言葉の時期に生まれて良かったと光は初めて思いました。
 今日はお話ができて良かった、友だちになれたらいいな、かむろくんと。光はそう思いながら、なんだかとてもうれしくなって、今日好きになった言葉のページを、何度もさらさらとなぞるのでした。


 後日、学校で小テストがあるたびに点数を聞いて張り合ってくる真司を少しうっとうしく思うのはまた別のお話。