よるはこ
2024-03-04 13:35:39
5609文字
Public mp100 徳神
 

【徳神】灰になった窓

#神室真司誕生祭2023
・新神室(生き生きしている)と旧神室(死んでいる)と徳川(親友が分裂して困っている)の話。
・原作の神室の成長を否定的にとらえています。
・火事描写あり。

 神室の部屋の扉を開けて真っ先に目に飛び込むのは、おびただしい数のゴミ袋たちだった。
 カーテンを閉め切った薄暗い部屋へ足を踏み入れて、俺はひしめくビニール袋を見下ろす。いつだったか、最初にこの部屋を見た時はずいぶんと驚いたものだった。その時、自室へ招き入れた本人である神室が面食らっている俺を見て、なぜかニヤニヤと長くうねる前髪を揺らして笑っていたことがとても印象に残っている。そんな昔のことを思い出しながら、俺は一つの袋の前にしゃがみこんだ。
 中には神室が詰め込まれていた。細い手足を折りたたんで胎児のような格好で袋の中で眠っている。携帯食料の空き箱やカフェインドリンクの空き瓶の中で何一つ不安な事などないように安らかに薄い瞼を閉じていた。長い髪は少し乱れている。頬にガーゼを当て、手足には包帯を巻いて、その全てにうっすらと血が滲んでいる。痛々しいことこの上ない。呼吸をするのも忘れた俺は彼を助けるために袋を破ろうと手を伸ばした。

「辞めなよ。徳川にそんなことする権利ないよ」

 後ろから強い口調で制止される。俺は結び目に伸びた手を止め振り返った。短く清潔な前髪の下に健康的で傷一つない顔の神室が、俺を見下ろしていた。
「境界線って大事だから。そのビニールを破ると今の僕も、ゴミ袋の中に入ってる昔の僕も、どうなるか分からないよ。だから破らないでくれるかい?」
 神室は穏やかにそう言うと以前とは全く違う、やわらかな笑みを浮かべた。

※ ※ ※

 1時間前に遡る。生徒会会議が終わり、帰ろうとした俺は神室に呼び止められた。見せたい物があるから僕の家に来ないか、と。神室から部屋に誘うなんて珍しいと思った。特に用事もなかった俺は了承し、神室の帰路をともに歩いた。
 夕暮れの道中、神室とたわいもない事を話しながら、俺はあることが常に頭の片隅にあった。

 目の前の親友は本当に以前の親友と同じ人間だろうか。

 疑問に思うのも馬鹿らしいと思う反面、どうにも腑に落ちないことが多いのだ。
 数ヶ月前、神室は行き過ぎた学校内浄化を行ない、不良から手酷い報復を受けた。俺の忠告や呼びかけを全て無視して、暴走した挙句、家に籠り不登校になった。かと思えば、長い髪をさっぱり切って、傷も全て癒え、異常なほどの承認欲求もプライドも消滅し、迷惑かけてごめんねと頭を下げて素直に謝ったのだ。
 おかしい。俺の親友はこうもあっさりと欲望を切り捨てられるような物分かりの良い人間だっただろうか。
 だが、周りの生徒も教員も俺以外の生徒会役員も彼を神室と呼ぶ。そして神室自身も以前のことを深く反省しているのか、変わろうと努力している。
 そんな親友を見ていると、細かな齟齬を飲み込めずにいることすら申し訳なく感じた。立ち直ったばかりの親友に「お前は本当に神室真司なのか」なんて問い質すのはあまりにも非情すぎると俺は思った。今は大事な時期だ。受験だってある、神室は頑張っているのだ。綺麗な顔をした神室が俺を見上げて笑っている。細めた目が、ふっくらとした頬が、切り揃えた髪が、秋の日差しでつやつやと光っている。早くこの満ち足りた神室に慣れなければ。
 そうして、招かれた神室の部屋の扉を開けて真っ先に目に飛び込んだのは、以前の見慣れた姿でビニール袋につめられた傷だらけの神室真司だった。
 以前よりも口をあんぐりと開けて阿呆みたく驚いている俺を見て、今の神室も横でニヤニヤと笑っていたのだろうか。俺はゴミ袋の中の神室しか見えておらず、確認することは出来なかった。それが今でも少しだけ心残りだ。

※ ※ ※

 俺は目の前の学習椅子に足を組んで座る神室に向き直って『どうして自分を捨てたんだ?』とか『どうしてこれを俺に見せたかったんだ?』とか、何から聞こうか散々迷って、
「お前も、神室真司なんだよな?」
 と尋ねた。それが一番、確認したいことだったからだ。
「神室真司って何?」
 神室はわざとあざといくらいに満面の笑みを作って首を傾げた。
「僕って誰?」
 絶句している俺に神室はたたみかける。
「徳川の知ってる僕って何?」
 俺の知っている神室真司とは誰だろうか。
 平和主義ではなく、目的の為ならどんな努力でも他人を蹴落とすことでもしていた。自分の身なりを整える時間すら削って勉強し切磋琢磨していた。いつだって大人からの評価に飢えて、満ち足りてなどいなかった。底無し孔の双眸が時折ギラリと輝くのがひどく眩しくて、その一瞬を見たいがためにずっと彼の目を見ていた時期もあった。
 それじゃあ、まるで。
「今の僕は神室真司じゃないのかな」
 優しく笑う彼に俺は言うべき言葉を全て無くして茫然と立ち尽くしてしまった。彼は椅子から立ち上がると、励ますように俺の肩をポンと叩いて、
「こっち来て」
 ゆるく手を繋いで部屋の奥へ導いた。袋を膝でかき分けながら進む。部屋の奥、無数に置かれた袋の中からひとつを神室は持ち上げた。中には小学生の頃の神室がバイオリンを抱えて眠っていた。
「三歳からバイオリン習ってたんだけど全然上達しなくてさ、小一の時に先生から才能ないって言われて辞めたんだ。けっこう弾くの好きだったから、いつまでも未練がましく泣く自分が鬱陶しくて、バイオリンごと捨てた」
 神室は淡々と言ってまた袋を元の場所に戻す。俺が何か言おうと一呼吸置く間も無く次の袋を持ち上げた。同じく小さな頃の神室が高そうな絵の具と絵筆セットを抱えて眠っていた。
「バイオリンを辞めた後すぐに絵画教室に行き始めて、生まれて初めて真剣に描いた絵を先生が、まぁ後は大体同じ流れだね」
 神室はまた持ち上げた時と同じように、かつての自分が入っている袋を床に置いた。粗末にするでもなく、しかし大切にもしていないような扱い方だった。神室はひとつひとつ丁寧に、ただ説明書を読むように表情を変えないまま、自身の悲しい記憶を話し続けていく。思い出を語るような感情の昂りは一切なかった。
 この部屋の中のおびただしい数のゴミ袋の中に、いつかの神室が詰め込まれている。神室自身の手でゴミと同じように捨てられている。その事実に頭を打たれたような目眩がした。俺はただ黙って神室の話しを聞くことしか出来なかった。
 そして長い長い神室の挫折の歴史を聞き続け、この部屋に入って真っ先に俺が助け出そうとした神室の袋までたどり着いた。
「これが最後に捨てた僕。大掃除が上手くいかなくて不良に殴られて何もかも嫌になってた。身体中痛くて、窓から見える外の全てが怖かった。僕は良いことも悪いことも、ぜんぶ出来ない出来損ないだって思い知ってた」
 神室は喋り疲れた顔をして長く一息をつくと不意に、暗くなってきたねと言って俺の手を離し、カーテンを開け放った。真っ赤な十月の夕陽が窓から俺に、部屋に、神室に落ちる。
 神室がゆっくりと振り返る。窓からの斜陽が作り出す、山の稜線のように複雑な影のせいで全くの知らない別人に見えた。
「僕知ってるよ。最近の徳川、僕のことつまらなくなったなぁって思ってただろ?………僕もさ、キミへの対抗心とかまとめて捨てて今の自分になったら心がすごく軽く楽になって、キミへの気持ちも無くなって、たくさんいる他人の中の一人になってしまった」
 恐ろしかった。心底恐ろしかった。目の前の神室のことも、周囲に捨てられたかつての神室のことも、自傷めいた行いで自分を切り捨てていくことも、親友がその方法を選ぶまで追い詰められていたのに気づかなかった己の鈍感さと薄情さにも。そして、いまさら神室を助けることなんて俺には絶対出来ないのだという現実にも。
 声が震えそうになるのを必死に堪えて、俺は絞り出すように尋ねた。
「どうしてこんな」
「生きる為だよ」
 神室はきっぱりと即答する。
「痛かった」
「苦しかった」
「悔しかった」
「悲しかった」
「惨めだった」
「死んでしまいそうなくらい。でも誰だって死にたくないだろ」
 夕陽は刻一刻と沈んでいく。同時に神室の影も濃く深くなっていった。暗い影に覆われた彼がどんな表情をしているのか、もう何も分からなかった。
「死にたくないから、痛む場所を切り捨てるしかなかった。いらない自分を捨て続けて、その成れの果てが今の僕だ」
 その時、俺は唐突に数ヶ月の早朝の教室で、神室とした会話を思い出した。痛みから逃れようともがく親友に、俺は取り返しのつかないことを言ってトドメを刺してまった。確かに俺は袋を破って神室を助けだす権利なんて、無かったのだ。
「神室、俺はあの時………お前に酷いことを」
 神室の指先が俺の唇にそっと触れて、それだけで謝罪の言葉は言えなくなった。震えて熱くなった俺の口と対照的に神室の指はひんやりと冷たかった。
「謝らなくていいよ。今の僕に言われても別にいいんじゃない?って気持ちにしかならないから意味ないよ。ほら、僕もうすぐ誕生日だろ?だからワガママきいてくれるかい?」
 誕生日。突然、この暗く悲しい部屋の中で蝋燭の灯火のような美しい言葉を聞いて息を飲んだ。神室はゴミ袋の中から一つを俺に差し出した。
 中身は。
「この僕を貰ってくれる?」
 俺から浅いと言われショックを受けていた神室。
 神室自身から出来損ないだと捨てられた神室。
 今は薄いビニール袋に包まれて、痛みを感じる事なく眠っている。
「さっきの言葉の続きを聞かせてあげてよ。この僕はずっとキミと話したがってたから。それが今日、呼び出した理由」
 断る選択肢なんてなかった。俺は迷わず受け取って、その抜け殻のような軽さにまた悲しくなった。俺が両手で大事に壊れないように抱えるのを待って、神室はその袋ごと俺を抱き締めた。

「いままでありがとう。バイバイ」

 とうとう俺は耐え切れずに目から涙が溢れた。こんな悲しみ、かつての神室が味わったものの比ではない。それでも俺を優しくさする神室の冷たい手が、俺と神室の間で眠るかつての神室の寝顔が、暗いこの部屋が、全て悲しかった。
 ふと神室の肩越しに見える窓の外に一番星が輝いているのに気がついた。神室もあの星を見ながら泣いたことがあったのだろうか。ビニール袋に涙の水滴が落ち続け、しばらく止まなかった。

※ ※ ※

 神室の家の玄関を出る。外はとっぷりと日が暮れ、夜になっていた。お互いにまた明日と言い合って帰ろうとすると背後から、
「謝り飽きたら、開けずに燃やしてくれよ」
 と神室の小さな声が聞こえた。すぐさま振り返り、
「そんな日、来るわけがない」
 そう俺が断言すると、彼は安心したように微笑んでヒラヒラと手を振り扉を閉めた。俺は袋を抱え直すと人目につかないように街灯のない暗い道を選んで家路を歩く。秋の夜風の冷たさにさっき唇に触れた神室の指の冷たさを思い出していた。
 そっと玄関の扉を開けて、家族に気づかれないように自室へ袋を運んだ。ベッドの上にそっと神室を乗せる。俺は床に膝をついて彼に向き直り、誠心誠意謝った。
「酷いことを言って、すまなかった」
 もちろん「許さない」も「いいよ」も返ってこない。それでいい。あの早朝の教室で神室の「助けて」を拾い上げられなかった。俺はその後悔をずっと背負って生きていこうと決めたのだ。
 俺はまた泣きそうになったがグッと堪えて立ち上がる。神室をこのままにしていたら家族に見つかってしまう。俺はクローゼットの中身を全部出して底にクッションを敷いて、その中に神室を大切にしまった。
「こんな窓もないところで申し訳ないが、学生の間は我慢しててくれ」
 神室は俺なんてお構いなしに眠り続けている。俺はそっと抱き締めた後、眠りの邪魔にならないようにゆっくりと扉を閉めた。

※ ※ ※

 それから数日後の十月七日、神室の誕生日にあの家は全焼した。神室も家族も無傷だったが家は跡形もなく燃え尽きたらしい。しばらく休んでから登校した神室は「誕生日ケーキの蝋燭の不始末のせいかも」と妙に清々しい顔で話していたが、結局火元は分からず仕舞いだった。
 家を失った神室は親戚の家に住むことになり遠い場所へ引っ越した。「落ち着いたら連絡するよ」と言ったのを最後に数年が経ったが、いまだに音沙汰なしだ。
 親友同士でなくなったのだからこんな風に縁が切れるのは普通だがやはり一抹の寂しさはあった。どこに住んでいるのかすら分からないがあの神室には幸せに生きてほしいと願っている。

 そして俺の隣にはいくら朝が来ても目覚めない神室だけが残った。あれから何回謝ったのか。俺の人生をかけて謝っても到底足りることはないが一生一緒に過ごしていこうと思っている。
 高校からバイトで貯めた貯金がまとまった額になったので、大学生になって初めの秋に俺は神室を連れて家を出た。やっと神室を隠さずにいられることが嬉しくて他の荷物なんてそっちのけで俺はベッドフレームを組み立てマットレスを敷いて神室を寝かせた。
 ビニール袋の中の神室は相変わらず眠っている。細くて小さな身体のまま。ガーゼの血は赤いまま。長い髪は乱れたまま。
 ふとスマホのカレンダーを見ると、今日は神室の誕生日だと気がついた。だが、眠っている彼には何も贈れない。誕生日が来たら歳をとるという当たり前のことも俺はこの神室から奪ってしまったのだ。
 部屋の明かりも付けないままずっと神室を抱き締めていると夜の帳が下りて、窓の外にあの日見た一番星がチカチカと燃えて輝き出す。神室の家を燃やした火もあんな風に美しかっただろうかとぼんやりと考えながら、俺はいつまでも星を眺めていた。
 神室は今日も眠って俺の知らない夢を見ている。