放課後のボランティア活動を始めて早数ヶ月が経った。活動内容は日によってバラバラだけど、一番多いのはタスキをかけて街のゴミ拾いをすることだった。最初はダサくて嫌だったボランティアタスキも、最近はこれを見ながら「ありがとね、若いのに偉いね」と声をかけてくれる人が増えた。ほんとは全然、そんな言葉をもらえる人間じゃないのになぁ、アタシ。
今日は調味市でゴミ拾いだ。片手にゴミ袋、片手に使い古された火バサミを持って、いつものように黙々とゴミを拾っていく。ペットボトルや缶は意外と少ない。多いのはタバコのフィルターとかティッシュとかガムとか拾い甲斐のない小さなゴミがほとんどだ。路地に少し入ったところの、タイルにこびりついたガムを火バサミの先でガシガシしていると不意に後ろから声をかけられる。
「やっぱり、浅桐じゃん」
振り返ると前の学校の取り巻きの一人が仁王立ちで立っていた。ワックのロゴの紙コップを持って、私のことを軽蔑の眼差しで見下ろしている。
私は、あー運が悪かったなとうんざりして立ち上がる。彼女は馴れ馴れしく私に話しかけた。
「ねー、なんで急に学校辞めたの」
「いろいろ」
元取り巻きは私の返答を鼻で笑って、ニヤニヤしながら噂で聞いたんだけど、と質問攻めし始めた。
「イジメてた奴ら全員に謝罪行脚したってホント?」
「うん」
「親と一緒に頭下げて慰謝料払ったんだって」
「うん」
「で、カウンセリングに通ってるのも」
「ほんと」
「やば、病気じゃん」
元取り巻きは一歩私に近づく。本当は走って逃げ出したかった。けれど、私が変わるためには、この人とも向き合わなきゃいけない気がして、足は震えているのに目を離すことはしなかった。
「あのさ、人間のふりしてるところ悪いんだけど、自分が全く意味の無いことしてるって分かってる?」
手汗がじわりと軍手の中で広がる。
「死んだ人がいないからまだやり直せると思ってる?」
動悸が激しくなって呼吸も荒くなる。けれど私は耳を塞げない。そんな権利ない。
「あんたが罪を償えるのはタイムマシンでも発明してイジメたやつらの貴重な十代の時間をやり直させてあげなきゃ絶対ムリだよ」
「お金をどれだけ払ったってあんたがどれだけ反省したって、あんな酷いイジメはなかったことにならない」
「ねぇ、もう贖罪なんて辞めたら?」
「またお友達になろ、私たち。どうせあいつらからしたら加害者がどれだけ反省してようが関係なく一生憎いんだから、楽しく生きようよ」
吐き気をこらえて私は一言、
「……いやだ」
絞り出すように答えた。
「はぁ?」
「贖罪?勘違いしないで、償いきれないことなんて、分かってる。アタシはこれから一生幸せにならない」
「…きっしょ……」
元取り巻きはジュースの蓋を乱暴に外して私に向かって大きく振りかぶった。
「ヒロインぶりやがって!お前なんかずっと社会のゴミなんだよ!!」
濡れるのを覚悟した私は目を閉じて構えた。ばしゃりと水音がしたのに体のどこも冷たくならなかった。
「は?誰お前」
恐る恐る目を開ける。私と彼女の間に学ランを着た誰かが立っていた。
「知り合いです。浅桐さんの」
この男の子の声をどこかで聞いたことがある。どこでだっけ?思い出そうとすると猛烈に頭が痛くなる。
元取り巻きは力一杯に空の紙コップを投げ捨てると走ってどこかへ行ってしまった。
学ランの彼はゆっくり振り返って私を見た。
「久しぶり」
私の口はわなわな震えて何も言えなかった。慌てて軍手を脱いでポケットからハンカチを差し出す。あのジュースは彼のお腹にかかったようだった。
「ありがと」
この声の、この言葉を、絶対に聞いたことがある。あるのに、思い出せない。
「なんでアタシのこと庇ったの?なんで、ありがとうって言ってくれるの?」
思い出せないからアタシは聞いた。頭が痛すぎて眼球の奥が破裂しそうだ。
「たぶん、あなたにも酷いことたくさんしたのに…どうして…」
思い出せなくても絶対この人に酷いことをしたという確信があった。過去のアタシはそういう奴だった。
「僕は浅桐さんが心から反省してるって分かってる。だから許した」
彼は穏やかな声で話しながらジュースを拭いている。
「でも、僕と同じように酷いことした他の人たちからも同じように許されるべきだとは全然思わないけど、それでも」
彼は顔を上げてアタシの目を見て言う。少しだけ不器用に口角を上げて。
「僕は応援してるよ。浅桐さんのこと。だから少しくらいは幸せになっていいんじゃないかな」
今まで聞いてきたどんな言葉よりも彼の言葉は美しかった。良いのだろうか、こんなアタシがそんな言葉を貰っても。
しっとりと汚れたハンカチを彼の手からそっと受け取った。
「ありがとう」
彼の名前を知りたかった。
名前を呼びたかった。
それから「またね」って言いたかった。
友だちになりたかった。
「さようなら」
私はそれだけ言うと、彼はこくりと頷いて路地裏を出て行った。
アタシはいつまでの彼の背中を見送っていた。
黒い背中が雑踏に消え去っても、いつまでもいつまでも見送っていた。
あなたに会えて良かった、名前も知らない人。私はあなたに「またね」すら言えない。友達になれない。全部全部全部、自分の手でダメにしたのだ。
彼の人生に、アタシは必要ない。
いつの間にかアタシは泣いていた。心配してくれたボランティア仲間の人たちが迎えに来てくれるまで、アタシはいつまでもその場に立ち尽くしていた。
目を腫らして帰宅するとパパからとても心配された。大丈夫と言ってアタシは一人、部屋にこもる。
あの時、彼に言われた言葉を何回も反芻する。今度は二度と忘れないように。
あの言葉を灯台の灯りみたいにして人生を歩こう。これからはまっすぐ、ブレずに、進めばきっとアタシは変われる気がする。怖がらずにすむ気がする。
この先、本当に幸せが待っていなくても、誰からも許されなくても、目指す先が存在する。世界にたった一人だけでも応援してくれている人がいる。
それを知っているだけで安心したアタシはその夜、本当に久しぶりにぐっすりと眠ることができたのだった。
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