放課後、特に用事も無かった僕は真っ直ぐ家に帰ろうといつもの道を歩いていた。ぼんやりと見慣れた街の風景を眺めていると、その中に特別な後ろ姿を見つけてドキッと心臓がはねた。夕陽でキラキラ光る髪に姿勢の良い背中。あれはツボミちゃんだ。いつもは友達と楽しそうにおしゃべりしながら帰っているのに、今はひとりだ。どうしたんだろう。
「ツボミちゃん」
考えるより先に名前を呼んでしまって僕は少し後悔した。ツボミちゃんだって一人になりたい時があるかもしれないのに、邪魔してしまったかもしれない。その前に久しぶりに話すからこの後何を言ったらいいのか全く分からない。僕が一人で勝手にあわてていると『ツボミちゃん』はゆっくりと振り返った。おでこのピンク色のヘアピンがキラッと光った。
「モブくん」
可愛いまあるい形の目が僕を見ているだけでふわふわと天にも昇る気持ちがした。僕がへへっと照れ笑いしかできずにいるとツボミちゃんはニッコリと笑ってこう言った。
「丁度良かった。暇してたの。一緒に帰ろう」
僕の学ランの袖を握るとグイッと引っ張って知らない街角を曲がって知らない道を歩き出した。
「え?えと、ツボミちゃん、帰る方向あっちだよね?」
「いいから、寄りたい所あるの、」
ツボミちゃんはチラッと僕を振り返って、
「モブくんと」
と続けた。僕はもう何も言えなくなってただツボミちゃんに連れて行かれるがままになった。
どれだけ歩いただろう。商店街の中や公園、雑木林、知らない人の家の裏庭を通った気がする。気がするのは僕がツボミちゃんの後ろ姿にみとれていて、他のことはあまり気にもとめていなかったからだ。夢が叶ってしまった。大好きなツボミちゃんと手を繋いで帰る。…いや、そういえば手は繋いでいなかったんだった。僕の袖を引き続けるツボミちゃんの手をじっと見た。青白い手だ。なんだか具合が悪そうな色で心配になってきた。ツボミちゃんは僕に病院に付き添って欲しいんだろうか。だとしたら、救急車を呼んだ方がいいだろうか。僕は引かれている方の、握りしめていた手をゆっくりと開いて、そっと人差し指でツボミちゃんの手に触れた。
「あっ」
僕が触れても、驚いた声を上げてもツボミちゃんは全くこちらを振り返らなかった。ツボミちゃんの手は石みたいに冷たかった。やっぱり体調が悪いんだ。今日はそんなに寒くないのにこんなに冷え切っているなんて。もっと早く気がつけば良かった。
「ツ、ツボミちゃ…」
「着いたよ、モブくん」
僕なんてお構いなしにツボミちゃんはとても嬉しそうに笑っていた。
たどり着いたのは廃屋の前だった。ツボミちゃんが好きそうな明るくて楽しい場所では決してなかった。ツボミちゃんが薄暗い扉に手をかける。
「ま、待って。もっと暖かい場所に行こうよ。ツボミちゃん、寒いんじゃないかな」
「うん、寒いよ」
ツボミちゃんは僕をジッと見つめる。つやつやで青い目に僕が写る。どこか、図鑑かテレビで見た宝石みたいな色で綺麗だなと思う心の片隅で、少し変だなと思った。
ツボミちゃんの目って青かったっけ?
「寒いね。あーぁ、寒いなー」
そう言いながらツボミちゃんは僕の袖を離すと家の中へ入ってしまった。
「あ、ツボミちゃん!?待って」
急いで僕も扉を開ける。家の奥からツボミちゃんの笑い声が聞こえる。誰も住まなくなって何年も経った家だった。申し訳ないと思いながら土足のままでツボミちゃんを探した。声は2階から聞こえる。僕は埃だらけの階段を昇って錆びついたドアノブを回した。
夕陽が眩しくて目が眩む。西の窓から真っ直ぐに部屋の入り口まで日が差していた。
「来てくれたね。モブくん、ありがとう」
窓の横にツボミちゃんが立っている。僕は近づこうとして、でもできなかった。足が動かなくて、部屋に入れなくて、ツボミちゃんをただ見ていることしかできなかった。
「あ、流石に気づいた?でも、残念だね」
『ツボミちゃんによく似た人』はとびっきりの可愛い笑顔で言った。
「モブくんが、世界で一番大好きな人を、別の誰かと間違えちゃったのは変わらないよ。可哀想だね」
そうだった。どうして間違えてしまったんだろう。ツボミちゃんはヘアピンなんてしていなかった。まあるいうさぎみたいな目じゃなくて、意志が強くて頑固そうな目をしてた。目の色だって、
「私、オブシディアンも好きだけど、一番好きなのはラブラドライトなんだ」
呪文のような言葉の意味が分からずに驚いていると『ツボミちゃんによく似た人』はいつの間にか僕の鼻先に立っていた。
「宝石の名前だよ」
その人は抱き締めるみたいに僕の脇腹に腕を回した。ひどく冷たくて腕がふれたところから体温が吸われていくような感覚がした。
この人は悪霊だ。除霊しなくちゃ。
僕はいつもみたいに右手に超能力を集中させる、いつもみたいに、いつものように。
この人を消さなくちゃ。
「私のことも粉々にするの?」
呼吸が出来なくなる。身体が冷たくなってきたせいで、昨日までできたことができなくなったみたいだ。『ツボミちゃんによく似た』悪霊はやさしい声でささやいた。
「大丈夫。モブくんの中身は残さず食べてあげる。外がわはずっと大事に取っといてあげる」
力をこめた右手がだらりと垂れ下がるのが分かる。このままじゃ良くないことは分かっているのに、どうしても、この人に力を向けることができなかった。
「おやすみ。もぶくん」
悪霊だって分かっているのに。
偽物だって分かっているのに。
その声で眠たくなって、身をゆだねてしまってもいいいと思ってしまうのだった。
僕は、やすらかな気持ちで目を閉じた。
※ ※ ※
次に目が覚めたのはいつなのか僕にはわからなかった。外は明るい気がして、瞼が開いたから目覚めたのかどうかすらもよくわからなかった。『ツボミちゃんによく似た人』は普段、曖昧な存在で同じ部屋に漂っているけれど、外が夕暮れになると出会った時と同じように人の形になって、動かなくなった僕と遊んでくれる。おしゃべりしたり、お互いに石みたいに硬くなった手をとって踊ったり、たまに外から子どもを、僕と同じやり方で誘って食べたりしている。
その様子を見ても特に何も感じない自分が少し嫌になる。
世界で一番、大好きなツボミちゃんを他の誰かと見間違えるはずがない。こういった僕の傲慢さがこの結果を招いたんだなと思うとほんの少し反省したりもするけれど、それでも不思議と後悔はしなかった。
夕陽が沈みきって夜になると、あの人はまた、廃屋の部屋の中の、曖昧な空気みたいな存在になって僕の周りを漂っている。
僕はツボミちゃんのことがずっとずっと好きだった。
でも、そのツボミちゃんと似ていて、少し寂しそうに夕暮れの街を歩いていたあの人のことをあの時、好きになってしまったのだろうかと思う時がある。
今では、どうしようもないことだ。僕は力も言葉も動くことすら失って、あの人と夕暮れの時間に遊ぶことだけが楽しみになっているのだから。
僕は静かで穏やかな夜の空気の中で、静かに目を閉じた。
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