よるはこ
2024-02-22 20:53:11
3031文字
Public mp100 徳神
 

【徳神】月と道連れ

お耽美タナトス人間の神室に『元カレの徳川』を言わせる話。大人破局後心中。

 十数年前の昔に流行った曲が最近また流行り出して、月を飼う人が増えた。
 水槽の水に特殊な液体を混ぜて空の月を映すと、水面からポコリと映った月の形そっくりの小さく輝く月が水の中で産まれるのだ。
 エモくて映える生き物として猛烈な勢いで流行った。ただ、そうして産まれた月はとてもか弱く、飼い続けるのは至難の業だった。餌は多すぎても少なすぎても駄目。水は清すぎても汚れてても駄目。音に敏感で笑い声で死んだりした。
 月の死体をその辺の土に埋める人も爆裂に増えたが、最近になって土の中の微生物を死滅させてしまうことが分かった。月は死んだ時のままの光を放つためそれが毒になるらしい。
 そんなニュースを聞きながら、僕は昨日死なせてしまった月を煮込んで食べていた。どれだけ煮ても発泡スチロールのような硬さで生臭かった。それでも残さず食べた。死なせてしまった僕なりの葬いだった。食べ終わると、身体の中の細胞から少しずつ死んでいく感覚がして嬉しかった。腹をさすりながらベッドに横たわっていると元カレの徳川のことをなんとなく思い出した。
 もうどうせ死ぬなら最期に会っとこうかなと思い、僕は身支度を整えて外へ出た。
 引っ越してないといいなぁ〜と思いながら数年前に同棲してた部屋のチャイムを鳴らす。
「徳川〜。僕だけど」
 チャイムの音に被せるように部屋へ呼びかけると中から転がり回るような足音がしてものすごい勢いで扉が開いた。数年ぶりの徳川は酷くやつれていた。
「か、か、かむろ。お、おま、お前っ………
 お手本のような動揺っぷりに笑いそうになるのを必死で我慢する。こうなるのも仕方がない。なんの前触れもなく急に携帯を置いて数年も失踪しちゃった僕が徳川を笑う資格はない。
 徳川は抱きしめたい腕の動きと怒りを我慢するように抑え込む動作を繰り返して、
「とりあえず、中に、入ってくれ」
 結局何もせずにそれだけ言った。
「じゃあ、おじゃましまーす」
ただいま、でいい」
 部屋の中は同棲してた時と全く変わってなかった。僕はふたつあるダイニングチェアのいつも座ってた方に腰を下ろし、徳川はいつもの食器棚から僕のマグカップを取って僕の好きなコーヒーを淹れて差し出した。そして安心しきった顔をして、
「おかえり、神室」
 そう言って微笑んだ。優しいな、徳川は。普通、心配させやがってとか言って怒ったり、どこ行ってたか問い詰めるところじゃないか。僕なら絶対そうする。徳川の優しさを僕は大好きで愛していて、同じくらい大嫌いだった。
 いつからだろう。初めて会った子供の頃からだったかもしれないし、大人になっていくにつれて徐々にだったかも。
 徳川は幾つになっても顔の圧が強いから勘違いされがちだけど、実はそんなに厳しくない。僕が昔、悪事を働こうと誘った時も咎めはしても止めはしなかったし、その後、反省して生徒会長を辞めた時だって、また立候補しろと奨励しても叱責はしなかった。相手の自主性を重んじて適切な距離をとるのは彼の強さと信頼の表れだった。徳川の分かりにくい優しさに気づく度に心が苦しかった。
 最初は恋のときめきだと思ってた。でもそれは、恋人同士になって大人になって、恋し合うより愛し合うように変わってもどんどん痛みは増した。
 どうして僕はこんなに駄目なんだろう。愛を受け取ることも、返すことすらままならない。きっと子どもの頃から愛されることに慣れてなかったせいだ。だから無償の愛にいつまでもみっともなく慌てて、怯えてしまうのだ。
 砂糖を飲み込めなくて窒息するような、人肌に触れられて魚みたいに火傷してばかりでいつまで経っても慣れなかった。
 そうしてとうとう耐えられなくなった僕は徳川からも自分の人生からも逃げ出した。戯れに飼ってみた月も殺してしまい、もう終わりにしようと月を食べたのだ。
 淹れてくれたコーヒーを眺めたまま、膝の上でいつまでも握りしめている僕の手に徳川の手が触れた。僕の手の甲を優しく撫でる彼の指が歳の割にカサついていて、それでも懐かしい体温に泣きそうになる。
「ご飯、一緒に食べないか?」
 ご飯。その言葉を聞いて僕の胃壁と月が一緒にとろりと溶けるイメージが頭に浮かんで、耐えられないほどの吐き気がした。
「っ、ごめ、トイレ」
 徳川の手を押しのけてユニットバスの扉を開ける。便器に顔を突っ込んで消化された月なのか胃液なのか胃そのものなのかよく分からない物を大量に吐く。もうそろそろ終わりが近い。
 徳川に見られる前に吐瀉物を流す。蓋を閉めると同時に水を持った徳川が僕の隣にしゃがむ。背中をさすりながら飲めるか?と差し出されたコップを断った。徳川が無言で浴槽の縁にコップを置く。シャワーカーテンは閉められていて電気もついていないのに何故かぼんやり光っていた。僕がそれを不思議そうに見ていると徳川が得意げな顔でカーテンを開けた。
 そこには、浴槽からはみ出るほど大きな月が水に浸かっていた。月はカーテンが開くやいなや何か不思議な音を出して明滅した。
「うわっ、でか」
 徳川はペットを誉められた飼い主のような顔をして、
「ここまで育てばちょっとやそっとでは死なない。綺麗だろう」
「そんなに大きくなるまで、大変だったんじゃない?」
「お前と暮らしてるほどじゃなかった」
 急に直球の悪口を言われたけれど、本当のことだったから黙った。それに、もう何かを言うのも疲れ果てたのもある。
「ある程度の大きさになると歌うようになった。俺はこの歌を聴くのが好きだ。神室も一緒に聴いてくれたら嬉しい」
 狭いユニットバスの中、僕は便器の前に座り込んで、徳川は浴槽に寄り掛かるように座って月の歌を聴いた。月の声はリコーダーの音色のようにやわらかく、ヴァイオリンの音色のように透き通っていた。月を食べた僕は次第にその歌の、いや、月の言葉の意味を理解できた。
 月はこう言っていた。

───ひかり どく はなれて おねがい

 徳川が歌だと言った月の言葉は悲痛な叫びだった。自分のことなど一切かえりみず、大切な人を守ろうとする言葉だった。
 僕は思わずははっ、と小さく笑った。
 どいつもこいつも愛情深い奴らだ。嫌になる。
 羨ましい。
 僕もこんな風になれたら良かったのにな。
 あぁ、体が重い。地球の重力が重い。月が恋しい。行ったことないけど。
 僕と月の境界が曖昧になる。眩しいのは目の前の月あかりのせいか、網膜の血管に月の細胞が入ったせいか分からない。瞼を閉じてるのか開いたままなのかも分からない。
 そして僕は最期の夢を見た。
 月になった僕を徳川が丹精込めて愛してくれて、僕はただそれをシャワーのようにあびるだけで良い、穏やかな毎日を送る夢だ。都合の良い、なんて甘い夢だろう。
 徳川は僕が死んでいて驚くだろうか。
 それとも徳川のあのやつれ具合からみるに、一緒に死んでくれるだろうか。
 もしそうだとしたら嬉しい。
 あまやかにとろける思考の中で、僕は自分勝手な願望に微笑みながら人生最期の夢を見続けた。

※ ※ ※

 あるアパートの浴室に、二人の男が倒れていた。一人は人生の至福の時を迎えたような顔をして、一人は心地良い音楽を聴いたまま眠った顔をして。
 傍らの浴槽には大きな月がいつまでも明滅しながら歌を歌い続けて何日か後にそれも止んだ。