夏休みも残すところあと一週間となった夕方のある日。冷房が効いたリビングのソファーに寝転がりながら私はある問題に頭を悩ませていた。
「はぁ〜自由研究…どうしよう…」
めんどくさくて後回ししつづけてしまった自由研究。気がつけば他のドリルやプリント集の宿題は終わる目処が見えてきたにも関わらず、自由研究だけは題目さえ決まらないまま残り一週間だ。
「自由工作ってことで今年もまた貯金箱キット買って作ってお茶を濁そうかしらね…う〜ん…」
そんなことを言いながら、やる気も覇気もやりがいもない私はリモコンを手に取りテレビをつけた。休みボケした顔でなんとなくチャンネルを変えていくと夕方のNews MOBが目にとまった。
『──続いては昨年の秋頃から調味市で目撃証言が相次いでいるツチノコについてお伝えします』
ツチノコ。大好きなUMAの名前を聞いて思わず起き上がる。テレビのニュースは近所の山を写した後、目撃したおじいちゃんのインタビューなんかを流していた。私は居てもたってもいられなくてソファーの上をびょんと跳ね上がった。
「これよっ!!!!!これだわっ!!!!!!!!」
UMAの代表といってもいいツチノコがこんな近くの山にいるなんて知らなかった。さっきまでは暑くて鬱陶しいと思っていた夏の日差しがキラキラと金色に光り輝いて見える。
大きな水筒にお茶を注いで、冷凍庫からありったけの保冷剤をかき集める。麦わら帽子をかぶって、ツチノコを捕まえる為の虫あみ、捕まえたツチノコを入れる為の虫かごなどなど、急いで出かける準備をし始める。
「ふふふ、待っていなさい!ツチノコォ!!!」
こんなにわくわくするのは久しぶりだった。やっぱり夏休みにはこんな風に楽しさとか張り合いがなくっちゃ。
夏休みの自由研究は、ツチノコを生け捕ることに決めた。
※ ※ ※
「げぇっ!!!!!!徳川っ!!!!!!」
鼻歌交じりにいざ山へという時に、一番出会いたくない相手と出会ってしまった。
「暗田……知人に会った時の挨拶は、げぇではなくこんにちはだ」
「知ってるわよ!嫌味な言い方ね!」
山へと続く砂利道で出会ってしまった奴はため息をつきながら腕組みをした。
徳川、真面目が人の形をして七三分けして制服を着ているような生徒会の副会長で私と同級生だ。
夏休みに羽目を外してはしゃぎたいって時、山の所有者にバレないようにこっそり入山しようって時、ツチノコを虫あみで捕まえようとしている時なんかには絶対会いたくない奴だ。そんな徳川は夏休みなのに制服姿で学生鞄を持っている。塾の帰りかしら、まぁ知ったこっちゃないけれど。
「おい、待て。この山に入るのか?」
しれっと通り過ぎようとしたけれどやはり呼び止められてしまう。
私は思いっきり顔をしかめて振り返った。
「あんたには関係ないじゃない」
強気に突っぱねたにも関わらず徳川は質問を重ねる。
「一人でか?」
「だったら何よ!関係ないって言ってるでしょ!」
「関係ある。我が校の生徒がたった一人で危険な山に入ろうとしているのに生徒会である私が見逃すわけにはいかない」
なによこいつ、今夏休みなのよ。なに率先して役員の仕事してんのよ、どんだけ真面目なの。
「…まぁ一人で山に行くけど暗くなる前には帰るわよ。暑いからそんなに長く歩かないし…、あ、それに自由研究の為なの!だから行っても良いでしょ?」
徳川は私の返答に腕を組んだまま考え込んでいる。この隙にダッシュで山を登って撒こうかしら。でも、あまり無駄なことに体力を使いたくはない。夕方になっても八月の空気はまだまだ暑い。
そんなことを考えていると奴からとんでもない提案が飛び出した。
「俺も付き添ってもいいか?自由研究」
「………はぁ?」
どうしてそうなったの?なんで私が徳川なんかとツチノコ探ししなくちゃいけないのよ。
ていうか、今までの徳川なら『絶対入るな!』とでも言いそうなのに。副会長らしくない。
「え、普通に嫌なんだけど」
「この山は一人じゃ危ない。暗田が心配だから申し出ているんだ」
「うっ……」
そうきたか…、なんでそんな私の方が罪悪感を感じる言い方するのよ。卑怯だわ。
「自由研究の為なら暗田が山に入るのを止めはしない。だが俺も一緒にだ。安全を確認するだけだしお前のやりたいことを尊重する。それならいいだろう?」
「いいだろうって…なによそれ…」
ただ道すがら会ったばかりの仲が良いわけでもない同級生と山を歩くなんていろんな意味で嫌だ。でもここでYESと言わなければ徳川はいつまでもメンドくさく引き止めてくるだろう。
なんてったって嫌になるくらい真面目だし。
それに、ここまで心配だなんて言われてるのに断ったら徳川がかわいそうよね。
「ふん、そこまで言うなら仕方がないわね。いいわよ、私の後ろをついてきなさい」
フフンと腰に手を当てて胸を張る私の横を通り過ぎて徳川はスタスタと山へ入って行く。
「ちょっと待ちなさいよ!私が先頭よ!」
虫あみを振り回して奴の背中を追いかけた。
だいぶ不本意ながら徳川と二人でツチノコを探すことになった。
※ ※ ※
夏の山らしい頭が割れそうなほどの蝉の声、無数に飛んでくる羽虫、夕方でも眩しい日差し。それでも山の日陰と木々の間を吹き通る風は思いのほか涼しくて気持ちが良かった。
「自由研究はツチノコを捕まえること?…お前、正気か?その為に山に入ったのか…」
後ろから聞こえてくる呆れた声を除けば。
「…ツチノコはどこかしらねぇ」
無視だ無視。いちいち相手してやるのも疲れる。後ろから好きなだけ私の安全確認でもしとけばいいわ。
私は虫あみであちこちの茂みをつつきながら山を登る。
「ツチノコって夜行性じゃないのか?」
「えぇ?ウソォ?」
無視だって決めたばかりなのについ反応して振り返ってしまう。今までツチノコばかり調べていたわけじゃない。私の一番好きなUMAは地球外生命体だ。
「どこの本に載ってた情報よ、それ」
「いや、UMAについて調べたことはないが、そいつらが見つかりにくい要因として夜行性がよくあげられるだろ?それと爬虫類は夜行性が多いしツチノコもきっと」
「あらそう。でも気分転換に明るい時間でも動いてるかもしれないじゃない」
「…そうかもな」
理屈をこねるのは苦手だ。屋内の机で本を読んだりするのもいいけど、こうしてワクワクしながらUMAを探すのも好きだ。…ただ体を動かすのは疲れるし、脳電部とテレパシーの修行もあって忙しいからこういった探索は気が乗る時しかしない。
「いつもの元部員たちはどうしたんだ?」
徳川が『元』と言うことのに若干引っかかったが私は心が広いのでスルーして答えてあげた。
「メール送ったけどみんな用事があるんですって」
本当は暑いなか、山を歩きまわるのが嫌なだけだと思う。
「ついでにカッパとかチュパカブラとかスカイフィッシュとかいないかしら」
「チュパカブラは南米だろう」
「日本にもいるかもしれないでしょ!」
徳川のことは無視しようと決めたのに意外にもそこそこ会話をしながら、しばらく山を探索した。ツチノコは影すら見つからず、山には蝉や蝶や野鳥ばかりがいて、そのほとんどの名前を徳川は知っていた。なんでも知っているのかしら、こいつ。
そんな時、急に徳川が神妙な声色で私の名前を呼んだ。
「暗田」
「なによ」
「どうしてそこまでツチノコを追うんだ」
「はぁ?見つけたら嬉しいからに決まってるでしょ。何言ってんのよ」
「いないのかもしれないのにか?」
「いるかもしれないわ。絶対にいないって証明はされていないでしょう」
「それなら、もっと効率的で安全なやり方があるだろう。どこかの同好会や探検隊に入ったり、前もって計画を立てたり、探索に行く前にやることはあるはずだ」
「ふぅ、分かってないわね、徳川。そういう他所のグループに属するとなんだかんだでちゃんとやらなくちゃいけない責任感とか探すからには見つけなくちゃいけない義務感とか出てくるでしょ」
「…」
「私、楽しく楽することには本気だから。責任はあんまり背負いたくないし努力は最低限ですませたいし、やりたい時にやりたい事をやりたいだけ頑張りたいの。成果がなくてがっかりするのはもう飽き飽き。私が楽しむことが一番大事だわ」
「…」
「今日はツチノコを探索するって気分だけど明日もそうって決まってるわけじゃないの。ていうか、今一番の目標はやっぱりテレパシーを使えるようになりたいのよね。私の一押しUMAは宇宙人だもの。地球上のUMAだけで満足しないわよ私は。あぁ、未知なる宇宙…地球外生命体との交信…」
「…」
ふと、背後からの返事が全くないことに、たった今気がついた。
話すのに夢中で徳川が黙り込んでいることなんてお構いなしだった。なんで返事しないのよ。質問しておいて失礼だわ。
「ちょっと、聞いてんの…って徳川!?」
振り返った先の徳川はとんでもないことになっていた。
「む…、なんだ…?」
「なんだじゃないわよ!あんたすごく顔真っ赤じゃない!?」
七三分けの前髪からのぞく汗まみれの額も頬も耳まで真っ赤だ。UMA図鑑で見たモンゴリアン・デス・ワームみたいな色だった。
「…そうか?」
「そうよ!自己管理くらいしっかりやってよね!」
「…すまん」
息も絶え絶えだ。さっきから三文字程度の言葉しか喋っていない。
「もー、どこかで休むわよ」
「不甲斐なくて、申し訳ない…俺から付き添いを申し出たのに…」
「あーはいはい、こんな山の中で熱中症で倒れても私はあんたのこと担げないからね」
私もちょっと疲れてきたし木陰で休むことにした。
そこから少し歩いて地面が平らで座りやすそうな場所を見つけた。大きな木の下に腰を下ろす。ちょっとした広場みたいに、崖の方に背の低い木が柵の代わりに植えてある。その向こう側に小さくなった調味市が見えた。
もうこんなに街が見下ろせるくらいの高さまで登ってきたのね。
ちょっとした達成感で気分が良くなりながら私は鞄から麦茶を取り出して喉をうるおした。
冷房の効いた部屋で飲むカルピスも良いけど山で体を動かした後の麦茶も風情があって美味しく感じる。
徳川も鞄から水筒を出して何か飲んでいた。でも顔は相変わらず赤いままだ。しょうがないわね。
「ほら」
麦わら帽子を脱いで徳川の頭に乗せる。すると奴は驚いたように目を丸くして私を見た。…今の顔はちょっと可愛かった。徳川のくせにムカつく。
「…冷たいな」
「中に保冷剤入れるポッケが付いてんのよ。しばらくかぶってなさい」
「…有難う」
悪い気はしないがあの徳川から聞き慣れない単語が出てきて少し不気味に感じてしまった。
私は徳川から目をそらして街を見下ろした。
小さなビルや建物が夕日の色に染まっている。その色が今飲んでる麦茶みたいな薄茶色で、街が麦茶の底に沈んでるみたいだわと思った。
「…あーぁ、中学最後の夏休みが終わるわね…」
らしくもない感傷的なことを口走ってしまう。
「…徳川は宿題終わったの?」
これも言った瞬間に後悔した。徳川の答えなんて分かりきっているのに、どうして夏休みの決まり文句って言いたくなるのかしら。
「まぁな、七月中には終わらせた。八月は受験勉強とか今日は塾の夏期講習とか色々」
「あーあー、今聞きたくない単語が聞こえたあーあー、聞こえない聞こえない」
呻きながら耳を塞ぐ。やっぱり聞くんじゃなかった。
さっきから調子が狂いっぱなしだ。ツチノコも見つからないのに妙にハイな気分になって普段は言わないようなことを口走ってしまう。
きっとこいつと一緒にいるせいね。
私はちらっと、麦わら帽子をかぶった仏頂面を盗み見た。
涼しい顔をしている。いや、実際に保冷剤に冷やされて涼んでるんだったわ。
それから膝の上に乗っている塩中指定鞄を見た。
ふくらんでいて重そうだわ。でもきっとジュースとかお菓子とかゲーム機なんて物、中に一切入ってないんでしょうね。
「徳川って、ずっと勉強してるわよね」
「ずっとと言うほどでもない。俺より勉強してる奴は沢山いる」
「私から見たら徳川もものすごく勉強してる部類に入るわよ。ねぇ、他に楽しいことしないの?勉強ばかりでつまらなくない?」
「俺は…」
徳川は何か考え込むようにパンパンに詰まった鞄を見下ろして、それから私を見て答えた。
「俺は正しいことしかしたくないんだ」
「………うん?」
それって私が尋ねたことの答えになってるのかしら?もうちょっとわかりやすく言って欲しいわね。
「意地みたいなものだな」
「ははぁ〜ん、なるほどね、意地ね」
意味は分からなくても、一応合いの手としてものすごく適当なことを言って頷いた。すると徳川は察したようでゆっくり噛み砕いて話し出した。
「少し前の俺は、いつだって自分は正しくて、いつだって大事な決断を下せると、驕っていた。そして驕っていることすら自覚していなかった。……神室会長の一件があるまでは」
神室会長。その名前を聞いて数ヶ月前のピリついた空気を思い出した。
学年全体が不良たちを白い目で見ていたり、番長の鬼瓦がげっそりとした顔で部室にいたり。それから、よくわからないうちに私たち脳電部も会長から目をつけられそうになって、『腐った空間だ』とか『それなりの処分』みたいなことを言われ肝を冷やしたけど、これまたよくわからないうちになんとか咎められずに済んだ。
私にとってはそれだけの事だったけれど、徳川にとっては今までの考え方が変わるくらい大きな事件らしい。
「正しいと思っていた一言で親友を傷つけてしまった。正しいことをしていれば全て上手く行くわけではなかった。あの時、副会長の俺はもっと出来たことがあったはずなのに。……なにも、できなかった」
徳川も後悔することがあるのね。正直、驚いた。
「あいつに反省を生かす時だと言ったが、俺もその時なんだ。その為にもっと色んなことを知らなければならない。いつでも『正しく』いる為には、どれだけ学び続けても足りない。むしろ学び続けることが大事なんだ。俺は勉学をつまらないことだと思わない。この地球上に勉強して無駄なことなんて一つもないからな」
どうしよう…。ここまで話してもらったのにあまり理解できなかった。ただ徳川も変わりたくってめちゃくちゃ頑張ってるってことだけは分かった。
「なんというか、興味深い考えね。理解できないし参考にはできないけど」
「暗田の話も興味深かったぞ。俺も理解できなかったが」
「え?私そんな話したかしら」
「ほら、さっきの楽しく楽したいとか、自分が楽しむことが一番大事とか」
「あぁ、あれね」
あんなヘロヘロに赤くなっててもちゃんと聞いてたのね。…いやだわ、ちゃんと私の話を聴いてくれたことを嬉しいと思ってしまった。私は頭を振ってその気持ちを追い出す。
徳川といると調子狂う。やっぱり会った時撒いて一人で山に登ればよかった。
私は水筒の麦茶を飲み干して立ち上がり、両手を上げて全身を伸ばした。久しぶりに良い運動した。明日は筋肉痛になるかも。
「はぁ〜ツチノコも見つからないし、今日はもう帰ろうかしら」
「……明日もこの山に入る気か?」
「さぁね、明日の気分次第だけど。…そういえばあんた」
徳川は何回もこの山に入ることを渋っていた。
こんな子供も虫取りするようなよくある普通の山なのに。
「さっきこの山を『危ない山』だって言ってたけど、それってどういう」
意味なのと続けるはずだった声は出なかった。
すぐそばの草むらからガサリと音がして、ある生き物が現れたからだ。
まずはぬめぬめと茶色く光る鱗が見えた。シマシマの特徴的な模様、蛇の頭、ずんぐりむっくりで立派な太い胴体、ぴょこっとオマケみたいな小さな尻尾、私を見上げるつぶらな瞳。
言いかけていた言葉なんて吹っ飛ぶほどの衝撃が身体中に走る。
それはまさしく。
「いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!ツチノコッッッ!!!!!!!!!!」
私は叫びながら虫あみを掲げて駆け出した。
大声に驚いたのか、ツチノコはバインバインと飛び跳ねながら山奥の方へ逃げる。逃がさないわよ絶対捕まえてやるんだから。
あぁ夢みたい!UMAの本を開けば必ず載ってるあのツチノコが今、現実に、目の前に、存在している。生きてる。すごい、すごいわ!!!
「おい!暗田っ!止まれっ!!!!!」
後ろから徳川の声が聞こえる。ええいうるさい、今はあんたに構っていられないわ。
「待ちなさいツチノコ!!!!!!」
跳ねたツチノコへ何回も虫あみを振り続ける。
中々入らないし捕まらない。
今度こそ!次こそ!
そうやって走り続けていると、急に木々に遮られていた視界がひらけた。
「え?」
同時に踏みしめるはずの地面がなくなる。
あ、これは。
「落ちるっ!?」
何かを掴もうとしてももう遅い。
私の体は走り続けた勢いのまま空中へ飛んだ。
私は上半身だけを後ろにひねってなんとか手を伸ばす。
無理だと分かっててもただ本能的に。
そして徳川と目が合った。
走って追いかけてきたのね。
具合悪かったのに律儀な副会長だこと。
でも遅かったみたい。
伸ばされた徳川の手は届かない。
こうしてみると意外と麦わら帽子が似合うわねと場違いなことを思いながら。
私は崖から落ちた。
※ ※ ※
体が動かない。
でも痛くはない。
動かそうとしても身体中がじわじわと痺れてうまく立ち上がれない。
手足が石みたいに重い。
それでも私は生きてるみたいだ、良かった。
ホッとしたのもつかの間、なにかが這い寄ってくるような音が聞こえた。
ズルズルと音がする方へ確認しようとしても、首すら重くて、やっとの思いで右を向いた。
視界の端にツチノコがのそのそとシャクトリムシみたいに身をくねらせて私の方へ這ってくる。
その様子を私は見ることしかできなかった。
ツチノコは私の目の前まで来ると、蛇そっくりな大口をあんぐりと開ける。
視界いっぱいに、粘膜のピンク色が広がる。
あれ、食べられる?
私食べられそうになってるの?
ツチノコに?
ツチノコって人間食べるのかしら?
それとも、目の前の生き物って本当にツチノコなのかしら?
尖った牙が私の目に刺さりそうになる直前。
ツチノコらしき生き物は何かに弾きとばされた。
代わりに黒い足が目の前に現れる。
誰かしら…。
「勝手に縄張りに入ったのは申し訳なかった。ただ、今回は見逃してもらえないだろうか」
首は動かない。ノイズみたいな耳鳴りで声もよく聞こえない。
徳川かしら、ううん、あんな高い崖からこんなすぐに降りて来られるはずないもの。
「…大事な……校の…生徒……な…だ…………」
音が途切れ途切れになっていく。
あーもうだめ、目の前が真っ暗だわ。
誰かに持ち上げられるような浮遊感を最後に私の意識は途切れた。
※ ※ ※
目覚めて一番に目に入ったのは透明な点滴の袋だった。ドラマでしか見たことがない物に私は思わず声を上げた。
「えっ!?病院!?」
普段の私には縁遠い場所だった。びっくりして出た第一声はそこそこ大きくて、近くにいた看護師さんがギョッとした顔で振り返った。少し恥ずかしい。
窓の外を見ると真っ暗なことにもまた驚いてしまう。時計をみるとすっかり夜の時間だ。
頭に何か巻かれてるのも点滴をうたれるのも初めてだ。
なんでこんなところにいるんだっけ…。
まずはニュースで近所の山にツチノコが出るって聞いて、その山に行ったら徳川につかまって、なぜか二人でツチノコ探しをして。
「そうだ、ツチノコを見つけたのよ。一生懸命追いかけてたら崖から落ちて、それから…それから…」
崖から落ちながら手を伸ばした、夕日に照らされる徳川の手、オレンジ色の手。意外と麦わら帽子が似合っていた。それははっきりと覚えている。
でもその後、落ちてからも意識があったような気がする。何か怖いものを見た気がする。どうしても思い出せない。
ベッド横の棚には私の荷物と虫あみ、それから徳川に貸した麦わら帽子が置いてあった。
うんうんと呻きながら頭に手を当てて思い出そうとしていると、白衣を着た先生とめちゃくちゃ怖い顔をした親が部屋に入ってきた。
「えっと…徳川は」
私の疑問は親の怒号によってかき消された。
結局あの後、親からこってりと絞って絞って絞り尽くされるように怒られ、私は山へ行くのをやめた。というか家から出してもらえなかった。怪我は大したことないのに、なんて親に言うとまた叱られたり泣かれたりするのでおとなしく残りの休みを過ごすしかなかった。
あの山でツチノコを見たんだって会う人全員に話したけれど誰も信じてくれない。テレビ局に情報提供ってことで電話してみたら「もうツチノコネタも飽きられちゃってねー」と愚痴を聞かされただけだった。
※ ※ ※
始業式を迎える前に頭の包帯はとれた。枯れ草がクッションになってて軽い怪我だったから、包帯を巻いたのも大袈裟だと思っていた。
その放課後、徳川のクラスに行こうと足を向けて、やっぱりやめとこうと帰りかけたり、いやでも、とハッキリしない自分にイライラしながらうろついていたら一週間前と同じように廊下でばったり出会ってしまった。
「あ…徳川……」
徳川も特に怪我はなさそうだ。ちょっと安心した。
「もう大丈夫か?」
「え…うん、……意外ね、あんたも私のこと叱りとばすと思ったのに」
「まぁ、その様子だと余程叱られたんだろう。反省しているなら俺から言うことはない」
徳川はそれだけ言うと黙った。私たちの間に妙な沈黙が生まれる。普段のくどくどと長い小言も嫌いだけど、黙ってもらっても耐えられないほど気まずい。
痺れを切らして、私の方からねぇ、とあの日のことを話し出す。
「私を病院に連れてってくれたの、徳川?」
「…お前が落ちた後すぐ救急に電話をかけた。できたのはそれだけだ」
「そう…。あ、あと、崖から落ちた後に何か見たような気がするんだけどよく覚えてないのよね。徳川は上から何か見えた?」
「……何も」
なんだか妙だ。
変に顔をそらされている。まるで嘘ついてるみたいじゃない。
「ねぇ、あの時ツチノコいたわよね、絶対」
「いいや、見なかったし居なかった」
そっぽを向かれたまま否定されてムカッときた。私は徳川の視線の先に回り込んで睨み上げた。
「なんでそんな嘘つくのよ!一緒に見たじゃない!」
「あれはただの蛇だったし暗田の見間違いだ」
「でも」
「だから」
グッと顔を近づけて、徳川は私を睨み返す。
怖い顔だわ、圧倒されて後ずさりしてしまう。
でも、この顔よりも怖いことがあの山であった気がする。どうしても思い出せないけど。
「だからあの山にはもう行くな」
鬼みたいな顔をしたかと思えば、急にスンと困った顔になった。私の右頬をじっと見ている。そういえば木の枝で引っ掻いたようなかさぶたが右頬にできていた。今朝痒くて掻いてたらお母さんから叱られたっけ。
「……すまない」
「なんであんたが謝るのよ」
「頭ごなしに山へ入るなと止めなくても、俺がついていれば大丈夫だろうと慢心していた。俺がもっとしっかりしていれば暗田も怪我せずにすんだ」
「あ、あんたのせいじゃないし!それにこんなの怪我のうちに入らないわよ!ナメないでよね」
「……」
徳川が困った顔のまま私を見つめる。
もし、あの時。
一人だったらと思うとゾッとしてしまう。
徳川がいなかったら、私は今もまだ山で倒れたままなのかもしれない。
ナメてたのは私の方だったのね。
楽観主義なのも勢い任せの行き当たりばったりなのも辞めるつもりはないけれど、もうちょっと気をつけた方が良いのかも。
私は眉間に寄せたシワを解いてうつむいた。
「…ごめん。……迷惑かけたわね」
「……ふ」
「なに笑ってんのよ。こっちはちゃんと反省してんのよ」
「いや、暗田らしくないなと思って」
「ふん、悪かったわね」
嫌味のつもりで言った。
「悪くはないと俺は思うぞ」
徳川がそう言ったって、これは私らしくない。反省するのは良いことだけどしなびたように落ち込むのは楽しくないもの。
どんどん切り替えていかなくちゃ。
「今後しばらくはみんなとテレパシーの修行に勤しむことにするわ」
「あぁ、そうしてくれ」
じゃあなと言って徳川は生徒会室の方へ行こうとして、急に何かを思い出したかのように振り返った。
「ところでお前の担任がボヤいてたぞ」
「え、なにを?」
「暗田だけ自由研究の提出がされていないとか」
「…………」
「ツチノコの代わりに何か別の自由研究でもしたのか?」
「…………」
「…まさかやっていない、とかないだろうな?」
「…………」
「…………」
「……………てへっ」
「てへっじゃない!!!!全く、明日にでも提出するか無理そうなら補習を受け…おいどこに行くんだ暗田ァ!逃げるんじゃない!!!!!!」
今度こそ徳川を撒こうという気持ちで放課後の校内を全力疾走する。
背後でどんどん小さくなっていく徳川の声に優越感を感じたり少しだけ寂しく感じたり不思議な気分になりながら、私の中学最後の夏休みは終わった。
あれからあの山には入っていない。
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