よるはこ
2024-02-22 20:23:50
10218文字
Public mp100 徳神
 

【徳神】つきそわれる話

ハロウィン徳神2018に2000文字追加した2023版
新神室と旧神室が二人に分裂してもなんとかする徳川の話。

 日直の仕事が思ったより長引いてしまい、やっと終えた頃には生徒会の仕事が始まっていた。
  俺は誰もいない夕暮れの廊下を一人、早足で体育館へ向かう。

 今年の十月三十一日から、生徒会主催のもと放課後ハロウィンイベントをすることになった。昨年は生徒同士が好き勝手に部室棟へ集まり過激な仮装や物々交換をする等とんでもない騒ぎになった。
  仮装自体を禁止にするかという話し合いのさなか、「最近ハロウィンブームだし禁止にするより主催してみんなで簡単なイベントやっちゃおうよ」と言い出したのは神室生徒会長だった。
 この大胆な試みの前評判は上々のようだ。誰もが明るい笑顔で神室生徒会長に対する肯定的な噂を口にしていた。

  神室は本当に柔軟になった。
  先日、俺から交際を申し込んだ時もまさか受け入れてくれるとは思わなかった。
 あの事件が起きて神室が学校に来なくなってから、俺はずっと考えていた。もっと上手く立ち回って神室のことを止められたのではないか、事件を未然に防げたのではないか。
 内申点をチラつかせて共犯に誘われた時に突き放してしまったことを後悔していた。結局、俺は蚊帳の外のまま、神室は外見も内面も劇的な変貌を遂げて立ち直った。神室に何が起こったのか、俺は少しも知らない。それがとても悔しかった。

  神室のことは一年の時からずっと好きだった。俺が今まで会った誰よりも努力家だった。俺の四角四面で融通が利かない所も長所だと言ってくれた。共に生徒会に入った時「一緒にみんなが過ごしやすい学校にしていこう、徳川」と言って笑い合った時から、今までずっと。
 これからはちゃんと、一番近くで支えていたい。
  そう思い、勇気を振り絞って伝えた告白はあっさりと了承された。
神室っその、俺は、お前のことが、好き……………なんだが、その、つ、つ」
「うん、僕も徳川のこと好き。付き合っちゃおうか」
 軽薄でもあるこの返事で神室は俺の、俺は神室の交際者となった。

 そんなことを思い出しながら一階の渡り廊下を急ぎ足で歩いていると、なにやら形容し難い胸騒ぎがした。
 ふと足を止めてしまう。
 辺りを見渡しても、誰一人姿は見えないし声も聞こえない。だが中庭の、特に陽の当たらない隅の方から、何か湿っぽく悲しげな、そしてどこか懐かしい気配を感じた。
 正直構っている時間はなかったが気にしないふりをするには、その気配はあまりに強すぎた。
 確認するだけしてみようと、俺は上履きのまま中庭へ足を踏み入れた。



  中庭の隅には打ち捨てられた花壇がいくつかある。
 数年前、ここが園芸部の敷地だったらしいが、新校舎が建てられてから日当たりが悪くなり別の場所へ活動を移した。残された古い花壇からは名前の分からない植物が好き放題に伸びている。
 その花壇と花壇の隙間の影に、神室が膝を抱えて座っていた。
  神室、と呼んでいいのかどうか迷った。
 そこで座り込んでいる神室は、顔はくたびれ、深いクマと皺がきざまれている。髪はゆるやかな波の形に伸びている。
 数ヶ月前、劣等感と無力感、そして錯覚した充足感の頂点にいた神室が、ぼんやりと虚空を眺めて三角座りをしていた。
 そして驚いたことに、身体が半分透けていた。
「お前、神室なのか?」
  俺に見られていると気付いた神室に似た幽霊は恥ずかしがるように顔を隠した。透き通る指の隙間から口が動くのが見える。何か喋っているようだが声も透明で全く聞き取れない。
「おい大丈夫か?」
 肩を掴もうと手を伸ばすが、スッと俺の手は身体を通り抜けた。実体はないようだ。ひんやりと少し冷たいだけで煙や霧のような手応えのなさだ。
 神室の姿をしているがコイツは一体何者だろうか。幽霊だろうか。良くないものなのだろうか。
 相変わらず卑屈そうな顔で膝を抱えて俺を見上げている。その表情は大掃除を決行する直前の神室そのもので懐かしいとすら思った。
 嫌な感じはしないのだがと思案していると、不意に後ろから声が聞こえた。

「Trick or Treat」

 振り返ると夕陽の差す中庭に白いシーツを被った男子生徒が立っていた。体をすっぽり覆う大きな白い布に目にあたる部分に穴が空いている。よくある幽霊の仮装だ。声で大体分かったが、一応確認の為に先ほどと同じ言葉を言った。
「神室か?」
「ふふふ〜おばけだぞ〜、なんちゃってね」
 びっくりした?と笑いながら神室はシーツを脱いだ。手には鬼の角を模したカチューシャを持っている。俺が鬼の仮装をすることは事前に決めていた。わざわざ持ってきてくれたのだろう。
 仮装を脱いだ神室は爽やかで健やかで明るく、楽しげな笑顔をたたえていた。
 勿論だが身体は透けていない。
「ねぇ、こんなとこでなにしてるの。もう他の生徒会メンバー全員ハロウィンイベントの仕事してるから、徳川も早く来て手伝ってよ」
 呆れたように言いながら透けていない方の神室はまた幽霊のシーツを被る。夕陽色に染まった綺麗な布がひらひらとなびく。
「なぁ神室、俺のことをおかしく思うかもしれないが聞いてくれ。ここにもう一人のお前が」
「そうだね、いるね」
 あまりにもあっさりとした返答に面食らった。
「だってそこに古い僕を捨てたの僕だもの」
「捨てた?なんで捨てたんだ」
「いらないからに決まってるだろ、誰からも愛されなくて透明になった僕なんていらない。だから捨てた」
  幽霊の仮装をした神室はシーツの裾をひるがえしながらこちらへ歩み寄る。
 二つの穴からゴミを見るような神室の視線が、半透明で幽霊の神室へ注がれる。
「それは悪霊だよ徳川。十月三十一日はそういうよくないものの気配が強くなる日なんだって。そいつ、捨てた時からずっとそこにいたけど今まで気づかなかっただろ。今更、見えるようになったからって構うなよ、ほっといたら?」
 神室は深く長く溜息をつくと恐ろしいほど低い声で幽霊に話しかけ始めた。いや、一方的な罵倒に近かった。

「ていうかお前さ、なんでまだいるの?はぁ?そんなことありえないだろ。半分透けてるくせに、早く消えなよ」
「努力したって何も出来ないくせに」
「嘘つくくらいしか能がないくせに」
「膝を抱えることしかできないくせに」
「誰からも愛されなかったくせに」
「回収されない粗大ゴミのくせに」
「透明な悪霊のくせに」
「消える勇気すらないなら、僕が踏み潰してやる」

 幽霊の神室は肩を震わせて怯えている。
 一方の神室は暴力を振るおうとしている。
 俺は無理矢理、二人の間に入った。
 もう神室が加害者になるのも、被害者になるのも、それを見過ごしてしまうのも、俺は嫌だった。
「もうやめろ」
「なに徳川、そいつのことかばうの?僕のこと好きなのに
「あぁそうだ。俺はお前が好きだ、神室真司が好きだ、俺の後ろにいるこいつも、目の前のお前も、同じ神室なら同じ様に好きだ。だから、そんなことを言うなんて許さない。それに」
 俺は何をしているのだろう。目の前の神室のことを一番に支えたいと思っているのに、何故その神室とまた対峙しているのだろう。
 だが、やはり俺は俺が正しいと思っていることをせずにはいられなかった。
「それに、お前をいらないと思ったことは、俺は一度もない。今まで一度だってない」
 幽霊の仮装をした神室の顔はよく見えない。見えないが、残念だよとでも言いたげな空気はヒリヒリと感じた。
「へぇ、そいつのこと、キミは『浅い』なんて言ってたくせに」
「それは」
「ううん、徳川はいつだって正しいからね。分かったよ、じゃあその浅慮で愚か者のそいつはキミにあげる。せいぜいずっと背負ってるがいいさ」
 シーツのわずかな穴から見えた目はクッと細められた。
 それが笑顔の表情なのか侮蔑の表情なのかそれとも別の表情なのか、俺には分からなかった。
 その視線の先を追う。
 俺の左肩。
 いつの間にか幽霊の神室が寄り添うように背後に立ち、俺を見上げていた。



  体育館への廊下を神室、俺、幽霊の神室の三人で歩いていた。
 正確に言うと幽霊の神室はふわふわ浮いて俺の肩についていたので廊下には二人分の足音が響く。
 ずっと背負っていろとはどう言う事だろう。幽霊の神室を見ても意思が希薄な表情で俺を見つめ返すばかりで、それでいて俺の肩から離れなかった。前を歩く神室は背中から今は話しかけないで欲しい空気をシーツ越しに放っていた。
 体育館に近づくにつれ、中から漏れる学生たちの歓声が大きくなる。
「盛り上がってるね〜、企画立案者としては嬉しい限りだよ」
 扉を開けようとして、あっそうだ!と言って神室は振り返った。
「徳川の角カチューシャ付けなきゃ!しゃがんで」
 さっきの事など全部無かったような屈託のない声だ。少し白々しい。
「いや、自分でつけ」
「しゃがんで」
「自ぶ」
「しゃがんで」
 有無を言わせない圧の強さだ。普段は散々俺の圧がどうとか言うくせに。仕方なく神室との身長差分しゃがむ。
瞬間、視界がシーツの白に覆われた。
「なっ!?」
 シーツがはためく音がして何かを企むように笑う神室がすぐ目の前に現れた。首を締める勢いで抱きつかれて、かすめるようなキスをされる。二人でシーツを被っているせいか中の空気はぬるく薄かった。
……おい、公共の場だぞ」
「イタズラ、さっきTrick or Treatって言ったのにお菓子くれなかったもんね〜」
 神室はクスクス楽しそうに笑いながら俺の左肩に顎を乗せ、
「お前には絶対渡さない」
 嫌悪と憎悪を剥き出しにして俺の耳元で囁いた。それは俺に対してではなく俺の後ろについている幽霊の神室にしての言葉だろう。幽霊を俺にやると言ったりそのくせ幽霊には俺を渡さないと言ったり忙しないやつだ。
 神室は見せつけるように俺に頬擦りしてから腕を離した。同時にシーツのするりと擦れる音が、やけに耳についた。
「この神室もお前だろう」
「だから違うって、そいつは僕じゃない。ずっと背負っていれば徳川もきっとそいつのこと嫌になる。ほら、早く行こう」
 いつの間にか頭に装着されていた角カチューシャを整えながら、ちらりと後ろを振り向く。
 やはり幽霊の神室は感情が希薄な顔をして、そして俺の肩から絶対に離れなかった。



  ハロウィンイベントはつつがなく終了した。
 後片付けは遅刻してきた俺と塾のない役員数名が担当することになり、神室は塾があったのでイベント終了と同時にはやばやと帰っていった。脱いだ幽霊の仮装を俺に渡して「それじゃあ後片付けよろしく、また明日ね、副会長」と手を振ると同時に俺の左肩へ睨みをきかせながら。
 後片付け中、影山に幽霊の神室を除霊されかけたりもしたが(影山の目からは黒いモヤみたいに見えたらしい)丁重に断り、なんとか家に帰り着いた。
 もし家族にも幽霊の神室が見えてしまったらどうしようか、驚かせてしまうだろうか等考えていたが、背中に神室をくっつけたまま「ただいま」と言っても、いたって普通の「おかえり〜」が返ってきたから多分大丈夫なのだろう。
 自室のベッドに座り一息つく。幽霊の神室は相変わらず背中に憑いたままだ。
 改めてじっくりと見る。屋外では夕陽の色に負けていたが、室内だと身体が白灰色に淡く光っている。やわらかそうな可愛らしい色だと思った。
「あの神室はお前のことをだいぶ嫌っているが、なぁ、お前はどうしたいんだ?」
 幽霊の神室に問い掛ける。
「ずっと俺の背中に憑いていたいか?あの神室の体に戻りたいか?それとも……
 消えたいか、と言おうとして胸が苦しくなり止めた。中庭で神室に消えろと言われた時、あんなに怯えていたんだ。きっとこの神室にも何かやり遂げたいことがあるはずだ。
……俺が、お前の為にできることはあるんだろうか」
 ぼんやりとした表情のまま神室の口は動くがやはり声は透明だ。俺には聞き取れなかった。
「すまない、俺にはお前の声を聞くことはできないみたいだ」
 幽霊の神室はとくにショックを受けた様子もなく、またそっと口を閉じた。霊感やテレパシーとかいう非科学的なものは信じたことはなかったが、今この瞬間ほど欲しいと思ったことはない。以前、暗田たちの部活動を馬鹿にしたことを少し反省した。
 しかし、今そんなことを考えても仕方がない。俺は部屋着に着替えようと学ランのボタンを外して、そこであることに気が付いた。
神室、その、着替えやトイレや風呂の時にはあまり見ないでほしいんだが……
 俺の背後にいる幽霊の神室は緩慢な動きで自分の両手を目に当てた。が、その手は透けている上に目はバッチリ開いている。見ているじゃないか。
 いや、俺から見たら透けているだけで神室の視点からはちゃんと塞いでいるつもりなのだろうか。霊体の仕組みなど俺は何も知らない。色々考えたが、まぁ神室になら見られても別にいいかという結論に至った。
 いつもと同じように俺は学ランを脱いで部屋着に着替えた。



  結局、幽霊の神室は夕食の時も風呂の時もトイレの時も片時も俺の側を離れなかった。正直落ち着かなかったが、それほど嫌でもなかった。
 夜も深まり、俺は寝る支度を整えて日課の試験勉強をし始める。勿論だが集中できない。シャープペンも参考書もノートも机に放り出して俺の部屋をぷかぷかと浮かぶ神室を眺めた。
 この姿の神室を見ていると否応無しに数ヶ月前のことを思い出す。
 あの頃の神室は、顔はへらへらと笑っていたが目が濁っていて、無理をしていると感じていた。度重なる睡眠不足で目のクマは濃くなるばかりだった。家庭環境が劣悪なことも聞いていた。それでも家族に認めてもらえる結果を出そうと頑張っていた。
 努力に努力を重ねて、それでも届かないものに手を伸ばそうと他人を利用して、他人を傷つけて、それを誰からも正されることなく、顔にひどい怪我を負ったと思えば学校に来なくなった。
「神室は何故切り捨てるほどお前が嫌いなんだろうか、間違ったことをしたって頑張っていたんだ。それに、どうしたってお前も神室の一部なのに」
 神室はこの幽霊を俺の背中に憑けて嫌って欲しいのだろうが、嫌いになれるわけがなかった。俺だって神室のことを正せなかった内の一人で、今も神室の気持ちが分からなくて困っている。

───誰からも愛されなかったくせに

 ふと、幽霊の仮装をした神室が中庭で言い放った言葉を思い出した。あの時は上手く反論できなかったが、俺はずっと前から神室のことが好きだ。先日の告白で伝えなかっただろうか。
 あの日、告白した時のことをじっくりと思い返す。

─── 神室っその、俺は、お前のことが、好き……………なんだが、その、つ、つ

 ガチガチに緊張しすぎて全く伝えきれていないじゃないか。己のヘタレな部分を改めて認識してしまい眉間に皺が寄る。
 もしかして、神室は今の姿と性格になったから俺に好かれたと勘違いしているのだろうか。
 あの神室も、それに目の前にいる幽霊の神室も。
 なら、きちんと訂正しなければ。
 告白をやり直さなければならない。
「なぁ、神室」
 天井を眺めていた幽霊の神室はゆっくりと俺を見た。二度目の告白は随分と落ち着いて言えた。

「好きだ」
「神室、お前は知らなかったかもしれないが、その姿の時よりずっと前から、俺はお前が好きだ」
「一年の時、俺の真面目すぎるところや融通の利かないところも良いところだと言ってくれて嬉しかった」
「生徒会に入って一緒にみんなが過ごしやすい学校にしようと言った時から好きだ」
「お前は俺が今まで出会った人間の中で一番の努力家だ。尊敬する」
「俺はお前が辛かった時に何もしてやれなかったすまなかった
「だからこれからはちゃんと、一番近くで、お前のことを支えたい」
「好きなんだ神室、俺と、付き合って欲しい」

  今まで何を言っても何をしてもずっと眠たげだった神室の目がみるみる見開かれていく。
 その両眼からポロポロと涙が溢れ出した。
 ずっと希薄だった感情が爆発するように、後から後から透明な液体が流れ出す。涙も透明だった。頬から流れ落ちた跡に水の染みすら出来なかった。
 幽霊の神室の泣き濡れた顔がふわりと俺に近づく。
 唇にひやりとした空気が触れた瞬間、神室は消えた。
 風に吹かれた煙のように、跡形もなく。
 いつでも部屋に満ちていた神室の気配が今はかけらも感じられない。
 ふと、部屋の時計を見ると真夜中の十二時を過ぎている。
 十月三十一日はいつの間にか終わってしまった。幽霊は残り香さえもなかった。



※ ※ ※


 真夜中、自室で参考書と睨めっこをしていると、不意に背後から嫌な気配がして振り向いた。そこには透明な昔の自分が浮かんでいて、僕は眉間に嫌悪の皺を寄せ、
「あ、もう徳川に捨てられたんだ」
 と、吐き捨てるように言った。僕は予想が当たっていた気持ちと当たって欲しくなかった気持ちの間に揉まれながら負の感情に飲み込まれないために、怒涛の勢いのまましゃべった。
「やっぱり、やっぱりそうだった」
「お前は無価値だったんだ」
「ゴミだったんだ」
「誰からも愛されなかった」
「燃やされてしまえばいいいんだお前なんか」
「場所ばかりとってないで消えれば良かったんだ」
「居なくなればせいせいする存在なんだ」
「僕は正しかったんだ!!」
 最後はほとんど叫んでしまい、大声を出し慣れていない僕は息が切れた。結局、感情に流されまくって苦しくなった胸を手で押さえて、愚かで愛されなかったあいつを睨む。おかしい。
 奴は堂々と立っていた。少し前なら僕に要らないと睨まれただけでずっと花壇の隅にうずくまっていた癖に。
 奴はこちらへ近づいてくる。
 息も絶え絶えになりながらも僕は手元にあったゴミ袋を投げつけた。
「く、来るな!」
 奴は透明だからもちろんゴミ袋はすり抜けていく。距離は縮まりつづけ、僕のすぐ目の前に立ち、おもむろに頭を下げた。

───ごめん

………は?」
 聞き間違いかと思った。恨むとか殺すとか。でもどっちも頭下げて言う言葉じゃない。
「なに、謝ってるんだよ」
───ずっと怖がってた キミのこと キミは僕なのに
「違う!お前は僕じゃない!お前みたいな浅はかな奴!!もう捨てたんだ、だから」

───キミも僕を怖がらないでよ

 僕は何も言えなくなってしまった。そうだ、怖かった。いくら努力してもどうしようもないことを知った。痛いほど思い知った。今度こそ変わるのなら、努力以上にこうやって、己を切り捨てて誰の目にも届かない場所に捨ててやったんだ。
 なのに、徳川に見つかってしまった。なんで今更、僕を見つけてくれるんだよ。
 花壇の隅でずっと愛されたいと呟いていた幽霊の僕はまっすぐ僕を見つめている。それがまるで徳川みたいで僕はうめきながら呟く。
「お前と今の僕が地続きだなんて吐き気がする」
───うん
「お前とまた一緒になったら僕はまた同じ間違いをするよ」
───うん
「せっかく、今の僕になってやっと徳川に好きって言ってもらえたのに」
───それは

 幽霊の僕は何かを言いかけて、少し思案したあと ニヤリと太々しく笑ってこう言った。

───ぼくのこと嫌いなままでいいよ

───でも捨てないで欲しいし受け入れて欲しい

───僕だって愛されてたんだから

 誰に、なんてそんなの愚問だ。幽霊の僕がどこから帰ってきたかなんて分かりきってる。
 徳川光。
 へにゃへにゃの顔でどもりまくる告白をしてくれた。あれは面白かったな。絶対に走馬灯でまた見ると思う。でも、心のどこかで浅い僕も愛して欲しかったなって願っていた。まさか本当に?信じていいのだろうか。
 目の前の僕がニヤつきながらもまっすぐ僕を見ていて、心の奥底が繋がっている心地がする。それが少し不快でもあり、同時にとても安心した。
 僕は幽霊の僕を抱きしめようと震える腕を広げ、昔の愚かで浅はかでそれでも愛されていた自分を受け入れた。

「すごく怖い」
───うん
「僕は僕のことが信用できないし許せない」
───大丈夫だ
「無責任なことを言うなよ」
───自分が信用できないなら そのぶん徳川を信用したらいいんじゃない
「それってズルくないか?」
───ちょっとくらいズルくてもいいよ いままで頑張ってきたんだから
「いいのかな」
───いいよ

 幽霊の僕が、僕の中に戻る。僕の中の欠けていた部分が埋まって、あふれて、にごっていく。昔の映画のように音のない映像が頭に流れ込んできた。

 花壇の隅で何度も朝日と夕日を眺め続けていたこと。
 徳川が見つけてくれたこと。
 僕に軽蔑されてたこと。
 徳川にぷかぷかくっついていたこと。
 徳川の家で徳川の風呂やらトイレやらプライベートなところをしっかり見ていたこと。
 最後は徳川の顔が間近に迫って幽霊の記憶は終わった。
 僕は長い長いため息をついて、
「徳川のプライベートなところ見過ぎだろ、僕
 意志の薄い幽霊になっても見たいところを見ている己のムッツリさに辟易としながら、嫌な顔一つしていなかった徳川を思って泣いた。



 十一月の霧で全てのものがぼんやりしている通学路の先に見慣れた背中が現れた。それが徳川だと分かった瞬間、僕は泣きそうになって慌てて目蓋をグッと閉じる。
 僕は徳川におはようを言う権利があるのだろうか、とためらう情けない気持ちが涙腺をゆるませる。
 昨日は怒りと嫉妬にまかせて色々言ってしまった。嫌われたって仕方がない。湿っぽい空気の中で口の中が渇いていく。
 怖気ついては駄目だ。
 彼を信じないといけない。愛されたのなら愛さなければ。
 僕は目を開ける。
 丁寧に息を吸って、徳川の背中へ駆け出した。


※ ※ ※



  次の日の朝、目覚めて部屋を見渡してもやはり幽霊の神室は居なかった。今日は朝の生徒会ミーティングがある。今度は文化祭についてだ。
 朝早く家を出て通学路を歩く。秋の朝霧がまるで幽霊みたいで昨晩の神室のことを思い出していると後ろから声をかけられた。
「オハヨー徳川」
  振り返ると幽霊じゃない方の神室が曲がり角から走って俺の隣に立った。昨日より少し疲れたような顔をしている。俺もおはようと返した。
「ねぇ、あいつに何したの?」
 昨日のように棘のある言い方ではなかった。
お前と同じように接しただけだ」
 へぇと言ったきり神室は黙った。こちらの神室にもちゃんと告白をしようと思っていたが何らや言いたげな雰囲気だったので、俺はなんとなく黙って神室の言葉を待った。誰も居ない通学路にジャリジャリと足音だけが響く。
 しばらくして、ゆっくりと神室が話し出した。
「あいつあの頃の僕、帰ってきたんだ。昨日の夜中に」
 表情や声からは嫌悪も憎悪も抜け落ちていた。ただ昔を懐かしむように昨日のことを話す。
「自分のことが嫌いでも僕のことを受け入れて欲しいって、捨てないで欲しいって、こんな僕でも愛してくれる人がいたんだからって、言ってさ。図々しいよね全く」
  まぁ僕だから当然かと自嘲ぎみに笑って肩をすくめた。しかし、その笑みはすぐに消えて、神妙な面持ちになる。神室は立ち止まった。神室は真っ直ぐ俺を見据える。
「ねぇ、徳川。僕のこと、軽蔑したかい?またこんなに、間違ったことして、都合の悪い自分を捨てて無かったことにしたり、自分に嫉妬したり、見苦しいことしてる、僕を
 覚悟したように話し出したくせに語尾は小さくなり、迷い子のような顔になった。俯きかけていたその顔を俺は両手で挟んで持ち上げる。霧を浴びてしっとりとした頬は手触りがとても良い。濡れて乱れた前髪を払って、俺も神室を見据える。
「いや、お前はお前で必死に足掻いていたのに、それを正しいことばかり言って切り捨ててしまった俺も傲慢だった。もっと、もっと俺は」
 途中で神室に遮られる。微笑んだ両眼が潤んでいるのも霧のせいだろうか。
「ありがとう、徳川」

「今の僕のことも、あの頃の僕のことも、好きでいてくれてありがとう。だから僕は、自分のことをちゃんと好きでいられる。本当にありがとう。徳川だって、僕が好きなそのままの徳川でいて欲しいな」

 そう言って神室はにやっと笑った。昨日までの爽やかで健やかで明るい笑顔とは少し違う、目の奥が少し濁った、懐かしい笑顔だった。
「ハロウィンの次は文化祭だよ、生徒会のお仕事頑張ろうね」
「あぁ」
 俺の正しいだけの愛し方でも神室を救うことができるだろうか。
 その答えは日常を積み重ねた、この先の人生で分かるだろう。
 朝陽が霧を貫いて俺たちに降りかかる。眩しさに目を細めながら、神室と二人、秋の通学路を歩いた。