よるはこ
2024-02-22 16:35:27
10317文字
Public mp100 徳神
 

【徳神】短編集一

徳神お題「雷」「十五夜」「身長」「水族館」「世界」 他
SF(少し不思議)話多め。神室がよく死ぬ。

   【曹達水の話】


もうすっかり日の暮れた星の夜道を神室と二人で帰っていた。
「徳川は知ってる?月の光を蒸留するとお酒ができるんだって」
「それは知らなかったな。神室の通っている塾ではそんな事も教えてくれるのか」
「まあね」
「じゃあ、星の光では何ができるんだ」
「星の光ではお酒はできないんだ。月の光が少しでも入るとそれは月のお酒になってしまうらしい。代わりに曹達水ができるんだよ」
そう言って神室は通りがかった自販機でペットボトルの水を買い、石を拾うと空に向かって勢いよく投げた。
カツーンと硬い音が夜空に響き、星が垂直の線を描いて落ちてきた。
「すごいな。一発だ」
「これだけ星があるんだから適当に投げたってどれかに当たるよ」
石に当たって落ちた星は淡い青色に光って街路樹に引っかかっていた。
神室はそれを掴むとペットボトルの中へ落とした。
星は水に触れるとしゅわりと音を立て、花火のようにちかちかと明滅し始めた。
きれいな青の光やはじける泡の音に口元がゆるむ。
やがて星が溶けて消えるまで神室と眺め続けていた。




   ※   ※   ※



   【焼身自殺の話】


生徒会の仕事でグラウンドにいる運動部に聞き取り調査をした帰りのことだ。
テニスコートの横を通って校舎へ入ろうとした時、いきなり神室が騒ぎ立てた。
「月が追いかけてきてる!」
空をちらりと見上げる。
雲一つない放課後の青空にぼんやりと幽霊のような青白い月が浮かんでいた。
溜息交じりに疲れているらしい神室の妄言を流した。
「月は追いかけてくるものだろう」
「違うよ徳川!本当にあっ!」
神室は空を見上げつつ駆け出した。
「校舎の裏に落ちたよ!」
瞬く間に小さくなっていった背中に飽きれた俺は校舎に入ろうとした。
そこでふと、教師から校舎裏の焼却炉の点検を頼まれていたことを思い出した。
とても不本意ながら神室の背中を追う形になった。
月を追いかけていたはずの神室は焼却炉の前で途方に暮れたように立っていた。
焼却炉は稼働している。中から低い呻き声が聞こえ、鉄の扉ががたがたと動いている。
「中に何かいるのか!?」
「月が入っていったんだ。止めたんだけどどうしてもって聞かなくって」
やがて煙が上がってきた。普通の煙ではない。真珠色で虹の光沢があるビロードのような煙が上がった。
しばらくして中のモノが燃え尽きたのか、呻き声も鉄の扉が動くこともなくなった。
変な色の煙は上がり続け、その先の青空の中でまるく固まっていく。
そうして月ができた。
心なしか先ほど見上げた時より小さいような気がした。
「月でも、死んでしまいたいことがあるんだね」
月を見上げた神室がぽつりと言う。その言葉にどう返せばいいのか分からなかった俺は黙ってしまった。
そのまま神室の言葉は独り言になった。
点検を頼んできた教師に焼却炉の火力が弱くなっていると報告した。
明日にも業者が修理に来るらしい。月が燃え尽きて無くなる日も近いだろうと俺は思った。
それから一ヶ月後、満月が真昼に出ていた日に校舎裏の焼却炉から神室の骨が出てきた。
何かを抱きしめるようにして燃えていたこと、その日から月が昇らなくなったことから月と心中したらしい。
真珠の粉にまみれた神室の骨を見て、あの時の言葉を独り言にしてしまったことを俺は強く後悔した。




   ※   ※   ※



   【生垣の向こう側の話】


生垣が続く夜道を歩いていた。塾の帰りはいつもここを通る。
もうすぐ花の咲く時期なのか鈴なりになった固い蕾たちを見ながら歩いていると、生垣の向こう側から頭が出ているのに気が付いた。
それはよく見知った七三の頭だったので思わず声をかけてしまった。
「あれ?徳川じゃないか。徳川の家ってここだったの?知らなかったなぁ」
すぐそこに居る筈の、薄明るい街灯に照らされている頭は微動だにしなかった。
「徳川?」
綺麗に刈り揃えられた樹木の向こう側から髪と額と眉が見える。
品行方正の権化のような髪型。白くてなめらかな額。細く整った眉。
どう見ても徳川だ。でも喋りかけているのに反応がない。
もしかして人違いだろうか。間違えたにしても違いますという否定もない。
もう一度だけ名前を呼んでみようと思った。
「と」
ガサガサと葉と枝が擦れる音がして生垣から手が生えた。
それは人差し指で僕の唇を押さえ、名前は最後まで呼べなかった。
学ランの腕と学校で毎日目にする徳川の右手だ。間違いない、生垣の向こうにいるのは徳川だ。
確信と同時にどこか違うとも僕は思った。
いつもの徳川は薄荷のような匂いがするけれど、この右手からは甘い花のような匂いがする。
どこか懐かしい匂いだ。どこで嗅いだ香りだろう。
僕は思い出そうと頭の記憶を辿る。その間に右手は僕の唇から顎をなぞると喉へ指を這わせた。
首なんか掴んで、一体何をするつもりなのだろう。
よく分からなかった僕はゆるゆると力を込めてくる右手に向かって話しかけた。
「良い匂いだね」
首に添えられた右手はぴくりと引きつったように固まった。
初めて僕の声に反応してくれた。生垣越しの声は聞こえなかったのだろうか。
そう思っていると徳川の右手は出てきた時と同じように、またガサガサと音を立てて生垣の向こうへ引っ込んでしまった。
締められた首を撫でつつ、辺りを見渡す。あの頭も、右手も、どこにもいなかった。
代わりに右手が生えてきた場所にぽつんと、一輪の花が咲いていた。
黄色い花芯に鼻を近づけるとさっきの右手と同じ匂いがした。
「キミだったのか」
先ほど彼がそうしたように、僕は人差し指で紅色の花をつついた。




   ※   ※   ※



   【紫陽花畑の話】


雨の通学路を歩いていると紫陽花畑の前で神室が困ったように立ち尽くしていた。
傘も差さず、雨に晒されて頭から足先までぐっしょりと濡れている。
ぼんやりとした顔の神室を傘の中へ入れ、声をかけた。
「どうしたんだ神室、ずぶ濡れじゃないか」
神室は俺を見ると口をぱくぱくと動かして学ランの袖を引っ張った。声が出ないらしい。
引かれるがまま紫陽花畑の中へ入る。
怪談では連れて行かれた先の紫陽花の根元に神室の死体が埋まっているのがお決まりだ。
目の前の無口な神室は本物の神室だろうか。
疑いを持ったまま薄暗い夕方の中、雨に濡れて発光する花の隙間を歩いた。
そうして目的の場所にたどり着いたのか立ち止まった神室は紫陽花の根本、ではなく紫陽花そのものを指差した。
小ぶりな一房の紫陽花を手折ってくれ、と身振り手振りで伝えてきた。
意味が分からなかったがとりあえず言われて通りにその花を手折った。
「これでいいのか?」
花弁に付いていた水滴を払いつつ神室を見る。まるで帽子を脱ぐかのように頭蓋を開けていた。
中身に脳はなく、枯れてカサカサになった紫陽花が代わりに入っていた。
何が起きているのかさっぱり分からなかったが、枯れた花を摘まんで取り出し手折ったばかりの瑞々しい紫陽花をそっと入れた。
急に神室は流暢に喋りだした。
「いや~ありがとう徳川。喋るところから枯れちゃって困ってたんだよね。キミが通りかかってくれて助かったよ」
そうしてまた帽子をかぶるような手軽さで頭に蓋をした。
「全身雨に濡れて流石に寒いなぁ。早く帰るとするよ。じゃあ、また明日」
言うだけ言うと神室はさっさと紫陽花畑を抜けて帰っていった。
残された俺は手元の神室の脳だったものをまじまじと見た。
こんなにくしゃくしゃに枯れていても俺のことを憶えていてくれたのはとても嬉しいと思った。
大事に家に持って帰ろうと思ったがうっかり雨の滴を落としてしまい、それは脆くも砂のように崩れ去ってしまった。




   ※   ※   ※



徳神お題「雷」

   【虹を殺してしまった話】


徳川と下校している途中、夕立に降られてしまい高架橋の下で雨宿りをしていた。
雷鳴と大粒の雨が叩きつけられる音がひどくうるさくてろくに会話も出来ず、各々単語帳を見たり参考書を読んだりして雨がやむのを待っていた。
唸るような雷鳴が続くなと思っていた矢先、白い閃光が走り、空気と地面が揺れるような轟音が鳴り響いた。
それを最後にやっと雨の勢いが弱くなり、雲の切れ目から日が差した。
「あーびっくりした
「近くに雷が落ちたな」
「うんねぇ徳川、ちょっと見に行ってみようよ」
雷が落ちたのはすぐそこの小さな神社だった。境内で一番大きな樹、ご神木が見る影もなく真っ黒に煙を上げている。
「わぁ、一瞬でこんなになっちゃうんだね」
熱で千切れきった枝先、大きく裂けた幹、黒い根本を見ると何か白い物が目に付いた。
「なんだろうこれ、石?」
石にしてはやわらかそうな質感で思わず人差し指でふれてみると、ぱちりと静電気のようなものが走った。
「わっ!」
「どうした神室!」
徳川は僕の声にすぐさま駆けつけてくれた。その真面目な顔を見ているとつい悪戯心がくすぐられてしまって僕は黙って左手を差し出した。
徳川は怪訝そうな顔をしながらも僕の手を握り返してくれる。
「えいっ」
手を握り合ったままその白い物に触れると徳川まで電流が走ったようで珍しく彼の驚いた声が聞けた。
「うわっ!」
「あはは!すごいなぁ、なんだろうこれ」
互いに痺れた手をパタパタさせつつ、改めてそれを観察する。白く滑らかで卵のように綺麗な楕円形だ。徳川も僕にわざと電流を流されてことも忘れて覗き込む。
触ると電流が走るなんて普通の卵じゃないことは分かった。
「雷の卵かな?」
「だとしたらそんな危ない物放っておけ」
「持って帰って孵化させたらどうなるだろう」
「お前、この樹のように家を丸ごと黒焦げにしたいのか」
「うん」
僕の返事に徳川は鬼のような形相でこちらを向いた。心配してくれているのだろう。
「神室、まだ悩みがあるなら俺に言えと何度も何度も言っているだろう」
「冗談だよ、徳川。雷の卵なんて珍しいから気になるじゃないか」
そう言いつつ、もう一度人差し指でつついた。
パキリと嫌な音がした。
「あ」
僕と徳川の声が一寸の狂いもなく重なった。卵を割ってしまった。
雷が出てきたらどうしようと顔が真っ青になったが中身は僕の予想とは反するものだった。
まず出てきたものはすきとおった赤色の液体だった。続けて橙、黄、緑、青、藍、紫と卵の穴からどろどろと溢れてきた。
卵から孵ったカラフルな液体は僕らの足元を這いずり回って、やがて青空を映す水たまりに落ちて溶けて消えた。
「虹の卵だったんだ
「だから放っておけと言っただろう」
なんて軽薄なことをしてしまったんだろう。
油膜のように歪んで広がることしかできなかった未成熟の虹に、僕はひどく罪悪感に苛まれた。




   ※   ※   ※



徳神お題「十五夜」

   【月を噛んでしまった話】


夜の公園の前を通りかかると神室がベンチに座っていたので声をかけた。
「神室、こんなところで何をしている。しかも一人で」
「あぁ徳川、こんばんは。お月見だよ、今夜は十五夜だ」
「月見?しかし月は
「うん、逃げ出しちゃったんだってねぇ。ニュースで見たよ」
俺は神室の隣に座った。夜空を見上げる。あるのは星ばかりだ。
「月も見られたくないって言うんだね。みんなそっとしといてあげればいいのに」
「それはたった今お月見をしているやつが言う台詞か?」
「お月見って言っても代わりの月だよ、ほら」
そういってコンビニの袋から白玉団子を取り出した。
「月より団子ってね」
月のように白くてまるい団子たちに付属の黒蜜ときなこをかける。爪楊枝で刺して口へ運んだ。
「美味しいね」
甘いな」
「ふふ、やっぱり徳川とお月見できてよかった。一人で見てもつまらなかったよきっと」
その言葉になんだかとても照れてしまった。照れ隠しに甘いと言った団子を次々と頬張る。
神室はそんな俺を微笑ましげに見つめてきて余計に顔が熱くなってしまった。
そうして瞬く間に団子は残り一つとなった。
「あれ?なかなか刺さらないな、なんでだろう」
最後に残った団子を神室は指で摘まみ上げ、そのままろくに確認することもなく口へ放り込んだ。
「痛いっ!!」
神室の口から声が聞こえた。神室の口から出た声の筈なのに神室の声ではなかった。
吐き出されたものは黒蜜ときなこと神室の唾液にまみれた月だった。
おまけに歯型までついている。小さなクレーターが増えたようだ。
月はぶつぶつと恨み言のような泣き言のようなことを呟きつつ空へ帰っていった。
「僕らが代わりだと思っていた月が実は本物だったわけだ」
「あぁ」
「僕思いっきり噛んじゃった。なんだか悪いことしちゃったな」
「気にするな、逃避行中のくせに呑気に寝ている方が悪い」
その後、煌々と降り注ぐ月明かりは黒蜜ときなこの甘い香りがして、歩くたびに少しべたつくのだった。




   ※   ※   ※



徳神お題「身長」

   【永遠に敵わないものの話】


僕の親友に徳川という男がいる。
僕は彼に敵うものを何一つ持っていない。
役職は僕の方が上だけれど、その前に"一応"が付いてしまうくらい学力や運動や冷静さや思慮深さ等々、全てが敵わない。
その中で最たるものが身長だ。
生徒会の仕事で隣に立つことが多いせいかそこはやけに気になってしまう。
「僕は悔しいよ徳川、僕はいつだってキミを見上げてばかりだ」
誰も居ない放課後の廊下を歩きながら隣に並ぶ徳川へ声をかけた。
喋りかけながら横目でちらりと見上げる。この角度からだと首筋に落ちるやわらかな影や、顎から首にかけてのすっきりとしたラインを眺めることができた。いつ見ても綺麗だと僕は思った。
「そんなことはない神室。俺はいつもお前に負けてばかりだ」
その返答に僕は妙に苛ついた。そんな澄ました顔をして何が負けてばかりだ。
徳川はいつだってそうだ。僕には手が届かない所にいながら、なんでもないって顔をして僕を親友と呼ぶ。
なにか見返してやりたい。そうだ、少しからかってしまおう。整った顔をちょっとでも崩すだけでいい。そう考え付いて、徳川の肩に手を乗せた。
こちらを向いた薄い唇めがけて噛みつこうと背伸びをする。キスぐらいなら爪先立ちすれば届く距離だ。
「あっ」
けれど久しぶりに全体重を乗せた爪先は支えきれずよろけてしまった。僕の唇は目的の場所よりだいぶ下の、頸動脈へぶつかった。
あぁ、失敗してしまった。キスもまともに出来ない。少しの身長差すらも埋められない。どうしてなにも上手くできないんだろう。格好悪くて恥ずかしい。悔しい。
温かい首から唇を離して俯いた。どうせ徳川は平然とした顔でどうしたんだ、とか聞くに決まってる。
しかし徳川はいつまでたっても黙っていた。どうしたんだろう。もしかして怒っているんだろうか。おそるおそる顔を上げた。
目の前には耳まで真っ赤に染めて僕を睨む徳川が居た。あの鬼の副会長が茹ダコのような有様で僕が口づけた場所を手で押さえている。きっとその手の下も赤いんだろう。
あれ?ごめん徳川えっと
予想外の反応に何故だか僕にまで照れが感染る。僕の方からからかったのになんてザマだ。
だから言っただろう今だって負けてる
そんなの僕だって、と言おうとして止めた。せめてもの意地だ。
成績の優劣も、身長の差も、全てどうでもよくなるほど程の徳川からの好意を感じた。
でもそれは僕も同じことだ。やはり僕はずっと徳川には敵わないのだと思った。




   ※   ※   ※



徳神お題「水族館」

   【月の水族館ができるまでの話】


遠くからイルカショーの歓声が聞こえる。俺たち以外の客は全てイルカショーを観ているらしい。
誰にもはばかることなく神室と二人きりでクラゲの水槽を眺めていた。
「彼らは今の状況になんの疑問も持っていないのかな?」
「どういう意味だ」
「イルカもクラゲもさ、飢えることはないけどガラスやアクリルケースの中で人に品定めされ続けて生きていくなんてあまりにも可哀想だと思って」
俺は目の前の薄暗い水槽の中をまじまじと見た。クラゲがふよふよと頼りなさげに泳いでいる。
波で呆気なく砕け散りそうだ。彼らは海に帰りたいと思っているのだろうか。
ケースに入れて大事に守りたいと思うのは人間の勝手だろうか。
やわらかそうな白い傘をいくら見ていたってその疑問は分からなかった。
「彼らの考えていることを人が理解できる日はたぶん一生来ない。飽食と自由のどちらが良いのかなんて確認する術も無い。ただ、彼らが自由を選んで海に帰って水族館からいなくなるとしたら俺は少し寂しいと思う」
「徳川、クラゲ好きなんだね」
「まぁ
お前に似ているから、と続けようとしたがイルカショーを観終わった客がぞろぞろと歩いてきたためにとうとう神室には伝えられなかった。
その水族館からクラゲやイルカや魚、彼らが入れられていたケースの中身が水ごと綺麗に無くなったのは数日後のことだった。
水族館だけではない。世界中の水槽という水槽から水ごと生き物が消えた。
世界中がパニックになり盗んだ犯人を突き止めようと躍起になっていた。だが俺は水族館のクラゲが消えた日と同じく神室も消えてしまった方が気がかりだった。
周囲の人間は神室のことより水が消えてしまう方が大変なようで、仕方なく俺はひとりで神室を探し始めた。
そうして瞬く間に、沼も池も川も、とうとう海までも生き物ごと消えてしまった。
海が消えたころになって、やっと窃盗犯は月だということが分かったらしい。その証拠に砂ばかりの白い月が瑞々しい海色に満たされていた。文字通りの満月だ。
どこもかしこも月から水を取り戻そうと血眼になった人の大声がうるさく、俺は元は海だった砂漠で神室を探した。
しかし、さざ波の音が聞こえない海は思いのほか寂しく、俺は神室のことを思い出しながら歩いた。
俺の名前を呼ぶ時に細くなる目。
家と塾では息がしにくいと言ったこと。
窓ガラス越しに見かけた廊下を歩く無表情の顔。
99点の答案を破いてゴミ袋に入れたこと。
生徒会室で窓の外を眺めながらついた溜息。
つまらなそうに食事を済ませていたこと。
最後に水族館でした会話。
そこでようやく気が付いた。
「そうか、神室も自由を選んだんだな」
いつの間にか砂漠に月が昇っていた。
青く満たされている月を見上げて、そこにいるであろう神室のことを思った。




   ※   ※   ※



徳神お題「世界」
塩中が廃校になって卒業式の前に離れ離れになる話。


   【香る深淵の話】


「ここに居たのか、神室」
「あ、徳川。よく屋上に居るって分かったね」
「あちこち探しまわったんだ。ここで最後だった」
「そっかぁ、手間かけさせちゃったね。ごめん」
「謝らなくていい、ほら」
「缶コーヒー?キミにしては気が利くじゃないか。ありがと」
塩中に通うのも今日で最後か
「そうだね、せめて3年生が卒業するまではと思ってたし、先生たちも頑張ってたみたいだけど無理だったね」
「国が決めたことだ。仕方がない」
「世界を削っちゃうなんてさ、最初ニュースで聞いた時は僕には関係ない遠い場所の話だと思ってたけど、案外早く自分の身に降りかかって来たのには驚いたよ」
「世界を切り売りして国が潤うんだ。俺たちも補助金を受け取った以上文句も言えまい」
「そう言うけれど気持ちは中々追いついてこないものだよ。ところでキミはどこへ転校するんだい?」
「出席日数はもう足りている。受験に向けて塾と自宅の往復をするつもりだ。だから卒業式に出るだけならどこでも良いと両親に伝えたきりだ」
「僕のクラスメイトもほとんどそう言ってたよ。受け入れ側の学校もその方が助かるらしいね」
「神室はたしか、海外だったか」
「うん、調味市もこれからどうなるか分からないし、家族全員で引っ越すことになった。父のつてで海の向こうの高校へ通うよ。遠く離れ離れになっちゃうね寂しいよ
そうだな」
「はぁ、どんな時でもコーヒーは良い匂いだね、いただきます」
「あぁ」
「ほら、見て徳川。世界の淵が校舎裏のすぐそこまで来てるよ」
「あれを眺めていたのか」
「うん、世界の淵って不思議でさ、夕陽がどんなに差し込んでも真っ黒いままで、カップに注いだコーヒーに似てるなぁなんてうわちょっとまってこのコーヒー甘っ!徳川の選んだコーヒー甘すぎない!?」
「いやいつも買う普通の微糖だが
「コーヒーの普通はブラックでしょ、もー舌が甘々しくなる」
「文句を言うなら130円払え」 「徳川もケチなこと言うね。逆に130円払ってコーヒーに砂糖を入れることがどんなに愚かか説き伏せるよ」
「うっ分かった。130円はいい、頼むから止めてくれ」
ぷっ、あはは!」
「神室?」
「あーぁ、こんな風に徳川と話すのも今日で最後なんだね」

「いやだなぁ。こんなに早くお別れなんて考えてもなかった。本当にやだなぁ」
「神室
「ねぇ徳川。一緒に飛び降りようよ」
何処にだ?」
「あそこだよ、世界の淵にさ」
「それでお前は満足なのか?」
「キミと一緒ならどこだっていいよ。離れ離れになる方が、僕は死ぬよりも辛いんだ」

「キミは違うのか?」
「違わない」
「じゃあ」
「それは本当にお前が望んでいることではないだろう」

「お前の為なら深淵だろうとどこだって飛び降りてやる。だが、俺は神室が本当に望んでいることをしたい」
半分は半分は本当だよ徳川。キミを死なせたくない。けど、辛くて苦しくて、僕は死んでしまいそうだよ」
「死んだらもう二度と会えない。それは分かるか」
「分かってる!さっきも言っただろう!気持ちが追いつかないんだ!」
「神室生徒会長!!」
「へ!?」
「副会長であるこの徳川に、最後の意見を述べさせて頂きたい」
ごほんっ!言ってみて、徳川副会長」
「私たちは子どもだ。大人が決めたことには従わなければならない。幼く、知恵もなく、出来ることは限られ過ぎている」
「うん」
「一人で生きていくことも、まして誰かと支え合って生きていくことすらできない。仮にできたとしても、その時間はとても短いものだろう」
うん」
「私たちには大人になる為の時間が必要だ」
「それは具体的にどれくらい?」
「最低でも高校大学で7年だが、世界を切り売りするなんて決めた大人達から調味市を買い戻す資金を用意するのは今年からでも始められる」
「ふぅん」
「会長が帰る場所を必ず用意する。それまで待たせるが決して退屈はさせない。手紙でも電話でもなんだってする。会長も大人になることを諦めないで欲しい。これは私一人では出来ないことなんだ」

「以上が私の意見だ。神室会長、いかがだろうか」
そうだそうだったね。僕は、この塩中の生徒会長だった。廃校と同時にそんな肩書き消え去ったと思ってたよ。思い出させてくれてありがとう、徳川副会長」
「それでは私の意見は」
「可決可決!ごめんね、さっきまでの僕、すごく情けなかったね。幼児みたいに駄々こねて、恥ずかしいよ」
「いや、お前は優等生ぶって溜め込みすぎるから、こうやって吐き出した方がいいだろう」
「うん、スッキリした。それに安心したらなんだか眠くなってきたな塩中の廃校が決定してから今まで以上に眠れなくてさ
「俺の肩でよければ貸すぞ」
「ありがと30分だけいいかな
「丁度カフェインが効くまでの時間だな。淵に落ちないように手も握ろう」
「もうそんなに僕寝相悪くない……
「神室?」

「もう寝たのか」

「神室、俺もお前と一緒ならどこでもいい」

「本当は今すぐお前を連れてどこかへ逃げてしまいたい」

「俺が大人だったらいや、絶対に立派な大人になる。必ず迎えに行く。待っていてくれ」

「好きだ、神室」
「ふふ」
「なっ!」
「ごめん、つい聞いちゃった。嬉しいなぁ、えへへへへへ」
………
「わぁすごい、赤鬼みたいだよ徳川」
「寝ないのならもう帰るぞ!」
「わー!ごめんごめん!寝るから!待って!膝枕して!手も握って!」
「要望が増えてるぞ」
「ダメ?」
「良いに決まってるだろう、ほら早く来い」
「えへへ、ありがとう徳川。好きだよ」

「徳川」

「照れるのもいいけど、僕ちゃんと面と向かって聞きたいな」
好きだ……んっ」
ふふ、キミもあのコーヒー飲んでたんだね。甘くて良い匂いがする。コーヒーの好み変わっちゃうかも」
「かっ、かむろっ!お前と言う奴は!!」
「キスくらいで慌て過ぎだよとくがわ。次に会うときまでに立派な大人になるんでしょ」
「それは中身重視の話でいやもういい、早く寝てくれ、俺の顔を見ないでくれ
「はーい」



「おやすみ、徳川」
「おやすみ、神室」