よるはこ
2024-02-22 16:11:48
4520文字
Public mp100 徳神
 

【徳神】憑き雪と肉の傘

徳神お題「初雪」、ほんのりバッドエンドホラー。

暦の上では冬になったというのに、相変わらず朝の陽射しはするどく目を刺し、ようやく街路樹や公園や他人の庭先の木々が赤く染まり始める頃だった。
たくさんの生徒で賑わう朝の通学路を歩いていると視界の端を何かがかすめた。
ゴミか羽虫だろうと思っていたそれは徐々に増え、ゴミにしては真っ白で羽虫にしてはまるい物だということが分かった。
これは、雪だろうか。
そんなはずはない。いくら肌寒くなってきたからといってまだ紅葉もこれからという時期だ。
しかし、雪は俺の背後から吹く風にふわふわと運ばれてきた。見上げると青く高い空の中で日の光をひらひらと白く翻している。
こんな日差しの強い日でも降るものなのかと思ったが、そこで違和感を覚えた。
季節外れの雪が降ろうものなら声を上げんばかりにはしゃぎ始めそうな周りの生徒は、誰もこの雪の様なものに気がついていないようだ。
みな各々に友人とお喋りを楽しんだり、人目もはばからず大口で欠伸をしていた。

「オハヨー、徳川」

雪の降る方向、背後から神室の声がした。
振り返った先の神室の姿を見て、おはようのたった四文字の挨拶も喉の奥で溶けてしまった。

「なんか秋晴れなのにすっごい冷えるね」

雪が降り注いでいた。神室だけに。

降らせる雲など一つもないのにどこから湧いてくるのか、神室の半径五十センチだけに深々と雪が降っていた。
時折吹く風に撒き散らされつつも肩に髪に鞄に雪が積もる。
肩に雪が積もっていればそれは冷えるだろう。

「神室、雪が」
「え?雪?どこに?」

そう言って肩や髪に乗った雪を散らしながら辺りを見回す。
この雪は神室自身にも見えていないようで、俺にしか見えなかった。
あぁ、この世のものではないのだと悟った。これが俺にとっての初雪だった。





一緒に校門に入り、下駄箱で靴を履き替え、廊下を歩いていても雪は降り続いた。
屋内でも御構い無しのようだ。
雪が発生している神室の頭上を目を凝らしてよく見るが、何もない天井から雪が次々と降っているということ以外何も分からなかった。
そうして降りてきた雪は、神室の上に落ちれば溶けずにそのまま残り、床に落ちるとすぐに溶けて消えた。
神室の肩の雪をゴミを取るフリをして掴んでみた。
ひんやりと冷たく普通の雪と変わらないと思った矢先、俺の手の体温ですぐに溶けて蒸発した。
あとには水さえも残らなかった。

「今日は生徒会ないんだけど、先生から雑用頼まれちゃってさ。悪いけど放課後手伝ってくれない?」

確か今日の神室は塾だったはずだ。早く終わらせたいのだろう。了承するとじゃあ放課後、図書室隣の書庫で、と言ってそれぞれの教室へ向かった。





その日一日、神室が学校のどこにいるのかすぐに分かった。
校庭に雪が降れば神室のクラスは体育だと分かり、階段に雪が降ればその先の踊り場で教師と話し込んでいるのが分かり、渡り廊下に雪が降れば移動教室の授業を受けることが分かった。

雪が神室の目印になっている。
それを少し嬉しいと思う自分がいた。





そうして放課後、書庫へ行くと朝と比べて真っ白な雪色の顔をした神室が居た。震えながら吐く息も白く、神室と纏った雪の隙間を埋めるように広がった。
冷え切っているようだ。
この得体の知れない雪は確実に神室の身体を蝕んでいる。それなのに、憤りも焦りも感じない。
その理由は分かっていた。

「コレ、全部生徒会室に運んで欲しいんだって」

コレと白い指に差された段ボールは5、6個はあった。書庫と生徒会室を何回か往復すればそれなりに時間がかかりそうだ。
ふと、隣で荷物のチェックをしている神室を見る。

風のない室内の雪は模型の様に精確な円筒状の白い壁を作っている。
その壁の向こう、今日一日雪に晒され続けた神室の睫に、雪の結晶が乗っている。
伏し目がちなその目が瞬きをする度にはらりはらりと結晶が零れ、漂白された頬を滑る。

その光景は、これまで生きてきた中のどんなものよりも綺麗だった。
いつまでも眺めていたい。それだけの理由で憤りも焦りも手に乗せた雪の様に溶けてしまった。
もっと近くで見たい。脆い壁を突き破って神室の頬に手を当てる。

「徳川?」

俺の名前は神室の口から真っ白な煙になって俺の頬をなでた。
きっと自分の吐息すら神室には見えていないのだろうと思いつつ、もう片方の手も頬に添える。
顔を包まれた神室は息を飲んで後退するがすぐに棚に阻まれ、俺は神室と共に雪を浴びた。
神室の双眸にはゆるやかに落ちていくまるい影がいくつも写っているのに、それでも見えていないのだろうか。
雪を認識できない神室は俺の突然の奇行に、驚いたような困ったような、しかしどこか期待しているような表情をしていた。
その期待に応えるように唇を合わせた。

とくが、あぅ……んっ………

乾燥してささくれ立った唇を舌で湿らせるように口づける。
冷えて乾いた唇がしっとりとやわらかくなっていく感触がとても心地よかった。
そのままうすく目を開く。閉じられた目蓋と睫に引っかかっている結晶が六つの棘までよく観察できた。
透き通る繊細な美しさに頭がぼんやりと霞がかる。ずっとこのままでもいいかもしれない。
右手の指先で神室の頬をなぞり顎骨を越えて首筋にふれる。
脈拍も触れたいと指の腹で頸動脈を探ろうとして、戦慄した。
神室の首をいくらまさぐっても鼓動らしいものはどこにもなかった。

そこでまるで雷に打たれたかのように我に返った。
俺は何をしているんだ。唇を離し、潤んだ眼をしている神室の首を今度は丁寧に調べた。
ほんの僅かだが小さな脈はあった。
安心しつつ急にキスしてしまったことを謝った。

……もう、別に謝らなくていいよそれより」

急いでるんだけど、とでも言いたげな呆れた顔をしていた。
なので言われる前に、これで貸し借りはなしだと言って書庫と生徒会室の鍵を奪い、早く帰るよう促した。
猜疑心を含んだ目でじっとりと見てきたが、すぐにおどけて神室は軽口をたたいた。

「今日の徳川熱いね、溶けちゃいそうだったよ」

今の神室では洒落にならんなと思いつつも、そう言ってほほえんだ真っ白な頬にほんの少しだけ血色がさす様にまた見惚れていた。
今まで見た神室の顔で一番美しいと思ってしまった。





荷物を運びつつ、やっとまともに動くようになった頭であの雪について考えた。
見れば見るほど魅入られて正常な思考が奪われてしまっていた。恐ろしい。
学校の中でだって降るのだから家に帰らせたところでどうにもならないだろう。
口づけた時の吐息すら冷たく、触れた首筋の頸動脈の鼓動もか弱かった。
両手で包んだひどく冷たい雪の貌、弱々しい脈拍、透き通ってそのまま消えてしまいそうな肌。

あのまま神室は雪に埋もれて死んでしまうのではないか。

今更、本当に今更になって焦燥感がじりじりと湧いてきた。
自分に何ができるのか、何をすべきか一つも分からなかったが、居ても経ってもいられず施錠の確認も鍵の返却もしないまま、廊下を走って神室を追いかけた。





チャイムを鳴らしても誰も出てこなかったので、心の中で非礼を詫びながら玄関を開けた。
神室の靴しかない。他に誰も居ないようだ。
階段を駆け上り、神室の部屋のドアを開ける。
開ける前から感じたひんやりとした冷気が一気に俺の足に絡んだ。
薄暗い部屋中の全てを真っ白に塗り潰すが如く雪が降り積もっている。
外では溶け消えた雪がこの部屋では積もっているということに、ここに雪を降らせるなにかがいると確信した。
足を踏み入れると雪は消え俺の足跡が綺麗にできた。俺の熱でこうも脆く溶けていくんだ、どうにかなるかもしれない。

雪に覆われた無数のゴミ袋はまるで頭のない雪だるまのようだ。その雪だるまに囲まれる中、神室は倒れるように眠っていた。
まるで綿に包まれて寝ているようでもあるが、細い肩を掴んで揺り動かしてみた。
名前を何度も何度も呼ぶが、返事は鈍いものだった。

………あれ?……とくがわ?なんで………

やっと薄目を開けて言語らしいことを呟いた。

「ごめんなんか眠くて………少しやすんで……寝るから……まってて

この雪に取り憑かれている神室はこの世の者ではない程に美しかった。
しかし、これ以上身体を冷やし続ければ本当にこの世の者でなくなってしまうだろう。
それはとても嫌だった。神室のことは死なせたくない。
どんなに醜く汚くてもいい。神室には生きていてほしい。
このまま何もしなければいよいよ死んでしまう。なんとかしなければ。

この方法で神室が救えるかどうか確証がなかった。
それでも俺が知りうる限りの冷えた体を温める方法を試さずにはいられなかった。

ぐったりとした神室の体を抱き締め、頬を合わせ、手を握り指を絡ませた。
神室の体温はおよそ人の温度ではなかったが触れ合った部分から俺の熱を分け与えるように強く念じた。
神室、どうか死なないでくれ。強く、強く願った。





いつまでそうしていただろうか。
神室の部屋で降り積もっていた雪がみるみるうちに蒸発していく。
その下の汚いごみ袋が音もなく露わになる。

「徳川?」

神室の肩を抱いていた腕を離す。うっすらとクマの浮かぶいつもの顔色に戻っていた。
目の焦点も合っていて、握った指先も人らしい体温に戻っている。

「なんか寒気も眠気も急に治まった、一体何だったんだろう」

あとキミもなんで家にいるの?と聞いてきたが、具合が悪そうだったから心配だったことと塾まで送りたいと申し出ると満更でもなさそうな顔で笑った。照れているのか視線を逸らしながら礼を言われた。

「うん、ありがと」

暗い道を歩きながら、取り留めもないことを話して、少しだけ手を繋いだりして神室を塾へ送って行った。
また明日と言って手を振る神室へ俺も手を振りかえす。
その手に雪が纏わりついた。
雪は止んではいなかった。俺の目の前に降り続いている。

だが、降られているのは神室ではない。
この俺だった。

良かった。成功した。雪を神室から俺に移すことができた。
俺は雪を見上げて安堵の笑みを浮かべた。





自宅に帰り、部屋のドアを開ける。
案の定、俺の自室は一面美しい銀世界だった。

神室に降り注ぐはずだった雪、神室を蝕むはずだった雪。それが今、俺に降り注いでいる。

命を吸い取る雪から神室を守ることができたんだ。
その実感を得たいがために俺はベッドの上の雪を掻き集めて抱きしめるように頬に寄せた。
触れても溶けない雪と言うものは案外ちくちくと肌を刺す物だとその時初めて知った。

あれから一睡もしていない。
おそらく眠ったが最期、二度と目覚めることはできないだろう。
とても辛いが神室の為ならなんてことはない。

今日も雪の壁ごしに神室と朝の挨拶をする。
俺に守られている神室に、降り注ぐものは何もない。