不覚にも風邪を引いた。
シュガは渋い顔をしながらサイドテーブルに水差しを置き、そのままベッドに潜り込んだ。原因は分かっている。このところ、連日連夜に渡って討伐任務に駆り出されて疲れていたこと。それから、ここ最近はひどく冷え込んでいたのに、ちゃんと汗も拭かず疲れに任せて眠っていたことだ。
幸いにも風邪を自覚した時にはまだ動けたので、重たい体を引きずって知り合いに薬を処方してもらい、数日分の食べ物を買い込んで部屋に戻ってきた。寒気がするのでベッドには湯たんぽを入れたかったが、その前に体力が尽きて億劫になってしまった。
熱が出るのはこれからだろうか、とぼーっとした頭で考える。眠気はあるが、同時に体の節々が痛く、どうにも寝付けない。げほげほと咳き込めば喉がひどく傷み、体をブランケットで隙間なく覆っているはずなのに、ひどく寒く心もとない。
――こうして風邪を引くのは久しぶりだ。
幼いころは季節の変わり目ごとに風邪を引いていたような気がする。そんなとき、母はリンゴを甘く煮てほろほろにしたものを作ってくれたっけ。あれは甘くて暖かくて、お皿の底に溜まったシロップも美味しくて。一緒に飲まされた薬はとても苦かったが、風邪の時にだけ出てくるそれをひっそりと楽しみにさえしていた。
それに、風邪の時は両親が早めに仕事を切り上げてくれたのも嬉しかった。熱が出て苦しく辛い夜、心配そうにそうっと覗き込んでくる母や、優しく声を低めて、汗を掻いた額を拭ってくれる父の手が優しくて、体は苦しいけれどやっぱりとても嬉しく、ふにゃふにゃと笑っていたことを覚えている。
風邪はそんな優しい思い出が多くて。だからきっと今こんなに寂しいのだろう、とシュガは思う。隙間風がひゅうひゅうと吹き込むように、急に独りであることを自覚して、この部屋に誰もいないことが妙に心細く感じた。
寝なきゃ。寝て、起きたら買い置いたスープを温めて、食べたら薬を飲んで、また眠って。そう思うのに、ひんやりと冷えた心は眠気を拒絶する。止まらない咳が呼吸の邪魔をして、不随意に動かされる関節が痛みを訴え、体を這い上る寒気が背筋を震わせ、上がり始めた熱が頭を茹らせる。
辛い。こんなに風邪は辛かっただろうか。それとも、同じだけ辛かったはずの幼いころは、両親がいてくれたことが慰めになっていたのだろうか。
「う
……」
目尻に溜まる雫を自覚しながらシュガは呻き、どうにか寝返りを打った。
「あれ。ナイトくんいるんじゃん」
ふと誰かの声がした。聞き覚えのあるそれを、しかし熱で鈍った頭は思い出せず、ただしぱしぱと目を瞬く。赤い色彩が、焦点を結ばない視界の中でゆらゆら揺れる。喉から咳がこみ上がってきて、げほ、と小さく音が出た。
「あー、もしかして風邪? 体力馬鹿のシュガちゃんも風邪は引くんだねぇ」
からから笑う、面白がっているような言葉が耳に届いて、ようやくシュガの頭は相手を理解する。顔をしかめてぱくぱくと口を動かすが、先ほどの咳で喉が枯れたらしく、出たのはかひゅかひゅという空気音だけだった。
「無理に喋んなくてもいいよ」
ひたりと冷たい手が額に当てられ、あっちいとモリンは笑う。熱結構出てるだろこれ、と手をぷらぷら揺らす相手を、追い払いたいと思うが体が動かない。
「はいはい睨まない睨まない」
遊び人はどっかりとベッド脇の椅子に腰を下ろし、どこから取り出したのか、それとも最初から持ち込んでいたのか、酒瓶と酒杯を並べて一人で吞みだす。帰れ、と言いたいが声は出ないし、体は怠くて動かない。どうにかふうふうと唸ったところで、モリンはどこ吹く風で手酌を続けている。
シュガの頭は、なんでこんなことに、とどうして帰らないんだ、の思考を行ったり来たりする。そんな病人を見ながら、遊び人は『やっぱぼんやりしてても目線だけは鋭いねえ』だの『そんなに睨んで疲れねえの?』だの、雑な言葉を吐きながら酒盛りを続ける。
詰まりかけた鼻にも届く酒の匂いと、今や慣れてしまった相手の気配。その両方に囲まれて、なぜか
――不思議と、シュガの頭はくわんと眠気に揺れた。
「お、寝ちまえ寝ちまえ
……寝て起きたらちょっとはすっきりしてるだろうよ」
眠りに落ちる寸前、いつもよりほんの少しだけ優しい声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
翌朝目が覚めれば、部屋の中はもぬけの殻だった。
体はすっきりしており、熱はすっかり下がっていて、節々の痛みもなくなっていた。喉だけはまだ辛いが、これももうしばらく休めば治るだろう、と思う程度だ。
シュガは頭を抱えた。何なんだあの人は。しかもその相手に見られながら寝てしまった自分は。そう思うが、モリンの気配はもう空っぽになった酒瓶と酒杯だけだ。
「治ったら、お礼に行かないと
……」
大きな大きなため息一つが、部屋の中に漂って消えた。
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