有栖川
2025-01-03 21:39:55
6005文字
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皇帝は恋を知らない⑧/完

自分の感情がよくわからないkisと、友達になろうと思ったらそれ以上の感情に気付いてしまった41が、
事故ったりすれ違ったりしながら恋心を自覚してつきあうまでの話。
🇫🇷戦後捏造if/エピローグ、ngさんroさんhorさん出る

 恋なんて馬鹿馬鹿しい。
 それがミヒャエル・カイザーの持論だ。
 ——だったのだ。


「世一、頬にゴミがついている。先ほど転んだせいじゃないか? 腕や足に擦過傷は?」
「ないない、平気だって。ったく心配症だな〜カイザーは」
「お前が気にしなさすぎるんだ。フットボーラーにとって身体は資本、特に足はな、ちょっとした擦り傷だと思って放置していたものが根深い病巣を生むことだってなくはないのだから……

————え、何? あれ?」

 監獄ドイツ棟で停電騒ぎが会った数日後。「そういえばあいつらどうなったんだろう」と気に掛けドイツ棟のトレーニングルームに足を踏み入れるなり飛び込んで来た光景に、御影玲王はあんぐりと口を開け、胡乱に眉を寄せた。既に軽く練習をこなしたあとなのか、練習着をまくって雑に汗を拭っている世一に、カイザーがタオルその他一式を持ってまめまめしく世話を焼いている。ついこの前までだったら絶対に見られなかったはずの光景だ。そのせいかどうかは知らないが世一たちから離れた隅でネスが蹲って天を仰いでいる。どういう感情なんだあれ。

「ん〜、何って……保母さんとか?」

 玲王が唸っていると、横から顔を出して状況を確かめた凪が、適当に口を挟んできた。んなアホな。絶対違うと思う。
 ……とはいえまあ、凪も、別に本心からそうは思っちゃいないんだろう。その証拠に、凪はのそりと玲王の肩にもたれかかると、「この前失恋したとか言ってたばっかなのにね〜……」とゆるく息を吐いた。

「びっくりするぐらいイチャイチャじゃん。どうなってんのーあれ」
「いやわからん……正直関わりあいになりたくない……
「ん〜まあ聞けば分かるかな、お〜い潔ー」
「っておい凪! お前言ってるそばから……待てって!」

 ぼそりと漏らされた玲王の言を無視し、凪が世一たちの方へとてとてと寄って行く。それを慌てて追いかける中で、玲王は、奇妙な光景を視界の端に捉えた。——さっきまであれほどべったりと世一に張り付いていたカイザーが、凪の襲来を感知した途端スッと世一から離れて距離を置いたのだ。
 え? 何? どういうこと? 玲王が何が何だかと瞬きをしている間に、凪は世一の背にどかりともたれかかり、あっけらかんとこう訊ねる。

「潔、ちゃんと失恋終わった?」
「「………………」」

 瞬間、あたりの空気が凍った。正確にはカイザーと玲王の空気が凍ったのだった。
 何気まずいこといきなりぶっ込んでるんだ? 明らかにそう言いたげな顔で、カイザーが凪を睨み付ける。玲王は玲王で凪の空気読まなさすぎ発言にある意味感心しきっていた。この局面でこの質問をぶつける度胸はちょっと玲王にはない。だってそんなことする必要ないし……
 そんなアウェイ感丸出しの空気に凪も思うところがあったのか、それとも単純に返事が戻ってこない方を気にしたのか、凪が「あれ?」と首を傾げる。

……あ、訊き方悪かったかも。告白ってカイザーからしたの?」

 そして気を遣ったかと思わせておいて更に鋭角で抉るような質問キラーパスをブチ込むと、いよいよ辟易したらしいカイザーが、「ハァ〜〜〜〜〜…………」とかなり嫌そうな感じの溜息を吐いて視線を寄越さないまま、世一に代わって凪の問いに答えた。

「答える義理はないな。ましてや世一のオトモダチのクソピヨ如きに」
「ふーん、付き合ってることは否定しないんだ」
「どんな形にせよ俺の所有物になったモンが人に奪られるのは趣味じゃねぇ。お前もそれ以上踏み込んでくるというのならそれ相応の覚悟をすることだな」

 苛立たしげに舌打ちをし、シッシと追い払いでもするかのように手の甲を振ると、カイザーはぴしりと踵を返してどこぞへ歩いて行ってしまう。玲王は呆然としてその背中を見送り、凪と、そして凪を背中へ乗せっぱなしにしている世一の方へ振り返る。世一はのほほんと笑っていた。カイザーが「世一がせがむから仕方ないだろ」みたいな言いぐさで責任の所在を自分に押しつけてきていることなど、まったく気にしていなさそうな顔で。
 とはいえそれも仕方の無いことかもしれない。

「や、無理があるっしょ、あの距離感で自分から執着してるわけじゃないですからみたいな顔するの……

 口を変な形に結んで凪がぼやいた。

「そもそも潔の練習着の下からちょっと見えてるんだよ朱い痕が。隠したいのか見せびらかしたいのかせめてどっちかにしろよ」

 玲王も凪に同調して頷いた。

「ハハ、わっかりやすい奴やろ、アイツ」

 そうして最後に、カイザーと入れ替わりでいつの間にかこちらへ寄ってきていたらしい氷織が、固まっている玲王の肩をポンと叩いて軽快に笑った。

「お、氷織。どーした、悪い顔し、て……

 振り向いて見上げた先の表情に、ふと玲王の声が止まる。氷織羊が、「悪い顔」と一言で表すのではとても足りないような、複雑な表情をしていたからだ。それは有り体に言うと「悪戯大成功やね♪」と「カイザーごっつおもろいわいい気味〜♪」と、「これ成就せんかったら僕らどうなってたんやろな……」が一緒くたに混じった、立役者兼苦労人の横顔だった。

……お前何枚噛んだ?」
「ん〜、一枚、いや、二枚かな。あそこで皇帝さんの傷心ケアしてるヤツと一時的に協定結んでなぁ、絶対に二人きりで密着できる空間を作り出すのにまあ少々ってとこ?」

 けしかけたのはそりゃまぁ僕らではあったんだけど、でもまぁ、ここまで上手くいくなんて、正直期待以上の成果や。カイザーの横でぴょこぴょこしているネスを指さして氷織が遠い目をする。こうなってしまえば、カイザーの方が隠さないにせよあんまり交際をおおっぴらにしたくなさそう(たぶん、野次馬が大嫌いだから)なのを差し引いても、もう心配はないだろう。本当に長かったな……そんな感慨すら感じさせる堂々たる佇まいだ。
 あ、これ、ドイツ棟の連中はもしかしなくても休暇に入る前からあのふたりの微妙な距離感に振り回されてたな?
 氷織の表情に全てを察した玲王は心の中で合掌した。渋谷で偶然玲王たちが鉢合わせたときに見た、世一の後ろでカイザーが一生威圧放ってる(くせに別に言葉に出してどうこうは言ってこない、たぶん無自覚だったから)——みたいなことが、ちょこちょこあったんだろう。本当にお疲れ様である。

「ねー潔、カイザーってどう? イヤなことされたりしてない?」
「ん〜? 付き合ってみたら意外と優しいし、可愛いくて、いいヤツだよ」

 そして当の世一は世一で、周囲のやきもきをどこまで理解しているのかわからない軽い調子で惚気てるんだからとんでもない話であった。

「妙に世話焼きたがるな〜と思ったら、俺の行動にいちいち介入して思い通りに動かしたい欲が爆発してきたり、ときどき厄介だな〜てことはあるけど。でもま〜、そういう時のアイツって顔めちゃくちゃ可愛いからなんか許しちゃうんだよな〜」

 独占欲も、ま、付き合い方次第かな。首後ろをさすって照れくさそうにしながら、「ありがとな」と世一が笑う。世一自身の指先が撫でた場所——練習着やユニフォームでギリギリ隠れるけど覗いたら見えるぐらいの位置——にはどう考えてもカイザーが付けたであろう馬鹿でかい噛み跡が歯形になって残っていて、仕草からして世一もたぶん気付いているのだろう。なのにこんなあからさまなマーキングを「ときどき厄介だけど可愛いよな」で済ませちゃうあたり、世一も相当キマってんな、と玲王は朧に思う。

「で、告白ってカイザーからされたの?」
「ん〜、内緒。言うとアイツ恥ずかしがりそうだし」

 思うところは凪も玲王と一緒なのか、最後にそう一押しするが、世一はなびかずひとさし指を立てて唇に当てる。そうしてふっと時計を確認すると、「わざわざドイツ棟まで来てもらって悪いんだけど、そろそろ行かなくちゃ」と言うとすっと凪を離して玲王に渡し、幸せそうにはにかむ。 

「今日このあと、カイザーと出掛けるんだ。——だからごめん!」

 そうして世一はそれきり言い残すと、やけに浮き浮きした調子でカイザーの方へ走っていった。
 カイザーの方も、世一が寄ってきた途端、ちょっとご機嫌斜めになっていた様子を一変させ、パッと顔を明るくすると世一の腰に腕を回して抱き寄せる。
 それは遠目でも誤魔化しきれないほどに浮かれあがって、春一色で、「恋もなかなか悪くないな」と言わんばかりの表情だった。

「ハハ、馬に蹴られて死にたくね〜〜〜……

 玲王は溜息交じりに苦笑し、凪や氷織と目配せをしあい、それからひとり残って天を仰いでいるネスの元へ行ってみることにした。今日はこの四人でミニゲームをするというのも、中々悪くはない選択肢だろう。
 そのついでに、やっと素直になれたらしいお騒がせ大会ベストカップルの幸せでも祈りながら。


◇ ◇ ◇


 午前零時に目が醒めた。停電騒動からは数時間が経っており、お腹の虫がかすかに鳴っている。そういえば、ネスに言われてカイザーの部屋に忍び込んだのは夕飯直前のことで、そのあと色々なことがありすぎた関係で、夕飯を摂っていなかったのか。そうしてお腹をさすっていると、ふと温かいものが身じろぎして擦れあい、そのときようやく、世一の全身を抱きすくめるようにしてひとりの男が眠っていることに気がつく。

「あ……

 見紛うはずもない、ミヒャエル・カイザーその人であった。カイザーは髪をボサボサにして何か唸っている。ぐずる赤子のように世一に頭を擦りつけてくるたび、僅かに湿ったような感触がしてこそばゆい。まるでシャワーを浴びて、適当に髪を乾かしたところで眠りに就いたあとのように。
 そこまで考えて、不意に、世一は自分の身体が小ぎれいになっていることに気がついた。どこにもべたつく場所はないし、衣服も綺麗なものを着せられている。ぶかぶかのシャツはきっとカイザーの私物の予備なのだろう。その感触に、ああ、また世話してもらっちゃったのか、とやっと理解する。実家で目覚めた朝はわからなかったけれど、やっぱりカイザーという男は意外にまめまめしくて、……そして愛情深い生き物なのかもしれない。
 すくなくとも今の潔世一はある程度の確信を持ってそう信じられる。

「Hmm……

 腕の中でもぞもぞやっていたのが気に召さなかったのか、カイザーが世一を抱えたままさらに唸る。あぁ、あんまり動くと起こしちゃうかな、それは悪いな。せっかく暖かいんだし、最低限ケアもしてもらったみたいだし、今日はこのままここで寝ようか。無断で部屋を抜け出したことになるからもしかしたら同室連中は心配しているかもしれないけど、でも、今はここで隣り合ってまどろんでいたい……そんなことを考えていると、カイザーがむにゃむにゃと頬を動かし、ぼそりと、寝言を漏らす。

「Yoichi……Es tut mir leid……

 意味はまったくわからなかったけれど、どこかで聞いたような言葉だった。
 ハッとして世一が目を見開く。そう、ちょうど、実家のリビングでひとり身を屈めて縮こまって寝ていたカイザーがか細い声で囁いたあの時の言葉も、確かこんな調子出はなかったか。
 人知れず涙を流して告解をするかのような、あの時の……

「ッ、い、イヤホンっ!」

 あの時は理解できなかったし、踏み込めなかったけど、今なら、この言葉の意味を知る権利があるのではないか。そう考え、世一は咄嗟に、ベッドボードへもごもごと腕を伸ばした。そうしてカイザーが恐らくは「寝ている間に壊したらいけないから」と抜き取ったのであろうお目当てのそれを探り当てると、大慌てで装着し、耳を澄ます。

……Yoichiよいち

 舌っ足らずに紡がれる声音は、いつも尊大な物言いばかりのコイツの態度からは考えられないほどか細く、ひそやかで。

 「Es tut mir leid, dass ich mich in dich verliebt habeお前に恋をしてしまって、すまない. ……Aberだが,」

 けれど決意に満ちて、厳かで。

Am liebsten mag ich dichお前のことが何よりも好きだ. ……Also bin ich jetzt glücklicher als je zuvorだから俺は今この上なく幸せだよ.」

 だからこそ何よりも確からしい真実の言葉なのだと、その時世一にはハッキリと感じられた。

「はは、な〜にそんな大事なこと、夢の中でだけ言ってんの……

 ふっ、と、思わず頬を緩める。分かってる。カイザーはプライドが高く、そして本心を伝えることに不慣れだ。恋愛慣れしていないこともあって、「好きだ」ぐらいまではなんとか勢いで言えても、或いは情事の最中に言葉責めの類はノリノリで出来たとしても、こういう、心の内側にそっと仕舞い込んでいるような言葉は、まだ面と向かって言えなくて夢でばかり口にしてしまうのだろう。
 最初に世一を無理矢理抱いたことは、まだかなり引き摺っているみたいだし。だからあの朝も、あんな祈るような顔をしてこの言葉を口にしていたのだ。
 ピッチの上では暴君皇帝のくせに、意外と純情なのである。
 悔しいけど可愛いし、ムカつくけど愛おしい。こんなこと思っちゃう時点で世一自身ももう引き返せないところまできちゃってるのかもなと考える一方で、でも、だったら、と欲が出てくる。

「なぁカイザー、俺もだよ。俺も幸せだよ、だからさ、今度は、夢の外でも同じ事言って教えて」

 だって俺たちもう恋を知ってしまったんだから。
 今更恥ずかしがることなんて何にもないだろ、そう言ってやる代わりに、ちゅっと音を立てておでこにキスをした。するとカイザーの美しい眉間へ僅かに皺が寄る。単に寝苦しいのか、夢見が悪いのか、……或いはどこかで目を醒ましてタヌキ寝入りに切り替えていたので世一が言っていることがなんとなく分かってバツが悪いのか。
 答えはそのどれでも構わないけれど。

「約束。お前が覚えてなくても俺が勝手に覚えててやるよ、……忘れられるもんか、こんなに人生めちゃくちゃに壊されちゃってさぁ、もー……絶対、責任取れよ?」

 これだけI LOVE YOUをくれてやったんだから、ちゃんと死ぬまで俺だけを見てろよ。
 そんなとびっきりの傲慢な告白に、やがて皇帝は静かにその深い青色の瞳を開き、指先を絡めてこう囁いた。

——Ja, mein Egoist仰せのままに、俺のエゴイスト.」