二歩下がって三歩進む

雑高 二人でお祭りを見る話
日和る高に、理屈構文で返すのかと思いきやちゃんと思いを述べる雑と、敵わない高

 昼、町中は祭りの用意で賑わっていた。戦乱が近くであるのを忘れそうになる。高坂は頷きながら、城下町の隣に位置する港町をゆっくり南下する。
 馬のいななきが聞こえてそちらを向くと、荷物を下ろすのに手間取っているせいで不機嫌になった馬が、じっとしていられず足を踏み鳴らしている。後方からは店の主人が自慢の反物たんものの説明をして、左右からは女性たちの井戸端会議が聞こえる。ざわめきと無縁の世界をいく忍びには、こういう場所は耳が効きすぎてしまうが、鍛錬の末に慣れを覚えた。
「お兄さん、買わないかい?」
「いや、今日はそんな予算ないよ」
「この間のは渡せたの?」
 そう聞いてくる反物屋の主人に他意はない。高坂は曖昧に笑って流した。あとから主人が横にいた妻に「あれはだめだったんだろうな」と囁くのを耳で捉えた。一ヶ月ほどまえ、偵察で来たこの町で高坂はこの主人から反物を一つ買っていた。
 だめだったのではなく、むしろ。
 高坂はそう反論したかったが、またしつこく次の新しい品物を勧められても面倒なので、やめた。主人と高坂の間を、地面に細く風が走る。葉が散る時期ではないはずなのに、枯れた葉がかさかさとうごめいて高坂のそばを通った。
 笛の音がする。祭りのための囃子はやしが聞こえる。もう人々の騒がしさは、音の方へ向いていつしか集中していった。薄衣をまとって軽やかに踊る女性の姿と、横を取り巻く笛と太鼓が調子を上げる。高坂はそっと離れた。喧騒に乗じ、目標へ向けて歩みを進める。その足先には、緊張が滲んでいた。

 今回はこの地の祭りの、後夜祭に用がある。そこで振る舞われる酒や食事の席裏で、敵国同士の密談がある予定だという。諸泉が自信を持って仕入れた情報で、確かな伝手つてもある。組頭である雑渡はすぐにそのまま諸泉を行かせようとして──なにを思い立ったのか、顎に手を当て思案を始めた。我らが忍び組頭の考えはときに不可解な思考回路のことがある。高坂はそばに仕えながら、その言葉を唾を飲んで待った。
「私が行こう」
 と雑渡は言い放った。この手の問題であれば諸泉でもじゅうぶんだという周囲の意見を退けて、「お前もおいでよ」と高坂を誘った。
 高坂は、組頭の頭の中ではもうすでにこの事案の結末までを辿れているのだとわかった。解決策も見抜け、すみやかに処理されると信じ、あとは雑渡の指示に従うだけで終わりを迎えるだろうと確信した。
 ──しかし出立の用意をしていた夜半。雑渡は高坂の部屋を訪れ、静かに言った。
「私服で出かけるのに都合がいい建前ができたね」
 彼が笑っているのが口に当てた布地越しでもわかった。高坂はしばらく呆然とし、「ほら、まえに陣左にもらった」と続く雑渡の言葉を聞いた。
「あれを着る機会がね、なかったものだから」
 高坂はハッと我に帰った。
 忍軍の内部で物を渡し合うことは禁止されていない。鍛錬に必要であれば、武具や装束の繕いや新調は信頼のおける者に任せた方がいいときもある。
 ただ、高坂が以前雑渡に送ったのは服だ。忍務用でもあるが、普段でも着られるものだ。自分でもどうして反物を買おうとしたかはわからない。その布地を一目見て惚れ、きっと彼に、雑渡に似合うだろうからと店の主人にいくらか値段を聞いていた。ひどく個人的で他意のあり過ぎる贈り物を、雑渡はなぜとは問わなかった。感謝して受け取り、ゆっくり目を細めて高坂をただじっと見ていたあの夜を思い出し、そのときから雑渡がちゃんと着る機会を考えてくれていたなどとは露ほども知らず。
 雑渡が目を伏せ、不器用な高坂の言葉を待っている。不器用で、不自然な自分の答えなど、きっとわかられてしまっているだろう。
「組頭、それは」
「うん」
……男二人ではあまりに」
「怪しまれる?」
「はい」
……そう、じゃあ仕方ない」
 雑渡はやさしかった。そして高坂は、打ちのめされた気分で、惨めな思いのまま相手の顔を見ることができなかった。
 二人で歩くには、怪しまれないよう自分が女装をしたらいいのだ。もしくは変装に工夫をして。それをあえて「男二人」と称して言い訳をした。尻尾を巻いて逃げようと、怯えている。
 それは雑渡の行く末を自分が邪魔したくないからだ。
 雑渡には、できれば幸せになってもらいたい。この姿になってからも、相変わらず城の中で雑渡の噂は絶えないし女性の視線は熱い。組頭という身分に惹かれるのも一理あるが、人として一重も二重もそそるものがある彼を、どの人も放っておかない。そこに己が障壁になってはならない。私服で並んで歩き、休暇同然のように過ごしていれば忍務とは思わない連中もいる。どんな小さな疑いの芽も、咲かせるつもりはなかった。
「せっかく楽しみにしてたけど、お前が言うなら踏み込めないね」
……組頭」
 声をかけようと顔を上げると、雑渡は肩をすくめていた。いつもの柔和な声で、のんびり言う。
「出かけようって誘って振られた男への、慰めなんていらないよ」
 はっきり痛いところを突いてくるくせに、雑渡は笑っていた。からかうことがこの上なく楽しいというのが如実にわかる。
「考えすぎるのは嫌いじゃないけど、お前が思うほど私の未来は狭くない」
 雑渡はそう言って立ち上がり、座っている高坂の頭を撫でた。子どもをあやすような仕草は十代以来で、気恥ずかしさが増す。
「お前のその頭で考えてる選択肢を生きる道もあるだろう。たとえば今から突然、無数に来ている縁談をどれか一つ受けてしまうとか」
 そうしたら数日中には話が決まるかな、と雑渡は心を込めない声で付け加えた。
「みんな喜んでくれるかもね。すぐに子を成せと焦らせてくる下世話なのもいるかもしれない。陣左、お前は──きっとその場にいないんじゃない?」
「いえ、そんなことは」
「いたとしても、少し苦しがるでしょ」
 図星だった。高坂は爪が軽く食い込むほど拳を握る。幸せを望む自分が身勝手に苦しむ矛盾を、許されることではないとわかって唇を噛んだ。
 その様子を捉えながら雑渡が、うすく笑んでいた顔で高坂を覗き込む。
「それは、私にとって淋しい」
 心臓が、木目が割れて乾いた音を立てるような軋みを覚えた。潤さねば枯れてしまいそうな心が、悲鳴をあげている。そこへ雑渡の言葉が染み渡り、なみなみと注がれる。
「遠い、誰かわからぬ女と子どもを見るよりは、今お前がくれたあの服をどう着ようかと悩みたいんだが」
「申し訳ありません、考えが至らず」
 咄嗟に謝ってみても、雑渡の表情は変わらない。それどころかますます目元のシワを深くして、面白がっている。高坂は頬も耳も赤くし、うろたえて俯くしかなかった。
「私が拗ねてるの、伝わった?」
 高坂は喉に詰まった空気を吐き出しながら、「……はい」となんとか返事をした。

「今思えばねぇ」
 笠の下から雑渡がやわらかな口調で話し出す。
大人気おとなげなかったよ、私も」
 深く被った笠からは日除布を垂らし、今日は口元が露わになっている。病弱を装って羽織まで着てきた周到さに、今でもこの人に変装は敵わないだろうなと思い知る。それほど、雑渡の気配は町に溶けていた。高坂は雑渡の、自分が選んで捧げた臙脂色えんじいろに染め抜いた布地の、新しい着物の袖を見つめながら、「そう思われていたのですか」と応える。手を貸しながら歩くふりをして、情報を集めた。
「お前と気兼ねなく歩いてみたかったからね」
 特に祭りなんていう賑やかな場所をさ。と雑渡の声が、わずかながら弾んでいる。
 ──町の門外で雑渡と待ち合わせ、先ほど迎えに行った。雑渡が着てきた服は本当によく似合っていた。年相応の落ち着きと、雑渡の細工であたかも診療帰りのような儚さをかもして、祭り会場の休憩も兼ねた甘味処では「お体に障るでしょうから」と内部の席へ案内までされた。
 奉公人と主人であろうという世間の目は、二人に易しく寛容で、祭りに夢中な人々の誰にも疑われずここまでを迎えた。あとは後夜祭へ忍び込むだけだ。やはり抜かりのない隠密行動に高坂は改めて惚れ込む。
 なんともなくやり遂げたことは物のついでで、むしろ高坂とこうして歩くことの方を大事としながら語りかけてくる片方の瞳は、相変わらずほほえんでいる。目は、口ほどによく物を言うのだ。ずっとそばで仕えてきたからこそわかる。夜になれば忍務できっと消えてしまうこの笑みを、高坂は深く脳裏に刻んだ。
 夕暮れが近くなり、高坂は西日にわずかに顔をしかめてしまう。